16・温泉津

 

 温泉津(ゆのつ)という地名はかなり古くからあるようで、平安の世に編纂された「和名類聚抄」にはすでに、「温泉郷」という記述がみられるそうな。

 その地名で温泉が無かったら詐欺同然ながら、もちろんのこと湯が湧いているからこそこの名がある。

 こちらの温泉の歴史は古く、1300年も前から開湯しているそうだ。

 そんな古い時代の温泉発見伝説では、1羽の白鷺が……という話が各地で見受けられる。

 けれどここ温泉津温泉の場合は、なんとタヌキが温泉に浸かって傷を癒しているのを、通りすがりの(?)旅の僧が見かけたことがきっかけなのだとか。

 お坊さんが温泉発見という話も各地にあれど、タヌキがきっかけだなんて、あまり他所では聞かない。
 下手をしたらタヌキに化かされているかもしれないというのに、このお坊様、そうとう信じやすいタイプだったのかも。

 聞くところによると、温泉津が湯の出るところとして名を馳せたからこそ、「温泉」という言葉が日の本で普遍的な名称になっていったという。

 いわば温泉津は、言葉としての日本の温泉の原点なのである。

 といっても、日本各地の大温泉地のように、「温泉街」としてどんどん拡大していくような発展をたどった歴史はなく、今もなお昔ながらの街並みの佇まいをみせる静かな湯治場といった風情であるらしい。

 そんな街並みが評価され、石見銀山が「石見銀山遺跡とその文化的景観」として世界遺産に登録された際、ここ温泉津温泉街もその「文化的景観」に含まれることとなった。

 つまり温泉津温泉街は、世界遺産なのである。

 ことさら世界遺産に興味があるわけではなく、むしろ世界遺産になってしまったせいで、無駄に大勢の人が各地を訪れるようになってしまうことを残念に思っている我々としては、世界遺産と言われてしまうと本来であれば及び腰になるところ。

 ところがこの温泉津温泉街は、いわゆる「世界遺産登録の恩恵」をほとんど受けていないらしく、ありがちな団体客ゾロゾロを心配する必要はなさそうなのだ。

 なるほどたしかに、温泉津駅の周りにはほぼ何もない。

 それどころか、なんと駅舎が……

 JRじゃなくてJAになっていた。

 開業100周年を祝っている温泉津駅というのに、駅舎を撮ったら農協の写真になってしまうじゃないか。

 ここ温泉津駅では、電車の到着に合わせて市営バスが発着していて、温泉津駅から温泉街までほんの5分ほどで運んでくれる。

 ところが、ホームで写真を撮ったりしてグズグズしているうちに、バスはとっとと行ってしまったのだった。

 というわけで、ガラガラズルズル荷物を引きずりながら、温泉街を目指す。

 ほぼ何もない駅前ながら、さすが温泉地、ウェルカムボードが迎えてくれた。
 ありがちだけど、こういう看板は到着した感を味わわせてくれる。

 さらにテケテケ進む。

 温泉津は海辺の町だから、駅から少し歩くだけですぐ海沿いの道になる。

 このあたりからもう漁港が見えてきて、しばらく行くと温泉街の入り口だ。

 そして駅から歩いてもせいぜい15分ほどで、温泉街に到着!

 ほぼ予定どおり、午後3時半には宿に到着した。

 温泉宿でもあるし、町には外湯もあるのだから、本来であればさっそく温泉にでも…となるべきところ。

 けれど出雲から西進するにつれ雲が増えてきていたのに、ここにきてだんだん青空が広がり始めてきた。
 翌日の天気予報が芳しくないだけに、今のうちに少し散歩しておこう。

