余禄2・宮津の富田

 

 今回の大阪への帰省では、父と祖母の墓参りというマストのほかに、この機会に是非と思っていたことがあった。

 それは、京都は宮津へのお墓参り。

 我々が水納島に越してきて以来、いや、ダイビングサービスクロワッサンアイランドということでは、それよりもずっと以前から懇意にしてくださっていたゲストが、一昨年にお亡くなりになった。
 晩年はすっかりご無沙汰していたから、今回せめてお墓参りでも…。

 ずっと大阪にお住まいだった方なので、お墓もてっきり大阪近辺にあるものと早合点しつつ、ご遺族の方にお墓の場所を伺ったところ、まったく想定外の宮津の古刹にお墓があるとのこと。

 日本海側の京都、沖縄からであればたしかに大阪近辺といえば近辺ながら、高槻にいるとけっこう遠い。

 でもお墓参りに伺わせていただく前提で所在をお尋ねしていたこともあり、ここはひとつ帰省中に宮津まで足を延ばしてみることにしよう。

 宮津市といえば、天の橋立だ。

 かつて年末タンゴ紀行で足を運んだあの土地である。

 なので行き方に関してはかつて知ったるところ。
 前回同様京都駅まで出てから特急「はしだて1号」に乗ることにした。

 そのため摂津富田駅からまずは京都へ。

 で、摂津富田駅でまず驚いた。

 いつの間にか、「JR総持寺駅」ができている!

 造る計画があることは生前父から聞いていたけど、もう既存の駅状態になっていたとは…。

  高槻駅止まりの普通だったので、高槻で新快速に乗り換え。

 その高槻駅でも驚いた。

 なんと、特急サンダーバードが高槻駅に停まっている!!

 サンダーバードといえばかつての雷鳥。

 雷鳥といえば子供のころから、リーフ際のツノダシと同じくらいいつでもどこでも見ることができる特急だ。
 でも高槻市内は、ただ通過するだけだったのに……。

 吹田市民歴も随分長くなった愚弟に聞いたところによると、高槻駅はこの沿線でも有数の利用者数を誇る駅だそうで、それを利用しない手はないというJRの判断らしい。

 これなら金沢への日帰りも超お手軽、近江町市場でランチ!も気軽にできてしまうではないか。

 さてさて、京都駅に着いて特急券を買い、はしだて1号に乗車しようとして……

 …またびっくり。

  特急のヘッドマークが無い!

 最後尾車両だから無いのだろうかと思い、すぐ近くにいた車掌らしき乗務員さんに尋ねてみると、前にも後ろにも、真ん中の連結部分(この車両の「顔」部分が、クリオネの捕食モードのようにパカッと開いて通路が出てくる)にも、どこにもヘッドマークは無いそうな。

