24・荒川をさるく・1〜温泉街今昔物語〜

 展望台から眺め、実際に浜に降り立ってもみた高浜海水浴場で、もっとも堪能したのは野鳥のホオジロ……

 ……ってのは、観光客としてどうなのよ、という客観的疑問もありはするけれど、妙な達成感を抱きつつ荒川地区にやってきた。

 2日前に「さんさん食堂」にフラれたところである。

 ここもやはり往時は相当殷賑を極めていた漁港で、当時の様子を紹介している案内板の写真では……

 なるほど、たしかに聞きしに勝る賑わいぶりだ。

 しかもこれは昭和31年撮影とのことで、漁港的には最盛期を過ぎ、衰退の兆しが見え始めて随分経っている頃だというのだから、往年の周辺一帯の様子は推して知るべし。

 現在では往時の様子などとても想像できないほどに、鄙びた漁村になっている。

 というか、立派な漁港なのに、漁船が1隻も見当たらないんですけど……。

 もっとも、日本全国津々浦々、漁港があるかぎり特殊な予算がふんだんに使われる日本の歪な行政のおかげで、集落方面にはさほどの特別な配慮がなされないまま、港だけが妙に近代化している、という傾向に見える。

 そんな近代漁港にはあまり魅力を感じないかわりに、いにしえの賑わいぶりの名残りを今に遺す荒川の集落は、のんびり散策してみたい素敵な場所だ。

 ここも玉之浦の街並み同様、往時は一大歓楽街だったところである。
 長崎県衛生公害研究所が95年に編纂した「五島列島・荒川温泉とその他の温泉」という、壮大でありながらもそもそも何を伝えることを意図しているのかよくわからなくなるほどに膨大な資料の中で、大正時代のここ荒川には、料理屋だけで19軒もあったことが記されている(ネット上でPDFファイルにてアップされている)。

 料理屋といってももちろん大衆食堂のことではなく、各店酌婦を配する料亭、すなわち艶っぽくいえば遊郭のことだ。
 この小さな漁村に19軒。
 というか、ほぼほぼそういう街だったということではないか。

 ということを踏まえて歩いてみると……

 蔓性植物に覆われかけているこの古びた建物にも、かなり趣を感じることができる。

 しかし集落は今もなお現役の街並みで、現在も稼働中の旅館がいくつもある。

 そのひとつがこちら。

 通りかかると中で人の気配がしたから、宿泊中のお客さんがいるのだろう。
 玄関を見てみると……

 現在は「民宿みやこ」として営業なさっているそうなのだけど、その玄関にはいにしえの名残りが。

 そんな趣きある建物が軒を連ねている界隈なのだ。

 こちらもまた最盛期の頃からずっと続いている現役の旅館。

 車一台かろうじて通行可能な路地もまた趣きあり。

 前出の資料では、町営として設立されたと書かれてあった、荒川・丹奈診療所。

 今もなお現役かどうかはわからなかった。

 確実に今も現役なのがこちら。

 「おくりものに たばこ」というのは、いつの時代のキャッチフレーズなんだろう……。

 漁村だけに、やはり集落の近くに金刀比羅さんがあり、これまたやはり高いところにいらっしゃる。
 そこへと続く階段を登ると街並みを見渡せる、ということだったから、登ってみることにした。

 ここの階段も、やはり溶岩が使われている。

 ゆっくりとこの溶岩階段を登っていると、さほどのしんどさを感じるまでもなく、鳥居が見えてきた。

 中腹にある竈神社だ。

 眺めが良いのはこのあたりのようだ。
 比較的新しく見える拝殿の傍らから見渡すと、なるほどたしかに街並みを一望できる。

 海の際まで山が迫るこのあたりの漁村らしく、ここだけ見ると山間の集落のようにも見える。

 でもちょっと右に目を向けると、先ほどの漁港の風景が見渡せる。

 眺め的にはここからがベストっぽいのだけど、階段はまだ先へと続いている。
 その登り口には、金刀比羅さんの鳥居がある。

 ここに至るまでの階段も、この竈神社の神域も、ヒトの手がしっかりと入ってきれいに管理されている様子がうかがえるのだけど、この金刀比羅さんの鳥居から先は……

 なんだか草ぼうぼう。

 この先眺めがいいわけじゃなし、道は悪いしとなれば、わざわざ登る必要はなさそう。
 でも、玉之浦で金刀比羅さんへの階段を途中で断念して以来、そのあとずっと断念が続いている我々なので、ここはひとつ、最終ゴール地点まで踏破してみることにしよう。

 草ぼうぼうも気にせずガシガシ登る。

 やがて階段が途切れるあたりになると、あたりは参道というよりも登山道といった雰囲気になってきた。

 その先に、実に素朴な鳥居があった。

 注連縄の片方が切れて、ブラリと垂れ下がってる……。

 草ぼうぼうの階段といい、切れたまま放置プレイの注連縄といい、漁船が1隻も無かったところを見ると、この地の金刀比羅信仰は途絶えようとしているのだろうか。

 ひょっとして、祠も崩壊していたりして……

 …と失礼な想像をしながら先に行くと、そこにはこじんまりとしていながらあくまでも厳かに、小さな祠が鎮座ましましていた。

 さすがに神域は掃き清められているようで、草ぼうぼうだった階段とは一味違った。
 やはりキチンと信仰は守られているようである。

 住まう地域は違うとはいえ、我々も海とは無縁ではないので、日頃の感謝を捧げつつ、頭を垂れて拝礼しておこう。

 境内を囲む雑木林にはクヌギや栗の仲間の木があって、沖縄ではけっして観ることができない実も落ちていた。

 一方、境内にはこういう草が。

 沖縄でいうところのサンニン、すなわち月桃の葉に似た雰囲気ながら、サンニンのような匂いはまったくしない。
 ポツンとここだけに生えてたんだけど、正体はなんだろう?

 ともかくも、断念続きの日々からついに脱し、これでようやくゴールに到達することができた。
 達成感とともに、心地良く下山(?)した。