9・福江をさるく・4〜江戸の面影編〜

 常灯鼻を間近で観たあと、再び橋を渡って新埋立地をあとにし、福江港ターミナルに立ち寄ってみた。

 我々は飛行機で五島まで来たけれど、一般的にはフェリーや高速船に乗って福岡や長崎、佐世保から五島列島にくる観光客のほうが多く、この福江港ターミナルこそが五島列島福江島の玄関口といっていいようだ。

 その証拠に、街を歩いていてもほとんどと言っていいほどに「観光客」の姿は見かけなかったのに、ひとたびこの福江港ターミナルに入ってみると、

 こんなにいたのか、観光客!!

 思わずそう驚いてしまうくらい勢揃いしていた。

 ま、そりゃフェリー乗船・下船の時刻近辺であれば当たり前なんだけど。

 それにしても、こんなにたくさんいらっしゃるお客さんは、昨日から今朝にかけて、いったいどこにいたんだろう??

 とりあえずターミナルの各所を下見して、再び外に出た。

 そのままテキトーに歩いていると、交通量皆無にしか見えないだだっ広い道の先に、お城のような造りの建物が見えてくる。

 

 位置的には先に紹介した石田城跡で、かつての正門のすぐ近くになる。

 だからといって城を復元したものではなく、この建物は近年建てられた五島観光歴史資料館だ。

 石田城時代でいうなら二の丸跡になるらしいのだけど、二の丸を再現した建物なのかどうかは知らない……というか、きっと違うだろう。
 建設に当たっては、トランプタイプが活躍した雰囲気がどことなく匂う建物でもある。

 なのであえて入らなかったけど、正面玄関から見るとこんな感じ。

 ちなみにその手前には、同じ造りながらやや小ぶりの五島市立図書館もある。

 このゾーンに入るための入り口が、石田城でいうところの大手門、すなわち正門だった。

 石田城跡のなかでも最も巨大な石で築かれた石垣で造られた枡形が今もなお残っているというのに、これら巨大建造物に気を取られてしまい、写真を撮るのを忘れてしまった……。

 そのあと城山神社に詣で、ジョウビタキのオスを愛でたりしたあと、再び蹴出門の濠を眺めてさらに先へ行く。

 すると、なんとも古風な住居表示に出会った。

 武家屋敷一丁目!!

 ここにお住いの方がご自身の住所を書く際、誇らしげに書くのだろうか、それとも恥ずかしげに書くのだろうか…。

 住所がそうなっているとおり、江戸の昔のこのあたりには中級武士たちが暮らしていたそうで、塀や門構えにその名残を今もなおとどめている通りが、観光名所のひとつ「武家屋敷通り」と呼ばれている。

 さっそく散歩してみた。

 おお、たしかに趣のあるストリート!(一方通行ながら、わりと頻繁に地元の方々の車が通る)

 金沢の長町武家屋敷通りが土塀だったのに対し、こちらの武家屋敷通りの塀はすべて石垣だ。

 面白いことに、この石垣の上には、握りこぶしよりちょい大きめの丸石がビッシリと積み重ねられているのだ。

 これは「こぼれ石」と呼ばれるもの。

 こうしておくことによって、たとえば誰かが夜陰に紛れてこっそり忍び込もうとしたとしても、積んである石がこぼれて音を立てるから警報装置代わりになる……

 屋敷に立てこもらねばならなくなるような「いざ」という時には、積んである石を投げつけることによって武器に早変わりする……

 …という理由がガイドブックをはじめ随所で述べられているけれど、ホントのところはどうなのだろう。

 だって、そのためには絶えずいつでも「積みたて」状態にしておかなければならないでしょう?

 こうして石を積んでおくと、50年100年といわず、5年、10年ほどでフツーにこうなると思うんだけど……

 蔓性植物が、こぼれ石を包むように快進撃するし……

 石垣に根を這わせるタイプの植物が、ガッチリとこぼれ石をホールド。

 その他、積んである石それぞれが長い年月で固着してしまう要素はいくらでもあるはず。
 となると昔の武士のみなさんはそのたしなみとして、武士の魂でもある刀同様、屋敷のこぼれ石も日々キチンと管理されていたのだろうか。

 それはともかく、こういう作りは他所で観たことがないので面白い。 

 積んである石の両サイドは、ブックエンドのように、かまぼこ型に成形された溶岩で止めてある(今出来のものはコンクリートで造られてあるかも)。

 積まれてあるこぼれ石も、河原のゴロタのようなものよりも、溶岩を丸くしたもの(もしくは丸くなったもの)が積まれている石垣のほうが昔のものっぽかった。

 五島列島は火山活動でできた島で、噴火して海までたどり着いた溶岩がそのまま海岸を作っている場所もあるほどだから、きっと溶岩などいたるところで入手できるのだろうし、溶岩だったら加工もしやすいことだろう。

 一方、この時はまったく疑問に思わなかったのだけど、河原のゴロタのような丸石って、大きな川があるわけでもないこの島で、いったいどうやって用意するんだろう?

