本編・29

再びフェアバンクス

 永遠に静止していて欲しい時間ほど、あっけなく過ぎていくものだったが、一刻も早く終わって欲しい時間は必要以上に長くなる。
 この帰りのフェアバンクスまでの飛行機の揺れること揺れること。
 おりからの強風に、小さな飛行機はときおり斜め前に進んでいるんじゃないかというほど煽られ、そしておもむろにマイナスGがスーーーッと内臓を持ち上げる。
 ベテルスロッジにあった宿泊ノートの、
 「飛行機がエンストしたときは泣きそうになりました……」
 という記述が脳裏をよぎる……。
 でも、もう思い残すことはないくらいに充実していた。
 死ぬまでに一度、と思っていたオーロラも見てしまったし、まぁ、落ちるなら落ちるでいいか………ヤダーッ!!

 名高きブッシュパイロットは、なんでもない顔をして普通に操縦していた。

 眼下には、果てしないタイガの大地が広がっていた。
 そこに降り積もっている雪が融けるころ、大地が草木に溢れる季節がやってくる。
 北海道でもそう思ったが、この雪の大地が花々や色づく木々に覆われる景色も見てみたい……。
 飛行機から見る景色からは、想像すらできない世界だ。
 我々がそんな季節にやって来るなんてことは夢のまた夢だが、いつかはそんな日が………。
 その日まで、写真でも見てガマンすることとしよう。

 苦難の道のりも、やがては終わるときが来る。
 揺れに揺れた飛行機が無事フェアバンクスについたときはかなりホッとした。そんな中でポケケ〜ッと寝ているうちの奥さんはやはり大物なのだろう。

 行きと同じライトエアサービスの待合所に入ると、カウンターにはあのぽっちゃりメグ・ライアンがいた。
 僕らのことを覚えていてくれたのか、ハリウッド映画っぽいなんとも素敵な笑顔を見せてくれた。

 ここからホテルへ送ってくれる人がいることになっていた。たとえ迎えが来ていなくてもなんとでもなることがすでによくわかっていたけれど、一応迎えに来てくれている人を探してみた。
 すると、
 ハ〜イ
 といって穏やかにソファから立ち上がった女性が。
 あ、この人見たことがある!!
 ベテルスロッジのオーナー夫人、リンダだった。
 リンダは白人なのに、なんだか昨年北海道でお世話になったペンション・風みどりの奥さんに雰囲気がそっくり。どこの国でも北国の大地は女性をこんな感じに育んでいくのだろうか……。

 貨物室に乗せていた我々の荷物が出てきて、さあ、ホテルへ発進!
 すると、
 「忘れものをしたわ」
 といって車をUターンさせ、再びライトエアーサービスへ。
 そういえば、ピートがオーナーあてに何か荷物を用意していたっけ……。
 車から降りて受け取ってきたリンダが持っている荷物を見ると、先ほどピートがロッジで準備していた荷物と違った。たしかプリンターかなんかの箱を使っていたような気がするのだが…。
 この箱じゃないですよ、とリンダに伝え、もう一回荷物を受け取る場所へ。すると、そこにはちゃんとプリンターの箱があった。
 よく考えると、あやうく他の人の荷物を持って行ってしまうところだったのでは……。
 やはりここは、まるで水納丸の桟橋のようだ。

 キャプテンバートレットまでの道のりは短いが、道中我々がいかにロッジで楽しんだかをリンダに告げた。
 その後、途中にある大きな映画館の前を通ったときのこと。
 「ここでは今、ラスト・サムライを上映しているのよ」
 と教えてくれたので、つい先日観たところだというと、
 「トム・クルーズが日本語喋っていたでしょう?」
 彼女も観たらしい。僕はすかさず
 「撃ぅてぇ!!」「アリガトー」と、トム・クルーズのちょっと変なアクセントを真似した。
 彼女は笑った。
 「彼の日本語は、僕らが話す英語のようなものだ…」
 というと、リンダはさらに笑った。わかってはいたが、やっぱりそうなんだよなぁ。いや、トム・クルーズの日本語のほうがよっぽどうまいんだろうけどさ……。

 リンダたちは、これまでは冬もベテルスで過ごしていたそうだが、今年の冬はフェアバンクスにいるのだそうだ。やはりシーズン中の圧倒的なネイチャーワールドと比べると、冬の北極圏はとにかく暇になるのだろう。
 よろず雑用係ラッソルやへべれけトミー、そしてジェイクにクリスたち若人の熱い血は、極北の冬ではなかなか完全燃焼できないに違いない。

