ロッジではお腹が空いたといえばお昼にも軽食を出してくれるらしく、昼時にロッジにいるとたいていお腹の減り具合を訊ねてくれる。
でも寝坊すると朝食が早お昼ご飯のような時間帯になるので、このうえ昼食までとっていたら夕食が食えなくなってしまう。
だから、昼食という午前と午後を明確に区別する境界がないまま、なだれ式に午後になる。
オーロラ観察目的でやってきた場合、日中はなるべく体力温存に勤めるものであるらしい。
どうしても夜更かしになるからである。
オーロラがこれから輝きだすというときに、眠くて眠くてついに寝過ごしてしまった……なんてことになったら目も当てられない。
けれど今日は朝から重そうに雲がかかっていた。ちょっとやそっとじゃ晴れそうにない。
これじゃあ、どうやら今日のオーロラはお預けだろう。もしかしたらこのあとずっと曇りなのかもしれないけれど、いいのだ、昨日観てしまったから。
というわけで、午後は、気兼ねなく先ほどのドライブの道々を散歩することにした。
車で回ってみたあれやこれやを撮ってみたかったし、もらうだけもらってしまったジニーにささやかながら御礼をしようと思い立ったのだ。
我々の部屋があるオーロラロッジの裏が、車で走った東西に伸びる一本道になっている。
到着早々はその道路を敷地内の広場と思い、その対面にあるナショナルパークセンターやコテージなども全部ベテルスロッジの建物と思っていたのだが、実はその空き地は幅10mほどの道路だったのだ。
道はおおむね一直線なのでよほどのことがない限り迷うことはない。
ちょうど消防署が、郵便局までの道のりの真ん中あたりになる。小さな村ながら、立派な立派な消防署だ。消防車は動かないけど……。
さらに先を目差してテクテク歩いているときだった。
ふと振り返ってうちの奥さんを見ると、その背後から巨大な犬が今にも飛び掛らんばかりに大接近して来るではないか!!
アラスカヤマイヌか!?
1秒後にはきっとうちの奥さんは食い殺されるのだろうと覚悟を決めたら、アラスカヤマイヌは尻尾を振ってうちの奥さんにじゃれついてきた。
飼い犬のようだ。
じゃれているとはいえでかい。まるで金太郎が熊と相撲を取っているかのようであった。
いったいどこからやってきたのか……。
来た道西方千里の彼方に、こちらへ向かって歩く人影があった。どうやら彼の犬らしい。雪が降ると犬は喜んで庭を駆け回ると昔から日本では歌われているが、ずっと雪がある冬のアラスカでは、犬はスーパーハイテンションで暮らしているようだった。
テクテクと歩いているうちに郵便局についた。
ジニーおばあにまた来たよと挨拶して、さっそくお土産を渡した。
マサエ工房のビーズ細工と干し芋である。
ビーズ細工は、誰かしらへの手土産にと思っていくつか持ってきていたのだ。
ビーズは工芸品としてこちらでも普通に目にするし、ジニーおばあの家にもビーズを編みこんだ実に見事な刺繍があった。でも、それは何かに縫い付けて細工をしていくのがもっぱらだから、マサエ工房のビーズ細工のように単品アクセサリーというのは物珍しいらしい。ちっちゃいけど。
また干し芋は、旅行出発前に、非常食用にとたまたま先輩からいただいた茨城産の由緒正しい干し芋である。ジニーおばあはけっこう健康食志向だそうで、こんにゃくなどの日本の食材もわりと好きなのだということをさっきヒサさんから聞いていた。
ジャパニーズトラディショナルフード・ドライスイートポテトといってうちの奥さんは手渡した。
すると、ジニーおばあは再び我々を2階の自宅へ案内してくれた。いいのだろうか、郵便局は……。
ジニーおばあは冷蔵庫からなにからさまざまなものを取り出し、いろんな日本食を僕らに見せてくれた。
ほんだし
こんにゃく
インスタントの味噌汁
などなど。ロッジのゲストがことあるごとに何かしらプレゼントしているのだろうか。さっきヒサさんに聞いたところでは、ほんだしをもらったジニーおばあはそれをパンに使うイーストと勘違いし、なんとも得体の知れない不思議なパンを作ったこともあるらしい。
はたして干し芋がちゃんと理解されて受け取られたのかどうか……ちょっと心配。
面白かったのはこんにゃくである。
普通、こんなもの旅のついでに持ってくる人はいないだろうから、誰かがジニーのためにわざわざ送ったか、本人がどこかで買ったかしたのだろう。それにしてもなぜにこんにゃく??
