本編・12

ノーザンライツ

 オーロラといえば、日本で見られることは滅多にないのに、ほぼすべての日本人に通じる言葉である。
 ところが10年前くらいまでの英語圏では、オーロラとはまったく別のことをさす言葉であったという。
 そんな英語圏では、オーロラのことを
 ノーザンライツ
 というらしい。
 では、南極で見るオーロラはなんていうんだよ、と誰もが思うだろう。それははたして
 サザンライツ
 というのだった。

 その後、日本からオーロラ目当ての観光客が大勢訪れるようになり、今ではすっかり現地でもオーロラという言葉が浸透しているそうである。アラスカやカナダの人々にとっては、
 「SUSHI」
 のようなものなのかもしれない。
 面白いことに、そうやって血眼になってオーロラを見たがるのは日本人だけらしく、欧米人の多くは特に興味の対象にしていないという。彼らにとっては春から秋にかけてのネイチャーワールドにこそラストフロンティア・アラスカの価値があるのであって、なんでわざわざ寒い時に旅行に行かねばならんのだ、ということであるらしい。
 また、地元の人々にとっては、それはたとえば我々が夏に聞いている蝉の声のようなもの。
 聞いたことがない人にとっては感動的なまでの大合唱だけれど、我々にとっては蝉が鳴いているってことさえ気づかないくらいに当たり前の、あってしかるべきものでしかない。
 そのようなものであるらしい。
 だから、しばらく前までは、なんで日本人はこんなにオーロラを見たがるのか、誰も彼もが不思議に思っていたという。

 日本にはオーロラにまつわる神話があるのだ
 日本ではオーロラのもとで励むと子宝に恵まれると信じられているのだ

 などという話が、まことしやかにささやかれていた頃もあったそうだ。 

 さてこのオーロラ。
 時代は21世紀、日本のロケットは飛ばないけど人類は火星にまで行こうとしている科学の時代にあって、実はいまだに確たる科学的説明をすることができないものなのだそうである。ほとんど判明してはいるけれど、最後の核心部分がいまだ解明されていないという。
 多くの科学者が知恵を絞っても判明しないというのである。豆腐のような僕の脳みそで理解できるはずがない。
 理解はできないが、とにかく太陽風というものが関係していることは知っている。
 なんだかリラクゼーション用のほんわかぬくもりマシーンのような名前……。
 しかし太陽風とは、そんななまやさしいものではない。
 太陽が周囲に常に放つ、莫大なエネルギーのことなのだ。彗星が彗星の形になるのは、すべてこれ太陽風のなせるワザ。
 この太陽風に含まれるプラズマというものはあまり体によくないらしい。いや、きっとその程度のことで済む問題じゃないのだろう。太陽系外にまで放たれているそんな莫大なエネルギーを浴びても地球が無事であり続けているは、地球の南北の磁極が生み出す磁場のおかげなのであった。

 その太陽風を遮る磁場と、太陽風に含まれる荷電粒子の微妙な加減がオーロラを両極に生み出しているというのだ。デスラー総統が教えてくれた白色彗星の弱点が渦の中心核であったように、鉄壁に見える地球の磁場にも穴があるわけである。

 豆腐脳みそを駆使していろいろ読んでもチンプンカンプンなのだが、僕の頭の中で勝手に拡大解釈すると、激流の海で潜っているときにたどり着いた根の、流れの下流側の陰に起こっている、外の流れとはまったく異なるヘンな反流のようなものが地球の周りにもあるのだろう。

 昼夜を問わず両極にドーナツ状に活動しているオーロラが、たえず太陽とは反対側の部分で活発になっていることを考えても、あながち見当はずれの例えではないに違いない。

 地球の両極にかぶさるようにできるオーロラ帯と呼ばれるこのドーナツの位置が、オーロラ観測をする者にとって非常に重要なものになる。
 ドーナツよりも北に行ってしまうとオーロラははるか南に、もしくは見えないことになるから、北へ行けば行くほど見ることができるというわけではないし、ドーナツからあまりに遠く離れた南だと、オーロラは遥か北、もしくは見えなくなってしまう。
 また、磁極の「北」はグリーンランド付近にあるので、同じ緯度であっても北欧よりは北米のほうがより南でオーロラが見られるという事実もある。
 我々が今滞在しているベテルスは、このドーナツのほぼ真下にたいてい位置しているのであった。
 晴れれば間違いなく見ることができる、という所以である。

