「徒然海月日記」から海の話が含まれている日記のみ抜粋したバックナンバーです

2010年 7月20日(火) 晴れ

南東の風 おだやか

 連休中のゲスト残存部隊が揃ってお帰りになるこの日、彼らを狙い済ましたかイジワルででもあるかのように、空は青く晴れ渡り、海はあくまでも穏やかに微笑を湛えていた。

 雨雨雨だった前日の海は、透明度は良かったとはいえ、やはり太陽が出ているのと出ていないのとでは、そのイメージは大きく異なってくる。

 これで太陽がなかったら、なんかさびしいでしょ。

 太陽が輝いているからこそ、上の写真のように水深30mでもサンゴは大きく育つ。
 デジカメ全盛のおかげで、大勢のダイバーが水中写真を記録するようになった今でこそ誰もが知るようになっているものの、20年前のサンゴ研究者の間では、水深30mでミドリイシがフツーにこんなに大きく育つなんてことは、一部以外ではまったく信じられていなかった。

 何度も言うけどサンゴたちは、たとえ水深30mであっても、環境さえ適正であれば、放っておいても勝手に育っていくのである。

 この水深30mにあるサンゴのような、砂地に点在する根で育つミドリイシ類にとって最大の危機は、放浪の果てにたどり着いてしまうことがあるオニヒトデだ。
 餌であるサンゴを求め、かなり深い海底ですら長期間彷徨い歩くことがあるオニヒトデにとって、突如現れる砂地の根のサンゴなんてのは、砂漠で放浪して死にかけ十秒前になっている人の目の前に現れるオアシス以外のナニモノでもない。

 かつて多くの方々に愛されていた一本サンゴも、そんなたった1匹のオニヒトデによってあっという間に食べつくされてしまった。

 一本サンゴにかぎらず、ずっと見守ってきたサンゴが突如死んでしまうというのは、けっこう切ない。
 その原因がオニヒトデともなれば、憎さもキワマレリというところなんだけど、オニヒトデも僕らもみんな、生きている。それが自然のバランスなのだとしたら、諦めるしかない。オニヒトデは殺すけど。

 ただしそのオニヒトデの数が、その環境にとって適正な数なのか、ということは重要だ。
 大人になるとほぼ無敵といっていいオニヒトデも、幼生の頃は様々な生物の餌になってしまう時期を過ごす。
 その「餌になってしまう」という淘汰で、大人の生息数が適正なものとなる。

 ところが、その幼生を餌とする様々な生物の数が、環境の変化によって激減してしまったら?
 また、オニヒトデの幼生が充分以上に育ちやすくなる環境になってしまったら?
 それが逆にサンゴの生育を妨げる原因になっていたら??

 それらはすべて、海だけではけっして完結しない陸をも含めた「環境」が左右する。
 大雨ごとに真っ赤に染まる本島西海岸。
 赤土流出防止対策だなんだと騒ぎ始めて30年、まったく何の改善も見られないどころか、よりいっそうひどくなっているようにすら見えるということは、その間ずっと赤土を垂れ流し続けていたということでもある。

 オニヒトデが恒常的に増え続ける原因に目を向けず、サンゴ礁がなかなか復活しない理由に触れもせず、ただただ、人工的にサンゴを移植したらこんなに見事に育ちました!!サンゴはとっても大切ですね、なんて言い続けても、根本的にはまったく何の解決にもなっていない。

 それどころか、サンゴ礁の復活は移植という人工的手段でしかなしえない、なんて誤解を多くの人に与えてしまい、本来は放っておいても勝手に増えていくという「自然」が持つ逞しさから、いたずらに目を背けさせてしまっているのではないか。

 そんな「自然の逞しさ」をどんどん衰退させているものは何なのか。

 そういう「不都合な真実」は、大相撲界の野球賭博同様、世間が騒ぎ出すまではまったく誰も伝えてはくれないのだった。

 この稿の保存協力:うみまーる