  かつては↓こうだったのに。

 たった6、7年で随分様変わりしているJRに、田舎者はただただ浦島太郎化するのだった。

 もっとも、JR事情は変わっても、京都発の山陰本線の車窓の風景は、以前とほとんど変わっていなかったように見える。

 そんなこんなで、はしだて1号は11時過ぎに宮津駅に到着。

 宮津の「津」は、温泉津と同じく昔から港だったからこその名前。
 なので駅からちょっと歩けばすぐそこが海、漁港も目の前にある。

 その宮津駅から西へテケテケ歩いたところに、金屋谷という、古刹が密集している寺町がある。

 件のゲストが眠っておられるお墓は、そのなかのひとつ栄照院というお寺にあると伺っていた。

 地図を頼りに金屋谷の寺町目指してテケテケ歩いていると、途中にある大手川の駅側の土手が、まるでお城の城壁のようになって長く伸びていた。

 それもそのはず、この大手川は宮津城の外堀にあたるのだそうで、かつて川の駅側は本当にお城だったのだ。

 城壁のように見えるのも当然、近年になってその城壁を復元したものなのだとか。

 宮津城といえば、細川元総理のご先祖、細川幽斎が最初に築いた城で、その後幽斎が舞鶴に隠居したあと、息子でありガラシヤ夫人の旦那である細川忠興の居城となっていた。

 そしてパクリ功名が辻・山内一豊と正直者の堀尾忠氏が小山でヒソヒソ話をしていた頃に、決起した三成方の勢力にこの地も攻め込まれた。

 家康に従軍している忠興の留守を預かっていた幽斎は舞鶴の城(田辺城)にたてこもり、圧倒的多数の敵を相手に50日も籠城して、三成方の戦略を大いに狂わせたのだった。

 関ヶ原後に細川家が熊本に栄転(?)されたのは、家康に従軍していた忠興の功ももっともながら、この幽斎の頑張りが非常に大きかったはず。

 細川家が熊本に石高大幅増の栄転となったあと、丹後にやってきたのは京極家だ。

 現在宮津城跡とされている構造は、すべて京極家の手による大改修後のものなのだとか。

 今は鄙びた海辺の町に見える丹後宮津も、その昔は戦略的にもかなりホットな要衝の地だったのである。

 ホットだったのは戦国時代だけのことではない。

 日本海が物流のスーパーハイウェイだった古代、北九州や出雲、越とならぶ大きな力を持っていた勢力が丹後にあったことは考古学的に立証されている。

 それをして丹後王国という説も数多い。

 ちなみに、宮津の津は港のことである一方、宮とはすなわち神社。

 創建は有史以前という丹後地方の一ノ宮、籠(この)神社のことだろう。

 以前チラ見した際に後日チラと調べてみたところ、タダモノならぬ気配がうかがえた。
 今回出雲大社を訪れたあとに改めていろいろ調べてみると、実に興味深い神社だということがわかってきた。

 籠神社の摂社であり奥宮である真名井神社の本殿裏には磐座があるそうで、神々の依り代としての屋代が無かった上古から信仰の対象だったのは明らからしく、籠神社の創建が有史以前とされる所以だそうな。

 やはりこの磐座近辺からも勾玉等が出土しているという。

 そういえば、同様に磐座があって勾玉も出土した出雲大社摂社の命主社の先には、真名井の清水という湧き水スポットがあったっけ(行けなかったけど)。

 真名井(まない)とはいったい何??

 どうやら神事にかかわる清水のことのようで、各地にその名を冠する神社や井戸、湧き水スポットがある。

 とりわけ「天の真名井」といえばベストオブベストの清水というべき清水に対する最大級の賛辞だそうな。

 真名井神社に続く階段の登り口手前にも、天の真名井の名がついた湧き水スポットがあるらしい。

 丹後の強大な勢力が王国だったのかどうかは知らないけれど、当時から籠神社は、間違いなくこの地の重要な宗教空間だったことは間違いなさそうだ。

 出雲大社はその後の経緯で別の権威(?)も備わったせいで「別格」感があるものの、上古は出雲に出雲大社があるように、丹後には籠神社があったのである。

 ああそれなのに。

 かつて天橋立を訪れた際には、天橋立を見下ろす展望台へ行くケーブルカー乗り場への経路として通過する際に、拝殿でお参りをしただけ。

 当時すでに抱いていたおぼろげなバチ当たり感は、今や確信に変わった……。

 ともかく、弥生時代の古代史といえば、邪馬台国はどこだどこだという話ばかりに終始しているように思われがちだけど、金属器の登場で飛躍的に生産力が増した弥生時代の日本は、実は今よりも遥かに「地方」がダイナミックに躍動していたっぽい。

 なにしろ当時は「中央」がなかったのだから。

 うーむ、地方にとっては、そもそも「中央」など無いほうがいいのかも……。

 そんな上古の繁栄など微塵もうかがえない宮津市の静かな官公庁街(?)を歩いているうちに、やがて金屋谷の寺町にたどりついた。

 地図を頼りに、栄照院に到着。

 ここでモンダイがひとつ。

 墓地が境内にあることはわかっていたけれど、その墓地のどこに故人のお墓があるのかはわからない。

 今出来の霊園のように碁盤の目に区画整理された墓地ではないし、管理事務所があってそこで訊けるというわけでもない。

 いつもここというタイミングで御前様が出てくる「男はつらいよ」のように、住職が境内で庭木に水を撒いておられた……なんてことがあるはずもない。

 というわけで、本堂の背後の小高い山の斜面に並ぶ墓石を巡り、故人のお墓を探すことにした。

 かつて道後温泉滞在中に秋山好古・真之兄弟のお墓を探し求めた際は残念ながら発見に至らなかっただけに、寺の境内で目当ての墓を探す難しさを覚悟していたところ、何の力か、今回は無事お墓の前に立つことができた。

