40・ささやかな夢

 明けて迎えた3月6日。
 この日はついにパレルモを発たねばならない日。
 するとまるで神々がいたずらしているかのように、パレルモの空は晴れ上がっていた。

 絶好の散歩日和!!

 が。 
 飛行機は午後3時5分発ながら、空港までのタクシーは、ホテルに12時過ぎに来る予定だから、散歩のチャンスは午前中のみ。

 晴れ渡る空の下、せっかくなので最後のパレルモ散歩をすることにした。ささやかな野望を胸に秘めつつ……。

 朝食後、ホテルを出てすぐの道沿いに、シチリアですっかり見慣れた感のあるオート三輪が停まっていた。

 狭い道が多いこの地ではかなり有用らしく、タオルミーナでもパレルモでも、荷台にいろんなものを載せて走っている。
 父ちゃんも、昔懐かしいオート三輪が気に入っていたようで、いつもは写真を撮ろうとすると面倒くさそうにするのだが(そのくせ最終的には「写真送ってね」だって……)、この時ばかりは自ら望んで写っていた。

 そんな道路脇には、こういうモノが等間隔で設置されている。

 ゴミ箱。
 かつて訪れた横浜中華街では、ゴミ箱がひとつもなくて、甘栗1つ食べたあとゴミを捨てるのに苦労したことがある。
 ゴミ箱が無ければゴミを回収する必要はないわけで、日本人の道徳心につけ込んだこの経費節約方法に、なるほど、と思わず膝を打ったものだった。
 けど、ここではゴミ箱が無ければ路上にポイ。<あっても?

 だからといって路上にゴミ箱があったら、蹴飛ばされたりするとたちまちゴミが散乱してしまうに違いない。

 こうしてゴミが宙に浮いてたら(浮いてるわけじゃないけど)、たとえ落書きはされても、道に転がってゴミを撒き散らすことはない。

 なるほどなぁ……。

 パレルモではとかくゴミの散乱状態が問題になっていて、そのわりにはそれを問題視する声が行政を動かすということもなく、いずれにしても予算が無いから、市内のゴミは散乱する一方………
 という話を耳にしていた。
 ところが今回初めて訪れてみると、そのように言われているほどにはゴミが気にならない。
 むしろ沖縄のほうがゴミが多いんじゃね??とさえ思っていた。

 そしてこの日、最後の散歩をしているとき、


派手な衣装は対自動車用でしょうか

 お掃除オジサンを何人も見かけた。
 業者さんなのだろうか。
 今日は日曜日。週末はホコテンになってゴミがたくさん出るからなのかどうなのか、いずれにしても、パレルモのゴミ問題は多少は改善の兆しがあるのかもしれない。

 みんながゴミさえ出さなきゃ、ゴミ清掃という分野に税金を投入する必要がなくなって、その分自分たちに関わる必要な何かの予算が増えるかもしれない…………

 …とは、誰も思わないらしい。
 ひょっとすると、こうしてゴミ清掃という仕事が1つ増えて雇用に役に立っている、ってことなのか?

 最後のパレルモなので、父ちゃんがたとえサクサク一人で前に言ってしまおうとも、もう我慢するのはやめて好き放題に買い食いすることにした。
 歩きながらアランチーノを食べよう!!

 ちょっとコジャレたジェラテリアだかバールだかカフェだかがあったので、アランチーノを1つお願いした。
 今回はミートソースのヤツで。
 なんだか陽気な店員さんたちだったから、写真を撮らせてもらった。

 真ん中の人は店長さんだと思うんだけど、撮ったあと「見せて見せて」というリクエストに応えた。すると3人で「君のポーズはなんだこりゃ!」「あなたもなんか変よ!」みたいに、やけに盛り上がる彼ら。
 写真1枚で。

 なんとも楽しい国だ。

 平日の朝は、勤め人もまたオフィスに行きがけにこうしてアランチーノを買って、歩きながら食べるのだという。
 こちらの方はそうやって食べても、老若男女を問わずサマになるのだろう。はたして自分がどうなのかはわからなかったけど、歩きながら食べてみた。

 美味いッ!!

