ハワイ紀行

〜またの名を暴飲暴食日記〜

12月1日(水)

みなさまのおかげです

 この還暦祝いハワイ旅行というのは、うちの奥さんの父ちゃんにパスポートを作っておくよう伝えたのがはじまりだった。99年のシーズンが峠を過ぎ、とりあえず3,4日の招待旅行を企画しても冬場に飢えてしまうことはないだろう、というメドがたった頃のことである。うちの両親はここ数年やけくそのように旅行に行っているので問題ないが、父ちゃんはまだ生まれてこのかた一度も日本を離れたことがない。

 ややこしいので断っておくが、私の方の父親は父、うちの奥さんの方の父親は父ちゃんと表記する(うちの奥さんの母君は11年前に逝去されている

 そもそもなぜ還暦のお祝いにハワイ、なんてことになったのかというと、父ちゃんに初海外を経験してもらおう、と考えたからである。それにはハワイがもっともふさわしそうに思えたのだ。だって、もはやハワイは日本人なら一度は行く、というくらいの場所でしょ?それに、母は7年前にハワイに行ったときは初の海外旅行だったので、おそらく舞い上がっていてなにも覚えていないに違いない。父は3度目のハワイになるが、経験豊富な人が一人いれば我々だって安心である。

 旅行といえばダイビングが目的になる我々夫婦にとっては、ハワイは、その海に格別の魅力を感じていないこともあって、行きたい場所ランキングの遙か下のほう、とうてい実現しないだろう位置にランク付けされていた。だからこういうきっかけでもなければ、一生行くことがなかったかもしれない。

 行くと決めると、それまで右から左へ流れていたハワイに関する様々な風聞が脳にとどまった。そのうちに、それまで「アメリカ」としてとらえていたハワイが、実は、というか当然ながら、というか、れっきとしたポリネシアの文化圏で、私の愛する南洋諸島の空気を濃厚に保っている島々であることを再認識した。私のハワイへの興味は急速に増していった。

 9月の巨大台風が来たときは、あぁ、これで旅行計画も水泡に帰すか……と完全に覚悟を決めたものだが、どういうわけか我がボロハウスは、アントニオ猪木の延髄切りを3発食らっても倒れなかったブッチャーのような強靱な踏ん張りを見せ、復旧に莫大な費用がかかる、なんてことにはならずにすんだ。強風でモクマオウが倒れたとき、きっと神の見えざる手が横にずらしてくれたに違いない。風神様、ありがとう。

水納島脱出不能!?

 シーズンも終わり、平穏無事な日々がやって来た。ガイドブックやインターネットなどでハワイに関する知識は少しずつ増していったが、水納島で穏やかな日々を過ごしていると、そもそも旅行自体がおっくうになってきた。

 もともと私には、行ったら行ったで必ず楽しむことでも、行くまでの課程を考えた途端に面倒になってしまう癖(この場合クセというよりヘキ)がある。水納島での遊びのダイビングですら、タンクを積んで家から桟橋、船を出してポイントまで、ということを考えただけで面倒くさくなってしまうほどのズボラ男なのだ。

 おまけにここ一ヶ月というもの、異常なくらいに晴天続きで、海もめったに荒れることはない。日々の生活が楽しいのに、あえてそれをおいてまでどこかに行く必要があるだろうか?だから、なかなか旅行に行く、という雰囲気が盛り上がってこないまま、いつの間にか11月も終わろうとしていた。

 そしていよいよ明日出発(東京に)、という11月30日、昼過ぎあたりからだんだん風が強まってきた。夕方、最終便で帰ってきた船長カネモト氏によると、夕刊の予報どおりだとやばいかもしれない……という由。やばいとはつまり欠航するかも、ということだ。

 14時発の飛行機に乗るには朝一便に乗らないと間に合わないし、そもそも船が出なければ島から出られない。変更のきかないチケットだから日を改めるということもできず、夕刊どおりならかなりピンチである。これまでの好天はどこに行ってしまったのだ?あぁ、神様、旅行が億劫だ、なんて思ってしまってごめんなさい、改心いたします。どうか海を鎮めてください……。

 我々の祈りをよそに、宵のうちから風がだんだん強まり、吹けよ風、呼べよ嵐のミュージックが聞こえてくるかのようであった。夜10時過ぎにはその音楽は最高潮に達し、今にもタイガー・ジェット・シンが登場するかと思われた。遠くでざわめくモクマオウの音が、穏やかならぬ私の心をさらに苛み続け、その夜はなかなか寝付けなかった。

 はっ、と気がついたら朝7時。風の音はすっかりやみ、桟橋まで行くと昨夕の荒れがウソのような穏やかな海が広がっていた。よかったよかった。風の神様、海の神様、ありがとう!!雨はかなり降っていたけど……。

