G皇居探訪・桜田門が変(3月7日)

 再び千代田線乃木坂駅に戻り、今度は二重橋前駅へ。
 そう、二重橋といえば……

 皇居!!

 何を隠そう、僕は皇居初訪問なのである(うちの奥さんはかつて父ちゃんに案内してもらったことがあるらしい)。なので今日は、この皇居をグルリと歩いて一周してみよう!

 二重橋前駅を皇居方面に出ると………

 広い!!

 そして、ありえないくらいの数の松林が広がる。
 大都会東京にあって、ここだけポッカリと空が広い。


背後のビル群は丸の内。

 そして皇居を巡る道を走るジョガーがまた多い。それも多国籍である。この一画だけを見たら、とても「東京」とは思えない。

 そのままテクテク歩くと、皇居といえばここというくらいに有名な二重橋に至る。

 さすがに美しい。
 ところで、僕はこの場にいたときも帰ってからも、ずっとこの眼鏡橋のことを二重橋というのかと思い込んでいた。ところがよくよく調べてみると、なんと二重橋とは本来、このひとつ奥にある鉄橋のことなのだそうだ。

 その鉄橋が木造橋だった時代、技術的な問題から橋の下に足場のための橋が架けられており、見た目が二段構造になっていたためにこの名がある。

 かつては「二重」だった橋も現在は普通の鉄橋なので、宮内庁的には手前の石橋と奥の鉄橋とが二重になっているから、という解釈にしているらしいものの、ここに訪れている大勢の客のほとんどは、僕たち同様二重橋とは手前の石橋のことだと勘違いしていると思われる………。

 それにしてもうちの奥さん、なにやら身を乗り出してじっと見ている。はて、それほどまでにこの二重橋に思い入れがあったっけ??

 ……そうではなかった。

 白鳥を見ていたのだった……。
 ご存知のとおり、お濠にはこのコハクチョウのほか、水鳥がたくさんいるのだ。

 石橋の近くまで行くと、立ち入り禁止のゲートのところに警官がいて、ちょうど交代の時間だったらしく、互いに敬礼をしつつ門番を交代していた。
 で、番についたばかりの巡査に、どれくらいごとに交代するんですか?と問うてみると、

 「日によって違います」

 まじめな顔で巡査は答えてくれた。
 シカトされるかなと半分くらいは覚悟していたから、返事してくれたことのほうに驚いた。皇居の二重橋方面を担当する丸の内警察署の警官は、どうやら市民の味方らしい。

 そのゲートで番についているのは普通の巡査の格好をした警官であるのに対し、石橋の向こう、そこから先は陛下の住居、という正門の両サイドにいる2人の衛士(戦前は近衛師団が衛兵になっていたそうだ)、現在は皇宮警察がその任についている。さすがに一般警官とは一味違う格好をしていた。


あまりにも微動だにしないので、衛士を模した人形かと思った。

 こういうところまで来て白鳥に見入っているような客だけだったら、衛士もさぞかし楽ちんだろうに……。

 やはり二重橋が最も有名だからだろうか、このあたりが一番観光客が多い。
 外人さんたちのツアーも多く、欧米人のほか、アジア各国のみなさんも数多い。
 日本の天皇といえば、アジアの周辺各国の人々には一言では言い表せない複雑な感情が湧き上がる存在であると僕などは認識していたのに、意外や意外、その天皇の住居を普通に観光しているアジアの方々がたくさんいる。

 我々は「自力」はとバスツアーなのだが、ここを訪れる方々の中には本当にバスの団体ツアーで来ている人もたくさんいて、まるでお伊勢参りのツアーのごとく、旗を持ったツアコンに率いられて大勢の人が周辺を歩いていた。
 で、ふと南側を見やると……

 団体ツアーとは思えないほどの、信じられないくらいの大勢の人間が集まっていた。
 なんだ、なんだ、どうしたのだ??

 二重橋から見るその方面といえば、桜田門である。
 皇居周辺にいくつかある門のなかで、ここほど有名な場所は他にないだろう。
 ご存知、「桜田門外の変」。
 ペリーの黒船来航で幕を開けた幕末にあって、幕府の威信を盛り返すために奮闘した大老井伊直弼が、水戸の過激派勢力によって暗殺された事件があった場所だ。

 倒幕勢力を主人公にすると、安政の大獄時の井伊大老なんて、にっくき敵以外のナニモノでもないだろうけれど、徳川方から見れば、彼は無私の精神で、ただひたすら徳川幕府のために働いていたのである。
 だから、「花の生涯」という彼を主人公にした作品もあるし、「篤姫」でも、それはそれは見事な少女マンガ的演出のもと、最期を遂げた。

 井伊家といえば家康の頃からの武闘派で、武田家が滅んだ後にその赤備えを継承し、その軍団の鎧は朱に染まっていたらしい。幕末においても軍事勢力は力があったはずなのだが、肝心要の鳥羽伏見の戦いの後は、見事に倒幕勢力側についた。
 あれほどまでに将軍家を盛り立てた井伊直弼の藩が、なぜにここにきて官軍側に??

