本編・30

そしてオーロラは夢にとけていった

 うっかり寝過ごしてしまうことなく時間になるとロビーに行き、チェックアウトした。
 フロントではまだ魔法は解けていなかったようで、夕方からずっと金髪少女のままでいてくれた。愛くるしい顔で彼女は「タクシーは15分後に来るわ」と教えてくれた。

 ロビーに併設されているレストランを見ると、
 「CLOSE」
 の表札が。隣のバーはにぎわっているのに、どういうわけかレストランはどうやら本日休業だ。運命はいずれにしてもデニーズに向かっていたのかもしれない。
 その店名が「Mushers’ Roadhouse Restaurant」であることに今さらながら気がついた。このほかにもブッシュパイロットやマッシャーという名を冠した飲食店をちょくちょく目にしたが、やはりそれらの職業は「アラスカ」を代表するものなのだろう。
 ちょうど、沖縄で「うみんちゅ」の名を冠したものがいろいろあるのと同じようなものに違いない。

 ロビーのソファーに座ってタクシーを待っていると、フロント金髪少女がわざわざフロントから出てきて表を確認し、
 「タクシーが来ましたよ」
 と教えてくれた。なんて気の利くいい子なのだ。
 ベテルスでもさんざんそう思ったけれど、僕らが流暢に英語を話せたら、旅はもっと面白くなるに違いない。水納島に駅ができたら、即座に駅前留学しよう……。<できないって。

 オーロラがいよいよ活発になろうという時刻に、我々は空港に向かった。
 あれほど細かった月が、ほぼ半月になっている。
 通過していく景色すべてが、時の彼方へ去っていく。 

 深夜のフェアバンクス空港は空いていた。
 我々が乗る0時50分発NW4114便は本日最終便である。
 羽田から那覇へと向かうJTLの午後8時過ぎの飛行機のようなものだ。那覇へと飛ぶ飛行機にもこれくらい遅い便があれば便利になるのに…という人は多いだろう。

 荷物を預けた。
 帰りは乗り継ぎの際に確認することなく、勝手に成田まで行ってくれるというのに、その荷物のチェックは成田の場合と比べるとあまりにもあっけなく終わってしまった。
 また、このあとはシアトル経由でそのまま成田になるので、このフェアバンクスで出国手続きをするわけなのだが、手荷物のセキュリティチェックに毛の生えたような……というか、いったいいつ出国手続きをしたんだろうか……というほどにあっけなかった。
 でもさすがに係官はいた。
 やはりその黒人女性係官も陽気なアメリカンで、僕のパスポートの写真を見るなり、
 「Too young!!」
 といって僕をからかった。すかさず僕は自分を指差し、
 「Me too!!」
 というと、彼女は大いに笑った。
 僕のジョークもここにきてなかなか様になってきた。<ホントか?

 それだけで手続きは終了した。
 部屋に鍵をかける必要がないという人間性善説が、どうやら空港のセキュリティチェックにまで浸透しているようだった。

 行きのフェアバンクスで心に決めたとおり、ここの土産物屋で買い物をしよう。
 フレッドマイヤーやこの土産物屋を見る限り、どうやらアラスカでのムースというのは、ホッキョクグマやグリズリー同様に重要なキャラクターのようだ。ぬいぐるみから何から各種商品が並んでいる。
 それもそのはず。
 州の鳥が雷鳥であるように、このムースは「州の動物」なのだった。
 グリズリーの手形、ホッキョクグマの手形をそれぞれ型にしたチョコがあった。そのシリーズにムースもある。ただしムースの場合はひづめでもその角でもなく、
 ウンコ
 なのである。ウンコ……とは書いてないけどそれそのものの形をしたチョコ菓子。
 実はロッジでコービィさんやヒサさんにその存在を聞いていた。ところがフレッドマイヤーにはクマのものしかなく、すっかりあきらめていたのだが、ここにはちゃんとあった。寄ってみてよかった。

 聞けば、アラスカにはムースの本当のウンコを投げ合う大会をするところもあるのだそうだ。
 ムースナゲット大会というらしい。
 彼らがいかにヒマなのかということよりも、いかにムースが愛されているかということがわかる。
 動物への愛というと、撫で可愛がったり遠くから優しいまなざしを向けることだと思っている人になかなか理解できないかもしれないが、その地で共に暮らし、時には食料にさえなってもらっている人たちにとっての動物への愛の中には、あらゆる意味での感謝という気持ちが濃厚に込められている気がする。

