本編・26

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 ヒサさんを乗せた車は先に到着していた。
 車のほかにスノーマシンも到着している。
 12マイルもの道のりをスノーマシンでかっ飛ばしてきたのはへべれけトミーだった。まさかとは思ったが、やはり今日も陽気だった。飲酒運転ではないか……。

 まだまだ後続部隊が来るらしく、とりあえずそれまでソリをしてしまおう!ということになった。
 はて、どこでソリを……?
 ふと前を見ると、車が停まっているところから先は、急な下り坂になっている。途中カーブをはさみながらも、坂は300mほど続いているだろうか。斜面から先は急に視界が開けて、トウヒの森を一望できる。
 ウーン、アラスカは広い……。
 もしかして……ソリってここでやるの?

 そうなのだった。
 あのぉ、車道なんですけど……。
 という我々を他所に、荷台からソリをいくつも下ろし、次々に発進していく彼ら。特にああしろこうしろということはなく、とにかくGO!ということらしい。
 我々も二人乗りのソリを借り、さあて………。

 途端にオタマサになる我が妻マサエ。
 昨年生まれて初めてスキーをしたうちの奥さんだったが、ソリはまだ一度もやったことがない。まさか人生初のソリをアラスカでやることになろうとは……。
 かくいう僕も、ソリなんて子供の頃に親に連れられていった雪山でやったことしかない。まるでリュージュのコースのような固い地面の雪道でやるなんて……。こけたら死ぬんじゃないのか?
 しかし、9歳の女の子がビュワーンと行ってしまうのである。
 幼児を前に乗せたお母さんがシュワーーーーッと滑っていくのである。
 ヒサさんはヘッドファーストで滑走していくのである。
 大の大人が二の足を踏んでいる場合ではない。
 さあ、行くぞ、と気合を入れて……と思ったら、ジェイクが背中を押してくれて……
 スタート!!

 は、速いッ!!
 それこそリュージュのように、斜面を吹き抜ける風となって真っ直ぐ滑り落ちるソリ!!
 ボーゲンで滑るスキーと違い、ノンストップ直滑降でどんどん加速していく。まるでジェットコースターに乗っているかのように、悲鳴をあげ続けるオタマサであった。
 微妙なコントロールができないので、両脇の雪の壁に乗り上げそうになりつつも雪を撒き散らせて驀進し、やがてソリはその足を停めた。上手なみんなはもっと遥か下まで滑っていた。
 もう一度滑るためには歩いて上がらなければならない。僕たちは大した距離じゃなかったけど、一番下まで行った人たちは、4駆でソリごと引っ張ってもらっていた。

 いやあ、なんだか面白い。
 もう一度上に戻ると、ジェイクやへべれけトミーがスコップを使ってなにやらアヤシゲな作業をしていた。
 雪を掘り起こしては、路肩を整形しているのである。
 どうやらジャンプ台のようだった。
 あのぉ、ここ車道なんですけど……。
 さてもう一度、とソリを準備しようとしたら、ソリのコース……というか道の脇に、不思議な足型を見つけた。
 そばにいたジェイクに訊くと、さも普通であるかのごとく言った。
 「カリブーの足跡だよ」
 カリブーの足跡!!
 思いのほか大きなその足跡は、道に点々と続いていた。
 どうやら我々は、糞に加え、さらに足跡を見る資格をも得ていたようだった。

 その後何度も滑ったあと、後続部隊が次々に来るにおよび、ひとまず次の準備をすることになった。
 すべり降りた先で、焚き火をするのだ。
 すでにワイオマたちが、荷台に積んできた丸太をその場に運んでいた。
 はて、このまま燃やすんだろうか、と思ったら、取り出しましたるチェーンソー……
 チェーンソー!?
 この先、マシンガンとか火炎放射器も出てきたりして……。
 そのチェーンソーで丸太をある程度のサイズに切り、その後巨大な斧で叩き割り、丸太にしていく。薪割り作業が面白そうだったので、あとでちょっとやらしてもらった。巨大な斧は、その自重だけで軽々と丸太を叩き割った。

