13・レイルウェイズ

 出雲大社早朝参拝を終え、宿に戻って朝食。

 その後部屋で拙日記の更新などしながら休憩し、大島屋旅館をチェックアウトした。

 もっとも、出雲市を発つのはお昼頃の予定にしていたから、荷物はそのまま宿に置かせてもらい、身軽な状態で出雲散歩といこう。

 まだ一度も歩いていない、神門通りをテクテクしてみたい。

 神門通りといえば、勢溜から堀川に架かる宇迦橋橋詰めにある大鳥居まで、一直線に続く表参道だ。

 砂丘だった当時のままの地形になっている勢溜から見渡すと、なかなかステキな眺めである。

 ただし、とっても素敵な眺めの中に、なんとも邪魔な建物が。

 どの建物のことを言っているのかおわかりですね?

 日本屈指の観光地、出雲大社の表参道という意味でも、ビジュアル的にも、どう考えても邪魔でしょう?

 あの不届きな建物はいったい何だ?

 ジョニーのズーム機能で確認してみると……

 ……商工会館なのだった。

 正面に見える宇迦橋の大鳥居のほうがあとから建てられたというのならともかく、宇迦橋の大鳥居が建てられたのは大正4年のこと。

 この眺めのなかにこういうビルを建ててしまえる感覚が、ワタシには理解不能だ。

 ひょっとして、神門通りが再開発される以前(通りが今の状態になってまだ10年経っていない)、観光地としての出雲大社が落ち目だった頃は、このような建物がいくつも沿道に建っていたのだろうか?

 いずれにしても、商工会っていえば、お互いの事業の発展や地域の発展のために総合的な活動を行う団体である。

 出雲商工会も地域の発展のため活発に活動しているようだから、この建物、まずは一歩身を引いて上方に出っ張っている部分を撤去すると、地域の発展にかなり貢献すると思うんですけど……。 

 江戸の昔の出雲大社諸国漫遊営業マン(御師と呼ばれる方々だそうな)による活動で一気に参拝客が増え、一大観光地になった出雲大社は、当初はまったく別の通り(お宮通りなど)が参道だったそうだ。

 それが、様々なオトナの事情に配慮して随分離れたところに大社駅ができてから、新たに参道が整備された。

 それが神門通りだ。

 ところが平成2年にJR大社線が廃止されるとともに、出雲大社の参拝客は激減、しかも参拝客のほとんどがマイカーでやってくるとなれば、観光地としての神門通りはすっかり寂れてしまったという。

 フツーの田舎ならそのまま寂れていく一方になるかもしれないところ、さすが出雲大社を擁する土地の人々、観光地としての復活を目指し、神門通りの再開発に乗り出した。

 景観に配慮する建物、電線は地中化、歩道を広めにとって道全体を広くし、アスファルト舗装ではなく石畳状に。

 おかげでなんとも雰囲気のある通りになっている。

 しかし今の世の中、景観だけでは人、それも若い女性はなかなか呼びこめない。

 今現在の日本の観光地として欠くことができないものといえば、各種スイーツ。

 縁結びの力込みのパワースポット、神話、スイーツの3拍子が揃って、なおかつビジュアル的に今でいうなら「インスタ映え」する景観となれば、出雲大社とその周辺が、観光地として再び活性化するまでさほどの時間はかからなかった。

 それからまだ10年も経ってはいない神門通りは、なるほどたしかに門前町らしい佇まいでありながら、ぜんざいをはじめとするスイーツやそばなどの飲食店、それにアクセサリー系の可愛い店もズラリと並ぶ。