 ところで、一口にオーロラといっても、その有り様はまったく違う。
 夜空にぼんやりと、まるで雲のようにうっすら浮かんでいるものもあれば、龍が激しくのた打ち回っているかのような明るく活発に動くものもあるという。

 3日に1度は見られる。

 年間240日は見ることができる。

 という、旅行会社などの宣伝文句は、たしかに統計的な数字はそうなのだろうが、そのなかに含まれるオーロラには、雲のようなうすらぼんやりしたものも含まれているのだ。
 おそらく旅行社のことだから、3泊ほどのツアーでようやくうすらぼんやりが見えただけであったとしても、
 「よかったですねぇ!オーロラ見られましたねぇ!」
 と言っているのかもしれない。

 他の多くの方の旅行記を拝見すると、何泊もして結局見ることができなかった、ということは多々あるようだ。旅行企画段階でそういったことをいろいろ知るにつけ、

 オーロラを見に行くというのは水納島にアカウミガメを見に行くようなものである

 ということがわかってきた。以来、オーロラに関しては、我々はとてもとても謙虚になった。
 うすらぼんやりでもいい、たった一度でもいい、一目見てみたい……。

 まるで神の前でひざまずくかのような謙虚さが天に通じたのだろうか。まさか、初日の夕食時にいともたやすく見ることができるとは……。

 流れの下流側の陰の反流説(2004、植田)が正しいのなら、ようするに正午と反対の側、すなわち深夜0時をピークとする時間帯がその地でのオーロラ活発モードになるはずである。その正誤はともかく、以前に触れたとおり、フェアバンクスなどでのオーロラツアーも、夜10時ごろに出発して1時過ぎに戻るというパターンが多い。
 つまり、こんな時間から気前よく現れてくれるってのは、とってもうれしいことなのである。

 オーロラ観察の先輩たち、すなわちタケウチ夫妻とコービィ石橋さんはにわかに活気づいた。この時間からあれだけ活発に出ているってことは、今宵はフィーバーがかかるかもしれないというわけだ。
 前夜は、フェアバンクスと違ってここベテルスはずーっと薄い雲に覆われていたそうで、ずーっとずーっと粘って、つかの間空が晴れ渡ったとき、空の端から端まで渡るオーロラを見ることができたという。
 今日は日中ずっと晴れていた。この分なら……。

 相変わらずビールが美味い美味いとのんきに構えている我々をよそに、彼らは慌しく食事を済ませ、準備に突入していった。

 準備?

 そうなのだ。
 オーロラを見にやってくる多くの日本人がそうであるように、彼らもやはり撮影隊だったのである。

極北の地でダイビング談義?

 彼らの慌しい様子を見ていると、オーロラが出ているのにこうしてのんきにビールなどを飲んでいるのはとってもマヌケなことのように思えてきた。
 彼らはいつでも撮影に入れる状態で夕食に臨んでいたのに、我々はといえばいったん部屋へ戻ってゆっくりしてから、と考えていたのだ。
 もともと、オーロラには一目でも、そしてそれを証拠写真程度にでも撮れればなぁ、と思っていた僕だったが、なんだかせかされるように部屋へ戻り、防寒の装備を固めてくることにした。
 ロッジを出ると、星々の羽衣は、ときおりうねうねしつつ北の空にはためいていた。

 例のミッキー靴(うちの奥さんはかっこいい靴)、靴用カイロ、レンタル防寒着、ネックウォーマー、フェイスマスクなどなど、あらゆる装備に身を包んでいざメインロッジに出発。さあ、今宵のオーロラはいかに……?

 ………と思ったら、いつの間にか空には雲が立ち込め始めているではないか。オーロラはおろか夜空に輝いているはずの星たちまで見えなくなっていた。
 もしかして、本当に一目で終わってしまったりして………。

 タケウチさんやコービィさんによると、昨日もずっとこんな感じで、ときおり雲の合間から見えるというような感じだったらしい。つかの間晴れるかもしれないチャンスを、じっとロッジで待つのだそうだ。

 他の場所に行ったことがないので僕自身は比べることはできないが、ここベテルスロッジで何が便利かといえば、このオーロラを待っているときの過ごし方だそうである。
 ツアーなどで郊外へ遠出する場合、たしかに休憩所があるにはあるが、大勢で利用するためにけっこう混雑するらしい。また、うっかり忘れ物をしても取りに帰れるわけではないので、何かと完全に装備していかねばならない。
 一方ここのロッジなら、コーヒー、紅茶は飲み放題、広いロビーは少ない人数で使い放題、忘れ物をしても取りに帰り放題、デジカメなどのバッテリーは充電したい放題、そして驚くなかれ、ネットにつながったパソコンは使い放題。
 ほとんど自分の家同然の感覚でゆっくり過ごせるのである。
 とてつもなくいやなヤツと一緒になったらそれはそれでイヤだけど、水納島のようなところにわざわざ来てくださる方がそうではないのと同様、こんな極北の小さな村にオーロラを見に来る人に、いやなヤツなどいるはずがないのだった。

