本編・2

じ、字幕がない……

 その昔、いまだ米ソの関係が高性能冷凍庫のように冷え切っていたころ、日本からヨーロッパへ行くにはアラスカのアンカレッジ経由というのが一般的だったらしい。
ところが冷戦の終了とともに、飛行ルートの制限がほとんどなくなり、ヨーロッパへは西回りで行くことがもっぱらとなった。
 同時に、日本とアンカレッジを結んでいた定期ルートは消滅。地図で見る限り、ハワイに行くのと大して変わらない時間で行けるはずだったアラスカは、Vの字を描くようにして、わざわざアラスカよりも遥かに遠い米国シアトルを経由して行かねばならなくなった(大韓航空を利用すれば、ソウル経由アンカレッジという手もあるらしい)。

 機内では、さっそくディナーの準備が始まった。ま、ディナーといってもエコノミーである。大したものが出るわけではない。それでも、タダ酒が飲めるのだから、食前酒から食事中のワインへと、予定通りになだれ込んだ。
 ディナーのメニューはビーフかチキン。おりからのBSE騒ぎのせいか、我々のところにキャスターが回ってくるころには、チキンはすっかり売り切れていた。鳥インフルエンザが騒ぎになっている今ならチキンすら敬遠されていたろうか…。

 相変わらずアメリカ人というのは、明らかに英語を喋らないとわかる人間に向かってさえ、流暢な(当たり前だけど)スペシャル早い英語を喋る。サービス業として、もう少しわかりやすくゆっくり喋ってやろうという配慮はないのか。
 この英語、ここ数年かなりの本数の映画を見ていたりするうちに、なんとなく何を言っているのかわかるセリフの数が随分増えてきているように思えていた。
 ほぉ、けっこう俺ってヒアリングできてるじゃないか。この調子なら、ちょっとした旅行程度じゃ困らないに違いない……。
 かなりタカをくくっていたのだった。
 しかし。
 もともと機内アナウンスの英語なんてほとんど聞き取れていなかったけど、食事を運んだりするスチュワーデスの言葉がまるで聞き取れないことに気づき、僕は愕然としてしまった。
 じ、字幕がない……。
 そうなのである。これまで映画を見て聞き取れていたように感じていたのは、字幕で意味を確認しているからこそ脳の中で言葉として英語が再生されているわけで、素のままで聞いたのではやっぱりさっぱりわかんないのだ。
 ど、どうしよう…。この先道中はまだまだ長いというのに。

 そんな時救いの女神になるのが、たいてい一人は乗り合わせている日本人客室乗務員だ。僕らが乗った飛行機には、近来稀に見る美しい日本人スチュワーデスが乗っていてくれた。彷徨える子羊たちを(我々のことね)、優しく誘導してくれた。

 飛行機が到着する前にやっておかねばならないことがある。米国への入国カードの記入だ。決まりきった項目ばかりなのに、英語で書いてあるからどこに何を書けばいいのか戸惑った記憶があるのだが、驚いたことに項目はすべて日本語で書いてあった。これって前からだったっけ?
 また、税関チェック用の用紙もすべて日本語で書いてあった。この用紙は家族につき1枚でいいので、記入はすべてうちの奥さんに任せていた。
 で、着陸前に記入事項をチェックしてみると……。
 全部日本語で記入している!?
 なんとうちの奥さんは、項目をすべて日本語で書き込んでいたのであった。
 まさか、いくら項目を親切に日本語で書いてあるからって、記入する文字まで日本語にしたら係官が読めないんじゃないのか?たしかに入国カードには英数字で、と書いてあるのに対し、税関チェックの用紙にはそうは書かれてはいない。それにしても……。

 美しく優しい日本人スチュワーデスさんに問うと、彼女はそっと微笑を浮かべ、
 「ええ、記入はアルファベットでお願いします……」
 そういって新しい用紙を1枚そっと渡してくれた。いや、微笑というよりはどちらかというと苦笑だったような気がするなぁ……。

楽しいデートを!

 幸い発作を起こすこともなく(もちろん今まで起こしたことはないけどさ)、墜落することもなく、飛行機は午前7時少し前、無事にシアトル空港に到着した。日本時間午前2時前である。

 乗客の流れに乗っていくと、そのまま乗り継ぎ客用の荷物確認コーナーがあった。ここでフェアバンクスまでのチケットを見せ、機内預けの荷物を乗り継ぎ便に乗せかえる手続きを踏む。そのあたりのことは、さすがのクロワッサン的旅行社トランスワールドも、親切に案内してくれていたのでわかりやすかった。
 そしてそのまま進んでいくと、イミグレーションである。いよいようわさに聞く鉄壁の入国管理チェックコーナーだ。

