61・ナヴォーナのホームラン王

 ほどよい時間になったので、目当てのピッツェリアにて昼食。

 ちょうど昼時だったこともあって、店内は混雑していた。
 慣れない人間が地元の人が訪れるような店でゆっくり食べたかったら、ちょいと時間をずらすほうがいいようだ。

 一番混んでるときだったせいで、カメリエーレ氏はてんてこ舞い状態。ピザを食べるつもりできたのに、アンティパストの仕組みがいまいちわからず、次から次に出てくる小皿の数々。
 ようするにアンティパストミスティ3人分だったのだが、美味しいのはいいものの量が多い。

 というわけで結局ピザは一枚のみ。

 例によってマルゲリータ。

 そんななか父ちゃんはといえば、旅行前には「ピザは嫌いだなぁ」などと言っていた人とはとても思えない食べっぷりで、なんともゴキゲンそうなのでよかったよかった。

 さすがにちょこっとメインルートをはずした場所だけあって、前日のコロッセオ前の店と比べたら天と地ほどの安さで済んだ昼食後、再びサンタンジェロ橋を渡ってテヴェレ側沿いを歩く。
 そしてやけに立派な白い建物(後日最高裁判所と知る)のところで街中に入ると、やがてナヴォーナ広場に。

 さすがに朝とは違って人が多い!

 そしてウワサどおり、似顔絵描きや絵描きさんが多い。
 でも、ナボナの名の由来になったお菓子屋さんの姿なんてどこにもないんだけど??

 …調べてみたら、毎年年末年始にこの広場で開催されるベファーナ市という、それだけで誰もがローマの年末ねぇ…と思い浮かべるクリスマスシーズンのフェスタがあって、その時にお人形屋さんなどとともに、お菓子屋さんの露天商がギッシリ軒を並べるそうな。

 そりゃ子供たちも集まるわなぁ……。

 そんなお菓子屋さんはいなかったけど、栗屋さんはいた。

 沖縄の国道御用達アイスクリン売りの女の子が中学生で統一されているのと同じく、栗屋さんはみんなパレルモで傘を売っていたような黒い系の人。
 夜の路上のそこかしこで見かけていて、美味しそうだなぁ…と思いながらもついつい躊躇していたのだけど、この広場で初めて買ってみた。
 5個入りでそれほど高くない。
 気になるお味は……?

  意外に 美味しい♪
 もっとどうしようもないものなのかと思いきや、意外や意外、大粒の実はパサつかず変な湿り気もなく、ちょうどいい感じの焼き栗って風情。
 天津甘栗に慣れた身には、木の実としての栗本来の味が新鮮ですらあった。

 我々にとって、焼き栗はナヴォーナのホームラン王です♪

 そして再びパンテオンへ。
 ここもまた、朝とは違って広場は賑わっている。そしてこの時間は、朝とは違ってパンテオンの中に入れる!
(しかも無料♪)

 ウワサに違わぬ大空間。
 さすがに神々すべてのための神殿」だけあって、その場にたたずんでいるだけで、神々の世界へご来場って気分になる。
 ドーム屋根のすぐ下の長方形の小さなマス、そしてその下の大きなニッチそれぞれに、往時は神々が祀られていたという。

 ドーム屋根の内側は、往時は金箔だったそうで、唯一の光源である天窓からこうして光が差し込めば、時々刻々と角度が変わっていって、さぞかし煌びやかな世界が現出したに違いない。

 そうそうこの天窓、ガラスがはめ込まれているわけでもなんでもなく、本当に口が開いている。
 じゃあ雨が降ったらどうなるの??

 内部の気圧のほうが高いので雨が入らない…

 なんていうまことしやかな眉唾情報も聞いたことがあるけれど、なにしろ直径9メートルの大穴。まさかそんなことはないだろう。
 実際、天窓の下には……

 ちゃんと排水孔があった。
 でもこれ、大雨のときなど内部はどうなってるんだろう??

 うーん、観てみたい……。

 中世、キリスト教社会になってから教会にされていたこともあるだけあって、内装はキリスト教づいているものが多い。
 でも、そういったオリジナルとは異なる チャラ男のような 装飾が施されていようとも、ラファエロやウンベルト1世やヴィットリオ・エマヌエーレ2世の墓があろうとも、この空間が醸し出す神々の息吹は、なんら損なわれることはない。

 こういうことを言ったらカトリックをはじめとするキリスト教の方々には申し訳ないけど、多神教信仰が生み出すローマ人の世界観ってのは、キリスト教よりも、そしてもちろん仏教よりも、その他あらゆる現世の巨大宗教よりも、遥かに大きいような気がする………。
 そういう世界に生きる人々の死生観もまた、今とはまったく違っていたようだ。

 塩野七生の「ローマ人の物語」を読んでいて、ひょっとするとローマって、住んでいる人々にとってとってもいいところだったのかもしれない、と僕が思ったのは、メジャー、マイナー問わずつらつらと書き記される実力者たちの業績でもなんでもなく、当時のお墓にそれぞれ刻まれていたという、故人の言葉の数々だ。
 そもそも「死者」と「生者」を分け隔てて「墓地」を作るという感覚がなかったこともあって、当時の墓は多くの人が行きかう街道沿いに作られることが多かったという。街道の両脇にはいろんなお墓が建ち並んでいたそうな。
 「人間」という言葉を、「死すべき者」という言葉で表現することもあったそうだから、それは当たり前のことなのだろう。

 で、そのお墓に刻まれている言葉とは…

 「おお、そこを通り過ぎていくあなた、ここに来て一休みしていかないか。頭を横に振っている?なに、休みたくない?と言ったって、いずれはあなたもここに入る身ですよ」

 「幸運の女神はすべての人にすべてを約束する。と言って、約束が守られたためしはない。だから、1日1日を、一時間一時間を生きることだ。何ごとも永遠ではない生者の世界では」

 面白いでしょう?
 みんな、極楽浄土とか天国とかを死後に約束されているわけでもなんでもない人たちである。
 死とはすなわち「死」あるのみ。
 にもかかわらずこういう言葉を墓に刻んで死んでいける世界ってのは、きっと生きている間がさぞかし楽しいのだろうなぁ。

 死に臨む心のありようという意味で、その後の宗教がはたした役割はいったいなんだったのかといえば、簡単に言うと「今」の否定だ。

 死んだ後にこそ、理想郷に行ける!

 「今」を不遇状態で過ごしている苦しく貧しい人々にとっては、来世の約束というのは実に魅力的に映る。
 ローマ帝国でキリスト教が広がっていった背景は、どうやらそういうことであるらしい。

 「今を生きる」ローマは、「理想の来世」に敗れたのである。

 国民のほとんどが老後を心配するあまり、若さ漲るうちからキュウキュウと過ごし続けているどこかの国は、このままでは「老後」に敗れてしまうかもしれない………。