 この地で静かに眠っておられる他の皆様、お騒がせしてすみません…。

 ご存命中には結局何も恩返しができなかった我々なので、お詫びも兼ねつつそっと手を合わせる。

 高槻から持参した供花が墓石に比してかなりショボくて申し訳なかったけれど、気持ちはきっとあちらの世に届いたことだろう。

 これで、宮津まで来た目的は無事果たし終わった。

 目的は果たしたけれど……

 我々にはここ宮津に目当てもあった。

 それは……

 富田屋!!

 丹後の宮津にこの店ありとその名が轟いている名店で、旅館営業の傍らやっている食堂…というよりは、食堂の営業のついでに旅館業も…という感じにすら見えるこのお店は、宮津駅の目の前にある。

 富田屋と書いて、「とみた屋」でも「とだ屋」でもなく…

 「とんだ屋」と読む。

 富田と書いて「とんだ」と読む固有名詞を、実家近辺の住所や駅以外で初めて見た気がする。

 我々としては翌日月曜日がベストだったのだけど、あいにく月曜はこのお店の定休日。

 せっかく宮津まで来るのだったら、是非この店に立ち寄ろうってことで、お墓参りの予定を決めてしまった……。

 お墓参りと富田屋、その間に入る不等号はいったいどちら向きなのだ。

 でも生前はお酒が大好きだった故人だから、きっとあちらの世に気持ちが届いていることだろう。 < 調子よすぎ。

 しかし超絶人気店の日曜日となれば、混雑は必至。

 お墓参りを済ませ、駅前に戻ってくると……

 わーお、ウワサに違わぬ人気店。

 駅からお寺を目指して歩き始めた時点ですでに行列ができていたくらいだから、お昼を随分過ぎるまでほぼ途切れることはないのだろう。

 店の入り口前に用紙が置かれてあって、それに名前と人数を書いて、お店に呼ばれるのを待つ仕組みのようだ。

 フツーだったらこんな列に並んでまでして食べたいとは思わない。
 しかしここでひるんでいては、いろいろ無理を押してこの日にした意味が無い。

 帰りは午後3時4分宮津発のはしだて6号に乗る予定だったから、ともかく時間はたっぷりある。
 とりあえず名前と人数を書いておき、この近くをウロウロすることにした。

 富田屋さんの厨房スペース入り口には、ハタハタと思われる魚が干されているほか、無造作に越前ガニやマグロがドテ…と置かれてあったりして、海幸の無尽蔵ぶりがうかがえる。

 そんな海幸をもたらす漁港まで歩いてみた。

 漁港ではすでに午前中の水揚げ作業が終わったあとらしく、後片付けモードになっていた。

 ウワサによれば、ここの漁協の2階には、仕事を終えた漁師さんたちも食事をするレストランがあるらしい。

 朝は水揚げ作業をしているご婦人方が働いているそうな。

 さすがにそういうところなら、温泉津漁港のように水揚げされたものが地元スルーってことはないのだろう。

 岸壁沿いに歩いてみると、漁港最奥部にはこんな船が。

 船側には、HOTEL TANGOと書かれてあった。

 アルゼンチン人が経営しているホテルなんだろうか??

