興奮と感動が冷めやらぬままロッジに戻ったので、コーヒーでも飲んでひとまず心を落ち着けることにした。
犬ぞりはメチャクチャ寒い
と、マイナス50度を経験したタケウチ夫妻以外のあらゆる人から聞いてはいたが、たしかに風に向かうと頬が千切れそうになるものの、覚悟していたほど寒くはなかった。
でも、我に帰ると、体中が冷えていることに気がついた。
やはり興奮していたらしい。
冬の沖縄で冷え込むと、特に我が家の場合は寒いからといって家に入っても寒い。けれど北海道でもそうだったように、現代の厳寒の地の屋内は天国のように暖かい。
暖をとりながら、まるで我が家のようにリラックスしつつ、メインロッジでくつろいでいた。
すると、ピートがなにやら皿を運んできた。
「ヘイ、ガイズ、これは美味しいのだ」
といって差し出した皿は、なんとなんと、
オイスター!!
生カキではないか!!
皿いっぱいに盛られている!!
もみじおろしもポン酢もないけれど、口いっぱいに広がる海の味……。
これはビールでしょう!!
我々が気づくよりも先に、ヒサさんが持ってきてくれた。
コービィさんともども、美味い美味いと言いつつむしゃむしゃ食っていると、ピートが新たな皿を持ってきた。
「ヘイ、ガイズ、これも美味しいのだ」
といって差し出した皿には、なんとなんと、
カニ!!
茹でたカニ!!
どでかいダンジュネスクラブという巨大なカニだ。
おー、なんてことだ……。
まさか北極圏のこんなところでオイスターにカニとは……。
人生のヨロコビは、思わぬところに待ちかまえていてくれる。
これも、フェアバンクス、シアトルと結ばれている飛行機ネットワークのなせるワザなのである。
イチローが所属する球団名「マリナーズ」を思い浮かべるまでもなく、シアトルは漁業の町。
これらは、そのシアトルから送られてきたものだった。
一息ついてから風呂にでも……と思っていたのに、夕食前、まだ5時だというのにビールに突入してしまった。忘れかけていた海の幸の味が、アンバーを1本、もう1本と呼び寄せる。カニは半身だったが、ミソ入りの甲羅も持ってきてくれた。彼ら白人はミソなど食わないので、どうせ捨てられる部分なのである。
毛ガニほどではないにしろ、ミソがまたお酒を呼ぶ。
あー、ホントはやっぱり日本酒だよなぁ。
モグモグ、パリパリ、モグモグ、パリパリパリパリ……。
どうしてもカニを食べ始めるとみんな無言になってしまう。ときおり思い出したように何か話すのだが、やはり
モグモグ、パリパリ、モグモグ………。
雪崩式に夕食に突入していった。
今夜のディナーはハムステーキだ。ピートがおかわりはいくらでもあるという。もう、そんなに食えないって……。
ところで、実はこの日1月24日は、うちの奥さんの誕生日なのだった。
犬ぞりといい、カキといいカニといい、うちの奥さんにとってこれ以上のプレゼントはない。
ピートにその旨伝えると、
「おー、誕生日!?ハッピィバースデー!!」
といい、なにやら外に出ていった。
そして外から、
「MASAE、ちょっとちょっと…」
と手招きする。まさか誕生日だったことは知っていたはずはないのに、何?
不思議に思っていると、呼ばれたうちの奥さんはしばらくして帰ってきた。
空を指差してピートは言ったらしい。
「ほら、バースデープレゼントのオーロラだ!」
プフッ。
今夜もこの時間からオーロラは全開状態のようだ。
念願の犬ぞりを果たし、海の幸山の幸に祝福され、うちの奥さんはいたくご満悦だ。
そこへ、今夜のデザート、紅茶プリン生クリーム乗せが……。
あ、うちの奥さんのものには細いローソクが1本挿してある!!
ヒサさんとピートの演出であった。
ハッピバースデートゥユーの最後の一小節だけ、旅行社下見組白人カップルを含めたみんなで歌い、うちの奥さんはロウソクを吹き消した。
この日のヒサさん作・紅茶プリンは、滞在中食べさせてもらった各種デザートの中で、最も心の琴線に触れる最上級デザートだった。下見組白人カップルも、美味い美味いといっている。和洋どちらの心をも捉えていたのだ。
ああ、しかし。あまりの美味さに写真を撮るのをすっかり忘れてしまった……。
皿を片付けながら、ピートがムースのような足取りでやってきて、
「MASAE、ハッピィバースデーというのを日本語ではなんという?」
と訊いてきた。
「オタンジョウビオメデトウ」
と彼女が教えると、ピートはすかさず
「ハッピィバースデー」
といって去っていった。
僕の名前すらちゃんといえない彼には、ちょっと難しすぎたようだ。下見組白人カップルが笑っていた。
夢にも思わなかったヨロコビの食事を堪能し尽くした。
どれどれ今宵のオーロラはどうかいな……と外に出てみると、バースデーオーロラは夜空に燦燦と輝いている。
そして西の空では、月が僕らにそっとウィンクしてくれていた。
天地すべてに祝福されているかのようだった。