45・トレヴィの泉物語

 ローマ初日の夕食後、ホテルまでの帰りに寄り道をした。
 ほんの少し遠回りになるものの、ホテルからもガレリア・シャッラからも目と鼻の先にある一大観光地を訪ねるのだ。

 一大観光地とは……

 ご存知トレヴィの泉。
 夕方路上に溢れていた人出は、こういうところに集約しているんだなぁってくらいに、夜だというのに賑わっていた。

 こういうワイワイガヤガヤした感じがけっして嫌いではない………いや、むしろ好きな父ちゃんは、さっきまで帰りたがっていた雰囲気がウソのように俄然盛り上がる。

 写真じゃ伝えようがないけど、溢れ出る水の音は、街中とは思えないほどに清涼感に満ちている。

 この水道の起源はローマ時代にさかのぼるそうだ。
 今から2000年も前、当時の最新土木技術と言っていい水道橋が何本も設けられ、山手の水源地からローマに大量の水を運んでいた名残りだ。

 その後ローマの没落とともに水道はその役目を終えていたものの、ルネッサンス期になって復旧された。

 そのおかげで、このトレヴィの泉のほかにも、ローマ市内にはいたるところで水が溢れている。
 知らずに見ると、なんともったいない……ってくらいの勢いなのだが、これらはみな、いわゆる「水道水」ではなくて、水源地に端を発して低きへと流れる川と同じなわけだから、資源の無駄遣いをしているのではない。
 こうして溢れるに任せていても、誰も水道代の心配をしなくていいわけだ。

 このトレヴィの泉で思い出すのは、ほかでもない、阪急梅田3番街のトレヴィの泉。
 大阪で生まれ育った僕にとってトレヴィの泉といえば、当然ながらこの3番街のトレヴィの泉なのである。
 それがローマの名所のパクリだったと知ったのはいつのことだったか……。

 パクリだという事実を知って以降もなお、イメージは3番街の泉が濃厚に残っていたので、本家トレヴィの泉を訪れ、初めてナマで目にした僕は驚いてしまった。

 でかい……。

 このトレヴィの泉が今の姿になったのは18世紀のことで、その頃はすでに、ルネッサンス以前のキリスト教社会とはまったく違った世の中になっていたはず。
 暗黒の中世ともいえるルネッサンス期以前のキリスト教社会人々がこの泉を目にしたら、おそらくローマ文明の遺構同様、「異文明の建造物」と認定し、即座に取り壊してしまったことだろう。

 そんなトレヴィの泉。
 なんでこのように人が大勢集まるのかというと、ほかでもない。後ろ向きにコインを投げたら再びローマに戻って来られるという、いささか眉唾な言い伝えのためだ。

 泉に背を向けている人が多いのは、写真に写るためであると同時にコインを投げるためでもある。

 我々もさっそく……
 と行きたいところだったものの、なにしろ人が多い。ホテルから歩いて3分くらいのところにあるのに、何も混んでいるときにワザワザすることもないでしょう。

 やや未練があったらしい父ちゃんにそう言い、今宵は眺めるだけにしておいた。

 そして翌朝。

 朝食の場所を確認すべく、一人で屋上のテラスとやらに行ってみると……
 黎明の空には雲ひとつない。

 西を見やると、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂はまだ夜の装いだ。

 うーん……いい感じ♪
 寒いけど……。

 やはりシチリアよりはかなり北に位置するローマ。くわえて天気が良すぎて放射冷却が凄まじいのか、朝の寒さは雨のパレルモの比ではない。

 でも朝食時くらいになると、お外で食べよって気になるくらいにはお日様が頑張ってくれた。
 ローマは車の排気ガスなどに起因する公害がひどい、という話を聞いていたけど、まったく苦にならない。
 むしろ那覇にいたほうがよっぽど頭が痛くなる。

 朝食は7時から。
 せっかくなので、例によって朝風呂、朝酒(<結局また飲んでる)でグダグダしている父ちゃんを残し、この清々しい朝の空気の下、うちの奥さんと二人で朝飯前の散歩してみることにした。

 朝のローマの街は、日中や夕刻、夜と違い、喧騒とは無縁なので心地いい。
 トレヴィの泉もこのとおり。

 誰もいな〜い♪
 まだ夜用の暖色照明が灯っているがら空きのトレヴィの泉で、また戻ってこられるよう祈りを込めて、コインを投げ込んでおいた。

 朝の空気で聴く水の音がまたいい感じだったので、しばらく眺めていた。
 すると、突如アヤシイおじさんが………

 泉に入ってるしッ!!