 井伊直弼を暗殺したのは水戸浪士。そして水戸といえば、黄門様でおなじみの水戸徳川家。そして、最後の将軍慶喜は水戸徳川家出身で、なおかつ、篤姫の旦那さんである家定を継ぐ14代将軍の座を、井伊直弼が推した14代将軍家茂と争った人でもある。

 つまり井伊家にとっては、慶喜将軍は仇敵でありこそすれ、命を懸けて守らなければならない人でも家でもまったくなかったのだった。 

 その他いろいろあった彦根の井伊家ではあるけれど、まさかその140年後に、「彦ニャン」なるキャラクターが生まれようとは、井伊直弼も井伊家も彦根藩士たちも、夢にも思わなかったことだろう………。

 その井伊大老が暗殺された桜田門に、またもや異常事態が!!
 なんだこの人数は!!

 近づいてみると、どうも運動競技をするような格好の人たちのようだった。いくらジョギングのメッカとはいえ、こんなにたくさん集まるものなのか??

 すると、突然ハンドマイクの放送が。

 「まもなくトップ選手が来ます!!現在一位は102番!!102番!!」

 へ??
 わけがわからずボヤボヤしていると、桜田門をくぐって、猛然とダッシュしてくるランナーが次々に!!


奥にいる群衆はみな関係者

 なんと、1人の走者が皇居をグルリと一周する駅伝レースをしていたのである。
 ジョギングとは違い、本気モードのレースである。そのスピードは半端ではない。半端ではないそのスピードで一般通行人が歩いているところを猛然とダッシュ!!
 いくら係員が交通整理をしているからって………

 ………ぶつかったら死ぬぞ。

 ランナーたちは本気で競い合っているので、外側の高麗門から内側の渡櫓門に至るL字カーブのところでなるべく内側を通りたがる。しかしそこは僕たちのような一般通行人も通るのだ。いつ人がぶつかってもおかしくないくらいの勢いだった。

 だから通行人も、ランナーが途切れる隙を見てササッとダッシュすることになる。なので、本気で走っている彼らには申し訳ないんだけれど、この桜田門と本気で走る彼ら、そしてそれを避けて通り抜ける人々のコントラストが………

 …変。

 写真じゃ止まっているけど、何人ものランナーがここを全速力で駆け抜けていくんですぜ。
 思わず笑ってしまった。
 桜田門外の変ならぬ、

 桜田門が変!!

 いったい、なんの大会なんだろう??選手にエールを送りながら交通整理をしている係の人に尋ねてみた。 

 「消防署の全国駅伝大会です」

 なんと彼らはみんなファイアーマンだったのだ。
 日本中のファイアーマンたちが競い合っているのである。
 半端ではないその走り、選手たちは選りすぐりの消防スタッフであるに違いない。

 ………って、ちょっと待て。
 ってことは、今彼らの管区で火事が起こってしまったら、現場には「カス」しかいないってことか??

 ともかく、桜田門は変だった。
 でも外観はやはり美しい……。

 桜田門といえば史跡でもあり、国の重要文化財に指定されているにもかかわらず、全国消防署員駅伝大会でも普通に通過できるくらいに、今もなお現役の門なのだ。

 彦根藩邸はこの桜田門から西へ5〜600mほどのところにあったそうで、そこからの登城途中、井伊直弼はこの門外で暗殺された。旧暦の3月3日のことだった。
 場所はちょうど桜田門交差点あたりだというから、まさに上の写真でうちの奥さんが立っているあたりであろう。

 ちなみに、この幕府の権威を失墜させまくったこの事件、その首謀者たちの大元である水戸徳川家を懲らしめるべく、幕閣は水戸家討伐まで議論したそうなのだが、その際、それでは筋が通らない、そもそもそんなことをしている場合ではない、と強く訴えたのは、何を隠そう会津藩主松平容保なのである。
 凡庸な大名が多い中にあって、松平容保のその思慮分別、胆力が大きく注目されたきっかけでもある。つまりそれが、後の京都守護職への道に繋がっている。

 さらにちなみに、前述のとおり水戸家と井伊家の間には尋常ならざる因縁があったのだが、それは両家の間だけにはとどまらなかった。なんとも驚いたことに、水戸市と彦根市が和解して親善都市提携を結んだのは、事件発生から110年後の1970年のことだそうだ……。
 アジアの隣国に対し、かつての戦争はすでにもう「歴史」なんです、と開き直れないのもよくわかる……。

 ところで。
 これまでまったく知らなかったことをこのとき初めて知った。
 それはこの風景。

 桜田門のそばに警視庁があることは知っていたけど、国会議事堂って……

 ……皇居からこんなに近かったんだ!!

 議事堂には昔行ったことが一度あったものの、皇居までこんなに近いとは思っても見なかった。まさに目と鼻の先じゃないか。

 そういうことはこのあたりでジョギングしている人たちにとっては「当然」のことなんだろうけど、実感として地方の人はまったく抱いてはいないと思う。
 ニュースでしょっちゅう出てくる国会議事堂の映像が、皇居からのショットで撮られたものなど皆無に違いない。だって、ニュースで出てくる議事堂って、遠くてもせいぜいこのあたりから撮られてるでしょう?


意味もなく、わざわざ歩いて来てしまった…。

 この画像から皇居の存在なんて感じ取れるはずがない。
 現地に行かなきゃわからないことって、たくさんあるなぁ!
 これだから旅行って楽しい。

 歩くたびに無知をさらけ出しつつ、皇居めぐりはまだ続く………。