本編・14

郵便局のおばあ

 宿泊先をベテルスロッジに決める際も決めてからもよくわかっていなかったのだけれど、ベテルスロッジへの宿泊というのはどうやらロッジが設定したパックであるらしい。
 つまり、
 フェアバンクスのホテルから空港へのピックアップ
 フェアバンクスからベテルスまでの飛行機
 帰りも同じく。
 そして、そのほかにも特典がついている。
 この日の午前中に出かけることになった村へのドライブもそうである。けっして大きくも広くもないこのベテルス&エバンスビルを、車に乗ってちょっくら説明を、という軽いものながら、散歩も人生のヨロコビにしていて、できることなら地元の人にも会ってみたいと思っていた我々にとってはうれしいオマケだった。
 すでに昨夜のうちにタケウチ夫妻から予習しておいたので、ヒサさんの説明もわかりやすかった。

 車は東西にズドンと伸びる雪の道を走り、
 雑貨屋さん
 噂の消防署
 電気電信公社
 クリニック
 公民館
 それらをグルリと回った。
 そして、ちょこっと立ち寄ったのが郵便局だ。
 日本の田舎にあるような、郵便業務をする一般家庭といった感じのそこは、一階が郵便局で、二階が生活スペースになっているらしい。 
 入ってみると、なんとそこには水納島へ毎日郵便物を運んでくれるナカダさんの奥さんが!
 ………そんなはずはない。しかしどうみたっておばあにしか見えない婦人がそこにいた。
 彼女はジニーさんという。
 ヒサさんは顔見知りのようで、久しぶりに帰ってきたのでその挨拶をハグハグと。
 朝食で出たジャムは彼女が作ったものなのだそうだ。
 せっかくなので、我々はジニーおばあから切手を買うことにした。
 切手シートから必要な分だけちぎるその様子が、アバウトで適当で大胆でとっても沖縄チックである。
 そして挨拶をし、出て行こうとすると、ジニーおばあはヒサさんに何事かを話しつつ、階上へと上がっていった。ヒサさんが確認すると、どうやらおばあは僕らに上に来なさい、と言ってくれていたのだ。

 

  郵便局の2階は、突如ネイティブの人の自宅に変身した。
 突然世界ウルルン滞在記のようになってしまった。ドアを開けるとそこがキッチンで、開けたドアに隠れるように、様々な料理器具が壁にたくさんかけられていた。
 すると、ジニーおばあはやおら包丁を取り出し、何かを切り始めた。干し肉のようである。
 一口サイズに切ったそれを、
 「食べなさい」
 といって僕らに渡してくれた。
 うまいッ!!
 うまいぞ、これは!!
 なんとそれは、ムースのジャーキーなのだった。
 昨夜のシチューとはまた違い、そしてよく日本のお店で売られている固い固いビーフジャーキーなどとも違い、なんだかしっとりとした歯ごたえに濃厚な肉の味。メチャクチャ美味しいぞ、これは。
 新田次郎著「アラスカ物語」の主人公・フランク安田は、このムースの干し肉を食べて糊口を凌いだのだよなぁ……。
 我々が喜んで食べていると、おばあはまた別のものを取り出した。
 ムースの脂肪分のようだった。
 「この脂と干し肉を合わせて食っていれば、体に必要なものは全部まかなえるからね」。
 とジニーおばあはいった(たぶん)。
 牛の脂というよりはどちらかというとラードに近いその脂肪分は、それはそれで絶妙な珍味であった。
 我々があまりに喜んでいたからであろうか。ジニーおばあはあらたなジップロックを取り出し、そこへムースの干し肉を詰め始めた。え?え?もしかして??
 「持って行きなさい」
 エーーーッ!!
 いいの、ホントに……。こんなにたくさん…。
 まるで沖縄のおうちにお邪魔したかのような展開。まさかここまでパックツアーのメニューに入っているわけではないだろう。入っているのか??それだったらあまりにも我々のツボにはまりまくり……。
 いずれにしても、極北の地でのおばあのカメーカメー攻撃は、また一つ僕らにうれしい思い出を残してくれた。ひょっとすると、ジニーおばあは
 「ガチマヤーやっさー」
 と思っていたかもしれないが……。

 丁重に礼を言……いたいんだけどボキャブラリーがないので、重ね重ねサンキューを言って郵便局を後にした。
 運転手である冬期よろず雑用係ラッソルが車で待っていた。言い忘れたが、この時期のロッジのスタッフは、
 ピート
 ラッソル
 そしてヒサさん
 この三人だけで切り盛りしている。ときおり出入りしては歓談して去っていく関係者っぽい人たちは、スタッフでもなんでもなく、村の人たちであるらしい。

 そこからちょこっと行ったところに、ピートの家があった。
 コユコック川のほとりである。
 川といっても雪原が広がるのみだが、その眺めは美しかった。どんより雲ってさえいなければ、もっと素敵な光景だろう。
 その傍らに、アヤシゲなポールが立っていた。本来外灯のポールであるべきそれは、とてつもない氷柱に変身している。
 「これ、ピートが作ったんですよ。水をブワワワワワワワーッってかけて。水道代が500ドルかかったって言ってました」
 おお、ピート……。
 聞けば彼は本国での勤めをリタイアして、暮らしの場をこの地に求めた人であるらしい。極北の地で、人生を見つめ、そして世界を考えようと………
 ……しているわけはないよなぁ、このポールを見る限り。
 「これって、春になったらどうなるんですか?」
 「融けます」
 ああ、ピート……。