 そしてまた、このロッジでオーロラを待つ時間が、まるでシーズン中のクロワッサンのゆんたくタイムのようなのだ。
 空はあいにくの曇り空で、ときおり誰かが夜空を仰いでは
 「雲が厚い……」
 といって戻ってきていた。自然、ロッジでゆんたくタイムになるわけである。
 うちの奥さんはといえば、早くもフェアバンクスで手に入れたカナディアン・ハンターの世界に入っていた。カリブーもムースも食ったし、オーロラも一目見たし、善いかな善いかな、って感じですっかり満足している。
 ちなみにこのカナダの猟師、そのまま飲んでも美味しかったし、コーヒーに入れて飲んでも美味い。

 コービィさんもタケウチさんも旅慣れていて、またオーロラについても詳しいので、ここでのゆんたくは初めて知ること盛りだくさんだった。彼らにとっては、
 お前ら、こんなことも知らんのか………
 って内容だったんだろうけど……。
 驚いたことに、我々がこうして寒い寒いと言っているのに、彼らは口を揃えて
 「今日は暖かい!」
 という。
 前夜はもっと寒かったのだそうだ。

 マイナスも10度を越えると何がなんだかわからないのではないかと思っていたが、どうもそうではないらしい。
 特にタケウチ夫妻は傑作なのである。
 我々と同様彼らもシアトル経由フェアバンクスというルートだった。そのシアトルに到着する際、あまりの雲の量で視界不良となり、晴れ間を待ってグルグル上空を回った結果、飛行機の燃料がなくなったので結局ちょっと離れた練習用の辺鄙な空港に着陸。
 一歩も外に出られない満席の機内で過ごすこと3時間。ようやく飛び立ってシアトル空港に到着した頃には、乗るはずだったアラスカ航空の便はすでに離陸……。
 ほうほうのていでようやくフェアバンクスに来てみれば、アラスカでも滅多にないマイナス50度の世界。店という店がシャッターを閉め、予定していたベテルスへの飛行機は寒さのため飛ばず、ダウンタウンへ歩こうにもホテルスタッフに命の危険を指摘され制止される……。
 一歩外へ出ると、一息すっただけで肺の中が凍ってしまい、咳が止まらずにとっても困ったという。
 マイナス50度……………!!
 天候で狂った予定よりも何よりも、その脅威の気温に我々は目を見張った。
 それに比べれば、たしかにマイナス10度なんて暖かすぎて困るくらいだろう。
 我々の日本出発が3日早ければ、そのような世界に突入していたのである。
 ちょっとうらやましかったりするんだけど………。

 飛行機から見る大地の雪の量が少なく見えたのは、この大寒波に伴う強風により、細い木々に積もっていた雪が軒並み吹き飛ばされたからだった。

 天候によりフライトが変わるという可能性もあることは知っていたが、トランスO氏は、過去16年にわたって手配してきたアラスカ旅行で、天候のせいでフライトがキャンセルになったことはない、と力強く断言していた。僕らの運か、旅行社の運かはわからない。けれど、トラブルに遭う人と遭わない人との間には、インディアンとエスキモーを分ける川よりもハッキリとした境界があるのかもしれない。

 また、話の流れで自分たちの職業を話した際に、驚くべき偶然を知った。
 なんとコービィ石橋さんは、いまでこそ13年ものブランクダイバーになっているけれど、20年前にはモルディブで1年間ほどガイドをしていたインストラクターさんなのである!
 20年前!!
 日本の雑誌などでは
 マルディブ
 と表記されていたこともあるほどの大昔である。モルディブでだって、ようやく首都マーレ近辺の島々がリゾート化されつつあった頃だろう。我々なんて、まだ生まれてもいない……わけはないが、まだダイビングのダの字も知らない頃だ。
 タケウチさんのだんなさんも、昔仕事の関係でミクロネシアの島々に滞在することが多かったらしく、ダイビングもちょくちょくやっていたという。
 自然、話はダイビング関係になっていった。
 まさか厳寒の極北の地で、ダイビング談義に花が咲くことになろうとは。

 話に花を咲かせている間も、夜空にオーロラの花が咲くことはなかった……。