 何やってるんだろ??
 泉の脇をよく観ると、パトカーが停まっていた。
 ちょうど我々がホテルに戻る方向だったので、変なオジサンを見ながらテケテケパトカーに近寄っていくと、おまわりさんが数人いてなにやら話し込んでいる。
 やがて一人を残してオジサンのほうへ行った。
 さっそく残っていた一人に取材してみると……

 「月に1、2回ホニャララホニャララで、まぁ彼はクレイジーなホニャララホニャララなのさ」

 と、わざわざ英語で答えてくれたポリスマン。
 残念ながらホニャララの部分はさっぱりわからなかったものの、変なオジサンはやはり札付きの変なヒトであることは間違いないようだ。

 人が多いときとはまた違うトレヴィの泉の姿を垣間見たあと、今度はパンテオンを目指すことにした。
 ホテルを挟んでトレヴィの泉と反対側ながら、ほぼ等距離にある。中に入れるのは9時からだけど、空いている時に外観を味わっておこうかなぁと。

 で、トレヴィの泉からテケテケ歩いてみた。
 場所はだいたい頭に入っている。近いはずだ。いちいち地図を見ながら歩くこともないだろう……

 ……って歩くこと10分。
 あれ?
 こんなに時間がかかるはずないのに。

 さすがに変だと思ったのか、うちの奥さんが引き返したほうがいいんじゃない?と言った。
 たしかに(実はナヴォーナ広場のすぐ手前まで来ていたことがあとでわかった…)。

 引き返すついでに、通りすがりの出勤途上っぽい男性に声を掛けてみたところ、いきなり声を掛けられて彼はかなり警戒モードだったものの、ちゃんと道を教えてくれた。

 その言に従って歩いていると、チンタラ歩いている我々の傍らを、さきほどとは別のシニョーレが通り過ぎようとした。
 すかさず、再度訊ねてみる。

 すみません、パンテオンはどこかご存知ですか??

 すると紳士は、その見かけどおりものすごく丁寧に教えてくれるではないか。
 早朝7時前の出勤途上である。
 頭の中はすでにビジネスワークになっていたかもしれないのである。
 にもかかわらず彼は、アヤシイアジア人夫婦に対し、懇切丁寧に道筋を教えてくれた。
 しかも。
 「じゃあ!さようなら!」といって足早に去っていった彼だったのに、狭い十字路でわざわざ立ち止まって振り返り、

 「ここから右に曲がってまっすぐ行ったらパンテオンですから!」

 なんて親切なんだろう………。
 こういう目に遭えば遭うほど、「
grazie!」という言葉が心の底から普通に出るようになってくる。
 お礼を言うと、彼は一言「
Prego.」と言って足早に去っていった。

 シニョーレのおかげで無事にパンテオンにたどり着き、この日の朝の散歩は終了した。

 そして朝食後。
 いよいよローマ観光の始まりだ!

 まずは父ちゃんを再びトレヴィの泉へと導き、早いうちに昨夜の未練を解消せねばならない。
 早朝は誰もいなかったから、きっと朝のトレヴィの泉も空いてますよ!!

 …な〜んて言いながら盛り上げつつ、ホテルを出るやすぐに到着したトレヴィの泉。

 が!!!

 水が無〜いッ!?

 そうだったのだ。
 この日は、月に1、2度あるらしいお掃除の日だったのである。
 それを知っている変なおじさんは、掃除される前にコインを掠め取ろうという変人なんだよ…とあのポリスマンは言っていたに違いない。

 まぁそれにしても、よりにもよって!!

 しかしなぜかうれしそうなオタマサ。
 ようするに早い話、もう二度と来るなってことですよ、父ちゃん!!

 泉の底には、みんなの願いが込められたコインが、山のように積もっていた。

 これらはみな、この日の清掃で回収されるようである。
 清掃費用に利用されているのかな??
 我々は今朝投げたばかりなのになぁ……。

 それ以前に、コインを投げることすらできなかった父ちゃん。
 トレヴィの泉は、はたして彼に微笑んでくれるのだろうか??