 …と1.5秒間くらい思ってしまったワタシをお許しください。 

 どうでもいいことながら気になったので調べてみると、このクルーザーはホテル丹後の総支配人自らが加山雄三化するのだそうな。

 夏にはお客さん相手に、各種マリンスポーツと併せて活躍しているという。

 ちなみにホテル丹後のウリ文句のひとつには、

 「宮津漁港のセリで毎日仕入れます」

 とあり、

 「毎日セリに足を運んで仕入れるから、新鮮なものを手軽な料金でご堪能いただけるのがホテル丹後の自慢です!」

 とのこと。

 そうだよなぁ、それであってこその地元の漁港だよなぁ……。

 しつこいようだけど、温泉津漁港も再びこうなってほしいと切に願う。
 JFしまね、お願いしますよ。イオングループと直接取引開始!なんてアピールしてる場合じゃないですから(※旅行者目線の勝手な意見です)。

 地図によると、このクルーザーが停泊しているところからほんの少し行ったところが、かつての宮津城の本丸跡らしい。

 でもそろそろ名前を呼ばれる頃かもしれないので、富田屋に戻ってみる。

 ところが、あいにくお昼時ジャストのタイミング、我々よりも前の名前が、ほとんど「済」になっていない。

 我々同様名前を呼ばれるのを待っている人々の中には、小さなお子様連れのご家族の姿もあった。

 小さなお子様にとってはグルメ情報などまったく関係ないのだから、その辺のお店で並ぶこと無く食べさせてあげればいいのに。

 「お腹空いたぁ…」

 と親に訴える幼児の声が痛々しい…。
 親のグルメ満足のために幼児が空腹をこらえる、というのは、幼児虐待にはならないんですかね?

 そうこうするうちに、一組呼ばれ、また一組呼ばれて行き、ついに我々の出番到来!!

 まずは無事着席を寿ぎ、乾杯。

 案内された席は、レジに一番近い場所だった。

 これが実はとってもラッキーだったのだ。

 というのも、各種定食や定番はテーブル上に置かれているメニューで確認できるけれど、水揚げ状況、仕入れ状況でその日ごとに変わる本日のメニューは、レジ前にあるこの黒板でしかわからない。

 お刺身、揚げ物、焼き物、煮物、酢物、その他と一列ごとにジャンル分けされたメニューが、ズラリと並ぶ。 

 お客さんの中には、わざわざ席を離れてこの黒板の前まで来てじっくり選んでオーダーしているヒトもいた。

 我々の席はその黒板の真ん前!

 まさにポールポジションである。

 ただし、時間帯や混み具合によっては、まとめて最初にオーダーをしておかないと、追加注文に応じられないこともある、なんて説明書きもあった。

 幸いすでに昼のピークは過ぎていたので、そういうことにはならず、居酒屋のようなノリで順次オーダーすることができた。

 黒板の前で居酒屋のノリとなれば、もはや勝利は確定したようなもの。

 だからといって、本日のメニューは売り切れたものから次々に消されていくから、グズグズしている場合ではない。

 まずはとっても気になるカサゴ(こちらではガシラというらしい)込みで刺し盛りを。

 やがて出てきた刺し盛りは……

 超豪華〜〜〜〜!!

 どれもこれも獲れ獲れピチピチの極上刺身ながら、カサゴのお刺身がまた……

 ……めっちゃ美味いッ!!

 おそらくはその昔伊豆大瀬崎に潜りに行っていた頃、ドライブがてら伊豆半島を寄り道していた時に立ち寄った鮨屋で食べて以来のカサゴの刺身。

 あまりの美味さにオタマサが吠える。

 カサゴも吠える。

 その他、イワシの天婦羅に…

 ソイの塩焼き、

 そしてハタハタナンバことハタハタの南蛮漬けに……

 もうちょっと揚げ物を食べたかったのでサヨリとキスの天婦羅。

 どれもこれも美味い!!

 そして……

 驚異的に安いっ!!

