32・メルカート・バッラロ編

 イタリアでは、そうそう凶悪犯罪は発生しない。
 かわりに、スリやひったくりはやたらと多いという。
 ネット上では、実際に被害に遭ったという方の報告も予想外に多く、危ないところだった、という話も数多い。そんな話だけ見聞きすると、イタリアって…

 なんてデンジャラスなところなんだ!!

 誰もが思うことだろう。
 まぁそうはいっても、安全な日本にいるのと同じようにしてしまっている人たちがそういう目に遭っているのだろう……

 …と思っていたら。
 なんと、掲示板でもお馴染みのえび屋―Mさんから、その昔家族でローマに行った際、ジプシーの子供たちに囲まれ、あわやバッグを掻っ攫われる目に遭いかけたのでご注意を、というメールをいただいた。

 ホントにあるんだ……。

 世界的リゾート地のタオルミーナは、さすがにそういった治安の面では安心の世界で、こじんまりとしてエレガントな街並み同様、そのあたりのリスクはほとんどない場所だった。

 が、パレルモは違う。
 なにしろ州都である。観光地である前に、普通の都会なのだ。
 しかもそれが旧市街、すなわち経済的にはけっして恵まれてはいない人々が暮らす地域ともなれば、日常的にスリ集団や引ったくり常習犯が活動しているといっても過言ではないらしい。

 それはある意味、彼らにとってはサバイバル社会で貧者が生き抜いていくための方便であるとはいえ、観光客としては避けねばならないトラブルだ。
 また、避けようという意思さえあれば避けられるはず。

 そんなデンジャラスなパレルモで、人で賑わう市場は最も危険度の高い場所のひとつという。
 ガイドブック等には「スリに気をつけてください」と書かれてあることもある。

 なかでもバッラロ市場は、貧しい生活を強いられている人々が暮らす地域にグーンと近いこともあって、危険度が高いようなことが書かれてあることもある。

 シチリアはおろかイタリア、いやいや、ヨーロッパ旅行自体が初めての我々がそんなところに行ったら、飛んで火に入る夏の虫ではなかろうか……。

 そこで!!

 ワタクシのスリ防止対策。

 

 最近のホテルは部屋ごとに設置してあるセキュリティボックスの機能が向上していて(フロントにはないらしい)、パスポートなどはそこへ(4つ星クラスなら信用していいらしい)。
 財布のうち、通常使う財布は、チェーンをつけて前ポッケに。
 クレジットカードや大きな札を入れた財布は、チェーンをつけてセーターの下のシャツの胸ポケットに。
 そして携帯電話は、パスポート用に買った貴重品入れに入れて首からぶら下げてシャツの下に。

 すべて100均で買い揃えたもので、実はチェーンのほうが高かったりする……。

 でも、モノは100均でもほぼ完全装備に身を固めたおかげで、ここまでのところはまったく無害。周囲半径5m以内には怪しい人影はない。

 一方、日本で70余年も生きてきた父ちゃんなんて、大金を持ったままそんなところに行こうものなら、サバンナのライオンの群れの中に放たれたトイプードルのようなものであることは火を見るよりも明らか。
 なので、散歩中はまったく何も持たないでいてもらった。

 うちの奥さんは、貴重品が一切入っていないディバッグ(買い物用に)だけ。

 こうして最低限の対策をとったうえで………

 やってきましたバッラロ市場!!
 おおー、にぎやか!!
 店舗が出ている道には人だらけ!!
 しかも、そこらじゅうから威勢のいい声が。

 子供の頃、母親に連れられて歩いた八百屋や魚屋、肉屋っていったら、こんな感じだったよなぁ………なんか懐かしい。

 懐かしい市場の店舗がまた、同じような品揃えの店が何店舗もあって、それがやはり牧志公設市場みたい。

 肉屋さんなんて、ホントに沖縄ですぜ。


店先ででっかい俎板の上に肉をドンと置き、テキパキさばく。


テビチが三つ指揃えてご挨拶。


ぶら下がっている肉はもちろんヒージャー!!(ヤギ)


中身ももちろんこのとおり!!

