@コテン。始末記への道(2月28日まで)

 そもそも今回の上京は、うちの奥さんの個展開催に向けての準備と一夜のイベントがその最たる目的だった。

 Masae工房初の個展 IN 東京!!

 …というとたいそうなのだが、東京といっても、都民の90パーセントくらいの方は、その一生に一度行くか行かないかくらいであろう、杉並区は西永福の飲み屋が会場だ。
 飲み屋といっても大ホールを備えた巨大店舗ではなく、ギッチリ入って20名そこそこくらいの小さなお店である。
 なので、「個展」と言ってしまうとあまりに仰々しすぎるから、そこは謙遜の意を込めて「コテン。」と名付けた。

 ところで、なぜに東京の誰も知らない土地の飲み屋さんでコテン。を開催する運びになったのかというと、そのお店を縄張りにしている方が当店のゲストだったからである。
 名をウロコムシ武田さんという。

 …などとあらたまって説明するまでもないであろう。当サイトの読者におかれては、おそらくスベスベマンジュウガニよりもその名が通っている有名な方である。

 そのウロコムシさんがご夫妻揃って常連になっているのが、このコテン。会場である鱗(LIN)というお店。
 綺羅星のごとく様々な趣味の世界がある現代日本。しかし、その趣味の成果を発表する場を持つ人はそれほど多くはない。
 どれほど丹精込めて育てた盆栽でも、観てくれる人がいなかったら楽しさは半減以下だろう。今流行の海中写真だって、生物学的興味で資料として撮っているわけではないかぎり、どんな形であれ発表の場があってこそ楽しさは倍増するともいえる。

 ところが、先ごろアカデミー賞を受賞した短編アニメーションでさえ目にする機会がないくらいである。どんな分野であれ、発表の場を持つなんてことはそうそうない。日本最強のアマチュア水中写真漫談家コスゲさんのように、実力と行動力を備えた人など滅多にいらっしゃるものではないのだ(行動力だけだと、見せられる側が閉口ってことになるし…)。

 この居酒屋鱗さんは、そういう方々のためにスペースを解放しておられる。写真や書や絵画といった様々な趣味の作品を、ひと月単位で自由に展示できるようになっているのである。ウロコムシ武田さんも、プロ級の写真を仲間とともに展示されている(もちろん海の写真ではなく、鉄道の)。

 ただし、前述のように発表の場がないこの社会のこと、そのチャンスを提供してくれるこの鱗さんでは、なんと2年後くらいまでギッシリ予約が埋まっているという。
 恐るべし、趣味の世界。
 そうなるともちろんのことながら、Masae工房に出番が回ってくるはずはなかった。

 ところが、あまりにも先の予約をされているものだから、ようやくあと1年後に迫った、というときに、諸々の事情で開催できなくなる、という予約者が出てくることもある。
 2009年の3月に、その「空き」ができそうだ、という話をウロコムシ武田さんご夫妻から伺ったのは、ほぼ1年前の08年4月のことだった。
 その後、作者がボンヤリしている間に話はどんどん具体化していき、秋頃に本決まりとなった次第である。

 つまり今回のコテン。開催へ至る道のりは、ほぼ全面的にウロコムシ武田さんご夫妻のおかげなのであった。

 そんなわけで、3月開催が本決まりとなっていたこのオフのMasae工房は、当初からそれに向けたスケジュール調整がなされていた。
 とはいえ、小学生の頃の夏休みの宿題と同じ。それ以前にどれだけ時間があろうとも、結局直前まで、何をどう出すかなんてことなど何も決まってはいなかった。

 そんな状態の中で苦労をしたのは、何を隠そう僕である。
 誰も言ってくれないから自分で言おう。
 もちろん僕がとんぼ玉を制作するはずはない。でも、ゴッホだってゴーギャンだってマネだってルノアールだって、どんなに優れた絵を描こうとも、それを飾るためには額がいる。
 とんぼ玉だって、どんなにきれいな玉を作ろうとも、それを飾るための什器を必要とするのである。

 何をどれだけ出品するのか、何も具体化されていない状態で、しかも下見が下見にならなかった2月初頭のオタマサツアーのおかげで会場の様子もわからない。その状態でそれらを作るのがいかに至難の業かご想像いただきたい。
 しかし、目で実際見て来たものすら頭の中でイメージできないオタマサとは違い、そういうことなら僕はある程度頭の中でイメージできるので、コテン。まであと1ヶ月を切って以降は、文字通り神懸り的に工作の鬼と化し、まるで会場を見てきたかのごとく周到な容易を整えたのであった。

 ……といいつつ、実はすべて、ウロコムシご夫妻が会場の詳細なデータを随時送ってくださったからこそ可能になったのだ。
 なにしろオタマサときたら、一度足を運んでいるにもかかわらず、写真は撮らないわ実際に観てもいないわで、何を訊いても話にならなかったのである。

 問題は、その詳細なデータに基づいて完璧に準備したグッズを、どのようにして会場に運ぶかということだった。
 荷物は大きなダンボール箱5箱分にもなる。そんな荷物とともに沖縄から上京する、というわけにはいかない。
 かといって、居酒屋にそういった荷物をドドンと事前に送るわけにもいかない。
 さて、どうするか。

 そこで一肌脱いでくださったのが、これまたウロコムシ武田さんだ。
 もちろん、脱いでいきなりTバック姿になったわけではない。
 荷物を事前に、会場の近くだという彼のお住まいに送ってよいとおっしゃってくれたのである。
 とはいえ、どうやら彼は、所詮とんぼ玉だから荷物といっても大した量ではないと思い込んでいたようで、僕がどんなに大量になると忠告しても、耳を貸そうとはしなかったのだった。

 そんなわけで、開催に至るまでの道はとにかくウロコムシご夫妻におんぶに抱っこだったわけで、つまるところ我々は、彼のワガママに全面的に応えなければならないという、がんじがらめのリャンハン縛り状態になっていたのであった。
 世の中、タダよりコワいものはない。

 それやこれやで、荷物をすでにウロコムシ邸へ送っていた我々は、2月28日昼、意気揚々と那覇空港を飛び立ったのだった………。

 以上を踏まえたうえで、我々が滞在中のコテン。始末記を駆け足でお送りいたします。