 その後、来た道を再び元へ戻り、ウェザーステーション、学校などを回った。
 学校!
 けっこう楽しみにしていたのに廃校と聞いてとても残念だった。
 校舎も体育館らしき建物も、グランドもなにかもとても立派である。
 村には9歳の女の子と年齢不詳の男の子がいるのだが、前述の通り、何事にも合理的解決を目差すアメリカでは、ネットが完備された現在、一人二人の子供のために教員を、そして学校組織を用意するようなことはしないらしい。
 彼女たちは今、家でネット教育を受けているのだそうだ。

ピートのサーモン

 グルリと一回りし、ロッジに戻った。ちょっとお茶しよう。

 ロッジのロビーでは、ピートがテーブルにいろいろ広げてなにやら帳面をつけていた。
 どうやら予約帳と経理ノートのようである。こういうところで開けっぴろげにやっているのも、普通に考えればヘンなのかもしれないけれど、すでにすっかり慣れてしまった。

 彼に氷柱を見てきたというと、恒例のコースなんだろうになんだかすごくうれしそうだった。
 朝は厨房で忙しそうだったから彼とは挨拶程度しか話せなかったので、今朝の雷鳥の話を彼にしてみよう。
 雷鳥、雷鳥、えーと、英語でなんていうんだったっけ………。おっ、そうか

 サンダーバード!!

 思わず言ってしまった僕ってバカ………。
 漢字の英訳をしてどうするのだ。
 雷鳥の英語はターミガン(
ptarmigan)だということをピートに教えてもらった。
 で、あれは日本ではとっても珍しい鳥なのだ、というと、彼は即座に
 「あれは美味しいのだ」
 といった。
 食べるの?雷鳥……。
 どんな味なんだろう……食ってみたい……。
 「チキンのような味か?」
 「うむ……。アヒルに似ている」
 「アヒル?おー、アヒルなら我々はたくさん飼っている」
 「食っているのか?」
 「もちろん潰して食っている」
 というと、ピートはうれしそうに笑った。

 とにかくピートに生き物のことを尋ねると、
 「それは美味しいのだ」
 という返事が返ってくるのだが、それだけではない。部屋の片隅に雷鳥の剥製があって、その足を示して、
 「コイツの足はウサギのようで面白い」
 と教えてくれた。
 ほんとだ、ウサギのように毛で覆われている……。
 その後、毎日のように出会うこの雷鳥、どうやらアラスカでは水納島のキジバト並みに普通にいる鳥であるらしい。あとで知ったが、州の鳥でもあった。

 郵便局のジニーにムースの干し肉をたくさんもらったことをピートに告げた。
 ネイティブではないアメリカンはムースのジャーキーはあまり好まないらしい。彼に勧めたがいらないという。そのかわり、彼はやおら立ち上がり、巨体をゆすってどこかに消えた。
 そして再び現れたとき、手にはキングサーモンの燻製がたくさん入ったジップロックを持っていた。
 手渡してくれたので、一つ食えということなのかと思って一つずつ取り出し、うちの奥さんと二人してうめえうめえと言っていると、ヒサさんが気を利かせて
 「ビール飲みますか?」
 といってくれた。
 昼間っから飲むのもなぁ………
 といいつつ、しっかり飲んでいる我々だった。
 このサーモンがまた抜群にうまい。
 北海道の名産サケトバとくらべて脂がノリノリで、その皮と身との間の絶妙なジューシーさがメチャクチャ美味いのである。
 干からびたような土産物屋の燻製よ、抵抗をやめてただちに降参しなさい。
 「このサケはそこのコユクック川で獲ったのでございますですねでしょう?」
 これまでは質問されることがない限り堅く口を閉ざしていたオタマサは、ややコーフンしつつ能力限界の英語で果敢にピートに訊いた。
 「そうだ。でもキングサーモンよりももっと美味しいシーフィッシュという魚がいるのだ」
 「シーフィッシュ??」
 二人でハモると、ピートは再び立ち上がり、隣の部屋の壁を指差し我々を呼んだ。
 「あれがシーフィッシュだ」
 そこにはでっかいでっかい魚の剥製がかかっていた。
 顔立ちはサケっぽくないけれど、アブラ鰭があるところからするとサケ科の魚なのだろう。
 うーむ、シーフィッシュ(SHEEFISH)か……食ってみたいなぁ……。
 「美味しいのでございますですねでしょう?」
 「うむ、とっても美味しい」
 ピートは満足そうにうなずき、再び席に着いた。

 そうやってひと心地つけたあとも、さきほどのサーモンの燻製がまだテーブルに置いたままになっていた。去り際にピートに礼を言って返そうとしたら、
 「ん?いやいや、それごと君たちにあげたのだ」
 といった。え?こんなにもらってよろしいんですか??もしかして、俺もジニーに負けてねぇぞってこと??
 客への通常のサービスなのかなんなのか、ともかくこうして我々の手元には、ムースとサーモンの干し肉がどっさりと舞い込んだのだった。