本編・9

翼よ、あれがベテルスだ

 小さな単発プロペラ機に乗り込んだのは、我々を含めて7、8人だった。
 我々夫婦以外は、みんな地元の人らしい。この内陸の村々を結ぶ飛行機は、たしかに観光客が利用してはいるけれど、あくまでも住民たちのライフラインなのである。
 名高いブッシュパイロットは、やちむんの巨匠故・金城次郎がそうであったように、また芭蕉布の大家・平良敏子がそうであるように、どう見てもそのへんにいる普通の人にしか見えなかった。本物のプロは、一般人となんら変わることのない自然体でいるってことなのだろう。

 モルディブのヴィラメンドゥに行ったときも、首都マーレから小さなプロペラ機に乗った。そのときはコ・パイロットの席にちゃんと副操縦士が座っていた気がする。けれど我らがブッシュパイロットは、
 「よぉ、こっちに乗るかい?」
 って感じで、コ・パイの席に顔見知りであるらしい客を気安く誘っていた。
 どうやら本物のプロはたった一人で操縦するものであるらしい。<そうなのか??

 さて、いよいよ発進である。
 雪に覆われた滑走路を軽快に走るライトエア機。密かに緊張していたものの、飛行機はいともあっさりと、まるで僕が桟橋からミスクロワッサンを発進させる程度のノリで大空へと舞い上がった。

 眼下の広大な大地にくらべれば野に舞うチョウチョウのような小さな飛行機は、タイガの大地をヒラヒラパタパタと飛んでいく。
 我らがブッシュパイロット氏は、たとえただのおとっつぁんに見えようともそこはやはりプロ中のプロ、厳しいマナザシをときおり計器類に向け、見渡す限り針葉樹林に覆われた大地を見据えて……
 ……いるのかと思いきや、なんだか楽しげに隣に座った乗客と談笑しているではないか。前を見ているよりも横を見ているほうが多かったぞ……。
 針のような細い木と曲がりくねった川の景色が延々続く。
 そして、1時間弱ほどたったころ、飛行機は高度を下げ始めた。
 いよいよベテルスか?

 せっかくだから空撮しようと用意をすると、
 「ここはアルカケットという村で、川を境にインディアンとエスキモーが住んでいるところです」
 とヒサさんが教えてくれた。
 そう、この村々をつなぐライフラインは、客や物の需要があれば立ち寄るし、用がなければ立ち寄らないのである。だから、ノンストップでベテルスに行くこともあれば、途中あちこちに寄って行くこともある。結果、ベテルスまで1時間かもしれないし、3時間くらいかかることもあるってわけだ。
 なんだかとってものどか。

 今日のフライトは、このアルカケット村に立ち寄るだけで済んだ。
 乗客のほとんどが降りて、誰も乗ってこないのかなと思ったら、数名が乗り込んできた。彼ら全員がベテルスへ行くのかというとそうではない。この飛行機は、このあとベテルスへ到着したら、そのままフェアバンクスまで帰るのである。
 乗ってきた乗客の中に、ヒサさんと顔見知りのベテルス住民がいた。滞在中、ほぼ毎日チラッと会うことになるクリスだった。久しぶりに再会したらしく、あってすぐにハグハグする両者。このあたりはやっぱりアメリカンのノリだ。

 再び飛行機は飛び立った。
 あとで地図を見て知ったのだが、この村は、ちょうど北極圏の境界を示すライン上に位置している。つまり、ここから先、ついに北極圏に入るのだ。
 北極圏!!
 沖縄の片田舎の小さな島に住む我々が、まさかこんなところまで足を運ぶなんて、いったい誰が想像しえたろうか。
 でも本当に来てしまったのである。
 とはいえ海の上の赤道がそうであるように、やはり北極圏を示すラインも、地上のどこにも描かれてはいなかった。

 しばらく飛行したあと、ついに目的地ベテルスが近づいてきた。
 ここにたどり着くまで、埼玉の実家を出てからほぼ48時間である。今の世の中、なかなか言う機会はなくなっているけれど、今回ばかりは言ってもいいだろう。

 はるばる来たぜ!!