 この疑問は、後日ヒョンなことから解決することになる。

 こぼれ石のようなディテール話はともかくとして、この通りを歩いていると、その景観を守るため、住民は並々ならぬ努力を払っていることがうかがい知れる。

 かつての武家造りのままの家はさすがに数軒しか残っておらず、住宅はほぼほぼ近代建築にはなっている。
 それでも、この通りで暮らす各家々には、どうやら守らなければならない掟がひとつあるらしい。

 その掟とは、これ。

 石垣だけではなく、立派な門のキープもマストであるらしいのだ。

 だから車も門を通さなきゃならないし、洋風アパートを造ってもその入り口は……

 やはり武家造り風の門をこさえなきゃならないらしい。

 というか、ここにこういうアパートを造ってしまうトランプタイプのセンスもどうかと思うけど、武家屋敷通りに「シティハイツ」ってのはどうなのよ…。

 武家屋敷通りなんだから、そこはやっぱり「ウォリアーズハイツ」っしょ。<誰も住まないって。

 さらにアパートの門どころではない驚きが待っていた。

 この立派な石垣と門の背後は広大な更地で、そこが売物件になっているのだ。
 何を建てるにせよ、この石垣と門の保存はマストなのだろう。

 この物件、その後どうなるのか、どなたか追跡調査をお願いいたします……。

 ともかくこのように、住民と土地の持ち主の並々ならぬ努力のおかげで、我々観光客は今もなお往時の様子をこの地で偲ぶことができるのであった。

 そんな武家屋敷通りには、昔のままの御屋敷が残っており、今もなおお住まいになっている家がある(松園邸)。

 観光シーズンたけなわであれば、開かれた門から自由に出入りして見学も可能だというのだけれど、さすがにオフシーズンのこと、門はキッチリと閉ざされていた。

 それにつけても、ヤシの目立つことといったら!

 沖縄本島地域にもそこかしこにヤシ類が植えられているから、けっしてもの珍しいわけではないとはいえ、こういった和風建築とのコラボというのはあまりなく、今回五島に来てとっても新鮮に映った。

 また、ヤシほど巨大じゃないにしろ、同じく南国ムード漂うオオタニワタリも随所で観られ、石灯籠に腰を据えている姿はなかなかシュールだ。 

 このオオタニワタリは、↓この庭の一角で撮ったもの。

 ここは、福江武家屋敷通りふるさと館にあるお庭。

 ふるさと館は、武家造りの建物を改装して作られた施設で、散策で疲れた体を休めるべくお茶と甘味を楽しめる喫茶ルームがあったり、もちろんお手洗いもあれば、希望すれば有料でなにやらの製作体験もできるところである。

 そういうところへワタシが立ち寄ってみたかった理由は、ここにあるちょっとしたものを観てみたかったから。

 立派な門をくぐると、庭先では梅が咲き誇っていた。

 しかし今の福江島は五島椿まつりの期間中。
 椿の季節の五島では、他の花々はほぼ見向きもされず、完全に脇役になるようだ。

 館内では、まつり期間の特設展示がなされていて、愛好家が丹精した各品種の椿の盆栽が並べられている。

 椿にことさら情熱はない我々。でもここ福江島の玉之浦で発見されたというヤブツバキの一変種タマノウラツバキの花は、この機会に是非目にしたいなぁとは思っていた。

 ところが福江市街をウロウロしているだけで、その願いはかなってしまった。
 植栽されたタマノウラツバキは、今では園芸品種としてすっかり一般的になっている。

 このふるさと館の特設盆栽展示コーナーでもやはり、タマノウラツバキの可憐な花が。

 白の入り方が絶妙な紅白の花、ステキでございます。

 そのほか常設の製作体験コーナーや、喫茶ルーム、そしてトイレも場所を確認できた。
 それなのに、肝心の「観たいもの」の姿がどこにもない。

 観たいものとはほかでもない、現在の福江市街と江戸時代のそれとを重ねあわせて見比べることができるという、ガラスに描かれたスライド式の大きな地図。

 埋め立てが進む前はどうだったのだろうとか、上級武士たちの武家屋敷町だったという商店街アーケード通りあたりの様子は当時どうだったんだろうとか、いろいろ興味をひかれるものがあったのだ。

 昭和30年代の市街地模型が観られるはずだった福江元気館が幻となった今、往時の様子をこの目で見るチャンスはもはやここしかない。

 ところが。

 その地図がどこにもない。

 福江の街歩きで頼りにしている、五島観光協会公式観光マップでは、それは壁に掛けられた大きな地図のように見える。
 ところがそのような壁を有する場所がなく、ここかな?と思った場所は、椿まつり期間中の特別展示になっている。

 ん?

 ひょっとして???

 ひょっとして、ワタシの求めていた古地図&現在の地図は、この紅白の横断幕の裏側にあるんじゃ???

 近寄ってみると、なにやらそれらしき影がうっすらと見えている。

 なんてことだ!!

 到着してからここに至るまで、平日であるおかげかお祭り期間中だからといって困った目には遭っていなかったのに、ここにきてまさかの紅白横断幕。

 特設展示ご担当者さま、紅白は玉之浦椿だけにしましょう……。