 旬のカニ系はさすがにエクスペンシブながら、周辺を固める脇役陣の安さときたら。
 イワシの天婦羅なんて一皿250円ですぜ。

 この安さ、大手外食産業や居酒屋チェーン店が成しえている低価格の理由(知るとまず食べたくなくなる)とは、まったく異なる立脚点に立っていることは言うまでもない。

 いやはや、席が空くのを待った甲斐があった。

 富田屋、聞きしに勝る超絶名店でありました。

 ちなみに、地図やメニューの参考にはするグルメサイトの、まずアテにすることはない「クチコミ」のなかには、店員の対応がどうのこうのとクレームをつけている輩もいた。

 たしかに忙しい時間帯はオーダーするのもされるのも大変そうに見えたけれど、三ツ星ホテルに宿泊する料金を払っているかのようなクレームを、こういう食堂につけてどうする。

 ちなみに我々は、けっこうたくさんいらっしゃる忙しげに働いている婦人方のお1人とは、大袈裟に言うと注文するごとに気心が知れるようになり、お会計を済ませて席を立つ頃には彼女に遠くから笑顔でお見送りいただいた。

 店の接客の対応を厳しくチェックする前に、接される側の態度はどうなのかということにも気を配ったほうがいいんじゃなかろうか。

 そんなこんなで大満足の富田屋ランチビールタイム。

 地元の方ならともかく、わざわざ遠方からこの店に来ているというのに焼肉定食を召し上がっている観光客の気持ちがまったくわからなかったワタシではあるけれど、ここらでひとつ締めの一品……

 カレーうどん♪

 富田屋さんにはお子様向けメニュー的にカレーライスもあって、おそらくはそのカレーをそのまま出汁と合わせているのだろう、ジャガイモが入っているところには意表を突かれたものの、かなりカレーを求めていた体にとって、カレー味の出汁はもはや各種生薬満載の養命酒のようなもの。

 めちゃくちゃ美味しい。

 たらふく食ってこのうえまだ食べるのか、と呆れていたオタマサも、なんだかんだ言いつつ一杯のかけそば状態で美味しい美味しいと食べていた。

 今この時になって我々の近くに座った飲兵衛さんなら、「この店に来てカレーかよ…」と呆れておられたかもしれない…。

 たらふく食べてもはや身動きがとれなくなりつつあったものの、幸いにして目の前が宮津駅。

 電車に乗ってしまえば、あとは寝るだけだ。

 やがてホームに特急「はしだて6号」が到着した。

 特急「はしだて」はJRのものながら、福知山から北の路線はJRではなく、京都丹後鉄道になる。

 なのでこの区間を走る京都丹後鉄道は一両編成が主らしく、それぞれの車両はかなり味わい深い。

 ところで。

 我々が以前丹後を訪れた際は、たしか北近畿タンゴ鉄道という社名だったはず。

 それが今は京都丹後鉄道?

 調べてみると北近畿タンゴ鉄道は、2009年時点における日本の第三セクター鉄道では断トツワーストの大赤字会社だったそうで、20期連続で赤字を計上し続けているらしい。

 智頭急行とは大違いのようだ。

 そんな経営状況を受け、北近畿タンゴ鉄道は組織を改編。
 2015年から路線保有は北近畿タンゴ鉄道、運行事業は新たな会社・京都丹後鉄道ということになったそうな。

 ちなみに京都丹後鉄道、略称は丹鉄(TANTETSU)。

 タンテツ!!

 かつて年末タンゴ紀行において、ワタシが勝手に命名した北近畿タンゴ鉄道の略称ではないか。

 京都丹後鉄道、当サイト旅行記を見たに違いない……。

 < 誰でも思いつくって。

 定刻どおり宮津駅を発車したはしだて6号は、福知山を過ぎ、亀岡を過ぎ、無事京都駅に到着。

 京都駅から西明石行きの普通電車に乗って、摂津富田駅に帰り着いた。

 この日は、富田から富田への日帰り旅だったのだ。

 すでにとっぷり日も暮れた日曜日、世間は家族団欒のひとときを迎えていることだろう。

 でももうこれ以上何も食べられない体になっているワタシは、ただただ横になって眠っていた……

 ……かったのだけど、帰り着いた実家には、

 愚弟一家が待ち構えていたのだった。

 …当初からそういう予定だったのですけどね、ええ。

 これ以上何も食べられない状態の体の前に、ご馳走がズラリ。

 ワタシ、ついに力尽きて倒れてしまうかも……。