14・ドン・トマシーノの屋敷

 この日のゴッドファーザーロケ地めぐり、僕としてはもう、ここまでで充分なくらいに大満足の時間を過ごしていた。

 が。
 この日のメインイベントは、実はこの後に待ち構えていたのだ。

 シチリアクラブのヒロセさんにこのツアーを申し込んだ際には、もし予算的なことや時間的なことで制限があるのなら、他は飛ばしてもここだけは是非立ち寄ったほうがいいと言ってくださっていた場所でもある。

 その名を「デリ・スキアヴィ城」という。
 その名を聞いただけでそれが何なのかわかった方は、よほどのマニアといわざるを得ない。

 しかし、聞いただけではわからずとも、その姿をひと目見れば、ゴッドファーザー・ファンならすぐさまわかるはず。
 デリ・スキアヴィ城とは…………

 ここだ!!


撮影:ヒロセさん

 もうおわかりですね?
 そう、ゴッドファーザー3部作全作品を通じて、ドン・トマシーノの屋敷として出てくる邸宅。
 1作目では、マイケル@アル・パチーノの滞在先として(アポロニアが車の練習をしていたのも、爆殺されたのもここの庭)、2作目では若き日のビトー@ロバート・デ・ニーロがアメリカでの成功後に訪れ、3作目では再びマイケルがドン・トマシーノを訪ね、最後の最後、誰に看取られることなく静かに息を引き取る場所が、ここデリ・スキアヴィ城だ。


ゴッドファーザーPartVより

 お城。
 そう、この屋敷は、実際は18世紀に有名な建築家の手によって建てられたお城だったのである。
 しかも、撮影当時も今も個人宅だという。

 なんと現オーナーは、18世紀にこのお城を建てた貴族の末裔だそうで、名をフランコさんという。
 ヒロセさんがオススメしてくださった際には、「オーナーの方はお話好きですので、それがいやじゃなければ是非」ということだった。
 僕もけっして嫌いなほうじゃないから、こちらこそ是非是非。

 というわけでやってきましたデリ・スキアヴィ城。
 到着すると、いきなり門の前で手を振っての歓待。
 しかも、門の開閉をフランコ氏自らの手で!

 ……いや、自宅なんだから自分でやるのは当然といえば当然ながら、貴族と聞くともっとお高くとまっているのかと思うじゃないですか。

 で、夢にまで見たドン・トマシーノの屋敷に到着。
 ここから……

 フランコ劇場の始まり始まり〜〜!!

 というのも、僕はてっきりしばらくは好きなように写真を撮っていて的な時間になるのかと思っていたところ、フランコ氏は予想を上回る大ハッスルぶり。

 「ここから撮ったらバッチシだ!」

 「うん、私に任せて!」

 などと言いながら、次々に写真を撮る位置を指示しつつ、僕のカメラを受け取ってはパシパシ我々を撮ってくれるのである。

 だからこういう写真も、


「フラヴィツィオ、アポロニアは?」
ゴッドファーザーより

 こういう写真も、


Frabizio,dove vai?」ゴッドファーザーより

 そしてこういう写真も、


マイケルに呼び止められ、気まずそうに振り
向きつつ逃げ去るフラヴィツィオ
ゴッドファーザーより

 すべて熱烈フランコ氏撮影。
 そして、このシーンまで撮ってくれた。


マイケルの最期・ゴッドファーザーPartVより 

 わざわざ物置から椅子まで用意してくれて。
 でもこのマイケルの最期のシーンは、本当はこういうアングルなのである。


ゴッドファーザーPartVより

 子犬の他に誰もいない庭の片隅で、誰に看取られることもなく静かに息を引き取る……、っていう構図なのだ。
 だから、ここを訪れることができたなら、井戸を入れてこういうアングルでうちの奥さんに撮ってもらおうと僕は思っていたんだけど…………

 熱烈フランコ氏が僕のカメラでパシパシパシ。

 なのに構図は………。
 まだまだ甘いな、フランコ氏(笑)

 このあと、なんと屋内にも案内してくださった。
 さすがに18世紀に建てられたお城だけあって、城内には広大な地下室があり、フランコ氏の家系にまつわる肖像画やこのシチリア、そしてこの近辺の土地にまつわる絵画などが飾られていた。

 そんな地下室でも、ゴッドファーザーPartV撮影時にはロケが行われていたらしい。
 それも、コルレオーネ・ファミリー、すなわちアンドリーニ家のルーツに繋がるシーンだったそうで、非常に興味深いシーンながら、残念なことにそれらは全編カットされてしまっている。
 この場所がロケ地だったという話以前に、そういうエピソードを劇中で観たかったなぁ…。

 その後2階にも案内してくださった。
 ここの2階といえば、このシーン。


ゴッドファーザーPartVより

 この部屋に案内された早々、ここがどういう場所かわかるか?的な質問をフランコ氏がしてきたので、僕はすかさず、アル・パチーノが自分の首にナイフを当てるシーンの真似をして見せた。
 すると、

 「おお、君はわかっているじゃないか!」

 検定合格。
 ちなみに1作目でのアポロニアとの寝室は、実際のフランコ夫妻の寝室なのだそうだ。

 3作目の撮影から20年近く経って、調度類はもちろん多少異なっているものの、テーブルといい雰囲気といい、映画そのままのリビングに通された我々。
 そこでは、ふくよかなマンマが我々を迎えてくれた。