 参拝客、観光客を誘致するというこの土地の人々のバイタリティは、出雲地方一帯が大昔から山陰の一大商業地だったってことと無縁ではないのだろう。

 パワースポット押しも、境内のウサギさんも、この土地ならではの逞しさゆえなのだ。

 それは一口に言うなら、世の中のニーズに合わせているということなのかもしれない。

 しかしこれがフツーの田舎だと、世間のニーズに合わせて右往左往した挙句、結局何がしたいんだかさっぱりわからない町になる(本部町のように…)。

 でも出雲の人々の場合、一見そんなニーズに合わせているように見えながら、誤解を恐れずに言うなら、実は世の中を手玉にとっているってところが実態のような気がする。

 出雲大社およびその周辺は、この先世の中がどのように移ろい変わろうとも、いつの世も逞しい姿を見せ続けてくれるに違いない。

 さて、そんな神門通りをテケテケ歩いていると、一風変わった作りの建物があった。

 一畑電車の出雲大社前駅だ。

 表参道沿いに唐突に駅舎ってところがすごい。

 昭和5年に大社神門駅として開業して以来ずっとこの地にあるそうで、国の登録有形文化財や近代化産業遺産に指定されている、昭和モダンな由緒正しい建築物だ。

 なんだか雰囲気がよさそう。
 せっかくだから入ってみよう。

 あら、ステキ♪

 古臭いというのとレトロというのは一見紙一重ながら、プライドとロイヤリティをもって大事にされているかどうかが大きな違いだと思う。

 駅舎のすぐ外がホームになっている。

 この大社前駅は一畑電車大社線の始発・終点だから、発車時刻を待つ車両が停車している時間は長い。

 縁結びに乗っかったこの駅ならではの入場券が有名だそうで、それをお土産に持って帰る人もいるそうな。

 それを使ってちゃんと入場しているヒトもいた。

 後刻この車両がホームに到着すると……

 まるで飛行機を降りてコンコースに出てきた芸能人を迎えるマスコミのように、入場券を使ってホームに躍り出た撮り鉄たちが、目を輝かせて撮影していた。

 急行出雲大社号。
 なんかいわくアリの車両なんでしょうか?

 ホームには入場券が無いと入れない代わりに、駅舎の外からでもOKな場所に、気になるものが展示されていた。

 日本最古級の電車、デハニ50形・52号車。

 …って、ケンシロウに秘孔を突かれたワルモノみたいに「デハニ!」って言われたってなにもわかんないけれど、一般人にもっとわかりやすい説明が書かれてあった。

 おお、中井貴一主演のあの映画は、この一畑電車が舞台だったのか!!

 …ということを知ったのは旅行出発直前のことで、その撮影に使用された車両がここに展示されているだなんて、まったく知りませんでした。

 現役引退後は一畑電車の車庫で人知れず保管されていたそうなのだけど、映画公開を機にこうして駅のそばで常設展示されるようになったのだとか。

 車内も自由に見学できるようなので、中に入ってみた。

 他に誰もいないのを幸いに、出雲大社境内ではさすがにできなかったライフワークをするオタマサ。

 デハニで大の字。

 車内の随所に映画「RAILWAYS」関連の写真が飾られているこの車両、実は2009年に引退するまでの晩年はお座敷列車に改装されていたそうで、映画で使用するにあたり、一畑電車と映画製作サイドが元の客車仕様に改装し直したという。

 その際吊革は、沿線にある保育園がなぜだか保存している他タイプ車両用のものを借り受けたといい、返却された現在は吊革が無い。 

 せっかくだから運転席にも入ってみよう……

 ん?立ち入らないでください??

 あ、でも「運転中運転士に話かけないで下さい」ってあるくらいだから、これは現役時代の名残りプレートなのだろう。

 というわけで……

 電車でGO!

 もちろん動きません。

 でも。

 一畑電車では、こういうイベントも開催している。

 このタイプの引退車両がもう一台あって、それに乗って一般人が試運転できるという催しだ。

 雲州平田駅で毎週金土日各曜日に開催されているという、本当の電車を運転できるイベント。
 そんなものがあるとなれば、クロワッサンのゲストであるチーム「電車でGO!」総裁A木さんが黙っているはずはなかった。

 普段仕事でいくらでも電車を運転しているというのに、わざわざ旅行先でお金を払って電車をほんの120メートルほど動かし、大満足したというA木総裁。

 ホントに電車が好きなんだなぁ……。

 ちなみに、このイベントにて運転席についたA木さんは、係の方からすかさず

 「…プロですね?」

 と見破られたそうな。

 さすが総裁、おみそれいたしました。

 一畑電車(略称はBATADENというらしい)もこの駅も、なんだかとっても趣のあるステキな雰囲気。

 そのせいでこのあとの予定がすっかり変わってしまった。
 それについてはまたのちほど。

 ステキな駅舎を後にし、再び神門通りをテケテケ南下する。

 すると、例のあの建物が目の前に。

 ザ・商工会館。

 平成の大遷宮を祝う前に、まずはあんたが遷宮しろって。

 あ、遷「宮」じゃないか……。

 そうこうするうちに、やがて神門通りの終焉、堀川にたどりついた。

 ここに来て目に入るものといえば、フツーはまずアレのはずなのに、常人とはひと味違うオタマサの場合はこちらだった。

 スワ〜ン!

