9・タオルミーナ到着

 12時間余という飛行時間を知って、乗る前から飽きていた父ちゃんは、離陸後2時間経つか経たないかくらいで、早くも飽きが頂点に達したらしい。
 2時間って、普通に日本国内を移動する時間なんですけど…。

 だから12時間なんてことになったらとんでもないか……と思っていたものの、案外途中途中で眠っていたようで、なんとかクリア。
 ところが本人曰く

 「全然寝られなかったよぉ」

 あのぉ……けっこう寝てましたけど。

 まぁ、ハワイのときみたいに突如マリオネット状態にならなかっただけでもメッケものか。

 うちの奥さんはといえば、例によって彼女のサイズだとエコノミー席でもビジネスクラスのスペースになるので、うらやましいくらいにゆったりたっぷり。
 居心地よさげに寝ては飲み、飲んでは読み、読んでは寝て、起きては飲んでいた。<飲んでばっかじゃん!!

 そうこうするうちに、ほぼ定刻どおりにローマ・フィウミチーノ空港に到着。
 我々にとって、イタリア、いや、ヨーロッパ初上陸である。

 空港内は当たり前ながらイタリア人だらけ。
 気取って着飾っているわけではなく普通の格好をしている姿が、普通に気取っているように見えるくらいに、みんなカッコよく見える。

 そんな様相の紳士が、なにげに果物を丸齧りしながら歩いている姿が、また絵になるのがなんだかクヤシイ。
 まぁそのへんもイタリアっぽいということか。

 が、そんな感想を抱いているヒマはなかった。
 なにしろローマ着が19時5分、そしてここからカターニア空港まで行く便は20時5分発なのだ。

 おまけに日本からの便が到着するターミナル3から、国内線が発着するターミナル1まで、近いようでけっこう遠い。
 道々に記される表示以外に確たる自信があるわけではないからやや焦りつつ、寄り道することなく早足でセキュリティチェックに達すると、係員から「もうボーディングが始まっているから急いで」などと言われる始末。

 急いでも何も……。
 そうこうしながらなんとかターミナル1に到着し、ローマ・フィウミチーノ空港発カターニア空港行きAZ1759便に乗り込むことができた。

 すると…
 成田発ローマ行きの便にはあれほどウジャウジャいた日本人が…………

 我々以外に一人もいない。
 席を目指して機内廊下を歩いていると、ものめずらしげな視線が四方八方から飛んできた。
 シチリアって、日本人も数多く訪れるようになっているはずなのに、どういうわけだ??
 そうか、日本のツアー客はたいていローマあたりで一泊してから、日中の便でシチリアに来るのか。

 この季節にこんな夜中の便でノコノコやってくる日本人は、思いのほか少ないのかな??

 そんな機内では、成田〜ローマ便内のような日本語説明があるはずはなく、ようやくここに来て「外国に来た」感が濃厚に。

 ところが!

 なぜか機内モニターでは、たまたまだろうけど現地人向け海外旅行ガイド番組が流れていて、よりによってその時の旅先が大阪!!

 シチリア行きの飛行機の中で、なにがうれしくて道頓堀のネオン映像とかたこ焼きシーンなどを観なきゃならんのだ。

 ひょっとして僕が大阪出身だということを知っていてのサービスなのか??

 んなわきゃない。

 ローマからカターニアまでの飛行時間は、およそ1時間15分。
 出発は定刻よりやや遅れたものの、9時40分くらいに到着。
 12時間余もの飛行時間に比べれば、離陸したかと思ったらもう到着ってなくらいにあっけなかった。

 そしてついに……
 ついにシチリア初上陸!!

 初めてのシチリアは………

 ………雨だった。
 うーむ、けっこう本降りだ。

 まぁ今日はホテルに到着するだけだから、雨であろうとなんであろうとどうでもいいか。

 モンダイは、我々の荷物がちゃんとカターニア空港まで到着しているかどうか。

 ただでさえロストバゲージ天国だというのに、このトランジット時間の短さ。あの短時間のうちに荷物はキチンと積み込まれているのだろうか?

 カターニアの空港は昔の那覇空港ほどのサイズなので、迷うことなく手荷物受け取り場に到着。
 はたして荷物は???

 荷物が出てき始めるまで、緊張のひととき。
 ひとつ、またひとつと荷物が吐き出されてくるのに、なかなか我々の荷物は出てこない。
 ひょっとして、バックヤードでジョン・マクレーンがテロリストと戦ってるのか??

 ここまでは順調だった。何かトラブルがあるとすれば、そろそろこういうあたりからかなぁ……

 …なんて思っていたら。

 出てきた!!

 しかも、我々が今や遅しと荷物を待ち構えていたカウンターの隣のレーンから。
 ああそうか、外国人は出る場所が違うから荷物を受け取る場所も異なるのか……。

 違う場所から出てきた我々の荷物に真っ先に気がついたのは、ほかでもない父ちゃんである。
 やるときはやるらしい……。<これが最後だったという説も。

 こうして荷物は3人分すべてゲット。
 しかも早いッ!!
 やるじゃないか、アリタリア航空。

 そして、その荷物を保安検査機に通すと………

 へ?これだけで入国審査終わり???
 空港職員のオバサマが、面倒くさそうに速く進め進めというのでそれにしたがう。上着を脱ぐ必要もベルトをはずす必要もなく、実にあっけなく入国終了。
 トランジットするときにセキュリティ審査が終わっている、ということなのだろうか。

 でも、パスポートすら見ないでいいの??
 このいい加減さ、アラスカのフェアバンクスに似ている。田舎はテロの危機とは無縁なのである。

 ともかく。
 さあ、ここからが今宵の第2関門だ。
 初めての土地の夜である。
 我々夫婦二人だけならともかく、父ちゃん連れ状態で空港からホテルまでの移動でオタオタする必要がないよう、専用車による送迎付きの手配をしていた。
 そのドライバーがキチンと空港にやってきているだろうか。
 なにしろイタリアだしなぁ。沖縄っぽいシチリアだしなぁ……。

 来てた!!

