もくもく煙が出るほどだから、サウナはすでに準備万端ととのっていそうだった。もちろんそれらの準備は、冬期よろず雑用係のラッソルの仕事だ。
はたして、それは今日とっても冷え込んだからなのか、旅行社の下見が来ているからかはしらない。ともかく散歩で植村直己化した体にはとっても魅力的だ。
例によってロッジで一服中にその吉報を聞いた我々は、部屋に戻る際にラッソルから説明を受けた。
「ヘイ、ガイズ、このドアはこうやって開けるんだぜ。この鍵はこうやって押さなきゃだめだ。いいかい?そして中に入ったらこうすんだ。まだ火をおこしてから時間がたってないけど、うーん、そうだな、1時間後くらいには入れるね。午後8時には閉めるからその間に楽しみなよ!」
と、言っているようだった……。
今3時半だから、4時半には行けるわけね。夕食前に一汗流してビールと行くか。
ところで、極寒の中のオアシスのようなサウナではあったが、そこに行くまでが大変だった。
とにかく外は寒い。しかしサウナでは汗を流す。
いったい、どんな格好で行けばいいのだろうか……。
オーロラロッジのドアからサウナまで、歩いて15秒、ダッシュで5秒。たった5秒くらいとは思うものの、なにしろまつ毛が凍る寒さなのである。
悩んだ末に、ハイテクパッチの上に上着を羽織っていくことにした。
5秒くらいなら……。
さあ、ドアを開けて、
サブブブブブブブブゥゥゥゥゥゥ…………。
メチャクチャ寒い!!
思わずドアを閉めて退散してしまうところだった。しかし勇気を出して、サウナまでダッシュ!!
無事着いたのはいいのだけれど………。
扉を開けると中は真っ暗だった。
脱衣所もサウナの中も、ランタンのような照明装置が設置されている。でもそれをどうやってつければいいのかわからない。たしかにサウナの中は暖かいとはいえ、汗をだあだあ流すほどには暑くはないし……。
8時までじゃなくて8時からということだったのか?
すごすごと部屋へ引き返した。
夕食前のサウナ&その後のビール作戦はあきらめ、仕方がないので昼寝をしたら、まるで鈍器で後頭部を殴られたように二人とも爆睡していた。定刻6時に夕食に臨むつもりだったのに、
「ごはんですよぉ」
といってドアをノックするヒサさんの声が。
ガバッと跳ね起きて時計を見ると、すでに6時30分になろうとしていた。
寝坊してしまった……。
食事の準備をするスタッフにも、食事のタイミングを合わせてくれようとしていたコービィさんにも悪いことをしてしまった……。
すまぬすまぬと詫びつつ席に着くと、ピート作クリームチーズ入りチキンのパイナップルソースがけが運ばれてきた。
日本にいると、肉類に果物を添えるというのは僕にとっては禁断の味付けである。パイン入り酢豚なんて、たとえパインに肉を軟らかくする成分があろうがどうしようが、虫唾が走るほどに嫌いだ。
ところが、郷に入れば郷ひろみ、このパイナップルソースの美味いこと美味いこと。寝坊したことなど遠く銀河の彼方に忘れ去り、今日もまた、夕食時は琥珀の時間となった。
ホント、美味しいのですよ、アラスカンアンバーは。
夕食時に、郵便局のジニーおばあが現れた。齢70過ぎのおばあが4駆のトラックを運転しての登場だ。
何か郵便物を届けに来たのかただ来ただけなのか知らないが、入ってくるなり
「月が赤いよ」
といった。
昨日は新月だったから、この日は細い細い月。外に出てみると、五木ヒロシの目よりも細い三日月が、地平線から顔半分だけ出していた。
ホントだ、恐ろしいまでに赤い……。
月が赤いと何か良くないことでもあるのだろうか。もしかしてジニーおばあはそれを伝えに…?
