21・さらば温泉津

 

 丸一日たっぷり過ごせた中日はあいにくの空模様だったのに、、一夜明けると朝からスッキリ晴れ渡り、どこまでも青い空が広がっていた。

 早朝から元湯で温泉に浸かり、なかのや旅館さんで美味しい朝食をいただいている我々。
 身も心も胃袋もポカポカ状態で仰ぎ見る青空は、世の中のすべてを肯定したくなるほどに爽快だ。

 この空のもとで散歩したかった!!

 この日は9時5分温泉津駅発のアクアライナーに乗る予定で、温泉津温泉街から出ている市営バスに乗って駅まで向かうことにしていた。

 女将さんによると、宿からほど近い薬師湯前にあるバス停から8時45分発のバスがあるとのことだった。

 なのでその時間に合わせて準備していたところ、おりからの配管工事のせいで、もう少し先のバス停までしかバスが来てくれないということに気がついた女将さんが、慌てて知らせに来てくれた。

 それでも時間は充分あるし、すでに何度も歩いているだけに少し先にあるというバス停の場所も見当はついたから、当初の予定よりも少し早めに宿を出るだけで特に問題はない。

 でも女将さんは、本来であれば駅まで車で送るところ、所用あって送れないことを申し訳なく思われていたためか、その少し先のバス停までわざわざ一緒に歩いて案内してくださった。

 那覇空港からの直行便がないだけに、沖縄からわざわざ遠路はるばるここまで……と女将さんはいろいろ気を遣ってくださっていて、温泉津は湯治場なので特に観光スポット的なところがないんだけど……と当初は心配げでもあった。

 でも。

 すでにどこかでも触れたように、経済の名のもとに日本中が地域ごとの特色を失い、どんどん統一規格の街並みになってしまっている今の世の中で、「街の顔」を持っている土地を訪ねることのなんとゼータクで楽しいことか。

 閑散期中の閑散期だから、観光地としての温泉津温泉が本来持っているポテンシャルの半分も味わえなかったのかもしれないけれど、我々の旅行目的としては充分すぎるほどの旅情を味わわせていただいた。

 滞在中もバス停までのほんの数分の道のりをご同行いただいている間にも、女将さんから温泉津の今昔話をいろいろと教えていただいた。

 女将さんによると、温泉津町内に4つあった小学校は2011年に統廃合されて1つになり、旧福波小学校が新しい温泉津小学校になったそうな。

 そのため駅のすぐ近くにあった旧・温泉津小学校は、現在寂しく校舎が残るのみ。

 新・温泉津小学校は、温泉津温泉近辺からだと小学生にはちと遠い。

 そのゆえのスクールバス通学なのだ。

 しかし1つでも地域に学校がある小学校はまだいい。

 温泉津町内唯一の中学校だった温泉津中学校は、2014年に仁摩中学校と統合され、仁摩中学校側に「大田西中学校」として新たな中学校が開校したそうな。

 温泉津温泉付近にいる中学生は、10キロ以上もの距離を毎日通わねばならない。

 電車かバス通学必至のその距離……。

 廃校になる最後の年の温泉津中学校の生徒は、61名もいたという。

 都会ならたった61名ってなところかもしれないけれど、現在生徒数たった1名の水納中学校が身近にある身には、とんでもなく多い生徒数である。

 にもかかわらず統廃合。

 立派な総合体育館を造るお金があるのなら、少しでも長く地域に学校を残す努力に回してくれよ、大田市……ヒモ付き予算じゃどうにもならないか。

 それ以前に、机上の数字合わせをして予算のやりくりをしようとする教育委員会には、地域の将来などまったく念頭にないことだけはたしかだ。

 10年ほど前のことながら、水納島にさえ統廃合の打診をしにきた本部町教育委員会の姿を目の当たりにしたかぎりにおいて、これはもう確実に断言できる。

 マスコミにしろネットにしろ価値観も都会仕様に統一されてしまっている今の世の中では、若者たちの都会志向は昔以上に強いことは間違いない。
 なればこそ、地域に育った若者たちが都会へ出ていってしまう流れはなかなか避けられない。

 そんな世の中であっても、こういうところでこそ暮らしたい、こういう環境でこそ子供を育てたい、という若い人たちだってたくさんいるはず。

 そんな需要に広く門戸を開き、よそ者でも暮らしやすい地域社会を模索していけば(もちろん「よそ者」にもそれ以上の努力はいるけど)、ひょっとすると、マスコミやネットが生み出す画一的都会志向価値観とは異なるものが、ジワジワと広がっていくかもしれない。