 火は、見る見るその勢いを増していった。気温は低いけれど乾燥しているので、ひとたび火がつけばその勢いはすさまじい。
 その場に集結していた数々の車の中には、とびきりレトロなものがあった。
 きれいに手入れされた新車のような車だ。
 僕がその車を見て浮かべた表情に目ざとく気づいたへべれけトミーは、
 「クールな車だろう?1955年モデルなんだぜ!」
 と、自分の車のようにそれを誇った。
 そりゃ、かっこいいけど……アラスカで乗るにはつらそう……。
 聞けば、本国からわざわざ持ってきたのだそうだ。思い入れたっぷりの車なのだろう。
 「アメリカングラフティだね!」
 という僕の言葉は通じたのか通じていなかったのか、とにかく付近の人は笑ってくれた。

 全員集合した頃には、焚き火付近はにわかにピクニック会場になっていった。焚き火の傍らにはソリで作ったキッチンができあがり、食材が次々に揃えられていく。
 もう一度言おう。
 あのぉ、ここ車道なんですけど……。

 ソリのキッチンが素敵だったので、台所の写真を撮っていいですかと訊くと、トミーの叔母さんはわざわざキッチンのそばに座りなおし、ポーズをとってくれた。

 バドワイザーをいただいた。
 アメリカでは清涼飲料水のようなものである。
 冷蔵庫でいい具合に冷えていたのであろうそのビールは、トラックの荷台に載ってここに来るまでの間にすっかりシャーベット状になっていた。だから、わざわざビールを箱ごと焚き火に寄せて温めている。おそるべし極北の気温。

 青年たちは、そのあたりの木々の細い枝を折っては、その先端をナイフで加工していた。いったいなんだろう??
 それはソーセージを刺す棒だった。
 ソーセージをそれに刺して火にくべるのである。
 ソリの上のキッチンには、ソーセージサンドイッチを作るためのグッズが溢れていた。そして、ムースの干し肉も!!

 

 焚き火で焼くこのソーセージがまた美味い!!
 中身が凍っているから表面が焦げ焦げになるくらいに炙って食べるこのソーセージ、強い塩味がビールに合う。もし今宵の宿の夕食が夜10時くらいからなんてことになっていたら、迷うことなくパンに挟み、数々の具を載せてサンドイッチにしていたことだろう。

 その後も何度か車に乗せてもらっては上に行き、ソリを楽しんだ。
 手でバランスをとるのだ
 と教えてもらい、徐々にではあるが滑走距離を伸ばしていった。

 この日、この場に集っていたのはチビちゃんも入れて十数人だ。
 もしかして、ベテルスの冬期人口の半分近い??
 ワイオマの兄弟というウェインもいた。どっちが兄なのか姉なのかはわからないけど、とにかく二人ともでかい。ロッジに二人で訪れると、まるでロードウォーリアーズが来襲したのかと思うほど。
 そんなウェインが子供の頃、学校に日本人の友達がいたという。彼は、その子に教わった2つの日本語を、20年以上経っているであろう今もハッキリと覚えていた。
 なんて言葉?と訊くと、彼はうれしそうに
 クルクルパー!!
 ウンチ!!
 といった。その友達はバッドボーイだというと、彼は我が意を得たりとばかりに笑った。

 昨日の犬ぞりでマックスに聞いた齢80という木の年齢を、このときの僕はまだ80なのか18なのかヒアリングに自信を持っていなかったので、ウェインにも聞いてみた。すると、ある一本のトウヒを指差し、あの枯れているスプルースは50歳なのだ、といった。
 15ではなく50か、と念を押すと、彼は力強く
 「50だ」
 といった。
 やはりトウヒは年齢の割りに小さいのだった。厳しい環境で、少しずつ少しずつ成長しているのだろう。
 たった今50歳だと教えてもらったばかりの木が、おもむろに音を立てて倒れた。チェーンソーでなぎ倒したのである。持ってきた薪では足りなくなったのだろう。
 倒れた木はたちまち薪となり、すぐさま焚き火にくべられた。
 火は天をも焦がす炎となる。
 50年生きたトウヒはこの日灰となり、極北の大地へと帰っていった。