 ホテル前でリンダと別れ、キャプテンバートレットインに入った。6日ぶりである。
 フロントには、あのかわいい金髪少女がいた。まだ魔法はとけていなかったようだ。
 さて、チェックイン。
 でも今夜は夜12時50分の飛行機だった。チェックインといったって、宿泊というにはあまりにも短い時間でしかない。
 その旨を告げ、空港までの送迎をお願いすると、金髪少女はやはりハリウッド映画のようにオドロキの表情を浮かべ、
 「あら、そんなに早く?それじゃとっても短いわねぇ…」
 と同情してくれた。
 11時にここを出れば余裕そうなので空港への送迎はその時刻にお願いした。コールをしましょうか、と言ってくれたけど、大丈夫、起きれるよ、と断った。
 金髪少女の麗しい声で目覚めるというのもよかったかなぁ……。
 でも、そんな邪心を抱いてお願いしたら、きっとコールはおっさんの声だったろう。

 宿で一服する間もなく、おでかけすることにした。
 隣近所との付き合いがある人々の旅行にはつきものの、

 第一回お土産購入時間〜〜!!(パフパフッ)。

 ダウンタウンに行けばたくさんお土産屋さんがあるらしい。
 でも、コービィ石橋さんやヒサさんから、モールに行くならフレッドマイヤーがいい、と聞いていた。そこなら、うちの奥さんが見たがる現地の人々が買う一般食材もたくさん見られるし、お土産コーナーもあるし、とにかくなんでもある、ということだった。
 だからといって歩いていける距離ではなかったので、タクシーを呼ぶことにした。
 もちろん、サルタン。
 今ひとつ使い方がわからないホテルの公衆電話を使い、彼の手携、すなわち携帯電話にかけてみた。
 「ハイ、サルタン」
 「あ、サルタン?僕は日本人、この前会った日本人、ウエダ。覚えてる?」
 「あ?あー!ベテルスから帰ってきましたね?」
 覚えていてくれたようだ。
 15分後に到着するということだった。

 サルタンがロビーにやってきた。
 「久しぶりですねぇ!」
 サルタンの発音は、すべて疑問文的なアクセントにすると似てくる。久しぶりですねぇ!も、アクセントは久しぶりですねぇ?なのだ。思えば行きのフェアバンクスでは、この日本語にどれだけ救われたことか……。

 フレッドマイヤーまでお願いした。
 買い物を済ませた後再び電話で呼ぶことを約束し、我々はモールへ。

 フレッドマイヤーはウワサどおりでっかいでっかいショッピングモールだった。
 我々夫婦は名護にできたジャスコですらお互いを発見できずにウロウロウロウロするくらいなのに、ここの広さといったら……。
 ついにジャスコで奥さんから放送で呼び出されたというオサムさんなら、きっと二度と抜け出ることができなくなるだろう。

 食料品コーナーは、いかにもアメリカ!!だ。
 種類や量もさることながら、一つ一つのサイズがでかい!!
 あとはオーブンで焼くだけ、の状態で売られているピザなんて、日本の家庭なら
 「こんなものが入るオーブンがあるわけないだろ!!」
 と思わず叫びたくなるサイズである。

 また、同じようなジャンルの商品の種数がとにかく多い。目移りどころの話ではない。
 たしか、フェアバンクスの人口は2万人ちょいくらいだったのではなかったか?しかしこのモールの商品の数は、100万人都市のショッピングセンターであるかのようだった。

 広すぎるので、ひととおり物色するだけで疲労した。
 とりあえずお土産を買おう。
 話のタネも我々には必要だが、ここで買ったのは野菜のタネとかそんな変なのばっかり……。<持って帰っていいのか?
 でも、いくつかの土産品のうち、大城のおばさんが最も目を輝かせたのはこのタネだったりする。

 ついでに見たアウトドアコーナーの一画では、ライフルやピストルが売られていた。
 こんな、ホームセンターのようなところで普通に買えるんだ………。
 沖縄の釣具屋などで普通に売られている水中銃と大して変わらない値段よりも、その売られ方のあまりの普通さにとってもビックリした。これ一丁!と言ったら買えそうな雰囲気だ。

 ここにもやはりガーデンセンターというコーナーがあった。
 けれど、さすが極北の冬。
 まるで冬眠しているグリズリーのように、そのコーナーはひっそりと静まり返っていた。そりゃ、こんな季節に「庭」仕事はできないよなぁ……。

 あればぜひとも買って帰りたいと思っていたカリブーやムースの肉はどこにも見当たらなかった。
 特にムースの干し肉は食べきった途端にどうしようもなく欲しくなったのだが、どこにもない。商業ベースに乗せること自体が禁じられているのだろうか。
 後日カリブーならジャーキーが出回っていることを知った。でもムースは……。
 だとすれば、ベテルスでのムースのシチューも干し肉も、更にグーンと貴重な体験へと昇華する。

