68・祭りのあと

 夢のような日々が終わった。
 ふと目覚めたとき、すべてが夢だったのかとビビッたものの、飛行機はちゃんとシベリア上空を飛んでいた。

 特にトラブルもなく、無事に成田に到着。

 我々はこれまでも毎年帰省しているものの、実家が埼玉と大阪ということもあって、毎年双方に行ける財力がないため、それぞれの実家には隔年で帰省している。
 そのため父ちゃんと会うのは2年に1度、しかも父ちゃんときたら、娘が2年ぶりに帰省してきた日に仕事が入っていたり、何をさておいてもグランド整備をしていたり、という具合なので、数日帰省している間、実際に会っている時間はかなり短い。

 ところが今回の旅行では、ミッチリまるまる11日間!!

 通常の帰省ペースに換算したら、この先20年分くらいの時間を共に過ごしたことになる。

 もう、ゲップが出そうです……娘・マサエ後日談。

 そんな父ちゃんとは、山手線日暮里駅のホームでお別れだ。
 お向かいのホームにたたずむ偉大なるスポンサーに敬意を表し、敬礼!!

 …しようと思ったら、山手線がホームに入ってきたのだった。

 そして……

 LIBERTA!!<もういいって。

 この日の我々は、都内に泊まった。
 かつて海月日記で触れたとおり、その理由はこれだ。

 うーむ……たしか我々はこのほんの少し前まで、ナヴォーナ広場でワインを飲んでいた気がするのだが。

 余韻の「よ」に浸る間もなく、一気に現実空間に引き戻されたのだった。<これはこれで「異空間」に見えますが??<おっしゃるとおりです。

 お通しだけで5合くらい飲めそうな、魅惑の「大人の店」も詳しく書き記したいところながら、時すでに翌日。
 我々は品川プリンスホテルの朝食スペースにいた。

 沖縄から上京して来た日であれば、「美味しい♪」と喜んで食べたであろうクロワッサンが、なんとも味気のないカスカスパンに思えるのは、けっしてにわかイタリアかぶれのせいではない。
 そして……この景色。

 その昔、手塚治虫が描いた未来都市のような品川界隈。
 ここがかつて、


歌川広重 東海道五拾参次之内 品川

 広重が描いたこの場所だなんて、いったい誰が信じられるだろう??

 住むなら断然江戸時代の品川のほうがいいなぁ……。

 タオルミーナやパレルモの旧市街、そしてローマの旧市街それぞれに滞在していた間、なんとも居心地が良かったのは、この広重や北斎の浮世絵で見られる、もしくは鬼平犯科帳などの時代劇で垣間見られるような、江戸時代の風情に通じるものがあったからのような気がする。

 日本も昔はイケてたのだ。
 どこから進む方向が変わっちゃったんだろう?

 その答えは明白な気がするけど、あえて触れない。

 でもまぁ、我々が滞在したのはあくまでも観光地なのだから、滞在していて居心地がいいのは当たり前ともいえる。そこだけを見てその国を語れようはずはない。

 ただ、街中の「巨大な建造物」といえば遺跡じゃなくてパチンコ屋、という沖縄に住む我々からすると、ローマで見たマクドナルドの看板の、この小ささは衝撃的ですらあった。


大通り沿いにあるにもかかわらず、店内はいつ見ても空いていた。

 ローマにマクドナルド?って驚きもさることながら、こんなに慎ましやかなサイズの「M」マークを観るのは初めてかも。 

 同じ観光地でも、現在の沖縄の街でこのマクドナルドの「M」の小ささは、今のところありえない。
 そういうことがありえないと言い切れる観光地沖縄の街並みははたして、訪れる方々にとって居心地がいい空間を提供しているのだろうか?

 「M」の小ささと同じくらい感動的だったのは、街並みの「調和」だ。
 それはきっと、昔の人たちが大切にしてきたものを、引き続き大切にし続けることによって生まれるものなのだろう。
 自然に生み出されるそういったものもまた、少し前までの日本にも沖縄にもあったはずなのに。
 これまた、いつから進む方向が変わっちゃったんだろう?

 昔は確実にあった「みんなで大切にするモノ」がいつの間にか希薄になり、そのかわりに個人個人が大切にするモノを尊重するようになった。
 その結果が、

 ひとつひとつの建物は美しいような気がするけど、街全体としてはどうなのよ…

 という形になっているんじゃなかろうか。

 このところ沖縄でもやたらめったら目にするようになってきた地中海風外装のお家。
 それ一軒を見るだけなら素敵だなぁと思いはする。
 しかし同時にまた、

 それをここに建てるかぁ??

 って思い始めていたわけですよ、このところ。
 で、今回初めてシチリアとローマを探訪して、つくづく思いました。

 アプローチとかパーゴラとか作ってる場合じゃないぞ、アネックス!!

