1・プロローグ

 往復29万8千光年の旅を終え、ついに地球に帰ってきた宇宙戦艦の乗組員たちは、まさかその1年後にさらなる危機に見舞われようなどとは夢にも思っていなかったことだろう。

 昨年、石垣島で42.195キロのフルマラソンを死ぬ思いで「完走」した僕もまた、まさかその1年後に再び走る羽目になるとは想像だにしていなかった。

 喉元過ぎれば熱さを忘れる

 という言葉がある。
 広辞苑にいわく、

 苦しかったことも、過ぎ去れば全く忘れることのたとえ。

 とある。
 たしかに、あのガミラスとの戦いも、遠く過ぎ去った今となっては歴史の1ページに過ぎない。

 でも僕は、けっして「全く忘れ」てはいなかった。
 一生に一度は…という目標で臨んだフルマラソンである。そして一応は「完走」という結果で終わって目標を達成したのである。
 その苦しかった日々の記憶を、どうして忘れ去ることができようか。

 しかし!!

 ここに一人、あっという間に喉元を通過させ、一瞬のうちに容量の少ないメモリーから記憶がオーバーフローしてしまった人がいる。
 ほかでもない、うちの奥さんだ。

 いわく、

 「途中歩くことなく、本当の意味で完走したい!!」

 新たな目標を設定してしまった……。
 だったらだったで、石垣に行くこと自体に否やはない僕である。彼女には勝手に走ってもらい、僕はビールでも飲みながら呑気に応援していよう……

 ……と最初は思っていたのだけれど。
 でもそれじゃあ、その後の宴席が個人的につまんなくなるかも。

 というわけで、僕はただただ、宴席のためだけに走ることにした。とはいえさすがにフルは懲り懲りだったので、10キロに……したいところ、楽すぎても楽しくなさそうなので、とりあえずハーフってことで。

 一方。
 昨年の、そして今回に向けて準備段階に入ったうちの奥さんの話が、10月にお越しになったあるゲストの心を捉えた。

 ごっくん隊隊長である。
 彼は知る人ぞ知る、口笛の銘酒……じゃなかった、名手だ。クロワッサンのゆんたく時でも、酒が進むと突如披露されるから、同席したことがある方はたいていご存知のはず。
 ただ、それはいつも隊長が酔いつぶれる半歩前の段階なので、ほとんどの方が、口笛はすごいと思いつつ、彼のことを単なる酔っ払いとしか見ていないかもしれない。

 が。
 彼の口笛えに取り組む姿勢はまことにもって真摯なもので、その腕前も、全国口笛大会で決勝に進むほどに本格的なのだ。
 その口笛の鍛錬のために、隊長は普段からランニングをしている。
 音量その他が肺活量にも左右されることもあって、心肺能力を高めるためにも、有酸素運動はとても有効なのだそうだ。

 でもどうせ走るんだったら、何か一つ目標がほしい……。

 うちの奥さんの話をきっかけにふとそう思い始めた隊長は、ついに意を決した。
 石垣島マラソン大会に参加しよう!!

 もちろんフルである。
 学生時代からずっとサッカー選手の隊長だから、フツーの勤め人よりは遥かにもともとの体力がある。でもだからといって、はたして短期間の準備でフルマラソン完走は果たせるのか!?

 というわけで、今回は我々夫婦のほかに、ごっくん隊隊長もメンバーに加わることになったのだった。

 そう決まったのが昨年11月のこと。
 シーズン中にランニングの練習時間を取れないというハンディはあるものの、シーズンオフ突入と同時に始まったうちの奥さんのトレーニングは、昨年の経験をふまえていることもあって順調に進んでいた。

 昨年足りなかった部分、特に下半身の筋力強化に重点を置いたヘンテコ体操をマジメにコツコツ積み重ねる。そして長距離走の練習にはとてつもなく不向きな小さな島の中で、雨にも負けず風にも負けず、ひたすら走り続けていた。

 昨年同様本部合宿もおこなった。
 大会の1ヶ月くらい前に本番の7割〜7割5分くらいの距離を一度走っておくと良い、というベテランランナー・ギンちゃんのアドバイスどおり、うちの奥さんは本部〜名護路を4時間ちょいかけて激走。
 そして彼女はついに思い出した。

 「そういえば、フルマラソンの辛さってこんな感じだった…」

 30キロを過ぎて初めて、前回の辛さを思い出したらしい……。

 走らなくても覚えている僕はといえば、シーズン中に肥え太った体を元に戻さなければならなかったものの、なにしろハーフなので練習もハーフ。昨年に比べればプレッシャーもハーフなのはいうまでもない。
 本部合宿でも、ハーフの7割といえば14〜5キロほど。すでにオフに突入してふた月弱ほど経っていたから、あくまでも軽いジョギングで済んだ。

 一方。
 我々がギンちゃんからいただいたアドバイスはそのまま隊長にも伝えてあった。しかしオフの我々とは違ってマットウに勤めている隊長である。気ままにランニングの練習ができるわけではない。
 それでも彼は、忙しい合間を縫ってコツコツとトレーニングを重ね、年末には一度30キロほどを走りきったという。
 隊長は本気なのだ。

 ところが。
 正月休み中にふとしたことから発熱。
 この時期に練習が途絶えることの不安は僕にもよくわかる。隊長も、逸る気持ちを抑えかね、風邪が治りかけの状態で走ってみたところ、再び発熱。
 年末年始の酒と日々の練習とで、体が疲弊しきっていたに違いない。

 はたして隊長の体調は??

 そして、時は流れた………。