 こういったイベントは、彼らの間でもそんなにしょっちゅうあることではないのか、観光客である僕のほかにもめいめいがカメラを持ってきていた。
 集合写真を撮ろう、ということになった。
 せっかくだから、僕が撮ってあげよう。
 これも、私のも、僕のも、と、たくさんのカメラを渡され、にわかに僕は団体旅行付き添いのカメラマンと化した。
 はい、みなさん、
SAY!チーズ!!

 そういえば、いつまでここにいるのだろうか。
 夕食の時間という制限があるのはここでは我々だけである。いようと思えばみんなはずっといるかもしれない。じゃあお先に、といって帰れる距離でもない。
 焚き火の炎は、さらに勢いを増していた。
 いつしか、地面の雪が融け、焚き火の直径分クレーターになっている。
 あのぉ、ここ車道なんですけど……。
 どうやら、そんなことはどうでもいいことであるらしい。

 さすがにみんなも暗くなるまではいられないようだった。
 しかし、そろそろ帰るか、というときになって、
 帰る前にぜひ見てくれ
 と、ジェイクとへべれけトミーがみんなに言った。ジャンプ台のお披露目をしたいらしい。
 車の荷台に乗ってみんなで上まで行った。
 どうやら、トミーがスノーマシンでジェイクが乗るソリを引っ張り、ソリをジャンプさせようという企画だったようだ。
 これがもう……。
 えらく助走距離をとるのはいいけど、さあ、スタート!という3秒後ですでにソリが転倒してしまうのである。なんとかジャンプ台近くまで来ても、ジャンプさせようとトミーが加速するものだから、勢い、ソリはこらえきれずに転倒してしまう。
 また、手でロープを持っているだけだから、スノーマシンのスピードがありすぎると手で握っていられなくなるようだった。
 何度も何度も失敗を繰り返す彼ら……。
 驚いたことに、ジェイクときたら上着はトレーナーだけだった。頭には薄いバンダナ一巻きのみ……。寒くないのか??
 さすがにワイオマも、しきりに何か着なさい!と言っていたけど、ジェイクは聞く耳を持っていなかった。
 ほとばしる若き情熱……。
 しかし、情熱だけではソリはジャンプ台にまでたどりつけないようだった。

 そろそろ業を煮やしたギャラリーたちは、いいよもう、と帰路につこうとした。
 待て、もう一度だ!
 そういったのかいわなかったのか、今度はロープを輪にして持ち手を作り、ラストチャンスを行うようだ。
 助走距離をとり、スノーマシンとともにソリが来る。
 お、今度は頑張っている!!
 おお!ついにソリはジャンプ台まで。
 ついに、ついにソリは飛ぶのか!?
 ああしかし。
 ジャンプ台を避けてギリギリのところでコースを外れるスノーマシンについていくように、ジェイクのソリもまたコースを逸れていくのだった。今度は手を離すタイミングを逸したようだった。 

 こうして、あれほど額に汗して彼らが作ったジャンプ台は、結局日の目を見ることなく、極北の冬期限定ロードに置き去りにされた。
 ああ、ジェイクよ、トミーよ……。
 でもあのスピードでまともにジャンプしていたら、実はやばかったんじゃないの????