 さすがに下町の屋台のアランチーノよりはサイズが上品だった。とはいえその分味も上品で、胃にガツンッと来た昨日のアランチーノよりは、朝から食べるにふさわしい味わいだ。

 そんな僕を見て、朝から食べるの?みたいなことをうちの奥さんも父ちゃんも言う。
 いったいなんのために朝食をグッと我慢してカッフェだけにしていたのか、なんてことは、例によってモグモグモグモグパンだハムだチーズだベーコンだスクランブルエッグだ、と食べまくっている人にはわかるまい。

 またしてもマッシモ劇場の前を通りかかった。
 日曜だからか、昨日までは見なかった観光馬車が停まっていた。

 ちょっと遠慮がちに馬車と一緒に……

 でも、これだとなんだかこっそり盗撮してるみたいで心苦しかったので、御者のオジサンに、馬車と一緒に撮らせてもらっていいですか、と訊ねる……

 「もちろん!おいでおいで!!」

 なんと、観光馬車をお願いするわけでもなんでもないのに、手招きして馬車に載せてくれた!!

 ありがとう!!

 「Prego!

 ああ、なんていい国なんだ。
 甘えてばかりじゃ申し訳ないので、せめてものお礼代わりに50チェンテージミ(60円ほど……)をチップとして渡した。
 オジサンは何度も「いいよいいよ、いらないよぉ!」と言うのだけれど、ここは無理にでも。

 「Grazie!

 今度は僕の番だ。
 
Prego!

 なんかいい感じ。
 パレルモではいろいろと「観光スポット」も回ったけど、何が一番面白かったって、このような人とのやりとりだ。
 もっともっとイタリア語を話せれば、もっともっと楽しめるに違いない………。

 午前中だけの散歩とはいえ、またサクサクスタスタ歩いて父ちゃんが疲れてしまっては大変なので、コマめに休憩すべく、サン・ドメニコ広場にあるカフェでカッフェを頼んだ。

 「いいねぇ!」

 パレルモの街中の、こういうオープンカフェでの飲食は初めてだった父ちゃんが言った。
 だから……こうしてバールやカフェで休みながらゆっくり散歩、って予定だったんですけど、最初から。

 ようやく最後でわかってくれたのだった。

 ちなみに、うちの奥さんの背後にある教会は、サン・ドメニコ教会。「パレルモのパンテオン」と呼ばれるほどに、パレルモでは重要な教会らしい。
 そうはいってもどのように重要なのかさっぱりわからないので、もともと立ち寄るつもりはなかった。

 ところがこの日は日曜日。そして午前中。
 教会はミサの最中のようで、出入りは自由のように見えた。
なので、キリスト教になんの縁もない我々ながら、恐る恐る入ってみると……

 かなり広かったのでビックリした。
 バロック様式だ、ゴシック様式だという教会のファサードって、なんだかハリボテっぽくて薄っぺらいイメージがあって、あんまり奥行きがなさそうに錯覚してしまう。
 ところが入ってみると、このようにずっと向こうに祭壇がある。

 おりしも神父がなにやら言っているときで、集まった敬虔なカトリック信者たちが、キチンと「儀式」を執り行っていた。

 日本で見られるコンビニよりも、いや、歯医者さんよりも、密度的には圧倒的に数多いと思われる市内の数々の教会。
 その信心の度合いにもよるのだろうけど、こうして街のいたるところで「神」の存在を意識する感覚というのは、ある種の戒めを無意識のうちに自らに課すことになるのだろうか。

 昔の日本人も、「バチが当たる」「いただきます」「ごちそうさま」といってきたように、神々の存在を無意識のうちに身近に感じることによって、その無意識がある種の戒めを自らに課していたはず。
 でも残念ながら日本では、いつの間にかそれがずーっとずーっと遠く薄い存在となり、見えない力による「戒め」もやがては消えうせつつある。

 宗教に制約される生活はイヤだけれど、人として生きるうえでのある程度の「戒め」は、人間社会にはなくてはならないものだったのかもしれない。

 カフェでの休憩後、ヴッチリア市場に入ってみた。


例によって道わかんないくせにサクサク先に行く父ちゃん

 日曜日の市場はガランドウ。
 我々日本人の感覚だと、日曜日こそ人出があって市場も賑わいそうなものなのに………って思ってしまうけど、現地の人たちの日曜日といえば、神と家族と共に過ごすものなのだ。
 そういえば昔の日本では、お正月に営業しているスーパーだデパートだって、なかったよね。