初の那覇空港

 我々が那覇空港に行く場合、まさか渡久地からタクシーを使って行く、という贅沢な真似はできない。かといってバスで、となると帰りに買い出しができなくなる。だから渡久地に泊めてある車で行くわけだが、2週間も空港に停めておくと、いくら駐車料金の安い沖縄とはいえバカ高くなるのは目に見えている。

 こんなときいつも我々が使う奥の手は、琉球大学のとある学部の駐車場に停めておいて、門を出てすぐのところに並んでいるタクシーに乗っていく、というワザだ。これだと片道のタクシー代は3000円程度で済むから、空港に車を停めたままにすることを考えたら随分安上がりなのだ。払った学費ほどには学んでいないのだから、これくらいは許してもらおう。

 そうやってたどり着いた那覇空港、今年の5月にリニューアルオープンしたばかりであることはみなさんご存じの通り。しかし何を隠そう、我々はまだ一度も来たことがなかった。見るものすべてが目新しいので、おのぼりさんのようにあたりをキョロキョロしながら眺め回してみた。

 なるほど、噂に違わぬ立派な空港である。「空港だけは本土並みになったサァ」と、タクシーの運ちゃんが言っていたのもうなずける。それにしても、羽田にしろここにしろ、どうして新しく生まれ変わった空港というのは以前に比べて遠くなって、たどり着くための費用も高くなるのだろう。きれいになるのはいいが利用者にとって便利にはなっていないじゃないか。コンコースは長いし。ま、いっか。

 昼時だったのでまずは飯を食おうと思い、以前の空港では知る人ぞ知る的食堂だった天龍を探してみた。すると、なんと天龍がメジャーな場所に店舗を構えているではないか。居並ぶ飲食店の中では一番盛況だったことはいうまでもない(狭いということもあるけど)。店に入ると、うまい具合に二人分席が空いていた。

 ここで普通なら沖縄料理を頼むべきなのだろうけれど、僕の場合なぜか食堂に入ると反射的にカツ丼を注文してしまう。うちの奥さんはといえば、よせばいいのに沖縄そばセットを頼んでいた。だいたい、生ビールも頼んでいるのに、食いきれるはずがないのだ。食いきれないと私に回ってくる。カツ丼のあとのクファジューシーのせいで、私はかなりの満腹になってしまった。思えばこれが、暴飲暴食週間のスタートであった。

 きれいになった空港には立派なテナントがたくさん入っていて、ささやかながらちゃんとした本屋もあるというのがうれしい。食い過ぎで重い腹を抱えつつハワイで読む本を探しに物色していたら、90年代を代表するSF作家グレッグ・イーガンの「順列都市」上下巻があったので迷わず購入した。

 搭乗ゲートまで行くと、時間が早いためかまばらにしか客はおらず、席にゆったり座って買ったばかりの本を読むことができた。そのまましばらく二人して本に没頭していたところ、ふと周囲を見渡せばいつの間にやってきたのか制服の団体がそこらじゅうでギャーギャーしゃべっているではないか。本土へ帰る修学旅行生である。どうしてこう、奴らは集団になるとうるさいのだろう。うるさくしていいところと控えるべきところ、という区別をする能力がないに違いない。

 普段片田舎に住んでいると、このような人混みに遭ったときは途端に目を血走らせてしまうのだが、落ち着いて考えると、大勢いるにもかかわらずシーンと静まり返っている高校生、というのはかえって不気味かもしれない。

 幸いなことに、チェックインが早かったので2階席に座ることができ、そのため階下の喧噪は、耳栓をすればはるか3万光年彼方の存在になった。昨晩なかなか寝付けず寝不足気味だったため、離陸後、あっという間にまどろみに入り、気がついたら羽田に着いていた。

ちょっと豪華にプリンスホテル

 飛行機は予定どおり4時過ぎに着いた。田舎者の我々としてはラッシュ時の山手線に乗るのだけは避けたかったから、少し贅沢にリムジンバスを使って池袋を目指した。

 途中都会の眺めを車窓から見物しよう、と思っていたのに、東京は5時過ぎにはすっかり闇に包まれてしまっていた。首都高を走るバスから見えるものといえば、色とりどりのネオンと、残業中のサラリーマンだけだ。沖縄ならまだみんな丸の最終便が到着していないほどの夕方なのに。日本列島を東へほんの少し移動するだけでこんなに違うのだ。

 ただでさえ思考が内にこもりがちな冬で、日没がこんなに早いとくれば、思い詰めた人はとことん思い詰めるだろうなぁ。ウィンタータイムと称して午後3時を午後7時くらいにすれば、電車に飛び込む人は少なくなるんじゃないだろうか。