 すでにたどり着いていた乗客はけっこういたものの、5、6箇所儲けられた外国人用のブースに並んだ列の中腹くらいにいたはずだった。ところが、我々が並んでいる列だけ進む速度が異常に遅い。回りの列がどんどん少なくなっていき、僕らの後ろに並んでいた人たちはさっさと周りの列に移ってしまった。そうこうするうちに、ついに我々は最後尾になってしまった。
 それもこれも、新たに始まった指紋チェックのせいである。
 日本人ばかりだからきっと早いのだろうと思いきや、その多くは緑色のパスポート、韓国人だったのだ。彼らはビザを必要とするので、たとえ観光での入国であっても指紋のチェックを必要とする。そのため、ブースで費やす時間が長くなってしまうのである。
 それにしても、なんで成田発の飛行機に韓国人がこれほどまで乗っているのだろうか?
 実は、成田発シアトル行きのノースウェストは、韓国から成田に来て、それからシアトルに向けて出発しているのであった。そりゃ満席になるわ……。

 当然ながらイミグレーションでも字幕の出ない英語だ。
 日本と違い、こういった諸外国のイミグレーションは公務員のくせに実に陽気な応対をする。ただし、陽気なんだけど僕には聞き取れない。
 イミグレーションで訊かれることなんてたいてい決まっているから、聞き取れそうなものである。なのにわかんないのだ。このあとのアラスカでのことだけど、散歩をしているときに
 「What are you doing?」
 と気安く声をかけてくれた人に、僕は
 「Fine
, thank you」
 と答えたくらいなのだから。

 気分を引き締めブースに行くと、やはりなにやら陽気に訊ねてくる。わかんないのでわかんない目をすると、
 「モクテキは?」
 実にきびきびした日本語に切り替わった。
 決まりきっているはずの質問事項を聞き取れなかった僕であったが、向こうは決まりきっている質問事項の日本語を知っているのだ。
 最初からそう訊いてくれればいいのに…。いや、それは僕がカッコつけて英語風の発音でグッドモーニングなどといいながらブースに行ってしまったためだったのかもしれない。
 知ったかぶりはやめよう…。

 混雑を避けるためか、夫婦や家族単位でブースに来れるので、隣にはうちの奥さんもいた。NHK英会話入門歴7年を数えつつ、ついに入門の扉を開くことなく挫折した英会話能力の持ち主である彼女は、僕以上にオタオタする。昨年はスキーでオタオタしていたけれど、今年はどうやら会話でオタマサになりそうだ。
 でも、たとえば相手が僕に語りかけているときなどは、ときおりキラリと光るものを見せたりもする。このイミグレーションでも、陽気なアメリカン係官は「ハネムーンですか?」などと気軽に尋ねていたらしく、彼女は「いいえ、デートです」と、英語のような得体の知れぬ言語で答えていた。何がなんだかわかっていなかった僕は、去り際にそのアメリカンが
 「
Have a nice date!!
 とかなんとか、とにかく「楽しいデートを」と言ってくれたのに対し、てっきりお決まりの
Have a nice day!かなんかだと思ったから
 「
you too!!
 などと答えてしまったではないか。こちとらそんな応用利かないっての。でも、案外ジェームス・ボンドばりのエスプリの効いたジョークになったかな?? 

 まぁそんなこんなで、字幕の出ない英語に対してすっかり自信のなくなった僕は、このあと何をするにもいちいち気合が必要になってしまい、一つ質問するたびにグッタリと疲労が蓄積していく始末。
 とにかく、乗り継ぎ便まで移動しよう。

ボンボンシナボンシナボンボン

 シアトル空港は、正式にはシアトルタコマ空港というらしい。シアトルとタコマのちょうど真ん中にあるからである。その頭文字をとったシータック空港という名称が一般的のようだ。
 それほど大きな空港ではないが、一つのターミナルから左右対称で放射状にコンコースが延び、これまた左右対称に離れ小島のようなサテライトが南北にある。乗り継ぎ便が同じコンコースではない場合、この四方に広がる乗り場を目的地別に渡り歩かねばならない。
 ノースウェストはS(サウス)サテライトに到着していた。そしてイミグレーションを過ぎ、流れに乗って歩いていると、道々で係員が乗り継ぎはどこ行きの飛行機だ、と勢いよく尋ねてくる。フェアバンクスだと答えると、S68に行け、それはこのエスカレーターだ、という。逆らえば怒られそうでさえある。そうか、何がなんだかわからないがとにかくそこへ行こう。
 階上へ上がると、そこにはS○○と番号を振られたゲートがたくさん並んでいた。そのどこかに目差すS68があるのだろう。
 ところが、どう見てもSの次に続く数字は20以下でしかない。68なんて絶望的にありそうにないぞ。そんなとき、目の端にS16aというゲートナンバーが見えてきた。
 アッ!!
 シックスティエイトじゃなくて、シックスティーンエイって言ってたのか!!
 ウーム、なんとムツカシイのだ英語は<いや、英語以前の問題では??
 このティーンとティの違いは、この先もなかなかムツカシイ存在となっていった。

