63・ふたつの住居

 カラヴァッジョの絵をナマで観て妙な満足感に浸りつつ、まったく別の目的で散歩を続けた。
 やはり「ローマの休日」ならあそこに行かなきゃ!

 途中、こんなパレードが。

 はて、朝のイベント準備といいこのパレードといい、なんのお祭り??

 とにかく陽気な楽団でなにやら楽しげ。
 コンドッティ通りに入ったあと、我々と行き先が同じになったのでムービーで撮っていたら、ノッポさん状態のオネーサンがカメラ目線を送ってくれた。

 ちょっとうれしい♪

 我々の生活には最も無縁と言っていいブランドメーカーの店舗が並ぶそのコンドッティ通りを進むと、目の前にあるのが……

 スペイン階段!!
 てゆーか、人多すぎッ!!

 階段でチアリーダーの練習しているし。
 しかしやたらと人が多いこの広場で僕が眺めてみたかったのは、実はこの階段ではなくて、こっちだったりする。

 キーツ・シェリー記念館。
 キーツやシェリーなんて、我々日本人には食前酒の一種??てなもんだけど、英語圏の方々にとっては、いわば日本の正岡子規や石川啄木くらいに超メジャーな詩人らしい。
 「ローマの休日」の中でも、この場とはまったく関係のないところで、オードリー様とグレゴリー・ペックが、キーツの作品だったかシェリーの作品だったか、という他愛のない問答をしていたりするほどだ。

 ところで。
 みなさんはダン・シモンズ作のSF小説「ハイペリオン」という超大作をご存知だろうか。

 文庫本は上中下3冊に渡り、単行本はそれ一冊で楽勝で昼寝の枕になりうる特大本。
 これがまた、SF小説なんて、ハインラインやアシモフはおろか、星新一すら一冊も読んだことがない……って方が読んだとしても、超寝不足の日々を過ごすこと間違いなしの、スーパーエンターティメント・オールジャンル・サイエンスフィクション・アンソロジー的物語。

 え?意味わかんない??
 まぁとにかく面白いのよ、これが。
 で、その一冊を読み終えると、10人中1万人くらいが絶対に読みたくなるのが、

 「ハイペリオンの没落」

 ……って、このままガンダムみたいにZ、ZZと続いていくわけではないのでご安心を(ちょっと続くけど)。

 で、「ハイペリオン」ではひとつの章の登場人物だった人が、「ハイペリオンの没落」ではさらに重要な存在になる。
 その人の名こそが………

 ジョン・キーツ!!

 19世紀の詩人、キーツがなんで未来を舞台にしたSF小説に??

 それは読んでのお楽しみ。
 ちなみに、SF小説「ハイペリオン」も「ハイペリオンの没落」も、その続編である「エンディミオン」も、そのタイトルはすべて、19世紀の詩人キーツの詩集のタイトルなのである。

 とにかくそういうわけで、これまで3度読み返したそのSF小説の重要なキャラが、「ハイペリオンの没落」の中で死を迎える。
 その場所が、すでに銀河系から消滅しているはずの地球上、しかも19世紀の街が再現されているローマ、それもスペイン階段の隣にあるペンションの一部屋。

 実在のキーツその人もその部屋で、25歳という短い生涯を終えたのだ。
 さすが世界的ヒットを記録するSF小説をものする作家、詩人がかつて住んでいた部屋すら知っているなんて。
 そういうブンガク的知識も凡百の徒には及びもつかないほど深いのだなぁ…とつくづく感心したものだった。

 ところが!!

 キーツがローマで暮らしていた部屋って、サルでも知っているくらいに思いっきりメジャーだったんじゃん!!

 ともかくも。
 作中で描かれていたあの部屋が、まさに今目の前にある。


赤い薔薇の色の建物だったんじゃ??

 「ハイペリオンの没落」のクライマックス。
 ジョセフ・セヴァーンことジョン・キーツはここで、連邦政府CEOグラッドストーンの首席補佐官リィ・ハントに看取られながら、息を引き取る。
 28世紀のことである………。

 スペイン階段があまりの人出だったのでソッコーで断念し、もっと静かな場所を目指すことにした。
 その場所とは、マルグッタ通り51番地。

 ここがどこか、もちろんおわかりですね?
 そう、「ローマの休日」でグレゴリー・ペックが住んでいたアパートの住所。
 ひょんなことからそこで一夜を過ごしたオードリー様が、颯爽と出てくる。


ローマの休日より

 ドアもすっかり変わってしまっているみたいだし、我々が来たときは周りが工事中だったけれど、かつてオードリー様が立っていた場所にオタマサが………

 …やっぱ全然違うなぁ。

 劇中でグレゴリー・ペックがちゃんと「マルグッタ通り51番地」って言っているとおり、ここはホントにその住所なのだ。
 映画じゃやたらと人通りが多かったけど、平日夕方の人通りはこんなものだった。

 一筋隣がスペイン広場から繋がっているメインストリートなのに、とっても静かないい感じの住宅街だった。

 このマルグッタ通りをそのまま歩いて再びメインストリート(バブイーノ通り)に出、そのまま北上すると、広場に出てくる。

 ポポロ広場だ。
 なんだかそこらじゅう広場だらけだけど、そのおかげで空が広い。
 我々が旅行に出発する少し前、この広場では、「ベルルスコーニ、いい加減にしろ!!」と怒りに燃えた女性たちが大集結していた。

 この日も、我々が到着した頃にはやたらと大勢の人が広場に。

 ひょっとしてデモ??

 …と思ったら、お祭り会場だった。


有名な双子教会を手玉にとるの図。

 イベント会場の垂れ幕を見ると、

 cornevale romano

 と書いてある。
 垂れ幕によると、どうやらこの一週間ほどずっと期間中だったようで、ちょうど今日が最終日らしい。
 前日もこの日も、歩いている道々、花吹雪やら紙テープやらが散らばっているから、さすがローマ、毎日お祭り気分なのか…と半分感心して不思議に思っていた。
 ずっとお祭りだったのだ。
 さっき見たヘンテコパレードも、ここを出発地にしていたのかな??

 広場にはいろんな屋台があったりして、真ん中ではアヤシゲな舞台が登場してきた。

 で、このアヤシイ舞台を牽引しているのは……

 トラクターだったりする。
 さすがランボルギーニのふるさと!

 でも水納島に住む我々には、なんとも身近に感じられる光景だったりする……。