55・黄昏のフォロ・ロマーノ

 その後ホテルに戻り、昼寝タイムの父ちゃんを残し、我々は再び散歩に出た。

 LIBERTA

 西日を浴びたフォロ・ロマーノを観たかったのだった。

 再びカンピドーリオの丘へ。
 また、市庁舎と美術館の間から眺めてみる。

 うーん、ちょっとまだ日が高かったなぁ……。
 残照の時間になったら、コントラストが弱くなっていい感じになったかもしれない。

 ま、これはこれでよし。
 実はもうひとつ、このフォロ・ロマーノで遣り残していたことがあったのだ。

 その場所とはほかでもない、セプティミウス・セヴェルスの凱旋門。
 上の写真では左端に見えているヤツね。

 間近で観るとこんな感じ。

 後世から観るとすでに没落の兆しが見え始めていたとはいえ、コンスタンティヌスの頃とは違ってまだまだローマに力があった時代の凱旋門は、さすがに装飾が緻密で立派だ。
 ただセヴェルスは、その立派な建築を自らの故郷にも惜しげもなく費やしたという、日本の「民主主義政治」に慣れた我々には至極当たり前のことを、ローマ帝国で初めてやってしまった皇帝でもあった。
 かつて黄金の時代を支えたスペイン出身の皇帝たちは、ただの一度もそんな見え見えの利益誘導はしなかったのである。

 今に残るレプティス・マーニャの見事な遺構は、ほとんどすべて彼による地元への利益誘導政治のなせるワザ。
 事情はどうあれ、せっかく遺った遺跡群。リビアの内戦で破壊されていないことを祈ろう……。 

 さて、そのセプティミウス・セヴェルスの凱旋門。
 カンピドーリオの丘の市庁舎の東側から降りてくると、この凱旋門のすぐそばになる。
 朝はそれを知らずに遠回りしてしまったのだ。

 で、そここそが!!


ローマの休日より

 「ローマの休日」で、オードリー様@薬でへべれけ中とグレゴリー・ペックが初めて出会う場所。

 当然ながら……

 やってみた。
 当時とガードレールが変わってしまっているし、そもそも今は一般車は通れなくなっているから、ここにタクシーが通りかかるはずもない。
 とはいえ二人が出会ったのは、ほぼこのあたり。

 にしても、うちの奥さんがこうして寝ていると、ホントに酔っ払っているオバハンにしか見えない……。
 たとえここで一晩中寝そべっていようとも、グレゴリー・ペックは現れないだろう。

 こんなことを、周りに人がいるところでやってしまっていいのだろうか、という一抹の不安はあったものの、きっと観てた人も意図を汲んでくれていたに違いない。

 わからなかったかな??

 帰りがけに、トライアヌスの記念柱をもう一度眺めつつ、フォロ・ロマーノ周辺を後にした。
 明日は違う方面を散歩するつもりだから、もうこのあたりを歩くことはないなぁ……。

 そう思うからだろう。白亜の記念堂のシルエットが、なぜだかやけにかっこよく見えるのだった。