 火はあらかた薪を燃やし尽くし、火勢は自然に衰えていた。
 ちゃんと消していくのかと思いきや、そのまま自然鎮火に任せるらしい。
 残したままになるジャンプ台やクレーターのことを思えばかなり細部にわたる片づけを終え、我々は帰路についた。

 行きは丸太を積んでいたのでゆっくりだったが、帰りはかなりのスピードでワイオマはかっ飛ばした。
 ときおり荷台のライトをつけ、後ろを振り返っては、
 「荷物は全部載ってる?」
 と我々に確認を促す。
 以前、道にソリを落っことしたまま帰ったことがあるらしい。今日の荷物は落っこちていないようだった。
 そうやって安全運転に気を使っているのかと思いきや、ちょっとしたカーブで車はスリップした。しかし慌てることなく、ハンドルを逆に合わせ、なんなく態勢を立て直し車は走り続ける。
 「ごめんね、スリップしたわ。ジェイクのこの音楽のせいよ」
 車内では、ジャンプできずに不完全燃焼に終わったジェイクが、けたたましく流れるロックで己を慰めていたのだった。

 途中、あるところで突然全車両が停まった。
 いったいなんだろうと思っていたら、ビールを手渡しながらなにやら話している。
 なんだろう??
 あとでヒサさんに聞いたところ、誰かがおもむろに
 「運転に疲れた…」
 といい、いきなり休憩タイムになったそうである。
 ヒサさんが我々を気遣って「ピートが夕食を作って待っているから…」とみんなに言ってくれなければ、その場で再び焚き火を起こしかねない勢いだった。

 メインロッジに着いた。
 夕食の定刻6時に30分ほど遅れてしまった。ピート、コービィさん、ごめんなさい。
 ヒサさんはもちろん、ソリツアー参加者もどやどやとロッジに入ってきた。
 どうやら彼らもここでゆんたくタイムのようだ。
 ホント、民宿大城みたい……。
 せっかくなので、参加させてもらったお礼代わりに、ワイオマとシャイアナにビーズ細工をプレゼントした。
 ささやか過ぎるほどの品なのに、彼女たちはとっても喜んでくれた。やはり所変わっても女性はきらきら輝くものに引かれるということか?

 マサエ工房のビーズ細工にもれなくついている水納島産の小さな貝を見て、彼女たちはこの貝はどこのなんというビーチで拾ったのだ、と訪ねてきた。ささやかなささやかな貝でも、北極圏の内陸では得がたいのだろう。彼女たちにとっては、僕らが見たカリブーの足跡のようなものなのかもしれない。
 ロッジにあるパソコンでうちのサイトを開き、ほら、ここのビーチだよ、と水納島の航空写真を見せると、彼女たちは遠い目をして暖かな亜熱帯の海に思いを馳せていた。
 プレゼントした我々が思ってもみないほどに感謝されてしまった。
 いやいや、ワイオマにシャイアナ、僕らの方こそ今日のソリツアーを圧倒的に感謝しているのだ。
 みんなには当たり前のことなのかもしれないけど、こんな経験、お金を払ってできるものではないんだから……。

 道中、自己紹介を互いにしたにもかかわらず、ワイオマはなかなか僕たちの名前を覚えてくれなかった。
 では私の名前は覚えているか?と冗談交じりに問われたとき、なぜか稲妻がひらめいたかのごとき冴えを見せた僕のアタマは、間髪入れずに「ワイオマ!」と答え、勝ち誇った。
 その後何度か名を聞き直してもついに覚えきれずにいた彼女は、ビーズアクセサリーのプレゼンターとしてこの場で名を紙に書いてくれといった。
 もしかして、我々はベテルスで戸田恵子の次に有名な日本人になるのか?<そんなわけないって。

 僕らが夕食を食べている横でひとしきり騒いでいた彼らも、そろそろお開きとなった。
 別れ際、他のみんなとそれぞれ握手を交わし、当初あれだけはにかんでいたシャイアナや、ビッグマム・ワイオマとは、ごく普通にハグハグを。
 いつしか僕たちも、ぎこちなくはあったけども彼らの挨拶ができるようになっていたのだった。