 以上、それぞれ異なる店での写真。
 上の中身を撮らせてもらったとき、「撮っていいですか?」というと、店の奥から「もちろんいいよ!」と言ってくれた後、

 「写真一枚5ユーロね!!」

 と言われた。
 へ?………マジ??

 フリーズしていると……

 「冗談だよ、冗談!!ハッハッハー!!」

 くそー、そういえば僕も島で、シャッターを押すのを観光客に頼まれた時によく言うジョークじゃないか!!

 やられた……。

 このほか、皮を剥がれたヤギの頭部が何個かポコポコ並んでいたりと、見れば見るほど公設市場チック(公設市場には豚の顔の皮はあってもヤギの顔はないと思うけど)。
 またこういう具合に、ソーセージがブラリと垂れ下がっている。

 これがまた美味そうで美味そうで……。
 そしてこちらはオリーブやアンチョビーを売っているお店。

 ここで買ったアンチョビーの美味いこと美味いこと……。
 アンチョビーといえば塩の味しかしないものだとばかり思っていたら、本場のものはちゃんと魚の旨味が滲み出てくるのですね……。
 もっと買い込めばよかった…。


ここでもまた、中に呼び入れてもらった。

 だんだんテンションが上がってくるオタマサ。
 言っておくけど、店の方との会話も買い物もやり取りはすべて僕がやっているのであって、うちの奥さんはただそこにいて驚いたり笑ったりしているだけ。

 しかしその効果なのかこの店では、よりどりみどりのハムやチーズを眺めていたら(肝心のチーズが写ってない……)、わざわざハムを棚から取り出して、スライスしてから試食させてくれた。
 これがまた………美味いのなんの。

 あまりに美味いので買うことにした。
 その際、うっかり10ユーロ札を出してしまったせいか、そのうえさらにチーズまで試食させてくれたり、さらにさらに……と、留まるところを知らぬ勢いになりそうだった。
 10ユーロ分なら買ってくれるかも…って思わせてしまったのだろう。
 いや、たしかに美味しいから買いたいのは山々ながら、まだこの先歩かなきゃならないからなぁ。

 にしても、たっぷりのハムとチーズ少しを買って、5ユーロしないんですぜ。
 安すぎ……。

 鮮魚店には、さらに垂涎の食材が並んでいた。

 うちの奥さんが指差しているのは、シャコ!!

 この場でピチピチ動いていた。
 ああ、茹でて食べたい…………。

 さらに!!


ここでもやはり、こっちに入っておいでって言ってくれた。

 この綺羅星のごとく並ぶ魚たちの中に、大注目のアイテムが。
 そう、ネオナータ!!

 鰯の稚魚だ。
 これを……これを………生で食べたいッ!!
 ついに血迷ったうちの奥さんは、眼をキラキラさせながら言うのだった。

 「ねぇ!!今晩はここで食材買って部屋で食べない??」

 へ??
 いや、そりゃ生シラスは食べてみたいけど………部屋で??

 もちろん、毎日外食だと父ちゃんも疲れるだろうから、疲労が見られるようだったら部屋食でもいいか、と考えてはいた。
 でも……でも!!

 ここは食の都ですぜ?
 美味しいリストランテやトラットリアが建ち並ぶパレルモですぜ??

 そこでたった3泊しかできないというのに……部屋食?

 …というか、このパレルモではどの店で食べるか、という重大事について、日夜調査に勤しんでいた僕のこのオフの時間は??

 完全脳内白地図状態でありながら、本能的欲望の赴くままに、人がどれほどの労力をかけてこの地に臨んでいるかということなど微塵も斟酌することなく、すでに彼女の中では、

 「今夜は部屋でネオナータ♪」

 になっていたのだった。
 もはや抗う術はなし。

 「でも、今買ったら傷んじゃうから、あとでまた買いに来なきゃね」

 予定まで立てていた………。

 その他市場には、どうやって食べるのだろう?って思ってしまう魚もいた。

 こっちでもウツボを食べるんだ……。
 この魚、イタリア語でなんていうの?って店のニィニィたちに訊ねたらちゃんと教えてくれたんだけど(二人がかりで)、すまぬ、発音が難しくてまったく覚えていない。
 フサカサゴのようなカサゴは、とても小さい。
 ウツボにしろカサゴにしろ、どうやって食べるの??

