本編・17

へべれけトミー

 散歩から戻り、ロッジでお茶。
 まだ一泊しかしていないんだけど、ここのロッジはすでに我々にとってとても過ごしやすい場所になっていた。

 一服しているとほどよい時間になったので、夜に備え、部屋に戻って昼寝することにした。

 気がついたら6時前だった。
 うちの奥さんは、なぜか頑張って読書を続けていたようだ。

 昼食を抜いていることもあって、夕飯時にはかなりお腹が減っていた。
 今夜の夕食は、ヒサさん作・和風テイストのチキンのソテーだ。
 ピートがしつこく
 「ヒサはとってもいいコックだ」
 というとおり、とっても美味しい。これまたアラスカン・アンバーに合うこと合うこと。
 例によって、これからオーロラに臨まなければならないというのに飲む我々。もっとも、今日は一日中曇っていたし、雲を吹き飛ばす風もないし、どうやら今晩は干し肉でも食いながら飲んだくれるしかないだろう。
 うれしいことに、ロッジの食事は、あればおかわりも可能だった。
 腹八分目の男になるという誓いは、異国の地では治外法権なのである。
 肴がある。ビールをまた頼む。
 もしかして昨日のムースのシチューもおかわりできたのだろうか……。

 夕食にはデザートもついていて、昨夜は桃缶アイスクリーム&ホイップクリーム乗せで、今日はシナモンのケーキ。うちの奥さんも、満足納得ヨロコビ120パーセントの食事だった。
 世界を旅するコービィさんは、
 「こういうロッジにいろいろ泊まったけど、ここの食事は最高クラスだ」
 と、深く何度もうなずいていた。

 この日は、曇天のせいでコービィさんも我々もすっかりオーロラはあきらめていて、連日寝不足気味のコービィさんはたっぷり睡眠を、ムースやサーモンの肴でシアワセいっぱいの我々は酒でも飲もうと思ってまったくの余裕体制だった。

 そんな夕食後ののんびりタイムに、冬期よろず雑用係のラッソルが現れた。

 「ヘイ、ガイズ、オーロラが出てるぜ!」

 え!?
 一瞬耳を疑った。あれだけ曇っていたのである。晴れる気配は微塵もなかったのである。コービィさんがネットで調べた天気予報では、明日以降はやや期待が持てそうなものの今日はちょっと無理だろうということだったのに……。
 おいおい、ホントかよ。もしかしてその言葉って単なる挨拶代わりの言葉なのか??
 といいつつ外に出てみると……

 奇跡が起こっていた。
 夕食前までは分厚い雲に覆われていた空は、きらめく星空になっていたのだ。そして北の空には昨日同じ時間に見たものとは比べ物にならないほどのハッキリしたオーロラが、ゆらめきながらアーチをかけている!!

 空のどこを見渡しても雲ひとつない快晴だった。
 この時間からこれだったら………。
 睡眠予定も飲酒予定もすっかり忘れ、ただちに態勢を整えなおす我々であった。

 ところで。
 夕食の皿を片付け終わると、ロッジのスタッフたちは基本的にはその日の仕事を終える。
 ジュースなど飲みたいものがあったら取っといてね、と一声かけて、事務所のカウンターに通じる売店ブースの扉を閉じる。ロッジにはゲストしかいなくなるわけである。
 しかるになぜラッソルはやってきたのかというと、何もオーロラの知らせを届けるためではない。
 遊んでいるのだ。
 ラッソルと、村人であるへべれけトミー、童顔クリスの3人は、夜になると何かと集ってはいつもどこかで遊んでいるらしい。いつもそのためのビールを取りにきては、しばらくロッジで陽気に過ごし、またいずこへともなく去っていく。基本的に冬はヒマなのだろう。

 この日はトミーがすっかりハイだった。
 民宿コーラルリーフさんオーナーの甥っ子にあたるコウタに似ている彼は、ヒサさんによるとしらふの時はまったくシャイなくらいに物静かなのだそうだが、結局、滞在中僕は彼の陽気な姿しか見ていない。