 到着ロビーに出た途端、すぐさまドライバー氏と合流。
 彼に案内されつつ、降りしきる雨の中、駐車場に停めてある車に向かう。
 車に乗り込む前に自己紹介。
 もちろんイタリア語。
 これがまた…………ちゃんと通じた!!

 で、運ちゃんの名はセバスティアーノということが判明した。
 まだ若い運転手だ。
 このての観光業従事者たちは、日本語は無理だけど英語は大丈夫という。
 でも、あくまでもイタリア語で通してみよう。

 セバスティアーノ、ホテルに夜11時までに到着できない場合は電話をしてその旨伝えないといけないんだけど、間に合うかな?

 「大丈夫!11時前には着きますよ!」

 時間的に微妙だったので、いきなり難易度の高いイタリア語での電話連絡という難関を覚悟していたら、セバスティアーノは太鼓判を押してくれた。

 その太鼓判どおり、セバスティアーノは飛ばす飛ばす!!

 降りしきる雨の中、遠雷を背景にアウトストラーダをぶっ飛ばすメルセデス・ベンツのワゴン。

 その車内にはわずかに聞き取れるほどの音楽が流れていた。
 イタリアの音楽かなぁ……と耳をそばだててみると、

 あれ?この歌、映画「トップガン」のなかで流れていた歌じゃん(Take my breath away)。

 これトップガンでしょ?

 「Si,si.

 セバスティアーノ、イタリア語で「トップガン」ってなんて言うの?

 「トップガン!!」

 そのままやん。

 そんなこんなで、こちらが「客」としての立場なら、ある程度会話ができるということが判明してきた。
 実はこれが今宵の第3の関門だったのだが、前途に光明がさすほどにクリア。
 この気持ちを例えて言うなら、己の実力が通じるかどうか、いささかの不安を抱えてインテルに合流したナガトモが、1試合終えてしっかりチームに貢献できたときに感じた気持ちに似ているに違いない。<そうなのか?

 また、質問に答えてくれるたびにgrazie(ありがとう)というと、彼は必ずprego(どういたしまして)と言ってくれる。
 英語で言うなら、
Thank you に You're welcome.なんだけど、それよりもなんとなく言いやすいし親しみやすく、この日以降もずっとその繰り返しになる。

 イタリアは、グラッツェ プレーゴの国なのだ。

 質問することに慣れてきた流れで、天気についても訊いてみた。
 なにしろ雨足はさらに強く、稲妻がときおり闇夜を切り裂いているのだ。

 セバスティアーノ、明日の天気はどう??

 「フゥーーーーーーム(いかにも残念そうに)………………今日と同じっぽいよ。でも!明後日はバッチシ!!明後日は!」

 我々が残念がるのを見るに忍びないからか、明後日のエ・セレーノを力説して勇気づけてくれるセバスティアーノ。

 Grazie.

 「Prego.

 でも……その明後日はバッチシってノリって、沖縄の「だいじょーぶぅ!」じゃないの??

 明後日のことがノリなのか天気予報が本当にそう言っているのかどうかはともかく、ともかく明日はこんな天気っぽいらしい。
 明日こそが僕の本番だったのになぁ……。

 まぁいいか。
 今宵はまず、無事にホテルにたどり着くことこそがテーマなのだから。

 他の二人は完全無欠の白地図のママながら、シチリアのどのあたりにある空港に降りて、どのあたりにある町に向かっているのかを知っている僕は、本来は右手に海が広がっていることを知っていた。
 が、闇夜プラス雨で海どころの話ではない。
 そして昼間なら、左手に「あるもの」がドドンと見える場所を通っていたことになるのだけれど、それを知るのは後日のことになる。

 そうこうするうちに、セバスティアーノ・ベンツは徐にアウトストラーダをはずれ、坂道を登り始めた。

 そして……

 あ、あれはカターニア門じゃないか!!
 その向こうがコルソ・ウンベルトか!!

 無論のこと、脳内白地図の他の二人にそんな感慨がわかるはずはなし。
 しかし僕は、写真でしか観たことがなかった通りや、地図でしか認識していなかった路地を目の当たりにし、それが想像以上にありえないくらいに細く、また異常なまでの路上駐車の道々であったことを初めて知ったのだった。

 そんな小道を抜けつつ進むと、ほどなく……

 ホテル到着!!

 時刻は午後10時45分。
 ありがとうセバスティアーノ、間に合った!!

 聞けば、彼はカターニアに住んでいるのだという。
 つまり我々を夜11時前にタオルミーナのホテルまで送ったこのあと、再び雨の中をカターニアに戻らなければならないのだ。

 いろいろありがとう!!雨降ってるから気をつけて帰ってね!

 握手しつつそういうと、彼は別れの挨拶を残し、爽やかに帰っていった。