 「アックァ ブロード!!」

 それってたしか、スープって意味だよね。
 あ、なるほど、アクアパッツァみたいにして食べるのかな?
 たしかにカサゴのアクアパッツァって美味そう………。

 海幸以外にも要注目の生き物がいた。

 さてこのオジサン、ニコニコといたずらっ子っぽい笑みを湛えながら、うちの奥さんにいったい何を見せているでしょう??

 答えはこれ。

 カタツムリ〜〜〜♪
 もちろん生きてます。というか、脱走しているものがそこかしこに。
 店のオジサンは、かぶせてあった布を取ったらカタツムリが出来てきた!!………キャー!!
 ってな黄色い声をうちの奥さんに期待していたのだろう。
 すみません、彼女には超ツボのアイテムなんです。

 「なんだよ、もっと怖がるかと思ったのに!!」

 みたいなことを笑いながら言って、オジサンは去っていった。

 いやはや、ここバッラロ市場は面白い。
 店ごとに掛け声合戦みたいなことに興じているかのようで、あっちで大声、こっちで大声。
 それがまたハリのある市場の人らしいいい声で、リズムに乗ってるものだから聞いていて楽しいったらない。

 3分で飽きるはずだった父ちゃんも、昔懐かしい活気溢れる露店市場の様子にすっかりご満悦で、店同士で張り合う掛け声に聞き入っていたのだった。

 この日のパレルモは雨がぱらつくあいにくの天気だったけれれど…………

 シチリアの結論その2
 パレルモには地上にも太陽がある!

 我々はここですでにいくつか買い求めていたから、手には地元買い物客と同じ袋が。
 その姿はここではいささか奇異に映るのか、店の人たちに不思議そうに見られていた。
 でも市場にいる人たちは誰も彼も楽しげ。
 市場という空間に最も必要なものがそれだろう。

 ちなみに。
 何度か沖縄を訪れている父ちゃんは、いまだに牧志公設市場を訪れたことがない。
 そこを訪れずにいきなりここ??
 それって、サザナミヤッコもタテキンもロクセンヤッコも知らないまま、最初にアデヤッコを観てしまう初心者ダイバーと同じ………。

 那覇の牧志公設市場を知っている僕たちは、住民の避難が完了したサイド7の瓦礫で、偶然出会ったブロンドの女を見たシャア少佐が思わずつぶやいたときと同様、先のヴッチリア市場やバッラロ市場を見て思ったものだった。

 「似ている………」


ご存知牧志公設市場。かつてはこの市場も、青空市場から始まった。
同じ品物を扱う店舗がズラリと並ぶ様子といい、雰囲気そっくり!!

 が、決定的に異なる点がひとつ。
 パレルモの市場で働く人には…………

 若い人が多い。
 それはもう、圧倒的に。


地元客が断然多いバッラロ市場。牧志公設市場とは違い、
生鮮食料品店で働いている人は、ほとんど男性だった。

 日本がアメリカ型消費社会に変わっていく中で、さらに生産者が行う直売店の台頭ということもあり、那覇における公設市場の役割は、すでにほぼ観光客向けにシフトしている。
 訪れればいつも変わらず活気に溢れてはいるものの、沖縄の若い人たちがこぞって就く職場では…今のところない。

 ところがこちらの市場は、完全に本来の「市場」で、若者の将来的な職場として成り立つ場所でもあるのだ。


カメラを向けるとさらに得意気に歌う果物屋の青年。
掛け声なのか、歌なのか、もはや明確な区別はない。

 パレルモ市内にどんなに大型のスーペルメルカートができようとも、このイキイキとした市場の若者たちの姿を見れば、やはりメルカートはパレルモには欠かせない、と誰もが思うことだろう。

