シアトルからアンカレッジの3時間30分は、日本国内で考えれば長い時間ではあるけれど、シアトルまでの時間を思えばあっという間といってもいいほどの時間だった。
アンカレッジ空港は晴れていた。
すでに周囲は雪の世界だ。
シアトル空港からの眺めは、実は日本なんです、と言われれば、はぁ、そうなんですか、と納得してしまいそうな景観だったけど、雪を頂く空港の向こうの遠く険しい山々は、間違いなく異国のものである。見紛うことなきアラスカの風景だ。
ついにアラスカにやってきたのだ。尾翼のエスキモーが、ほんの少し微笑んでくれたような気がした。
ほぼ満席だった乗客は、アンカレッジでそのほとんどが降りていった。
はいはい、どんどん降りなさい、次々に降りなさい、と言っているうちに、機内はがらすきに。いかにもアラスカに住む白人という格好の人たちや、オーロラを見に来たのであろう日本人(我々のほかには一組のカップルしかいなかった)、そしてネイティブっぽい方々がチラホラ座っているのみとなった。僻地へ行く態勢が整ったようだ。
いよいよ目的地が近づいている。
アンカレッジはまだ海側だが、フェアバンクスはアラスカの内奥部である。
飛行機は、途中左手にかの有名なマッキンリー山、地元風に言うならデナリ山を見ながら飛んでいたはずだ。
デナリ山は見ることができなかったけど、機内から見るアラスカの大地が思っていたほど白くないことにやや意表を突かれた。だんだん高度が下がってくるのでよくよく見てみると、白くない部分は木々である。
なんだか針のように細長い木が一面に広がっている。
いわゆるタイガの土地は、まるでウニの表面みたいだった。木が細すぎて雪が積もらないのだろうか……?
木々がポコンとないところは池や湖なのかもしれない。また、道と川は同じように雪に白く覆われているが、道は一直線、川はグネグネ蛇行しているのですぐにわかる。
やすやすと人の侵入を許してはくれそうもない厳しそうな雪の大地だった。
シアトルとの時差がマイナス1時間なので、フェアバンクスに到着したのは現地時間午後3時過ぎだった。日本の午後3時であれば、いかに冬至近辺の冬であろうとまだまだ日は高い。沖縄であればなおさらだ。
ところが極北の地フェアバンクスでは、すでに太陽は地平線のあたりから穏やかな陽光を力なく放っているに過ぎない。
緯度もこれくらい高くなると、この季節の太陽は、まるで坂口征二全盛時代の地を這うようなジャンピング・ニーパットのように、とてつもなく低い弾道なのだ。
おまけに出ている時間も短い。
10時過ぎに出てきてほんの一瞬だけ地表に挨拶し、16時前には没していく。それでも、日のない長い冬を乗り越えた人々にとっては、この坂口征二のジャンピング・ニーはヨロコビに満ち溢れた恵みの光であるらしい。
フェアバンクス空港は想像通り小さな空港だった。
昔の那覇空港南西航空ターミナル程度である。
シアトル空港では彷徨う人になってしまったけれど、これだったら我々でも安心だ。
セキュリティチェックを受ける前に、一軒だけあるお土産屋さんを覗いてみた。帰りにどれだけ時間が取れるかわからないので、いざとなったらここで買うことにしよう。でも帰りの飛行機は深夜12時50分発。はたしてこのお土産屋さんは開いているのだろうか。
これまた神経を疲労させつつ、レジのご婦人に訊いてみたところ、このお店は夜中の1時まで開いているとのことだった。あまりに親切丁寧に教えてくれたものだから、その要がなくなろうとも、必ずここで買い物をすることに決めた。
バッゲージクレームで荷物を受け取らねばならない。
はたして荷物も無事にトランスファーしているだろうか。
……という心配をよそに、荷物はすでにポコンと置いてあった。
さて、クレームタグの確認はどこでするのかな??
あれ?人がいない……。
なんとこのフェアバンクス空港には、機内預け荷物のクレームタグナンバーを確認するスタッフが存在していない!!
なんとのどかなのだ、フェアバンクス、アラスカ。
同じ飛行機に乗っていた日本人カップルには、この空港にて迎えが待っているようだった。しかし我々は、ここからホテルに電話してピックアップの要請をしなければならない。
英語で。
当初は送迎を呼ぶくらい……などとタカをくくっていたものの、すでに機内、イミグレーションと、ことごとく自分の英語力のなさを痛感してしまった僕にとって、電話でそのようなやりとりをするなんてことは、宇宙からやってきた謎の円盤と通信するに等しい難題である。
だからといって歩いていける距離でもない。
英会話を避けるために無理して徒歩行を敢行した旅行者、ハイウェイ上で凍死……なんてニュースの見出しにはなりたくない。
仕方がないので電話をすることにした。
これまたトランスO氏の最終案内には何も書かれていなかったけど、空港内の電話コーナーにはいくつかの業者にだけただでかけられるフリーフォンのようなものがあって、我々が宿泊するキャプテンバートレットホテルもその業者の中に入っていた。そこで短縮番号をかけたらホテルにつながるのだ。
簡単な単語でも、教科書どおりに正しく発音してしまうと、相手は
「コイツは英語を話す」
と勘違いしてしまうようである、というこをはシアトルのイミグレーションで経験した。
であれば、電話をかけてまず相手がホテルの名乗りをしたあと、どん臭そうに再確認すればいいわけだ。すると相手はこちらの英語能力を察して、ある程度推し量ってくれるだろう。
この作戦はどうやら成功した。
なんだ、けっこうできるじゃないか、俺。
というか、旅慣れた方なら、
空港からホテルに電話してピックアップしてもらった
というたった1行で済むことなのだが…。
電話により、迎えの車はオレンジ色のタクシーであることが判明した。すぐにやってくるらしい。あくまでもヒアリングがあっていればの話だが…。
とにかく小さな空港なので、タクシーの待ち合わせ場所でやっかいなことになりそうもないし、電話ではハッキリとバッゲージクレームのところから出たとこで、と言っていた。もはやこれで心配はあるまい。
そんなわけで、アラスカの大地への第一歩を踏み出すべく、空港ターミナルのドアを出てみた。
さ、寒い……………!!
半端ではない寒さ!!
厳寒の玄関でいきなり手先は凍え、ジーンズにハイテクパッチのみの足もとは恐怖に凍りついたかのごとく一歩も踏み出せなくなってしまった。
こ、これがアラスカの寒さなのか…!!
こんなところで我々は無事に生きていけるのか?途端に身を縮めうずくまるうちの奥さん。
大丈夫なのか、アラスカ?