 そんなバカなことを考えていたら池袋に着いた。停車駅はプリンスホテルである。今回は旅行社のホテル付きチケットを買ったので、うちの奥さんの実家がある埼玉に行く前に、なんと池袋プリンスホテルに2泊するのである。翌日の晩は学生時代の友人たちと池袋で飲むことになっていたので、埼玉から出向くよりはこのほうが便利だし、それに東京から行く沖縄2泊3日の料金よりははるかに高いけれどそれでも定価の航空運賃よりは断然安い。と、様々なエクスキューズを付け足してつかの間の贅沢を味わうのであった。大蔵大臣がノリノリだからとっても安心である。

 チェックインをすますと、31階の部屋に案内された。窓からは百万ドルの夜景……だったらいいんだけど、せいぜい百ドルくらいかなあ。だって新宿側の部屋だったらともかく、板橋区しか見えないんだもの。

 とりあえずひとっ風呂あびて旅の垢を落とし、いや、この場合アーバンライフを過ごす我々としてはなんと言えばいいのだろう。う〜む、わからん。とにかくシャワーを浴びたあと、晩飯をどこで食おうかね、ということになった。その時ふとテーブルの上を見やると、

 「ご宿泊のお客様への特典」

 という安っぽいチラシがあった。隣の建物であるサンシャイン60の、59階にあるフランス料理屋の割引券である。

 「贅沢ついでにフランス料理でも食うかぁ」と訊ねると、うちの奥さんも、

 「じゃあ夜景を見ながらフランス料理&ワインとシャレこもう」とノリノリだ。

 価格的にはノリノリ大蔵大臣の許容範囲だったとはいえ、こういう場合の我々は、アメリカの二大政党制が過去に戦争を回避できたためしがないのと同様、二人の意見はまったく一緒になってまっしぐらに誘惑に突き進んでしまうのであった。

水曜会って何?

 59階でエレベーターを降り、胃袋を完全にワイン待機状態にしていそいそと目あてのレストランに向かった。フロアを歩いている人はなんだか年輩の方が多く、しかも皆着飾っている。サンシャイン60はプリンスホテルからだと外へ出なくてもいいから、上着すら着ずにジーパン姿でやってきた我々は、テヘラン市内をビキニ姿で歩く女性のように非常に浮いていた。

 やがて店についた。入り口手前の「本日のお客様」というボードを見ると、

 「水曜会」

 という文字が厳かに書かれてあった。なんだか急にイヤな予感がしてきた。勇をふるって入り口まで行くと、すかさずC−3POのような係りの男性が来て、

 「本日は当○○のシェフの新作の発表会で、メニューはその一種類だけとなっておりまして……で、ただいまあいにく満席で、お食事でしたら隣の●●のほうでもご用意できますが……」

 というような意味のことをくどくどと述べ立てた。目はしっかり我々の顔をとらえていたが、C-3POの頭の中の映像は、我々の頭の先からつま先までつぶさに観察していたことだろう。つまりこれを意訳すると、

 「ハイハイハイ、さあ、小汚いお二人さんはもっと違うところに行きましょうねぇ、直ちに思い直しましょうねぇ、速やかに帰りましょうねぇ」

 ということだ。それならそれで、スカシ入りの立派なチラシをホテルに置いておけ!と言いたいところではあったが、たしかにおっしゃるとおりでございます、という雰囲気だったので我々はすごすごと引き返したのであった。水曜会ってつまりハイソサエティな方々のお集まりだったのだ。イスラム原理主義者の気持ちがちょっとだけわかった(ウソ)。

 さて、ハラは空いている。かといってまたホテルの部屋まで上着を取りに行くのも面倒だ。結局アルパの3階なら何かあるだろう、ということになった。アルパなら外に出なくてすむのだ。

分相応?

 たしか昔はカフェ・ラ・ミルがあったところに、イタリア料理というか地中海料理というか、とにかくそんな店があったのでそこに入った。すると今度はR2-D2が出てきて「本日は……」

 となるわけはない。で、胃袋の望みどおりワインをグビグビやりつつどしどし注文しガシガシ食ったのであった。当然ながら、我々庶民はこういうところで食ったほうが落ち着くから、思う存分おいしく食えた。きっと先のレストランで食っていたら味わうどころじゃなかったろう。とはいえ、このような大衆飲み屋で、たった二人で1万5千円も使ってどうするんだ。さすがのノリノリ大蔵大臣もレジでびっくり仰天していた。これだったらフランス料理をシャナリシャナリと食ってたほうが安かったんじゃないか。

 さて、かなり満腹になってかなり酔っぱらったけど、夜景を見ながら部屋で一杯、というのも捨てがたかったので、よしゃあいいのにさらにワインを一本買ってしまった。そうして望みを果たしたころにはすっかり酔っぱらっていた。無意識のうちにベッドに倒れ込み、半ば気絶するかのようになんだか長い一日に別れを告げたのであった。

12月2日(木)へ