 そして、眼下にベテルスの村が見えてきた。翼よ、あれがベテルスだ……。
 南側に限りなく近い西の空で低い弾道を描く午後3時の太陽は、小さな村に優しい光をなげかけていた。

ベテルス村

 西日に浮かぶ雪の滑走路に飛行機はしなやかに舞い降りた。長きに渡った我々の行きの道中はこうして無事に終了した。

 ベテルスは、北極圏のラインより35マイル北、ブルックス山脈の南麓に位置し、コユクック川のほとりにある村である。極北ゲート国立公園&保護区、ノアタク国立保護区、コブク谷国立公園への旅の「出発点」として知られていて、本来のシーズンである春から秋にかけて、自然を愛する多くの人々が訪れる場所でもある。

 ベテルスという名は、やはりゴールドラッシュの時代に金を求めてブイブイ言わしていた人物の名にちなんでいる。ベテルス、ベツルス、ベトルズなどなど、いろいろ表記の仕方があるけれど、発音の問題なのでどれでもいい。
 もともとは船の往来に便利な場所にあったそうなのだが、そのうち交通手段が飛行機に変わっていくとともに、滑走路を作れるような開けた土地がある現在の場所に移ってきたという。

 一方、隣り合うようにして、エバンスビルというネイティブの村がある。
 アラスカでは、アルカケット村がそうであったように、普通はエスキモーとインディアンとは同じ場所では暮らさないらしい。近接してはいても、川などの明確な境界が設けられているのだ。
 ベテルスのそばを流れるコユクック川は、イヌピアク・エスキモーと、アサバスカン・インディアンとの伝統的な境界線だったそうだ。アルカケット村で両者を隔てているのもこの川である。
 ところがエバンスビルは、アラスカでも珍しくエスキモーとインディアンがともに暮らす村なのだという。
 おそらくそれは、ゴールドラッシュという人工的な発展を遂げた街の周囲に自然と人が集まってきた結果なのであろう。
 ネイティブの人たちは、地元のベリーを集めたり、夏の間にコユクック川で魚を捕るといったような先祖伝来の生活を続けているという。秋の間はベテルスとエバンスビルの住民が集まり、ムースやカリブーを狩猟して、一年分の食肉を蓄えるのだそうだ。
 それら食用の動物や小さな動物の皮を使って様々な衣服や伝統的な美術品を作ったり、毛皮をそのまま、もしくは帽子、手袋といった衣類にして売っているという。

 インディアンとエスキモーたちは同じ場所で暮らし、そして、そうやって目的を一にして白人社会とネイティブの人たちが集まることがあるにもかかわらず、なんで村の名前が2つあるのだろうか。隣接しているといってもほぼ同じ場所なのに。
 やはり白人社会とネイティブとは本当の意味で一つにはなりきれないのだろうか。このあたり、アラスカが抱えている問題のやや奥深いところかもしれない。

 ベテルスの人口は50人ほど。
 ただし冬期はその半分くらいになるらしい。日本人がオーロラを見に訪れる冬期というのは、犬ぞりなど雪がないとできないメニューを除き、本当は完全なるシーズンオフなのである。
 水納島とほぼ同じような人数が住むこの村には、生徒十数人の立派な学校があるということを、他の方々の旅行記を読んで知っていた。学校には一人一台ずつパソコンがあり、もちろんインターネットに接続されているという。それを使って、自分たちで作った伝統工芸品などを、ネット販売したりしているそうである。
 是非その学校を見てみたかった。そしていかにインフラ整備が地域社会に役立っているかということをこの場で紹介し、
 日本の役所よ、これが行政サービスだ!!
 と強く叫んでみたかった。

 が。
 生徒が十数人もいたというのはすでに今は昔の物語だったのだ。
 現在は生徒数減少にともない廃校になっているというのである。
 減少といっても0になったわけではない。ここからよそに行くにはとにかく飛行機しかない。では、残っている児童生徒はいったいどうしているのだ?
 在宅でのインターネット学校でまかなっているという。
 こういった土地でも、ネット社会に属することによって楽しい教育ができるぞ、というアメリカ的ネット社会の進歩は、逆に進歩していることによって、生徒がいるにもかかわらず学校を廃校にしてしまえるという「合理的」な結論を生み出してしまっていた。本末転倒というかなんというか……。
 それだったら、インフラとしてのネット環境などがたとえ貧弱であっても、一人でも児童生徒がいるかぎり存在し続ける沖縄の離島の学校のほうがいいなぁ……。 

 この先、はたしてベテルスの人口はどう推移していくのだろうか。学校ってのは、所変わっても地域社会にとって必要なものと思うのだが……。