 ちなみに、市場の店舗は営業を終えると撤収する。
 毎日店を出しては、毎日撤収しているのだ。
 バッラロ市場の店が撤収したあとの姿は見ていないけど、想像はできた。

 この写真から店舗を取ると、後に残るのは崩れかかった廃墟のような建物。
 このあたり一帯がこんな感じだった。

 パレルモのこのあたり一帯にはまだ、第2次世界大戦当時の爆撃の跡が生々しく残っているという。
 戦争の記憶をとどめるために残しているのではけっしてなく、予算がないがために、60年以上もの間手をつけられなかったのだ。

 いまだ戦後の風景が残る町。
 人々はけっして裕福なわけではない。

 でもこういう元気な市場を見てみると、裕福であることだけが理想の姿とはとても思えなくなる。
 「楽しさ」とか「活気」というものには客観的基準などない。行政が金を出したからといって生み出せるものではないのだ。
 …ということを、地域振興を掲げて昔ながらの町を再開発をする那覇市にも、是非参考にしていただきたい。 

 夕刻、うちの奥さんの本能が生み出した予定どおりに、再びバッラロ市場を訪れた。
 市場は午前中のうちに終了するものかと思いきや、ここバッラロ市場は夕方までやっている。
 が。
 最も肝心なネオナータが、目をつけていた店から無くなっていた。

 鮮魚はやっぱ午後イチくらいまでが勝負だったのだ!!

 しまった………。
 今宵のメインディッシュになるべき生シラスが……。
 残念がっていたそのときだった。

 その店のニィニィが教えてくれた。

 「あそこの店にはまだあるはずよ!」

 自分の店の別の品物を勧めるのではなく、別の店を教えてくれるなんて。

 礼をいい、一縷の望みを抱きつつその店に行ってみると、店のスタッフたちは奥のテーブル台をショバにして、なにやらカードゲームに高じていた。
 すみませーん、と僕が声を掛けているその遥か後ろから……

 「おーい!!○○!!お客さんだよッ!!!」

 さっきのニィニィが気を利かせて呼びかけてくれた。
 なんていい人たちなんだ……。

 その声を聞いて奥から出てきた店員が、ササッとカバーをはずすと……

 ネオナータ♪
 ところで、ここでモンダイが。
 野菜にしろ、鮮魚にしろ、たいていキロ単位で価格表示されている。
 まさか生シラスをキロ単位で食べられようはずはなし、必要な分だけ、つまり数百グラムだけ買うってことができるんだろうか?

 200グラム買いたいんですけど。 

 すると彼は快く引き受けてくれて、ピャピャッと袋に詰めてから量りにかけた。
 そして……

 2ユーロ。

 生シラスがこんなに安くていいんでしょうか………。


奥でカードゲームに高じる若衆たち。

 生シラスと再会を果たし、舞い上がるうちの奥さん。
 あまりのヨロコビ様に、いささか得意げになる店員ニィニィ。
 これ、オリーブオイルをかけてそのまま食べればいいんですよね?

 「そうそう!」

 彼もまた、自らがイケメンであることを信じて疑っていないのはいうまでもない。

 どうせだったら、売れ残っている店で買うより、売切れてしまう店で買うほうがモノは良かったんじゃなかろうか…と思わなくもないものの、ともかくこうして、今宵のメインディッシュをゲット。

 そのあと、ずっと気になっていたアーティチョークを物色。

 とはいえ、ホテルの部屋で調理できるはずはなし……と思っていたら、茹でてあるものも売っていた。
 どうやって食べるんだろ?

 訊ねると、店のご主人は徐にアーティチョークをつかみ、一枚一枚むしりとっては口に運んで食べていた。

 「こうやって食べればいいんだよ」

 ホントかなぁ……。
 ともかく購入。

 こうして、生シラス、タコのサラダ、ハム、チーズなどなど、それなりに品は揃ったのだった。