F沈没の会長(3月6日)

 駒形どぜうで腹一杯になり、ビールも美味しくてすっかりいいコンコロもちになっていた我々は、そのあと銀座で所用を済ませた後、新宿に戻り、部屋で休憩。ホント、このホテルでの休憩がなかったら大変なことになる。
 というか、できることならもうどこにも出かけたくない。とにかく今はもういい気持ちなのだ。

 が。
 今宵も宴が……。
 この日の夕方、我々は再び居酒屋鱗にいた。

 今回の上京のそもそもの目的は、Masae工房のコテン。準備であり、そしてメインイベントは、クロワッサン史上初のオフ会(?)でもある、クロワッサンゆんたくタイムIN東京!!だった。

 それを翌日に控えたこの日に、鱗でいったい何をしていたのかというと……

 こういうことだったのである。
 先だっての横浜での旧友たちとの久しぶりの宴席で、この日のことを買って出てくれた人がいて、この日もまた、「コテン。記念URDC・OB会関東支部飲み会」となったのだった。

 つまり、次の日のゆんたくタイム…と合わせ、2日連続の鱗貸切!!
 居酒屋鱗常連の皆さん、どうもすみません……。

 ここに集まってくれている一人ひとりが、話題に事欠かない愉快な人たちばかりなのだが、いちいち一人ひとりを紹介していられないから写真だけでどうぞ。


先月披露宴を挙げたペプシマン夫妻も来てくれた。
いつの間にそんなに義理堅くなったのだ?


おお、営業部長!!そして彼の向かいに座って静かにピースしている男こそ、
喜多方ラーメン伝導人、福島県立喜多方高校出身の彼である。


左端の女性が、今回幹事を買って出てくれたオカルさん。

 喜多方ラーメン伝導人をはじめ、久しぶりに会う面々も多数いたので、彼らといろいろ積もる話をしたかったのは山々なのだが、ここに1人、誰よりも早く会場に来て、誰よりも早く急ピッチで酒を飲み、そして誰よりも早く……

 こうなる人がいた。
 ご存知、会長渡刑事さんである。
 なぜか1人だけネームプレートをつけているのは、会長だというのにここに訪れている若い世代は彼のことを知らない、という衝撃的事実に基づいている……。
 が、そのネームプレートは「店長」のプレートだったりする。

 それにしても、飲み屋で寝るのは沖縄でだけなのかと思いきや、東京であれどこであれ、まったく初めての店でもどこでもおかまいなしというところがすごい。ある意味「芸」に達している。
 この、睡眠に至る前の「酔っ払い長話」の相手を誰がするかといえば、当初はなぜかこの日初対面の営業部長だった。
 実は2人とも、たどれば大山倍達に繋がる空手の門下で、四十過ぎた人間とは思えない肉体を誇っている。
 いったいこれから強くなってどうしたいのかはよくわからないものの、同じ道を歩むものとして妙に2人で盛り上がっているのだ。

 が、営業部長も久しぶりに会う連中が多いわけだし、せっかくの宴席でおっさんと空手の話ばかりしていても始まるまい。
 そうこうするうちに、「きっと明日になればすべて忘れているであろう」レベルに達した会長の話を聞く者など、この店の中では僕以外にいるはずがなく、おかげで僕は他の誰ともゆっくり話せなかったのだった。ああ、もっとオカルさんとお話したかったのになぁ……。
 会長、お願いですから宴席ではもう少し息長くお願いいたします♪

 …と、こんなことを会長に言うと我々はバチが当たってしまう。
 何を隠そう、彼がいてこその「Masae工房・わしたショップ銀座出品中!」なのである。
 この日の午後、銀座に立ち寄ったのは、わしたショップ銀座店を訪問するためだったのだ。

 あいにく店長はイベント準備のためにご不在だったのだが、うれしはずかしMasae工房とんぼ玉、おかげさまで銀座でも頑張っておりました。