 コーヒーを飲ませてもらいつつ、ピスタチオたっぷりのご当地オリジナルお菓子などをいただきながら、ロケ当時の裏話その他、フランコ氏の熱弁をうかがった。

 だけでなく、このデリ・スキアヴィ城に絞って編集してあるゴッドファーザーシリーズ、という超マニアックなビデオや、ゴッドファーザーネタでここを訪れた日本のバラエティ番組のDVD、地元のテレビ局制作のテレビ番組の録画テープなどなど、これでもかといわんばかりの…………

 ……ようするに自慢話を聞かされたのだった。
 あらかじめお話好きと教えていただいていたとはいえ、その熱意というかサービス精神というか、デリ・スキアヴィ城とゴッドファーザーにまつわる話を語るその姿は、意味は違うけど文字どおり「口角泡を飛ばす」勢いで、最初にイタリア語で挨拶したのと、僕がゴッドファーザーの大ファンであることがすでにバレていることもあって、まさにロックオン状態のマンツーマンディフェンスに。

 英語にされてもイタリア語にされても、滝のごとく流れてくる言葉を即座に理解できるはずもないのに、おまけに熱烈フランコ氏は熱が入るとイタリア語と英語がごっちゃになる。
 僕は力強く頷くだけで、話の内容はさっぱり理解していなかったりするのだった。

 でも心配御無用。
 ちゃんとヒロセさんが通訳してくださるのだから。

 そんなこんなで、予想と期待を上回る歓待ぶりでもてなされた我々。
 そのおかげで、ここに至るもいまひとつピンと来ていなかった父ちゃんも、ここにいたってようやく、

 「あれ?ここで全部撮影してんの??」

 ようやく事態を理解してくれたのだった。
 でもひょっとすると、劇中すべてと勘違いしているかもしれない……。
 なにしろ父ちゃんは、ゴッドファーザーを一度も観たことがないというのだから。

 そんな人を無理矢理連れまわすなんてひどい!!

 いえいえ、この日の僕のあまりの感動ぶりに、父ちゃんは

 「帰ったら一度観てみようかなぁ」

 という気になってくれたのである。
 自分が行った場所がこんだけ出てくる映画を初めて観たら、さぞかし楽しんでもらえるに違いない。<そういう映画ではないような気が……。

 部屋を辞する際、ここで見送ってくださる奥様に、Masae工房のくらげ玉をプレゼントした。

 うちの奥さんが作った日本のとんぼ玉です。中にガラスのクラゲが入ってます。

 勉強した甲斐あって、ちゃんと(かどうかはわからないけど)イタリア語で紹介できるのだ。フッフッフ。

 すると奥様はとても喜んでくださって、我々が気がつかぬ間にすぐさま胸元にペンダント様にして身につけてくれていた。
 そんな彼女とうちの奥さんのツーショットを是非撮りたかったんだけど、僕のカメラは………

 「下からバルコニーにいる君たちを撮るから!!」

 と言いながら颯爽と出て行ったフランコ氏の手の中に。
 シチリア貴族の末裔は、最後の最後までフットワークの軽い、サービス精神旺盛な紳士なのであった。


撮影:フランコ氏

 ところで。
 お城を辞してしばらく経ってから、ふと思い当たったことがひとつ。

 この稿に載せているのは僕が一人で写っている写真ばかりだけど、その後には同じ場所で3人で撮ってくれている。
 そしてときおり、うちの奥さんと父ちゃんのツーショットもあったりする。
 でも。
 でも一度としてフランコ氏は、僕とうちの奥さんのツーショットは撮ろうともしなかった。

 また、サービスとしてこのお城に関連するいくつかの写真(なかにはコッポラ、デ・ニーロ、ニーノ・ロータのバルコニーでの3ショットもある)が印刷されているポストカードを宛名つきでくれるんだけど、僕にはわざわざ宛名つきのものを、そして宛名のないもう一枚を、父ちゃんに渡す………のかと思いきや、うちの奥さんに手渡すフランコ。

 これってもしかして……………
 もしかしてフランコ、父ちゃんとうちの奥さんが夫婦で、僕がその息子だと思ってんじゃね???

 そう考えるといろいろとツジツマの合うことが多い。
 帰路の車中でヒロセさんにうかがってみた。会話の端々にそういう勘違いは見られませんでしたか??

 「うーん、どうでしょう…………思い込みの激しい方ですからねぇ」

 たしかにヒロセさんには応えづらい質問だったことだろう。
 後日、こういう誤解を避けるために、自己紹介の際にはその関係も含めて説明することにした。
 すると別の運転手も、うちの奥さんのことを僕が
mia morie(私の妻)って紹介しようとすると、僕がmia…って言った瞬間に

 「madre?(母)」

 って言う始末。
 イタリア人には、父ちゃんが若く見えるのか、僕が人一倍幼く見えるのか。
 いや。
 きれいに着飾り美しくお化粧をし、美白だシミ抜きだと余念のない方ばかりの一般的な日本人観光客女性に比べると、きっとうちの奥さんは僕の母に見えるほどだったに違いない。
 会話は全面的に僕に任せて無口になっていたし………。
 いずれにしても、

 「ララァは私の母になるかもしれない女性だったんだぞ!」

 「お母さん!?」

 というわけのわからないセリフで終わってしまった「逆襲のシャア」を思い出してしまうのだった。<意味不明。

 メインイベントのデリ・スキアヴィ城を後にし、我々は次なるロケ地を目指した。
 マニアックなロケ地めぐりはまだまだ続く。