世界最北のデニーズ

 アラスカ大学の博物館に行ったかのような感覚でモールでの買い物を楽しみ、再び電話でサルタンを呼んだ。15分後に来るとのことだった。

 さて、食事はどこにしようか……。
 どこか美味しいところで、と思わないでもなかったけれど、ここまでの流れで、アラスカでの食事には大変満足している。ここで下手に期待して行ったところがダウ〜ンだったら、ちょっと後味悪くなってしまいそうだ。
 特にもう食事にこだわりはないし、ここはひとつ、下手に期待どころかまったく期待できないところで済ませてしまおう。
 デニーズである。
 そこならホテルまで歩いて帰れるし、大して高くないし、美味しくはないだろうと最初から覚悟しているから、申し分ない。<という意味で使う言葉か?

 サルタンにデニーズまでお願い、というと、
 「アメリカンスタイルですねぇ?」
 という。それがどういう意味なのかは僕らにはわからなかったが、きっと日本のデニーズも知っているのであろう彼には違いがわかるのだろう。
 そしてデニーズでサルタンと別れた。最初にご覧いただいたサルタンの写真は、この別れ際に撮ったものである。
 遥かなるタクラマカンからやってきてアラスカンになった彼は、おそらく今後もフェアバンクスで運ちゃんをやっているだろう。フェアバンクスにいったい何人の運ちゃんがいるのかは知らないが、ヒサさんもこのサルタンを知っていたくらいだから、きっとあなたも出会えるに違いない。
 そして、僕が彼に覚えるようリクエストしておいた歌、「熱き心に」を車内で聞くことになるかもしれない。

 さて、デニーズ。
 実はここのデニーズは、世界で最も北にあるデニーズなのである。
 世界最北のデニーズ。
 なんとなくいいでしょう?話のタネに。

 今回の旅行出発の数日前にたまたま入った那覇のガストは、我々がほぼ10年ぶりくらいに入るファミリーレストランだった。
 ランチメニューを頼んで食ってみたところ……
 あまりのまずさに絶句した。
 いや、まずいというのは当たらない。
 まずくはないのに美味くはない……。つまり宇宙食や合成パンのような(どっちももちろん食ったことないけど)、味気な〜い変な味。
 ファミリーレストランってこんなだったっけ??
 もしかして、僕らの味覚ってものすごく肥えているんじゃないのか??そのほとんどが貰い物によるんだけど……。

 そんなことがあったので、この世界最北のデニーズでも、話のタネ以外にはまったく期待していなかった。
 しかし、それ以前のところで奈落の底に突き落とされた。

 アメリカのファミリーレストランには酒類がない!!

 だからこそファミリーレストランなのか……。そうだよなぁ、普通。
 大学祭で学生が未成年者に酒を売ったの売らなかったのと騒ぐ前に、ファミリーレストランやコンビニで普通に酒を求めることができるってのがおかしいのだ、日本。
 でもこのときの僕らにとってはかなりのショック。
 食事はともかくビールは飲みたかったのに……。
 サルタンのいうアメリカンスタイルとはこのことだったのか?

 あえなくセットメニューを…。
 ああ、二人で来た夜の外食で酒を頼まなかったのはいつ以来だろう?

 このセットメニューがまた……。
 焼き具合を聞かれてハッキリと「レア」といったうちの奥さんのステーキは、ウェルダンをさらにウェルダンにした肉塊だった。これが料理か?
 そして僕が頼んだのはターキーのなんとかというヤツだった。意外にもサンドイッチだったのはともかく、だったら「ライス?パン?」って訊くなよなぁ。ライスって言ってしまったため、皿の上にはサンドイッチとご飯が載っているじゃないか。ありえるか?こんなの。
 ま、それはメニューにちゃんと書かれていたことかもしれないが……。

 とにかく、世界最北のデニーズは、下手をすると世界最マズのデニーズかもしれない。
 テーブルに置くチップは僕がもらいたいくらいだった。

 ビールを飲めなかったのがよほど悔しかったらしく、いったんホテルに戻って買い物袋を置いたあと、うちの奥さんは

 ビールを買いに行く!

 と高らかに宣言した。僕も激しく同意した。

 行きにも世話になったモールへ行くと、閉店間際のギリギリセーフだった。
 これでビールも買えなかったら、最後の最後で悶死していたことだろう。
 ホッと安堵の胸をなでおろし、アラスカンアンバーを6本購入。
 ろ、ろっぽん??
 だってそれでケースになっているし、安いんだもの…。

 最後になるかもしれない琥珀のひとときを、ホテルの部屋で過ごした。