F乃木神社(3月7日)

 昨日の雨がウソのような晴天に恵まれたこの日、さて、自力はとバスツアーはどこを目指したのか。

 まずはここ。

 乃木神社。

 乃木神社とは、いうまでもなく明治の軍人乃木大将を祀った神社で、この境内に隣接して旧乃木邸がある……というか、旧乃木邸があるからこそ、ここが神社となった。

 神社に祀られるぐらいだから、当時も今も相当に有名な軍人さんである。
 知らない方は、いますぐTSUTAYAに行き、仲代達矢が乃木将軍を熱演している映画「二〇三高地」を借りて観よう。

 この乃木希典将軍は、明治天皇が崩御されたときに夫人とともに自刃、すなわち殉死されたことでも有名で、であればこそこうして祀られている。でも、前述の映画をご覧になればすぐにわかると思うのだが、この方、軍人としてはかなり………

 ……無能である。
 いや、悪い人だったのではない。でも軍事的才能は……
 そもそも日露戦争において彼が率いる第三軍が編成されたのは、バルチック艦隊がこっちまでやってくる、ということを受けた連合艦隊から、なんとか旅順を攻略してくれと陸軍が頼まれたからにほかならない。つまり、当初の主要な作戦には、彼は抜擢されていなかったのだ。

 で、その旅順攻略戦においては、二〇三高地攻防戦に代表されるとおり、無策というかなんというか、突撃あるのみの一点張りで、イタズラに戦死者を出し続けた戦いだった。

 でも二〇三高地は落ちたし、旅順は見事攻略されたじゃないか、という方もいるだろう。でもあれは、ほぼすべて児玉源太郎のおかげなのである。

 明治後半の日本は、この児玉源太郎がいなければどうなっていたかわからないほどに、この人は凄い。
 乃木さんは長州藩の支藩、長府藩士、児玉源太郎も長州藩の出なので、西郷はんの西南戦争のおりには尉官レベルで官軍側に参加していた。乃木さんはともかくとして、薩摩軍に攻囲され、あわや落城寸前だった熊本城の窮地を救った一人は、ほかならぬこの児玉源太郎なのである。

 乃木さんが特に活躍もせぬまま以後順当な出世街道を歩んだのとは裏腹に、児玉源太郎は陸軍たたき上げの軍人として将官になる。
 そして日露戦争の頃には、児玉源太郎が日本を左右するほどのポジションにいたのに対し、乃木さんは窓際も窓際なのだった。

 そんなおり、前述のとおり急遽軍が編成され、旅順攻撃の指揮をとることに。
 しかしその高度な教養は実際の戦争には生かされることはなく、大した戦果を出せぬままに戦死者数だけが増えていく。
 そんな乃木第3軍の窮状を見るに見かね、最前線の参謀本部から駆けつけた児玉源太郎が指揮系統を掌握、コロンブスの卵なみの方法で見事旅順を攻略したのだった。

 児玉源太郎がすごいのはここからである。
 彼はそれを自らの手柄とすることなく、すべては乃木がやったこと、乃木は凄い、乃木はエライと吹聴しまくった。
 軍神としての乃木将軍の偶像は、ひとえに児玉源太郎が作り出したようなものなのである。

 そこへもってきて、乃木さんの持って生まれた崇高な品格と教養。
 はっきりいって、降伏したロシアの将軍への接し方ひとつで、彼はそれまでの戦局における無能さを吹っ飛ばしたといっていい。

 しかし、偶像と実際の違いは本人が一番わかっていたのだろう。殉死にしても、明治天皇あってこその自らの誉れということを自覚していたに違いない。

 ま、それはともかく、つまりは児玉源太郎は凄かったという話。
 詳しく知りたい方は、丹波哲郎が児玉源太郎を熱演している映画「二〇三高地」と、司馬遼太郎著「坂の上の雲」、ならびに「街道を行く・台湾紀行」をお読みください。

 …って、そこまで乃木将軍をケチョンケチョンに言っておきながら、なんでまたこの日乃木神社に??

 実は!!
 なんと我々夫婦は16年前の1月に、この乃木神社で結婚式を挙げたのである!!
 駒形どぜうと同じくらい懐かしい場所だったのだ。<同じレベルなんですか?

 というわけで、この日は新宿から原宿駅経由で、乃木坂へ。
 原宿なんて、すでにひところの賑わいは消え失せているのかと思いきや、たまたま同時に改札を出たジョシコーセーもしくはジョシチューガクセーが言っているのである。

 「ここに来るの3度目かなぁ!」

 「お金があったら、毎週来たいくらいだよ!!」

 原宿は、今もなおこの世代の子たちの憧れの場所であるようだ。
 原宿とは圧倒的に無縁な我々はソソクサと明治神宮前駅方面へ。
 乃木坂は二つ目の駅だった。
 この乃木坂という名ももちろん乃木将軍にちなんでいるわけで、江戸時代には幽霊坂などとも呼ばれていたらしい。乃木坂と呼ばれるようになったのは、当然ながら大正以後のこと。幽霊坂じゃあ、駅名にもなれなかったろう。

 乃木坂駅の出口を出るとすぐに、上の写真の場所になる。
 境内に入ると、さすがに見覚えのある風景がそこにあった。

 この拝殿より先には一般参拝者は入れないのだけれど、一部の人は堂々と入れ、幣殿、本殿を間近に見ることができる。


奥が本殿。

 その一部の人とは……
 ここで神前式を挙げる人とその縁者。
 この乃木神社での神前式では、写真正面の舞台のようになっている幣殿で、ホンマモノの楽人によるナマの舞楽が披露されるのだ。
 実を言うと、それがいいと思ったので、他になんの候補も作らぬまま、うちの奥さんの意向を尋ねることもなく、僕は一方的に式場を決定した。

 今の世の中は人前式というのが流行のようで、そのスタイルに合わせているのか、現在はこのなかに友人等も招いていいようで、140人まで入れるようになっているそうだ。
 僕らの頃は式といえば親族のみって感じだったはずで、実際当時も中に入っていたのは僕らのほかは仲人と親族のみで、友人たちは上の写真でうちの奥さんがいるあたりから中を覗き見ていた(後ろから笑い声が聞こえてきたからよくわかる)。
 そんな笑い声に見守られつつ(?)、真冬だというのによく晴れた空の下、僕たちは神様化した乃木将軍にダイジナコトを誓いあったのだった。


93年1月吉日。撮影者不明……

 何もかもみな懐かしい………。

 隣接している旧乃木邸をぐるりと回って、この界隈を後にした。
 境内では、この日新たな門出を迎える二人のための準備が始まっていた…。