28・パレルモ

 待ち合わせ場所の駐車場には、時刻どおりにレナートが待ってくれていた。
 この先また2時間ばかりドライブすることになるから、近くの売店で用を足すことに。

 日本でのように、気軽にコンビニに寄ってトイレだけ借りる、というわけにはいかない。
 考えてみれば当然の話で、トイレひとつとっても、水道代、清掃費その他、その維持はけっしてタダで済むものではないのだから。

 そのためこういう観光地のトイレには、首からネームプレートを提げた係員がいて、スルドイ(?)マナザシで利用者をチェックしている。
 売店もしくはバールの客であれば、どうぞご自由にご利用ください、そうじゃないお客さんは、お志を…。

 というのがこの社会のルールということは知っていた。
 そしてその寸志は、50チェンテージミというのが相場だという。
 そういうこともあって、旅行中小銭は欠かせないアイテムのひとつなのである。
 幸いすでに旅行3日目ともなれば小銭の確保は万全。<ただし買い物、支払いをしているのは僕だけなので、こういう時にはいちいち各自に小銭を手渡さねばならない。

 さあて、準備はOK。レナート、出発しよう!!

 「アリベデールチ、アグリジェント!!」

 レナートのベンツ・ワゴンは発進した。
 目指すは………

 パレルモ!!

 第2次世界大戦当時の1943年7月10日、すでに北アフリカで勝利を得ていた連合軍は、イタリア本土侵攻前にシチリアへの上陸作戦を開始。モントゴメリー大将の英第8軍はシラクサ付近に上陸してメッシーナを目指した。
 一方パットン将軍の米第7軍は、アグリジェントの少し南東にあるジェーラに上陸。モントゴメリー将軍を側面から援護しつつ目指した先こそが………

 パレルモだ。
 つまり、パットン第7軍が通ったジェーラからパレルモへの道のりは、ほんの少し違うにしろ、この日この時我々が通っているルートとほとんど変わらないに違いない。
 こういう風景のさなかで戦闘をしながら、彼らはパレルモを目指していたのだ。

 このあたりで羊や牛を飼っている酪農家や小麦を作っている農家がどう思っていたのかは知らないけれど、少なくともシチリアのマフィアは完全に反ファシスト政権だったという。
 彼らがアメリカ軍に呼応したことにより、イタリア軍が担当していたシチリア西部の戦線は崩壊。

 それもあって、パットン第7軍は破竹の勢いでパレルモへ進撃。華を持たせるという政治的配慮で近道だったモントゴメリー英第7軍よりも早く、メッシーナに到達したのだった。

 そんな道を進む我々。
 さらに時を遡れば、このアグリジェントからパレルモへと至る道は、古のローマ街道のルートそのままと思われる。
 さすがに後部座席の二人は眠そうにしていたものの、僕にはそういう感慨があったので、寝ている場合ではなかった。

 そしてほかにも。
 パラッツォ・アドリアーナはこの辺だったような……と思ってレナートに訊いてみると、彼はそこへ行く道の分岐点を教えてくれた。

 パラッツォ・アドリアーナ。
 そう、あの名作「ニュー・シネマ・パラダイス」のロケ地だ。
 あの映画館が建っていた広場があるところ。

 劇中では架空の街だったものの、ロケ地となった町の広場はほぼあの状態(セットだった映画館はもちろんない)のままという。
 パレルモへの帰り道にそこにも寄る、というコースもあったので、行ってみたい方は是非どうぞ。

 ちなみに、旅行前に観たテレビ番組では、このパラッツォ・アドリアーナを紹介していて、そこにはあの人が住んでいた。
 そう、主人公の少年時代を天使のような演技で魅せてくれたあの少年!!
 ……が、すっかり大人になって、人生で最大に輝いた日々を振り返っていた(って、まだ若いです)。

 ところでこの道中、ずっとレナートと拙いイタリア語とさらに拙い英語を交えて会話しているんだけど、なんでイタリア語を覚えたの?と訊かれた。
 もちろん

 美味しいものを食べたかったから!

 と応えたんだけど、やはり、英語は堪能でも、わざわざイタリア語を覚えて観光に来る日本人客はそれほど多くはないのだろう。これまでもこの先も、イタリア語でほんの少し話すだけで、たいそう驚かれたり褒められたりして、僕としては随分心地が良かったりした。

 ただ、この道中は上辺だけの褒め言葉ではすまなかった。
 なにしろ前後合わせて4時間ほどのドライブである。会話の時間が長くなる分、レナートのイタリア語指導はだんだん微に入りだして、ついには巻き舌のRではなく、Lの発音を厳しくチェックしてくれるようになった。

 イタリア語にはmoltという言葉がある。
 英語で言うならveryとかmuchに相当するような意味で、普段の会話でとてもよく使われる(それこそ
molt)。

 僕も会話の端々にモルト、モルトと言っていたのだけど、ドライブも終盤に差し掛かった頃、レナートがワンランク上のイタリア語教室を始めてくれた。

 「moltをモトというと、イタリア語ではmortoになってしまうから注意しなければいけないよ。Mortoは死んじゃいましたって意味。全然違う意味になるから、大変だ!」

 冗談交じりにそう教えてくれるレナート。
 ではどう発音すればいいの??

 「モゥト!」

 なるほど、アメリカ英語のように、Lは小さいゥくらいの発音になるのか!!