なんと、ジニーおばあいわく、こんにゃくはマクタックと似ているそうなのだ。
マクタック!!
マクタックとは、エスキモーが好んで食べるクジラの皮の下あたりの肉のことである。
星野道夫のエッセイにも、マクタックが大好きなおばあの話がある。彼女は待望のクジラが獲れると、あらゆるものに感謝して海辺で涙を流しながら踊るのだそうだ。
そんな泣いて喜ぶほどに待ち焦がれられるマクタックとこんにゃくが似ているんだって……。
ビーズは、ジニーおばあのギフトボックスに納められた。
彼女が言っていることの半分も理解できない我々だったけど、どうやらそれは、ポトラッチ用の引き出物にしてくれるようだった。
ジニーおばあの息子さんは、2年前に若くしてこの世を去ってしまったということを先ほどヒサさんから聞いていた。今ジニーおばあはポトラッチの準備で大忙しなのだという。
ポトラッチとは、インディアンの文化における子供の誕生、結婚、葬式その他もろもろの儀礼の際に盛大に催す宴のことである。ジニーおばあの場合は息子さんの魂を旅立たせる御霊送りのようなものだそうだ。
エスキモーのおばあの好物マクタックが大好きな、ポトラッチの準備に追われているジニーおばあ……。はたして彼女がエスキモーなのかインディアンなのか混然としていてはっきりしないけれど、エバンスビルは両者がともに暮らす村なのだから、我々が深く追求することはない。
そのポトラッチというのは相当盛大なお祭り騒ぎになるらしく、料理はふんだんに準備しなければならないし、参加者にはありったけの引き出物をたくさんたくさん用意しなければならないそうだ。
引き出物は手作り品がメインなのだが、その中にうちの奥さんのビーズも、数々のオマケのオマケに混ぜてもらえたようである。
部屋の真ん中にはミシンがあって、回りにはたくさんの布キレが散乱していた。
引き出物用の品々である。作っても作っても、まだ足りないらしい。
我々が部屋にいる間にも、近所の白人のご夫人が、パッチワークの半完成品を慌しく持ってきては、「仕事があるからでは失礼」といって去っていった。
そうやってポトラッチまでずーっと忙しく過ごしていれば、けっして忘れることはないにしろ、死別という深い悲しみにいつまでもいつまでも暮れている暇がなくなる。御霊送りのポトラッチは、実は死者のためでもあり、残された者のためであるのかもしれないですね、とヒサさんは考察していた。
ポトラッチが終わるころには、きっと悲しみも、手間隙かけて作り出された蒸留酒のような人生の一つの思い出になっているのだろう。
うちの奥さんにまで「ミシンを使えるか?」と訊くジニーおばあの忙しさをみると、とっても深くうなずける話だった。
規模もやり方も違いはするが、死後、通夜、葬式、そして初七日から四十九日、そして1回忌、3回忌、7回忌、13回忌、はては33回忌までにいたる沖縄のスーコーに似ているような気がする。遺族には、家に引きこもって悲しみに震えているだけで過ごせるほどのヒマがない。
また、小学校への入学でさえ人をたくさん呼んでお祝いしたり、とてつもなく大規模な結婚式も、もとをただせばルーツは同じなのかもしれない……。