 余談ながら、上古の日本にとって鳥はかなり宗教的な存在だったそうで、それも水鳥となるといろいろな神話に神性をもって登場する。

 神社の鳥居も、そもそもは鳥の形象に由来しているのだそうな。

 そういえば高槻の今城塚古墳の傍らに再現されている埴輪祭りでも、水鳥の埴輪がたくさん並んでいる。

 この埴輪たちが意味するものが何なのかはワタシが知るはずもないけれど、何か特別なものであったことはたしかだろう。

 となれば、神々の土地で白鳥なんていったら、それこそ意味ありげではあるのだけれど。

 オタマサがそっち方面の興味で観ているはずはなし。

 しかもその近くには彼もいた。

 オオバーン! 

 もちろんカモ類も数多い。
 堀川、なにげに野鳥天国。

 しかし一般人であるワタシにとって、ここ堀川の橋詰めといえば、やはりこれだ。

 宇迦橋の大鳥居。

 大正の初めに北九州にお住いの篤志家から寄進されたものだそうで、純白ボディは高さ23.5メートルなのだとか。

 出雲大社ご本殿の高さよりもちょっぴり低く、という配慮によるらしい。

 遠近感のためにさほど大きく見えないけれど、出雲大社と書かれた扁額は、それだけで6畳分の大きさがあるという。

 鳥居、でかすぎ。

 現在の出雲大社参拝の公式順序(?)としては、この宇迦橋の鳥居、すなわち一の鳥居をくぐってから勢溜、そして参道の各鳥居と順を追って行くのが「参拝の心得」ということになっている。

 とはいえこの鳥居、大正の初めまでは無かったわけで、心得といわれても二礼四拍手二礼とはいささか重さが違うような気が……。

 ところで、この鳥居のすぐそばで堀川に架かる宇迦橋は、次の鳥居がある勢溜に向かって一直線になっている。

 たいていの場合橋といえば、最短距離にするために川に対して直角に架けられるものだけど、この宇迦橋は「勢溜に一直線」を優先するため、堀川に対して斜めに架けられているのだ。


Googleマップより

 知らずにフツーに歩いているだけでは気づけないような、こういったさりげない工夫のおかげで、神門通りは見晴らしのいいステキな表参道になっているのであった。

 この宇迦橋を渡ってすぐのところに出雲の阿国さんの像がある。

 そこからもうひと頑張り先へ進むと、やがて到着するのがここ。

 JRの旧大社駅。

 かつてここに駅があって、その駅舎は国の重要文化財になるほどに趣きがあって…ということは旅行前から知っていた。

 ただ、その駅が営業を終えたのはずっと昔のことだとばかり思いこんでいたところ、この駅舎が廃止されたのは平成2年!!

 平成2年なんていったら、つい最近じゃないか(※個人の感想です)。

 この駅舎が現役だった時代は、乗り鉄さんたちにも一般社会人にもかなり人気だったろうなぁ…。

 駅舎は現在も出入り自由で公開されているようなので、さっそく正面から入ってみると……

 おお、カッコイイ!

 大社駅の開業は明治晩年ながら、この駅舎は大正13年にできた2代目駅舎なのだとか。

 昭和モダンもいいけれど、大正ロマンもかなりいい。

 切符売り場のなかでは、微動だにしないお人形さんが当時の雰囲気を再現していた。

 オタマサ、切符を買うふりをするの図。

 この駅舎から、改札を通ってホームに出られる。

 ホームから線路に降りる階段があって、お向かいのホームにも渡れるようになっている。

 お向かいのホームから駅舎を見るとこんな感じ。

 いかにも廃線…といった風情ではあるけれど、こうしてホームや線路を残してくれているおかげで、ここもまた観光地になっているのだ。

 といっても、こういったホームや廃線を眺めて興奮するのは一部の廃線鉄くらいのものかもしれない(実際に、三脚を立ててホームや線路を熱心に撮っている人がいた…)。

 でもここ旧大社駅には、こういうものも展示されている。

 デゴイチことD51蒸気機関車。

 実際に往時のこの路線をこの機関車が走っていたのかどうかはは知らないけれど、こうやってちゃんと線路の上、そしてホームに停まっていてくれると、唐突に公園内にポンと展示されているモノと違って、見ているこちらとしても落ち着く。