 僕らが防寒着とカメラを持って部屋から戻ってきたとき、突然ロッジの前30mほどのところで、
 ボワンッ!!
 と何かがはじけて燃えた。
 どうやらへべれけトミーが今夜の首謀者であるらしかった。ちょっとした燃料と花火かなんかをつかって、夜空を焦がすボムを作っているのである。
 ロッジではさらに強力なものを立案していたらしく、それをどこか安全なところで盛大にやろうと盛り上がっていた。
 「……それでよ、コイツにガソリンを入れてフタするわけよ!ボンッ!!もう、でーじッ!!」
 これまでの爆発の面白さ、これからの爆発のすごさをへべれけトミーは僕らに熱く語……るのだが、ただでさえヒアリングできないのに、酔ってハイテンションの英語を聞き取れるはずはないのだった。
 人口50人、冬場は実質25人ほどの村にあって、彼ら青年の熱い血は、ただ夜空を一瞬だけ焦がす炎で慰めるしかないのかもしれない。

 そんな彼らの情熱の炎(?)も大変面白そうではあったが、申し訳ないけれど天にかかるオーロラの輝きのほうが我々には大事だった。

夜空に踊る赤い龍

 やんちゃなトリオは去っていっては戻り、戻ってきては去って行き、やがてロッジは我々3人だけとなった。
 先ほどのオーロラのアーチは、輝きを増しつつ分裂、増加し、北の空に2重のアーチを作っている。
 それが、ところどころ異常発達してはメラメラという音さえ聞こえてきそうなほどにゆらめき動く。
 撮影だ!!

 こんなにゆっくりたっぷりのんきに写真を撮れるとは思ってもみなかったので、興奮しつつ撮っていたらあっという間にフィルム1本撮りきってしまった。

 いざ見始めると、ずーっとずーっと外に出ていたいところながら、オーロラは出ては消え、消えては出てくるし、それをずっと待っていたら寒さで体がもたない。
 日中はマイナス10度ほどをキープしていた気温は、この夜、突如降下し始めた。
 外の気温を示す寒暖計が室内にもあって、それをずっと見ていると、墜落する飛行機の高度計のような速さでグングン気温が下がっていった。
 防寒着を着ていればさほど寒さを感じずにすむような気配さえあった大気は、オーロラを我々にプレゼントすると同時に、極北の真の力を見せようとしているようだった。

 そしてついに、気温はマイナス30度に達した。
 マイナス20度を超えるとマジで鼻毛が凍るという、気温のちょっとした目安がある。
 外に出ると、一瞬にして鼻の中がパリパリペリペリになった。
 パリパリぺりぺりは鼻だけではなかった。
 ほぼ完全に肌の露出を避けるためには、フェイスマスクやネックウォーマーを目ギリギリのところまで上げていなければならない。そうなると熱い吐息はその隙間から出てくることになる。コンタクトや裸眼の人にとってはなんてことのないそれらのことが、眼鏡の僕には大変困ったことになるのだ。
 吐息で眼鏡が凍ってしまう!!
 曇るだけではなく、曇ったその微粒の水滴がそのまま氷結してしまうのである。

 そのままではオーロラは見えない。
 いちいち眼鏡をはずしてゴシゴシゴシゴシこする。そうやってクリアにしても、すぐにまた凍って見えなくなってしまう。
 だからといって、吐息が眼鏡に当たらないようにフェイスマスクやネックウォーマーを下げると、寒さで頬が千切れるようにに痛くなる………。
 パリパリベリベリ、ゴシゴシゴシゴシ……パリパリベリベリ…
 おそるべし、北極圏の寒さ。

