プロローグ・波乱の出発前夜編
新年会 例によって旅行本編前に、随分と触れておかねばならないことがある。 毎年1月の下旬には、我々が所属していた琉球大学ダイビングクラブの県内に住むOBたちの新年会がある。 普通、OB会などというと、ついついみんな懐かしい話ばかりになってしまい、あの時はこうだった、このときはこうだったと、ただ単に失われた時の記憶を引きずり出すような話ばかりになってしまいがちだ。 その点、この先輩宅でのOBの集いは、普段から会っているということもあるのだろうが、部屋の各所でなされている会話はいつも前を向いている。過去の話であっても、それは新しきを知るためだ。ほとんどの方々が僕なんかよりも圧倒的に年上の大先輩ばかりながら、僕らがとっても楽しく思うのはどうやらそういうことらしい。 僕らは年月が経っても相変わらずしがない水商売だけど、社会でちゃんと活躍している面々は、年月とともに仕事も大きくなっていく。 そんな新年会がいつもの予定で行われるとすると、昨年に続き僕らは出席できないかもしれない。どうしてもうちの奥さんの誕生日近辺になるのである。 というか、そうなると台風が来ようと季節風が吹こうと、這ってでも参加しなければ申し訳が立たない。そんなわけで、那覇出発日と埼玉の実家での滞在期間は、この新年会を基準に設定された。 一方、うちの鳥たち、かんぱちとテンちゃんは、ながみね動物クリニックのお世話になった。昨年利用したMOTOさんのところが鳥舎改築中との事で、急遽こちらを紹介してもらった次第。 鳥を病院に託し、夜逃げ荷物を先輩宅に預け、那覇で買い物をし、車を琉大の駐車場へ。そうこうするうちにすっかり辺りは暗くなり、先輩宅へ到着した頃にはすでに宴席の場が成り立っていた。 楽しい宴席の夜は更ける……。 当然といえば当然ながら、明日那覇を発ち、明々後日にはアラスカへ、などという旅行出発前の高揚感は微塵もなかった。 飲み過ぎることもなく快適な朝を迎え、コーヒーまでご馳走になって先輩宅を辞した。その際、旅行中の非常食用にと、由緒正しいという干し芋をいただいた。なんでも、茨城県から取り寄せたものらしい。 空港まで、同期の友人に送ってもらった。彼女も我々と同じく先輩宅に子連れで泊まっていたのだ。 那覇空港では、最近お気に入りのキリンビールのお店に。 もちろん、ビールに合うという意味で。 昨夜さんざん飲んだというのに今日も昼からビールに突入してしまった。今回の旅行がやはり酒とは縁が切れないものであるという予感を抱く。 埼玉にて 正月3日にやってきて、北の幸を置き土産に去っていったウロコムシ武田さんから、最近羽田〜所沢の空港バスがあることを聞いていた。大きな荷物を抱えての山手線は考えただけでも憂鬱だが、所沢まで行ければ、都内のラッシュも関係ない。 計ったようにピッタリだった。<普通は計るんだってば…。 まったく待ち時間なくバスに乗り込み、一路所沢へ。 うちの奥さんの実家の様子は過去の旅行記を参照されたい。 こうしてこの晩も、焼き鳥とビールと焼酎にウハウハ言いつつ過ごす。やはり、明後日からアラスカへなどという高揚感はどこにもない。ホントに行くの?って感じすらあった……。 翌日目覚めると、外は本格的降雪だった。 雪の降る中、父ちゃんに「てっちゃんグランド」を案内してもらった。それについては昨年の旅行記参照。 墓参りを済ませ、近くのホームセンターへ。さすがに防寒グッズが充実している。 その頃には雪はやみ、午後は軽く散歩した。 通学路は基本的に記憶どおりだったようだが、とある箇所の変貌にうちの奥さんは愕然としていた。まったく様変わりしているという。 明日異国へ出発しようという人間が、のんきに故郷でノスタルジィに浸る必要はないといえばないか…。 こうして、島を出てから旅行出発までの小旅行は、この章のタイトルとは裏腹に、なんのトラブルもないままに無事に終わった。 ……本編へ続く |