 タコはタコで、僕はずっとpolpoをポルポと覚えていたのに、これまた違うらしく、

 「ポリポ!」

 イタリア語ではそう言うのだ、とレナートは語った。
 このへんで、わかった人はわかったことだろう。
 しかし僕は、わかるまでにあと数日を要する。

 というわけで僕は、なるほど、本やCDで学ぶよりは、やっぱ現地だよなぁ、という意を強くしたのだった。

 そうこうするうちに、峠を越えている間は牧歌的な風景が続いていた車窓は、いつしか建物が増え始めた。
 いよいよ………パレルモだ。

 タオルミーナも街とはいえ、古風で素朴な街並みだったのに比べると、パレルモの郊外は現代の「街」だった。
 都会だ。
 なにしろシチリア州の州都である。約70万人もの人たちが暮らす大都会なのだ。

 この先の旅程では、もう牧歌的な風景を観ることはない。
 これからは「街」を楽しむことになる。

 ところでレナート、あなたはどこに住んでいるの?と問うと、タオルミーナだという。
 ってことは、これからまたタオルミーナまで、4時間もかけて帰るの??
 なんだか申し訳ない。

 そういうと彼は、

 「いやいや、これが僕の仕事なのだから、何のモンダイもない。」

 さすがプロドライバー。
 聞けば、場合によっては12時間くらい走らせる日もあるという。九州よりやや小さいくらいのシチリアを、隅から隅まで駆け巡ることもあるそうだ。

 彼の仕事だけではなく、我々の仕事についても話した。
 水納島が写っているポストカードをプレゼントしつつ、ここに住んでいるんだよ、とも。

 すると、10人中9人がそうするように、彼も「何人くらい住んでいるの?」と尋ねてきた。
 ややこしい話は抜きにして「50人」と応えると、とても信じられなかったらしい。
 僕がイタリア語でチンクワンタと言ったのが500人のいい間違えなのではないかと思ったのであろう彼が、「英語で言ってみて」と言う。
 なので、

 フィフティ

 そう言うと、彼は島の航空写真を見つつ、信じられない世界を見るような反応をするのだった。
 僕らがシチリアに来てこれまでさんざん思い続けているのと同じように、この時の彼も思ったことだろう。

 「世界は広い……」

 ホテルには、午後5時過ぎに到着した。

 最後に記念写真。


少し強引な停め方をしていたので、
通りかかる車が気がかりなレナート。

 レナート、モゥト グラッツェ!!

 Moltoのところで、レナートが一緒にハモッてくれたのは言うまでもない。
 レナート、ホントにありがとう!!
 
Alla prossima!!

 パレルモでのホテルは、ポリテアマ劇場すぐ近くのグランド・ガリバルディだ。

 観光的には旧市街のど真ん中にあるホテルのほうが便利なんだろうけど、なにぶん夜ともなれば治安の悪さが取り沙汰されるパレルモ旧市街のこと、右も左もわからない我々だから、一応用心して新市街に位置するホテルを選んでいた。

 2008年オープンというホテルの内装は新しく、アメリカンタイプということもあって、ヴィラ・ディオドーロとは違い、日本人の我々にはタオルその他のアメニティは使い慣れたもの。
 ただし、部屋の配置もまたディオドーロとは違い、広い一室に3人分のベッド。

 オプションの3台目の位置が、親に脚を向けて寝る状態になっていはするものの、うまい具合に組み合わされたソファが間仕切りになっていた。

 湯、キーその他のチェックを済ませ、荷物を解きはじめるやいなや、テレビをつけようとする父ちゃん。
 テレビをつければNHKの武田アナウンサーが出てくるわけではなし、水戸黄門が始まるはずもなし。
 それでも、たとえそこで話されている言語など微塵もわからずとも、とりあえず現代社会の高齢者には、テレビが欠かせないのである。

 浴室はシャワーブースが浴槽とは別に設けられているほど広く、その浴槽は、なんとジャグジーつき!!

 パレルモでは歩き倒すつもりでいたので、なんともうれしい。
 ところで、便器の横に並んでいるもの。
 こっちのホテルではこれがスタンダードらしいんだけど、初ヨーロッパ旅行の我々が、その正体を知るはずはない。

 まさかこれがビデだったとは!!
 ホテルには設置が義務付けられているらしい……。
 帰国後やっと知った私。
 どう使うのかはいまだにナゾだけど………。

 正体がわからないから未使用で終わったものの、てっきり小便器だと勘違いした父ちゃんが、ここで小便をしている可能性は120パーセントと思われる………。

 とりあえず落ち着いたので、ホテル近辺の地理の把握とミネラルウォーターをゲットすべく、荷物を解きほぐしている二人を残し、このあと僕は一人で街に出てみることにした。

 今宵の夕食は、神殿の谷にいる間に予約をしてあったものの(前日初めての電話予約をクリアしたので、もう余裕綽々♪)、ホテル周辺の地理を実際に確認しておくためにも、添乗員としては日が沈む前の明るいうちの散歩は必要だ。

 ホテルを出た。
 銀座のように重々しくもエレガントな建物がずらりと並ぶパレルモの街には、タオルミーナでは考えられないくらいに人がいる。

 そんなパレルモの街に…………

 立っている俺!!!

 子供の頃の僕にとって、そこへ至る遥かな道のりは、木星の衛星イオへ行くのとほとんど変わらぬほどに遠い街だったパレルモに………

 今ワタシは立っています………。

 ……かなり感動。
 ついに僕は、パレルモまで来たのだ。


日没後のホテルの部屋のテラスからの眺め。
道の先、500mほどのところにパレルモ港がある。