 そんな、草木も凍る夜11時ごろ。
 この日最初の大ブレイクがやってきたのだ。

 オーロラウォッチングツアーの場合は、外に出ている時間が長いので、遠く地平線の向こうに出ていたオーロラが、まるで生き物のように天を移動しては異常発達していく、という一連の様子を見ることになるらしい。けれどここのロッジのように居心地がいいと、ついつい室内で待ってしまう。
 外に出ては、まだ光が弱いことを確認して中に戻るわけだ。
 そうなると、次に出たときにはすでにオーロラが活発化している!なんてことになる。10分おきくらいで外を見ているのに……。
 さほど活発ではないオーロラが出ていたので、コービィさんがオーロラとのスナップショットを撮ろうと発案してくれた。彼のデジカメと僕のデジカメのストロボを使って、即席の記念写真を撮ろうというアイデアだった。
 オーロラ観察の際は、ストロボを発光させるなどもってのほかだと、いろんな旅行記などに書いてある。オーロラ撮影は長時間シャッターを開け放すし、暗闇に目を慣らさないといけないから、誰かがどこかでストロボなどをたくと、その他大勢の人に迷惑をかけてしまうことになるのである。
 ところがここには我々のほかに人がいない。
 ストロボをたこうがケツを出そうが、お互いでことわりさえすればまったく問題はなかった。

 そうやって撮ってもらったのがこれ。


 
photo by コービィ石橋氏

 デジカメでの撮影とは思えないほどきれいでしょう?

 そうやってのんきに撮りあいっこしていたときのことである。この写真の背後のオーロラがみるみる活発化してきた。ものすごい勢いで動き始め、めまぐるしいほどに天頂付近へやってくる……。

 ものすごかった。
 それまではオーロラといえば、上の写真のように緑ないしは白、ちょっと活発なものは下縁が赤っぽいっていう感じだったのだが、このときのオーロラの色といったらもう………。
 頭上で激しく渦巻くそれは、紅蓮の炎と満開の桜が入り混じったような激しい火の玉だった。
 キラキラキラキラ激しくゆらめく光のカーテンが、手を伸ばせば触れることができるんじゃないかと思えるほどに次々に降り注いでくる………。
 夜空に赤い龍が踊っていた。

 たいていのブレイクアップがそうであるように、このときもつかの間、ほんの1〜2分のことだった。けれど、オーロラの真の実力を、今このとき初めて見たような気がした。その記憶は深く深く脳裏に刻まれる。
 え?写真には残ってないのかって??
 星野道夫もその著書で言っているではないか。

 心のフィルムにだけ残しておけばいい風景が時にはある

 ま、それはオーロラについて言っているのではないんだけどね。
 悲喜こもごものオーロラ撮影にまつわる詳しい顛末については、
こちらを参照されたい。

 死ぬまでに一目でも、と思っていた。
 チラリとその陰だけでも、とさえ思っていた。
 しかし人間の心とは欲深いものである。この凄まじいまでのブレイクアップを見てしまってからは、
 もう一度
 もう一度
 と、まるで「もう一回」って言葉を覚えた赤ちゃんのように、何度も何度もおねだりするようになってしまった。

 結局この日は、
 12時ごろに再び同規模の、
 午前1時過ぎにやや規模縮小の、
 午前2時過ぎにそれと同規模の、
 都合4度に渡って激しい光の大競演を見ることができたのだった。

 もう一度言おう。

 心のフィルムにだけ残しておけばいい風景がときにはある。

 でも、どうしても見たいという方にはこれでガマンしてもらおう。
 ポートレートを撮っている際にふいに訪れたブレイクアップを、たまたま手にしていた僕の超低性能デジカメで、大助花子の大助のようにアワアワいいつつ撮った写真である。

 普通の状態のオーロラは、どれだけ明るく見えていてもまったく僕のデジカメでは画像に残せなかったのに、このときばかりは液晶にしっかり(?)写っていた。これ一事でも、いかにこのときのオーロラが明るかったかおわかりいただけよう……。
 でも、周囲にサイズがわかる対象物を入れないと、なんだか清田君の念写みたいになってしまうんだよなぁ。