 運転席にも乗れる(窓は開きません)。

 ホームの端から線路に降りて、でかさを実感することもできる。

 引いて撮ると、おお、銀河鉄道999のオープニングのよう。

 あれはC62だったっけ。

 一畑電車のデハニのように運転することはできなくとも、ここもまた、童心をくすぐってくれるステキな場所だ。

 デハニもデゴイチもまったくその存在を知らなかったのに、なんだかすっかりレイルウェイズになってしまった。

 この旧大社駅の駅舎の端のほうでは、近所の農家が持ち寄ってくるのか、市が開かれていた。

 大黒市というのが旧大社駅で毎週日曜日に…という話はどこかで目にしていた。でもこの日はまったくの平日だ。

 それも、寒いからか各種野菜が置かれているのは駅舎の中で、狭い場所で関係者のおばちゃん方が楽し気にご歓談の様子。
 冷やかし半分で入るには敷居が高くて入れず……。

 駅舎の中、晩年の切符売り場は現在観光案内所になっていた。

 出雲観光協会が昨年ここに移転してきたそうな。
 民間業者のレンタサイクルの案内も見える。

 旧大社駅は、ただ重要文化財であるだけじゃなくて、今もなお地域社会で活躍している建物だったのである。

 こういう駅舎が現役の駅だったらなぁ…と思う一方。

 利用客が少ないからこそ廃線になったわけで(昭和の中ごろからすでに廃線にするしないがモンダイになっていたようだ)、それを今さら惜しむってのはつまり、普段食べてもいないのに無くなった途端に惜しくなるカールみたいなものなのだろうか。

 カールはまだ西日本でいくらでも買えるけれど、このような駅舎は日本にあとどれくらい残っているんだろう? 

 大阪万博開催決定バブルで、トチ狂ったかのような駅リニューアル構想をぶち上げた大阪メトロにレトロの感覚は無かったしなぁ…。

 旧大社駅を満喫し、神門通りのお店を冷やかしながら来た道を引き返そう…

 …と思っていたのだけれど。

 再び堀川の宇迦橋まで来ると、川の上流側を見ていたオタマサが突如立ち止まった。

 先ほど観た白鳥が、道路側の岸よりにいたのだ。

 目を輝かせ、間近で観たいという。

 ここから川沿いに歩くとまったくの脇道になってしまうし、こちらから近寄ってもどうせ白鳥は逃げていくだろうに。

 …とは思いつつも、しょうがないので堀川沿いを白鳥目指して歩いてみることにした。

 ちなみに、海に近い平地のこのあたりの海抜は……

 ほとんど水納島の我が家と変わらない。

 なので川といってもけっこう海水も混じっているのかもしれない。

 川から海に乗り出しているのか、川だけで何かしているのかわからないけど、川べりには小型のボートが何隻も係留してある。

 一隻ごとに設えられている、手作り感溢れる専用バースがステキだ。

 似たり寄ったりのボートたちはどうやら漁業用っぽい。
 何漁のための船なのだろう??

 そうこうするうちに、白鳥に近づいてきた。

 より遠くに逃げてしまうか……

 …と思いきや、白鳥のほうから近寄ってくる。

 近隣のどなたかが普段餌を与えているのだろうか、尻尾を振って近寄ってくる犬のような勢いで、期待感漲るマナザシで白鳥さんがやってきた。

 スマン、スワン。

 あげるものが何も無い……。

 何ももらえないと知るや、チェッ…とばかり白鳥は去っていった。

 白鳥さんと会ったちょい先に、踏切と鉄橋がある。

 一畑電車の線路だ。

 空港バスの運転手さんはたしか1時間に1本くらいとおっしゃっていたから、すぐに遮断機が下りてくる心配はなさそう。

 駅側を見てみると…

 デハニがいつでも本線に乗り出せそうな雰囲気で停まっている。

 反対側は……

 線路は続くよ、どこまでも。

 冷たいレールに耳をあて、レールの響きを聞きたくなるような、思えば遠くへ行きたくなる単線のこういう雰囲気って、いつ見てもハートオブトラベラー。

 オタマサのこのいわくありげなアヤシい微笑み。

 そして午後の予定が、まったく変わった。