と思ったら、彼女は傍らのテーブルでヒサさんと楽しげに食事をしていた。
月はただ赤かっただけのようだ。
食事をしているときに現れるのは人だけとは限らない。
犬のミニーは毎回やってくる。
名前はミニーだが体はでっかい。レトリーバーの血が混じっているのだろうか。
普段からロッジのそこらの床に落ち着いていて、かまってやろうとしてもつれない態度を示す。そのくせ食事時になると途端にキャラクターが変わる。
ねぇねぇ、ちょうだい、ごはんちょうだい……
切なそうにおねだりしてくるのだ。
お肉類に目がない。
ひとたび匂いを察知するや、異常な執着心を示してくる。フィリピンあたりの土産物おばさんたちと同じで、ひとたび甘い顔をすると永遠に付きまとうようだった。
甘い顔をしてしまった我々に付きまとうミニー……。
でも、それなりに芸をするのでけっこう楽しい。餌がほしくてたまらないとき、彼女はチンチンしてアピールするのであった。
てっきりピートの犬かと思っていたら、実はオーナー夫妻の飼い犬だという。今では人の犬というよりはロッジの犬という存在だからか、夫妻はフェアバンクスにいてもミニーはここに残っている。その間、ピートが世話をしているようである。
彼にミニーの年齢を訊くと、12歳と教えてくれた。
老犬だ。おばあさんのことを日本語でなんというのか、と訊ねるピート。
おばあ
と教えた。しばらくピートは、おばあ、おばあといっていた。
ヒサさんにサウナのことを伝えると、おかしい、もう入れるはずだ、とのことだった。
明かりが灯っていなかったのはまだ誰も使っていないからだったようである。民宿大城でボイラーのスイッチなどの説明を聞くことがないのと同じで、ここでは当たり前のことは誰も説明しないのだろう。
彼女も久しぶりに汗を流したいので、このあと一緒に行こうと言ってくれた。
そこのおとっつぁん、混浴か!?と色めきたってはいけない。
海外での温泉とかサウナというのは、海パン着用というのがマナーなのである。
それは僕も知ってはいたが、海パンは持ってきていない。ヒサさんはもちろん、旅慣れたコービィさんも水着なのに、うちの奥さんはTシャツとスパッツ、僕はパン一という情けないカッコウで突入することになった。
さっきは真っ暗だったのに、今度は明かりが灯っていた。
さっきと同じく、ドアを出てダッシュでサウナへ。
ダッシュでたどり着いても、脱衣所はまだ寒い。寒いし床には雪か氷があってとっても冷たい。
いっきに脱いで天国への扉を開けた。
お〜…………。
薪を窯にくべる本格的アンティークなサウナは、ほどよい熱気で我々を迎えてくれた。
暖炉の上には石焼イモが作れそうなほどに石が並んでいて、傍らにあるバケツの水をコップにすくってバシャッとかける。すると水はブシュッと音を発して一瞬で水蒸気となり、モワワワワワワ〜〜〜と室内にたちこめる、という寸法だ。
壁際に作られた2段構えのイスに腰掛けつつ、じわりじわり暑くなるのを待つ。
実はうちの奥さんはサウナ初体験なのだった。
下段よりも上段のほうが暑いという考えれば当たり前のことも知らなかった人なので、水がブシュッとなるのも楽しいらしい。
そうやって4人でまた世の中のよしなしごとを喋っているうちに、まるで体中から毒素が滲み出してくるかのように、汗腺という汗腺から汗が噴き出してきた。
これって、石のところに石菖でも敷き詰めれば、鉄輪むし湯のように効能抜群になるのではなかろうか……。
かくいう僕もサウナの経験は少ないので比較はできないのだが、普通はサウナに併設されるように汗を流すところもあるのではなかったっけ。
でもここはサウナの隣は脱衣所なので、汗を流すどころか寒さで一気に汗が引くかもしれない。
僕は汗を拭いてから着てきた服を再び着るという作戦をとったが、ひと足先に出たうちの奥さんとヒサさんは、塗れたスパッツとTシャツのまま、あるいは水着のままダッシュして帰っていった。