 ……すみません。ワタクシ、かねてよりミーハー的に地中海風エクステリアのファンだったんです……。

 かねてから地中海風エクステリアが好きで、そして初めてイタリア旅行を終えた今。

 赤瓦とはいわずとも、沖縄らしい造りのお家に住んでみたい……

 強くそう思うようになった今日この頃なのであった。

 その点「食」に関しては、日本人もかなり頑張っているということが、こうして外に出てみるととてもよくわかる。
 最近では、あわや忘れ去られるところだったかもしれない各地の伝統食が、観光グルメブームもあいまって、かなり復活してきた感もある。

 日本のフツーの美しい街並みが消えていこうとも、日本食は永久に不滅です。

 そういう安心感があるおかげで、お出かけしても家にいても、しばしば味わいたくなるのがイタリアン。
 この世からワインとオリーブオイルが消えてしまったら、僕はもう生きていけないかもしれない……。
 (ちなみに、ビールが消えたら即死だ)

 日本にいるなら日本食を、沖縄にいるなら沖縄料理を食べるべき??

 いやいや、人類にとって「食」は、紀元前の昔から娯楽なのだから。
 その証拠に、イタ飯を求める世界中の観光客のヨダレで洪水が起こりそうなイタリアの街で、最近は地元の方々の間でお寿司屋さんが流行りだしているという。
 おまけに。
 ヴァチカンの近くを歩いているとき、こういうモノまで目にしてしまった。

 ヴァチカンの近所でたこ焼きって………。

 ただのインテリアなのか、本当に店内で作っているのかは知らないけど、そういえば我々以外の日本人がいなかったカターニア行きの機内でも、道頓堀のたこ焼き映像が流れていたっけ。

 ひょっとしてブームの兆し??

 日本にいる我々も、負けじとイタ飯を堪能しよう。
 とはいえ、絵のように美しい料理を出す高級リストランテじゃつまらない(その前に入れないって話もある)から、マンマの味で勝負する大衆食堂的トラットリアのような店が増えることを願う。

 一方。
 この旅行のため、オフの膨大な時間を費やして頑張ったイタリア語。
 結局どうだったのよ。

 これはもう、石垣島マラソン終了後、そこに至るまでの練習を振り返った隊長のセリフじゃないけど、

 やっておいてよかった♪

 別にイタリアじゃなくてもいいのである。
 タイ語とか、インドネシア語とか、ベトナムの山奥の民族の言葉とか。
 とにかくなんでも、現地の言葉で現地の人と会話したい。

 そんな願望がかねてよりあったものの、その最も身近なシチュエーションになるはずの英語でいきなり壁にぶち当たってしまって以来、僕にとっての外国語は宇宙語と同義語だった。

 ところが!!
 今回突如必要に迫られて頑張ったイタリア語。これがあなた……

 簡単なんです♪

 いや、もちろんカタコト程度までなら、ですぜ。
 それと、そのカタコトをわかろうとする、ヒアリングできない人にもちゃんと伝えようとする、カンバセーションを大事にする現地の人たちの力が大きかったのは言うまでもない。

 おかげで、これまで何箇所か行った海外旅行のなかで、今回ほど見ず知らずのいろんな人と話しまくったことはないってくらいに「会話」を楽しめた。

 ひょっとすると僕の場合、ゴッドファーザーよりも遺跡よりも魅惑の食べ物よりも、それが一番楽しかったかもしれない。
 今最も欲しいもの、それは………

 ホンヤクコンニャク♪<ありませんから。

 またそのおかげで、冬の間マサエは畑仕事をしているけど、だんなはその間フラフラ遊んでいるだけ、と思っていたフシがある父ちゃんの僕を観る目が、一味変わったものになったのであった。<すぐ忘れると思うけど。

 そして。
 今回のことがなければ、未来永劫訪れることがなかったかもしれないイタリア旅行を果たしたオタマサ。
 いつか行きたいと僕が常々言い続けていたにもかかわらず、まったく聞く耳を持たなかった彼女だったのだが、帰国後開口一番、

 「また行けたらいいねぇ!」

 目をキラキラさせて言うのだった。
 その一言だけで、彼女がどれほど楽しんでいたかわかっていただけよう。<言ってもわかんないけど行ったらわかる人。

 さて。
 今旅行のスポンサー、かつ本旅行記の重要なバイプレーヤーである父ちゃんにとって、今回の初イタリア旅行はどうだったのか。

 沖縄に戻ってきて早々、埼玉の実家の若女将から電話がかかってきた。

 「大絶賛だよぉ!!」

 よかった、父ちゃんも楽しかったんだ……。<朝酒が?
 その一言ですべてが報われた。
 なにはともあれ、多少の親孝行にはなったと思われる。

 こうして、我々のうれしハズカシ初ヨーロッパ、初イタリア、初シチリアの旅行は終わった。

 どこに旅行に行こうとも、もう一度行きたいと思わない場所は基本的にない。
 しかし、今回ほど強く再訪したいと願う場所は、これまでなかったかもしれない。

 あれほど何度も通ったトレヴィの泉には、ローマだけではなくシチリアについても、その効能を発揮してくれるよう期待しよう。