プロローグ・波乱の出発前夜編

新年会

 例によって旅行本編前に、随分と触れておかねばならないことがある。

 毎年1月の下旬には、我々が所属していた琉球大学ダイビングクラブの県内に住むOBたちの新年会がある。
 OBの新年会とはいってもどこかのパーティ会場を借りて盛大に、などというよそ行きのものではなく、とある先輩の自宅に大勢が集って夜遅くまで飲み騒ぐというものだ。

 普通、OB会などというと、ついついみんな懐かしい話ばかりになってしまい、あの時はこうだった、このときはこうだったと、ただ単に失われた時の記憶を引きずり出すような話ばかりになってしまいがちだ。
 人間は唯一ノスタルジィを感じる動物だからそれはそれでやむをえないかもしれない。
 でも、毎年集まるたびに同じ話をしていたんじゃ人間、進歩がなくなる。振り返って楽しむのは心の中で、もしくはもう少し人生のゴールに近づいてからでも遅くはない。

 その点、この先輩宅でのOBの集いは、普段から会っているということもあるのだろうが、部屋の各所でなされている会話はいつも前を向いている。過去の話であっても、それは新しきを知るためだ。ほとんどの方々が僕なんかよりも圧倒的に年上の大先輩ばかりながら、僕らがとっても楽しく思うのはどうやらそういうことらしい。

 僕らは年月が経っても相変わらずしがない水商売だけど、社会でちゃんと活躍している面々は、年月とともに仕事も大きくなっていく。
 たとえばある先輩の話だけど、彼が企画したある大きなプロジェクトを進めるに当たり、県内有数の某リゾートホテルとその地の漁協の全面協力を得た……という。
 このリゾートホテルの責任者も漁協の幹部も、実はOBなのだった。
 いわば仲間内でやっていることなのに、文字にすると凄いことになる。
 聞いているだけで痛快だ。

 そんな新年会がいつもの予定で行われるとすると、昨年に続き僕らは出席できないかもしれない。どうしてもうちの奥さんの誕生日近辺になるのである。
 新年会の知らせは年賀状で届くから、すでに年賀状を用意する頃には決まっているわけだ。だから、その前に冗談で
 「17日だったら出席できるんですけど……」
 と伝えたところ、
 「わかった、17日にする」
 ええ!?そんな、おそれおおい………。

 というか、そうなると台風が来ようと季節風が吹こうと、這ってでも参加しなければ申し訳が立たない。そんなわけで、那覇出発日と埼玉の実家での滞在期間は、この新年会を基準に設定された。
 つまり、飲んだ翌日に空港へ行き、出発。
 だからこの日は、まるで夜逃げしてきたような荷物を抱えて先輩の家にお邪魔していた。おまけにお開きのあとそのまま泊まらせてもらった。

 一方、うちの鳥たち、かんぱちとテンちゃんは、ながみね動物クリニックのお世話になった。昨年利用したMOTOさんのところが鳥舎改築中との事で、急遽こちらを紹介してもらった次第。
 夜逃げ荷物とともに医院を訪れ、先生に託した。

 鳥を病院に託し、夜逃げ荷物を先輩宅に預け、那覇で買い物をし、車を琉大の駐車場へ。そうこうするうちにすっかり辺りは暗くなり、先輩宅へ到着した頃にはすでに宴席の場が成り立っていた。
 「おいおい、仲人より遅く来てどうする?」
 そう、新年会には我々の仲人もいらっしゃっているのだった。

 楽しい宴席の夜は更ける……。
 みんなそれぞれいい年になっているので、子連れ、家族連れでやってくる方も多い。部屋のこちらでは大人たちが飲み騒いでいるが、向こう側はキッズランド状態。少なくともここでは、少子化問題なんてことはまったく関係ないようだった。