 ナゲットとは本来「塊」という意味のはずだが、どうやらムースナゲットといえばムースのウンコであるようだ。
 このチョコの名も、ムースナゲットなのだった。

 行きは緊張の連続だった飛行機も、あの激揺れの小型飛行機を経験したあとは、アラスカ航空のボーイング737ですら巨大な空飛ぶ要塞のように頼もしく思える。そんな安堵とともに乗る飛行機は、旅を終える者の感慨をもやさしく包んでくれる。ミスターロンリーの歌が聞こえてくるようだった。

 遠い地平線が消えて、ふかぶかとした夜の闇に心を休める時、
 はるか雲海の上を音もなく流れ去る気流は、たゆみない宇宙の営みを告げています。
 満点の星をいただく、はてしない光の海をゆたかに流れゆく風に心を開けば、
 きらめく星座の物語も聞こえてくる、夜の静寂の、なんと饒舌なことでしょうか。
 光と影の境に消えていったはるかな地平線も瞼に浮かんでまいります。
 アラスカ航空があなたにお送りする音楽の定期便ジェットストリーム

 皆様の夜間飛行のお供をするパイロットは私………

 城達也は死んじゃったけど、今日も空では浪漫飛行が続いている。

 シアトルに向かう機内からオーロラが見えた。
 翼の向こうで、まるで別れを惜しんでくれているかのように、いつまでもいつまでも……。

 そしてオーロラは、夢の中へ静かに溶けこんでいった。

羽田の富士山

 行きにはまるで迷路に思えたシアトル空港も、一度経験すればかつて知ったるなんとやらだ。
 乗るべき飛行機のゲートをいち早く確認し、それとはまったく違う場所にある例のシナボンを食べ、ボーディングの時間を待った。その日の新聞には、
 「佐々木がシアトルを訪れるのは今回が最後になるだろう」
 と、佐々木のマリナーズ退団を告げるニュースが出ていた。
 僕らだって最後かもなぁ……。

 行きは乗り換えるたびにだんだん小さくなっていった飛行機は、帰りは徐々にグレードアップしていく。737でさえ空飛ぶ要塞に思えた僕には、スーパージャンボは「空飛ぶ」がない要塞そのものの安定度だった。
 そして、行きは満席だったのに、帰りは7割程度の入り具合。
 有無を言わせぬ座席指定のせいでしぶしぶ窓側になってしまったものの、3席ならぶ窓側の座席には我々2人だけ。機内で横になれる、そしていつでもトイレに行けるということが、これほど楽なものとは……。
 満席でさえなければ、長時間でもまったく大丈夫……という自信(?)がついた。

 西から東へと流れる上空のジェット気流のせいで、飛行時間は行きよりも帰りのほうが遥かにかかる。それでも寝てばかりいたせいで、帰りは10時間があっという間だった。

 雪の大地を見慣れた目には、成田付近のチバラギ県は、乾ききった枯れた世界にさえ見えた。それが冬の日本の風景であることを知っている僕らはともかく、初めて日本を訪れる諸外国の人たちにとっては、唖然とする光景だろう。田舎を求めて日本に来る人たちなんてそんなにいないんだから。
 そして彼らは、成田から東京までのあまりの距離に再び仰天するに違いない。

 行きは埼玉でワンクッション置いたけれど、帰りはこの日のうちに那覇に行く予定だった。下手したらノースウェストが遅れて乗れなくなるかも、という危惧もあったが、そういう場合はノースの遅延証明により、乗りそびれた国内チケットが復活するというので問題はない。

 遅延どころか早めに到着し、もちろん入国審査でも税関でもトラブルはなく、機内預け荷物もあっという間に出てきた。少しくらいトラブルが無いとここに書くネタに困るのだが……。

 羽田へ向かうリムジンバスのタイミングもバッチリだった。順調すぎてコワイ……。

 午後4時過ぎの千葉の太陽は、この一週間ずっと見慣れた「夕景」だった。
 極北では1日の中でこの状態が長くしぶとく続いたけれど、日本では一瞬で過ぎ去る美しくも儚い光景。
 冬至近辺はさすがに1日中真っ暗ながら、冬の間、つねに心和む朝焼け夕焼け状態の極北。その地に住む人々が穏やかにのんびり楽しく暮らしているのは、長く続く残照のぬくもりに大きな力を得ているからかもしれない、と旅先で考えたことをふと思い出した。