 もともと小さな町の湯治場だから、周囲に観光客向けの何かがたくさん用意されているわけではない。

 でも何も無くとも見知らぬ土地を、テケテケ歩くだけでけっこう楽しいものだ。

 そうはいっても今日はもう朝から随分歩いているから、なるべく高低差のないところをのんびりダラダラと……

 …行くはずだったのに、いきなりこんな階段を登っていた。

 ここは戦国時代から温泉街とともに歩んできたという、龍御前神社。

 この神社では1年を通して毎週土曜の夜に石見神楽が上演されるそうで、今この時のひっそりと静まり返った佇まいからは想像もできないほどに、やる時はやる神社らしい。

 土曜夜にはこの拝殿の戸が開いていて、お客さんが中に入っていけるようになるらしい。

 石見神楽と言われてもまったく未知の世界ながら、こういうところで夜に上演される「夜神楽」だなんて、なんだか昭和以前の日本のようで素敵だ。

 その龍御前神社の昔の本殿が、背後の山の中腹で今も大切にされているという。

 そこからの眺めが良いということだから、当初の方針を変更し、ワッセワッセと階段を登っている次第。

 やがて階段は、登山道のようになってきた。

 そろそろエネルギーが尽きるかも…という頃、ようやく建造物が見えてきた。

 こちらが旧本殿。

 背後の岩にめり込むようにして建てられている。

 この旧本殿の上に覆いかぶさるように突き出ている岩が、まるで龍が口を開けているような…と言われている岩だ。

 龍かどうかはともかく、たしかに何かが口を開けているように見える。

 自然と人の営みが融合した佇まいが素晴らしい。

 素晴らしいといえば、ここからの眺めがまたベルベデーレ。

 西日を浴びて温泉津湾が輝き、鮮やかな石州瓦の家々が肩を寄せ合っている。

 温泉津はその字のとおり、温泉の津、すなわち港で、往時は石見銀山から採取された銀の積み出し港として、また北前船西回り航路の避難港として栄え、港には船がひしめき合うほどににぎわっていたという。

 なにしろこのあたりの地形はスーパー天然の良港なのだ。


Googleマップより

 銀の積み出しでにぎわい、各地から船がやってくるとなれば、往時は温泉街もさぞかし活気に満ちていたことだろう。

 眺めを堪能した後、漁港方面に行ってみることにした。

 ただでさえ天然の良港だというのに、そのうえキチンと整備されている漁港は、船を管理する上でとっても便利そうだ。

 奥に見える電球が並んでいる船は、イカ釣り船だろうか。

 これらの船は係留されているだけだったけれど、おりしも漁から戻ってきた船が次々に港に接岸している時間帯だった。

 かつて伊根の舟屋を訪れた際に伊根漁港で体験したような、地元密着型の魚の市でも開かれるのだろうか。

 と思いきや。 

 接岸しては、手早く船から漁獲物を下ろし、それぞれのケースに氷を詰めていく。

 そしてその漁獲物満載のケースたちは、大きめのトラックに次々に積み込まれ、どこぞへと発進していった。

 いかにも遠くまで行きます的なトラックの規模といい、手早い作業といい、なんとなく地元温泉津はスルーといった雰囲気。

 後刻宿の女将さんやスーパーのレジ係レディに伺ったところでは、実際そのとおりのようだ。

 というのも、ほんの少し前までの温泉津漁港では漁港でセリが開かれ、地元の方々も買い求めることができたそうで、小さな町温泉津にも鮮魚店が3、4軒あったという。

 ところが漁業従事者も温泉津の人口もともに減少してしまったのをうけ、島根県内の漁協も統合合併が進んだらしく、近隣の漁協はすべて、大田市内だかどこだかの都会にある大きな漁港でセリに出す仕組みになったのだとか。

 そのため温泉津の鮮魚店は現在1軒がかろうじて営業しているのみで、地元の方々が鮮魚を買い求めようと思ったら、わざわざ車で30〜40分もかかる街まで行かなければならないそうである。

 このあと温泉街のはずれにあるスーパーを除いてみたところ、鮮魚コーナーにはノルウェー産のサバがいるのみ。

 こんなに漁港が近いのに!!

 漁船から水揚げされていたケースには、美味そうなカレイ系やノドグロらしき赤く美しい魚がてんこ盛りだったのに!!

 全部遠方に流れてしまうのだ。

 もっと総合的に地域の発展を考れば、せめて漁獲物の一部を地元供給分とし、地元の需要を喚起しつつ地域とともに漁協も発展していったほうが、ひいては後継者問題も含めた漁業の振興にもなるだろうになぁ……。

 こういう場合、「世界遺産の温泉街」という名誉は、屁のツッパリにもならないらしい。

 地域振興、地域振興といいながらも、そういった行政の部署と農林水産関係の部署は、まったくリンクしていないのだろう。

 このあたり、地域振興とかなんとかいいながら不必要に巨大な運動公園や体育館を作る一方で、小中学校をどんどん統廃合していく行政と似ているかも。

 海辺の温泉街で漁港も近いとなれば、ひょっとすると伊根の舟屋のような鮮魚天国かも♪…とかなり期待していたのだけど、地方における過疎化&1次産業の人手不足というゲンジツは、そんな我々の甘い期待を軽く粉砕してくれたのだった。

 漁港にはつきもののアオサギが、近くに人がいることなど気にもならない様子で、おこぼれにあずかろうとチャンスをうかがっていた。

 温泉津漁港の獲れ獲れ鮮魚を食べることができるのは、ひょっとするとアオサギとトンビくらいなのかもしれない…。

 日が西にどんどん傾いていくと、日を浴びた街が輝き始めてきた。

 先ほどの龍御前神社の石州瓦も赤く煌めいている。

 下から見上げると、旧本殿は矢印の位置になる。
 もう一度行けと言われても、体力的にもう無理かも……。

 温泉街も、夕日に照り映えていた。

 漁業&鮮魚事情のゲンジツをまざまざと見せられはしたけれど、この街並みの佇まいはやっぱり素敵だ。

 温泉津温泉街、いいぞいいぞぉ〜。

 さてこのあとは、待ちに待った温泉&夕食タイム!!