 当然といえば当然ながら、明日那覇を発ち、明々後日にはアラスカへ、などという旅行出発前の高揚感は微塵もなかった。

 飲み過ぎることもなく快適な朝を迎え、コーヒーまでご馳走になって先輩宅を辞した。その際、旅行中の非常食用にと、由緒正しいという干し芋をいただいた。なんでも、茨城県から取り寄せたものらしい。
 モルディブ・ヴィラメンドゥに行ったときは、ラ・フランスとともに入国した。今回はどうやら干し芋とともに……。

 空港まで、同期の友人に送ってもらった。彼女も我々と同じく先輩宅に子連れで泊まっていたのだ。

 那覇空港では、最近お気に入りのキリンビールのお店に。
 各種生ビールが美味しく、うちの奥さんいわく
 サンドイッチセット
(ハムたっぷりのハムサンド、クラムチャウダースープ、サラダ)は絶品!!
 もちろん、ビールに合うという意味で。

 昨夜さんざん飲んだというのに今日も昼からビールに突入してしまった。今回の旅行がやはり酒とは縁が切れないものであるという予感を抱く。

埼玉にて

 正月3日にやってきて、北の幸を置き土産に去っていったウロコムシ武田さんから、最近羽田〜所沢の空港バスがあることを聞いていた。大きな荷物を抱えての山手線は考えただけでも憂鬱だが、所沢まで行ければ、都内のラッシュも関係ない。
 でも本数は少ないだろうから、はたしてタイミングが合うかどうか……。

 計ったようにピッタリだった。<普通は計るんだってば…。

 まったく待ち時間なくバスに乗り込み、一路所沢へ。

 うちの奥さんの実家の様子は過去の旅行記を参照されたい。
 そして、定番コースも過去に何度も触れている。
 そう、鳥吉へGO!!

 こうしてこの晩も、焼き鳥とビールと焼酎にウハウハ言いつつ過ごす。やはり、明後日からアラスカへなどという高揚感はどこにもない。ホントに行くの?って感じすらあった……。

 翌日目覚めると、外は本格的降雪だった。
 雪!!
 これから雪の大地へ行こうというのに、それでもやはり、雪を見ると血が騒ぐ。

 雪の降る中、父ちゃんに「てっちゃんグランド」を案内してもらった。それについては昨年の旅行記参照。
 雪のグランドは美しい。傍らの菜園ではブロッコリーやキャベツ、白菜などが寒さに震えていた。沖縄と違い、内地の野菜たちは厳しい環境でたくましく育つ。
 このグランド、さらにグレードがググンとアップ!!これを一人で作業しているのか!?と、一目見ればきっと誰もが衝撃を受けるだろう。
 職場リタイア後暇になるのではないかという心配は、このグランドを見る限りまったく必要なさそうだった。

 墓参りを済ませ、近くのホームセンターへ。さすがに防寒グッズが充実している。
 ここで買わねばならないのはただ一つ。
 使い捨てカイロだ。
 なかでも重要なのは、沖縄ではまず手に入らない靴用ホッカイロだった。かの地で充分活躍することだろう。
 ……すでにここで使いたくなっていたけれど。

 その頃には雪はやみ、午後は軽く散歩した。
 うちの奥さんが昔通った通学路をたどってみた。実家の弟夫婦や父ちゃんたちは、隣の駅まで散歩したというと
 「そんなところまで?」
 と驚いていたが、うちの奥さんと弟氏が通っていた中学校はその隣駅のすぐそばにあるのだ。子供の頃はみんな普通に歩いていたのである。

 通学路は基本的に記憶どおりだったようだが、とある箇所の変貌にうちの奥さんは愕然としていた。まったく様変わりしているという。
 こんにちの日本では、こんなに田舎であっても、故郷でノスタルジィに浸る隙すら与えてはくれないようである。

 明日異国へ出発しようという人間が、のんきに故郷でノスタルジィに浸る必要はないといえばないか…。

 こうして、島を出てから旅行出発までの小旅行は、この章のタイトルとは裏腹に、なんのトラブルもないままに無事に終わった。
 やはり、旅行に行くという実感はなかった。

……本編へ続く