 そうなれば、地元に生まれ育った子供たちにも、いくつも選択肢が生まれてくることだろう。

 まずは、Uターン、Iターンをしやすい地域社会。

 そんな地域の将来のためにも、学校はマスト、不可欠の存在のはず。

 建前上は教育論を振りかざしつつも、つまるところは予算の合理化だけを目的に統廃合をして学校を無くしていくだけの、それも生徒が61名もいるのに廃校にしてしまう教育委員会なんて、地域社会にとって百害あって一利なし。

 現在の温泉津は大田市温泉津町ながら、以前は市町村単位としての「町」として頑張っていた。
 しかし平成の合併のブームの前についに力尽き、2005年からは大田市温泉津町になってしまった。

 今や大田市のなかの一僻地になってしまいつつある温泉津は、学校に去られ、漁港のセリに去られ、過疎化の道一直線なのである。

 こんなことになるくらいなら、合併せずに温泉津町のままでいれば……と思うヒトは住民の中にいらっしゃらないのだろうか。

 ちなみに、石見銀山や温泉津温泉街が世界遺産に登録されたのは、温泉津町が大田市と合併した2年後のことである(合併したからこそ世界遺産への道が開けたのかもしれないけど…)。

 温泉津漁港でのセリが無くなったのも、小学校や中学校の統廃合も、もちろんその後のこと。

 温泉津の町が再び活気を取り戻すためには、ひょっとすると大田市からの「独立」が近道かもしれない?

 女将さんが広島から嫁いでこられたばかりの頃に比べれば、どう考えても不便の度合いが激増しているだろうに、それでも女将さんも温泉津生まれのご主人も、これからも温泉津温泉のステキな旅館でお客さんをもてなし続けてくれることだろう。

 素晴らしかった温泉津温泉の湯と同じくらい、なかのや旅館さんもこのうえなく心地いい宿でした。

 女将さん、いろいろお世話になりました。ありがとうございます!

 市営バスのバス停は、なかなかオツな感じで風化していた。

 表示が町営バスのままなところがまたそれっぽい。

 やがて時間どおりにバスが来た。

 市営バスといっても……

 フツーのワンボックスカー。

 そりゃそうだ。需要もさることながら、温泉津温泉街の通りを大型バスが通れるはずはない。

 まるで宿ごとの送迎バスのようながら、車内にはちゃんと……

 市営バスとしての料金表が運転席後ろの掲げられている。

 そしてさすが温泉津温泉行きバス、ボディには……

 温泉発見の功労者、タヌキのペインティング。

 ご丁寧にもフロントには顔が、そしてリアには……

 ちゃんとタヌキのお尻&尻尾。

 タヌキがいてくれたからこその温泉津温泉なのである(今もときおりタヌキ目撃談があるらしい…)。

 温泉津駅で降車後、バスが出てしまう前に…と慌ててて撮っていたのだけれど、なにげに運ちゃんさんは撮り終わるのを待ってくれていたらしい。

 だったら到着した日も待ってくれていればよかったのに!

 …あ、違うヒトですね、きっと。

 半分農協の温泉津駅に再び戻ってきた。

 構内の時刻表を見てみると……

 これまでの旅行で見てきた各地方同様、なんとも疎らな数字たち。

 田舎ではこれが当たり前とはいえ、この便数じゃあ、ほんの3駅先であっても中学生が電車通学ってのは現実的ではないなぁ……。

 中学生もスクールバスなのかな?

 きっぷ売り場とは書かれてはいるけれど、農協の事務所なんだか駅員事務所なんだかよくわからないオフィスを見ると、棚の上に2枚の額が飾られていた。

 ん?

 あのお姿は!!

 寅さん!!

 そう、映画「男はつらいよ」シリーズ第13作「寅次郎恋やつれ」では、ここ温泉津温泉でロケが行われたのだ。

 地方ロケといえば寅さんとマドンナというパターンが多いなか、このときはなんとさくらとタコ社長までが、寅さんとともに温泉津駅に降り立っているのである(ちなみに本作のマドンナ吉永小百合は温泉津には来ていない)。

 街の顔、地方の特色がどんどん失われ、過疎化のために町そのものが消えていく今の世からすれば、もはや「日本の地方」民俗博物館といってもいいほどに、各地の懐かしい風景が観られる映画「男はつらいよ」シリーズ。

 ここ温泉津も、しっかり「博物館」に展示されているのである。

 …とエラそうにいいつつ、この第13作はまだ未見のワタシ。

 74年公開の映画だもの、温泉津の賑わいも今じゃ想像すらできないほどだったんだろうなぁ……。

 そうこうするうちに、とうとうアクアライナーが到着する時刻が近づいてきた。

 これで温泉津ともお別れだ。

 がんばっても年に一度の我々の旅行、まだまだこの先行きたいところが目白押しとあっては、生きている間に再び訪れる機会があるかどうかはわからない。

 でもこれでまたひとつ、何気ないときにふと思いを馳せることができる土地が増えた。

 この空も海も町も、もうけっして他人ではない。