 リムジンバスの行く手には、残照をバックにポッカリと富士山のシルエットが浮かんでいた。
 富士山……。
 ここ数日ずっと眺めていたブルックス山脈も荘厳だったけど、それとはまた違う何かを感じずにははいられない山。
 その頂上にジュースの自販機がある世の中になろうとも、日本人の魂の故郷であることには変わりはない。

 都心に近づくに連れて増えてくる高層ビルの向こうで、夕富士は静かにたたずんでいた。

日常への帰還

 那覇空港同様、羽田空港にも最近お気に入りのお店がある。
 えらく端っこのほうにあるせいかいつ行ってもそれほど混んでいない。けれど、空港職員、客室乗務員がよく利用する。その昔の旧那覇空港ターミナルにあった天竜がそうであったように、職員が利用する店というのは美味しいのである。

 さらにここはお値段控えめボリュームたっぷりなので、空港内の飲食店にありがちな料金に含まれているマージンのバカ高さが気にならない。

 その名も南欧料理の店・アマートアマート。
 サントリーのお店だ。
 だからビールが美味い。
 パスタも美味い。ピザも美味い。
 オススメである。
 全日空の到着ロビー側にある。

 JALグループながら、飛行機嫌いの僕にとってはどうにも信用ならないJTAには、実はこれまで一度も乗ったことがなかった。しかし今日のうちに那覇に、それもバースデー割引で行くにはこの便しかなかった。
 さてさて、JTAのゲートは……。
 あ、地上バスのゲートじゃん……。
 ドアが開くと寒風吹きすさぶ寂しいロビーなのだった。

 信用ならないJTAだったが、特に問題なく、実にスムーズに那覇空港に着。
 我々より先にアラスカから帰ったタケウチ夫妻は、かの地で零下50度というストロングな気温を体験したこともあってか、帰国した際の気温は6、7度だったにもかかわらず、空港ではTシャツで過ごせるほどに暑く感じたという。周囲の人に奇異に見られたそうだ。
 6、7度で暑いってことは、寒波がようやく過ぎつつある沖縄の15度という気温では………

 これが、やっぱり寒い。
 一瞬、あったかい……という気がしたけれど、それに備えて薄着にしていたせいでなんだか薄ら寒い。肌が切り裂かれるような痛さはないものの、背筋を這うような悪寒が。たった10日やそこらの離沖では、これで暑さを感じるほどには体が忘れてはいなかった。

 那覇では安宿で一泊。
 フェアバンクスでは午後11時まで、そして那覇では午前0時半ごろから。場所も日付もワープした合わせ技一泊になった。

 翌日、行きに預けた鳥さんたちを受け取りにながみね動物クリニックへ。
 開院時刻ピッタリに訪れると、アマノ先生が駐車場にいた。
 あれ?と思いつつ院内へ。
 するとアマノ先生がやってきて、
 「今日受け取りにいらっしゃるって聞いたときにうっかりハイって言っちゃいました……」
 なんと今日木曜日は休診日だったのだ。
 もっとも、院内には入院中の動物たちもいるから、いずれにしても誰かしらはいるのだろう。でもアマノ先生は、ひょっとすると僕らのためだけに来てくれていたのかもしれない。
 お土産に渡したムースナゲットは、そのお礼にはあまりにも子供騙しの品であった……。

 置き去りにされて拗ねていたのか、久しぶりに会ったかんぱちやテンちゃんは、最初他人行儀であった。
 もしかして、忘れていたのか??
 しばらく後にすぐ元通りになったけど………。
 病院では騒ぎすぎはしないかと心配していたが、院内ではいたっていい子にしていたらしい。内弁慶なのか外面がいいのか、それともよっぽど病院の居心地がよかったのか……。
 病院スタッフにも可愛がられていたようだ。情が移ってしまったアマノ先生は、お別れするのがとっても寂しそうだった。

 鳥を乗せ、一路本部半島へ。
 出発前にはほとんど咲いていなかった道々の寒緋桜が満開だ。
 極北の雪の大地には一輪の花も咲いてはいなかったけれど、沖縄はもう春間近。
 そしてまた、暑い夏がやってくる。その頃には、ピートの氷柱はすっかり融けていることだろう。