 昨夕はあれほど賑わっていたバーベキュー屋台も…


ブルーのシャッターの前がバーベキュー屋台があったところ

 ガランドウ。
 …って、あそこって魚屋さんの店舗の前だったのか!!
 ビックリ。

 昨夕は準備段階だったタコお兄さんの屋台も、跡形も無く撤収されていた。

 ここまで潔いガランドウの様子を見ると、昨夕の我々は実は「千と千尋の神隠し」の世界にいたかのようにさえ思えてしまう………。

 そのあと、何度も通ったクアットロ・カンティの見納めをし、帰路についた。
 途中、マッシモ劇場の前にあるキオスクでタバコを買わされる私。
 そう。
 イタリアには禁煙法なるものまで制定されているので、タバコを吸うとこなんてない、という覚悟でやってきた父ちゃんは、この機会に禁煙できるかも……とばかり、タバコは数箱しか持って来ていなかった。

 ところが思いのほか…というか、どこでも誰でもそこらじゅうでみんながタバコを吸っているのを見、すっかり安心状態でタバコを吸っていたら、足りなくなってしまったのだ。

 で、イタリアで最も有名なヤツを、ってことで、すでに何個も買っている。
 そのマッシモ劇場前のキオスク。

 やたらと古風なつくりだなぁと思ったら、なんとなんと、この建物は、マッシモ劇場を設計した人がデザインしたものなのだとか。
 キオスクまで由緒正しかったのか……。

 そのすぐ先に、先ほどの御車オジサンの馬車が停まっていた。何かお客さんとやり取りしている。その脇を通りかかると、

 「Grazie! Grazie!

 そういいながら、こちらに向かってニコニコと手を振ってくれた。さっきのチップのお礼を言ってくれているのだ。
 アジア人の顔など見分けがつかないだろうけど、やはり赤い上着は目立つ。なにしろ地元の人たちはみんな黒い服ばかりだから。
 たった60円で何度もお礼を言われると恐縮してしまうものの、覚えていてもらえるというのは、旅行者としてはやはりうれしいものがある。

 昨日に引き続きカフェ・スピンナートに寄ってみた。
 父ちゃんも先ほどのカフェを体験し、こうやって休憩がてらお茶するのが心地良いことを知ってくれたので、素直に着席。

 実は僕の野望成就はこの店にかかっていた。
 というのも、シチリアでの夕食後には必ずマルサーラワインを飲もう!と心に誓っていたのに、思いも寄らぬ二晩連続の部屋食のおかげで、このままパレルモを発てばその誓いは夢と消えてしまうかもしれない。

 ならばこの際!!
 朝から飲んじゃえ!!

 ってことで、きっとこの高級感溢れる老舗カフェならマルサーラワインを置いてあるに違いない、と期待してきたのである。

 で、マルサーラワインは!!

 あった!!

 ああ……よかった。
 マルサーラワインとは、輸送手段が船しかなかった頃に、輸送中の品質変化に影響されないようにと、わざと酒精が強化されたワイン。
 そもそもはイギリス人によるのだとか。
 あの人たちって、お茶にしろワインにしろ、自分たちの都合でいちいち品質を変えてるんですなぁ……。

 それはさておき、マルサーラワインはいわゆる食後酒だ。
 だから本当はこんな時間にこうしてこのお酒を飲む、なんてことはありえないんだろうけど、とにかく今が最後のチャンス。

 クピッ♪

 あ!!
 以前お客様にいただいた、ポルトガルのマディラワインに似ている……気がしたけど気のせいでしょうか。

 マルサーラワインにもピンきりがあるんだろうし、はたしてこのカフェでいただいたものがどうなのかなんてことはまったくわからないけれど。

 ともかく美味しい……。

 夢はかなった。
 普通のコーヒー、そしてチョコラータをそれぞれ飲んでいる二人を尻目に、ささやかな夢を果たせたヨロコビに打ち震えていると……

 「朝から飲むのかよぉ」

 ……って父ちゃん、どの口がそーゆーことを!?