本編・24

夢かうつつか−32度

 昨夜は、アワレンジャーを撮るなどという余計なことをしたせいで疲労の極に達してしまったので、今宵はのんびりと静かに過ごしてみることにした。
 写真の結果は帰って現像しないとどうにもわからないけれど、撮るコツというかペースをつかめてきていたので、落ち着いて撮ることができるかもしれない。

 そのため、夕食後からきらめき始めていたオーロラを目にしても、もう初日のように慌てふためいたりはしない。のんびり準備をしに部屋へ戻る。
 その道中、どこからやってきたのか不思議的おっさんが近寄ってきた。
 「ハーイ、私はキチガイ博士でーす!ハッハッハ!!」
 とヘンテコな日本語を話しつつ、メインロッジへと去っていった。
 あとで知ったが、もう一軒の宿のオーナーなのだそうだ。
 こっちに泊まってよかったぁ……。

 余裕で今宵に臨む我々だったが、残りのフィルムには余裕がなかった。
 まさか連日オーロラにめぐりあえるとは思ってもみなかったため、順調に消費された結果もはや残り少ない。
 これからは、1枚1枚じっくり撮らねばならない……。

 これまではずっとメインロッジのほうでばかり撮っていたので、今夜はまずオーロラロッジ方面で撮ってみることにした。オーロラと共に写る背景を変えてみるという意味もある。
 慎重に、それでもやっぱり興奮しつつ、夜空に絶えず浮かんでいるオーロラを撮り続けた。
 日によっては長時間星空だけの夜もあるらしいのだが、僕らが滞在していた間は、強弱の差はあれど、空にオーロラがない時間はほとんどなかった。
 自然、外に出ている時間も長くなる。

 メインロッジに戻り、暖かいコーヒーやカナダの猟師を楽しみながら、オーロラ観測を続けた。
 昨夜から日中にかけてやや上昇していた気温は、この夜再び急速降下し始めた。
 寒暖計はどんどん下がっていく。
 そしてついに、我々の滞在中の最長不倒記録、マイナス32度に達した。
 しかし、初日マイナス10度ほどで震えていた体も、風がほとんどないこともあって、肌さえ露出していなければ心地よいとさえ感じるほどになっていた。
 徐々に慣れてきているのだろうか。
 もっとも、熱しやすく冷めやすい体積の小さなうちの奥さんは、外に出たままでいられるのは40分くらいが限度のようだったが。

 ロッジでは、相変わらずカナダの猟師が夜の友だった。
 また、備え付けられているパソコンもまた、長い夜を過ごす小道具として活躍していた。
 ときおり当サイトの掲示板に書き込んでいたのも、もっぱらこの時間である。
 夜をともに過ごしているコービィ石橋さんは、本人が自称するほどのネットジャンキーである。持参しているノートパソコンを駆使し、撮影したばかりのデジカメ画像をリアルタイムで自らのサイトにアップしていた。
 世の中にオーロラ報告サイトは数あれど、今見たばかりのオーロラをアップしているサイトなんて見たことない。

 そんな彼が駆使するロッジ備え付けのパソコンでは、いつも北極側のオーロラ帯の様子をリアルタイムで表示するサイトが画面にあった。
 その勢いは刻々変わるので、チャンスが迫っているかじっと我慢の頃なのかの目安になる。
 アラスカが濃い濃い赤に包まれるとき(下の図・左)が、最大のチャンスなのだ。

 こういったオーロラ関連のことも、アラスカお土産品事情も、もちろんあらかじめ僕たちが知っていたはずはなく、滞在中にコービィさんからうかがったことである。すでに滞在4日目というのに、相変わらずバカな質問をしては、彼に教えを受けている我々だった。

 コーヒー、お酒、ムースにサーモン、パソコン、星々、そしてオーロラと人々。
 このうえいったい何が必要というのか。
 そんななかで、うちの奥さんはといえばいたってマイペース。まわりでカメラの準備やなんやかんやをやっているがだんだんバカらしくなってくる。
 干し肉という名のシアワセをかみしめながら、いい心持ちのようだ。
 〜♪
 周りパリパリ 中シットリ〜
 噛めば噛むほど 味が出る〜

 なにやらわけのわからない歌を歌っていたかと思ったら、気がつけば舟をこいでいた。

 寝ても夢、覚めても夢。
 極北の夜は、うつつとの境界を次第次第にうやむやにしていくようだった。