 とにかく目的のゲートに来ると、そのゲートはコンコースCへと向かう陸上シャトルバスの出発口玄関であった。これまたなんだかわからないままにシャトルバスに乗り込み、コンコースCへと向かう。
 これ、乗り継ぎ時間がギリギリだったらけっこうあせったかもしれない。けれどそのあたりのことを考慮してくれたのか、乗り継ぎ時間はかなりの余裕があった。やるな、トランスO氏……。
 時間があるのでコンコースCについてからのんびりとアラスカ航空のカウンターで帰りのチケットのリコンファームを兼ね、オネーさんにチケットを見せて質問してみた。
 すると、
 「あら、この飛行機はここじゃないわ、N(ノース)サテライトよ。」
 おそらく字幕スーパーの大家・戸田奈津子ならそう字幕を入れたであろう言葉で教えてくれた。
 そうだったのである。トランスO氏は我々のために1便遅いフライトを用意してくれていたけれど、そんなことは知るはずもない空港職員たちは、我々がフェアバンクス行きだと知るや、間近に迫ったフェアバンクス便のゲートを教えてくれていたのだ。

 というわけで、今度はNサテライトへの旅となった。なんだか流されるままにさすらっているような気が……。全幅ならぬ半幅の信頼を僕に寄せるうちの奥さんは、とりあえず何も考えていないようだった。
 コンコースCから離れ小島のNサテライトへは、成田空港にある無人モノレールのような地下鉄シャトルに乗る。ターミナルの階下に乗降口がある。
 このまま地の果てまで連れていかれたりして……という心配をする間もなく、アラスカ航空099便のゲートにたどり着いた。

 ゲートは確認した。フライトもオンタイムであることを確認した。定刻どおり10時23分発だから、まだ3時間ほどある。
 ところで、この23分という半端な数字はいったいなんなのだろうか。フライトスケジュールがそれほど過密ってことなのだろうけど、本当にそんな分刻みなのか?
 うちの奥さんはやけにこの23分というのを不思議がっていた。
 案の定、ディレイドとなった099便は、30〜40分ほど遅れるという説明だった。その10分の誤差が普通だよなぁ、実際は。じゃあ、23分ていう細かい数字にいったい何の意味があったんだろう……。

 四方八方に延びるコンコースやサテライトのそれぞれに、様々なショップや飲食店があるようなのだが、どこのどれがどのように美味いのかなんて情報は皆無なので……というより一切調べなかったので、仕方がないのでこのNサテライト内で食事を済ますことにした。
 食事といってもまだ早い時間だから、ファーストフードとかそんな程度のものしかない。
 そんな我々の目に飛び込んできたのが、シナボンの看板だった。
 巨大シナモンロールをウリにしている店である。巨大シナモンロールといえば、島のジュンコさんが米軍基地内で売られているそれをたまに手に入れてくることがあって、一度いただいたことがあった。
 これがけっこう美味い。
 アメリカのお菓子といえばどれもこれもただひたすら甘いだけと思っていたら、意外にこのシナモンの風味は味わい深い。
 それを思い出し、迷うことなくシナボンを買った。

 オープンコーナーのテーブルで、さて、食べよう……。
 あれ、これどうやって食べるんだろう??
 全身甘味とシナモンで包まれたその巨大なシナモンロール、手でつかんで食うのはいささか躊躇してしまう。どうしたらいいのだ。
 するとうちの奥さんは
 「手で食べるモンなんじゃないの?」
 という。そうか、それでいいのか。仕方なく手でちぎっては食った。
 そしてあらかた食べ終わった頃、ふと周りを見ると、少年がナイフとフォークを上手く使ってこのシナボンを食っているではないか。あ、あちらの紳士も、こちらの婦人も。
 そうなのである。レジの反対側のコーナーに、ちゃんと使い捨てのナイフとフォークが置いてあったのだ。なんか悔しい……。

 こういった一部始終をすべて写真に納めておきたかったのは山々ながら、何かといえばカメラを出してパシパシ撮っているような観光客の姿はこの空港内のどこにもない。
 ここで日本人である僕がまたぞろカメラを取り出し、珍しくもなんともないシナボンなどを撮っていたら、「フフ、やっぱり日本人は……」などということになってしまうかもしれない。
 ここは我慢のしどころである。
 お国のために、僕は撮影を断念したのだった。シナボンは手で食ってたけど……。