4・七代目はドライバー

 埼玉から出雲へは、羽田発の飛行機を利用する。

 東京〜出雲間はJAL便しかないので、とっておきのANAのマイルも残念ながら使うすべがなく、またそういうマイナー路線に限って、早割りであっても大して安くはならず、運賃はバカ高い。

 事情はわかるにしても、那覇〜羽田よりも羽田〜出雲のほうが高いというのは、理性がなかなか納得しない。

 この日2月12日の関東地方は抜群のお天気で、浜松町から乗ったモノレールからも、そして空港ターミナルからも富士山がクッキリ見えていた。

 空港ロビーで富士山を眺めながらのんびりするか…

 …と思っていたら、JALのマイナー路線のロビーは寒々とした階下で、そこからバスに乗って飛行機まで行くことになる。

 なので、せっかくの富士の眺めも……

 …なんだか侘しい。

 頭を雲の上に出し、四方の山を見下ろす富士が、クレーンよりも低くてどうする……。

 しかし定刻どおり羽田空港を離陸したJAL機(出雲行きなのに、なぜか機体の横に「さあ、でかけよう!北海道」と書かれていたのには笑った)は、途中で素敵な眺めを提供してくれた。

 富士山がクッキリ♪

 羽田から那覇に向かうときも機内から富士山を見る機会はある。
 しかしそれは太平洋側からで、このように山梨県側の上空から拝むのは、ひょっとすると初めてかもしれない。

 日本アルプスもバッチリ♪

 定刻どおりに羽田を発したJAL機だったのに、どういうわけか、出雲空港への到着は10分ほど遅れた。

 ひょっとして機長、景色が良すぎてゆっくり行き過ぎたのだろうか?

 羽田ではバスからの搭乗という立場においやられていたJAL機、出雲ではちゃんとボーディングブリッジが接続してくれた。

 その窓から、建物に掲げられたこの空港の愛称表示が見えた。
 その名も…

 出雲縁結び空港

 「竜馬」だ「つばき」だ「こうのとり」だ、その土地の特徴的なものを愛称に付ける空港は多いけれど、さすが出雲、縁結び空港とは。

 離婚訴訟が泥沼にハマっている方は、けっして利用してはいけないに違いない。

 機内預け荷物を無事受け取り、空港バスの券売機の前に来た頃には、目当てのバスは時刻表上ではとっくの昔に出ている時刻。

 おまけに次のバスまで相当な時間がある。

 でもひょっとすると……。

 案の定太郎。

 空港バスは、このJAL便の到着を待っての発車だった。
 日に何便も発着するわけではない空港のこと、バスは完全に飛行機に合わせた運航だったのである。

 この空港バスがまた面白かった。

 空港バスといえば、フツーはたんたんと目的地に客を運ぶだけのものなのに、この出雲空港の空港バス(出雲一畑交通)は、なんと運転手さんがマイク片手に沿道のあれやそれやをガイドしてくれるのだ。

 好々爺然とした年配の男性ドライバーがまた丁寧な方で、これは一畑交通としてのサービスなのか、ひょっとするとこのドライバー個人の趣味なのか、どっちなんだろう?

 宍道湖のほとりにある出雲空港の周囲は、圧倒的なまでの稲作地帯だった。

 季節柄もちろんのこと刈田ながら、これほどの田んぼを眺める機会は沖縄ではありえないし、埼玉の入間あたりは水田地帯ではないだけに、我々にとってはこれだけでもう「観光」である。

 そんな田んぼの中に、家々がポツンポツンと建っている。
 どの家も豪農っぽい立派な作りで、敷地は広く、垣根も立派だ。

 

 でも、なんだか妙に、どの家も一部方向だけ垣根が立派なのはなぜ?

 四方を囲う垣根の一辺だけが、沖縄の古い集落で観られるフクギ並木のようですらある。

 雨がポツポツ降っている窓外の景色にあれはなんだなんだと我々だけ盛り上がっていると、タイミングよく運転手さんがその木々についてガイドし始めてくれた。

 なんとこの木は、まさしくフクギ同様の防風林だったのだ。

 この出雲平野に吹きすさぶ季節風はほぼ西風で、各家はその西から吹く強風対策として、敷地の西側を中心に立派な防風用の垣根を設けているのだとか。 

 昔ながらの家ではみなクロマツで、昔から築地松(ついじまつ)と呼ばれているそうな。

 バスの運転手さんはこのあたりの出だそうで、数えること七代目のご当主なのだとか。

 そんな代々伝わる家のクロマツは、家の敷地側はきれいさっぱり刈り取られ、外に向かって自由に伸びつつも、丈はきれいに揃えられている。

 運転手さんによると、このあたりでも最近建てられる家では、もうこのような築地松その他防風垣根を植える風習は無くなりつつあるという。

 今はまだ当たり前に観られても、すでにして絶滅危惧種確定のこの土地の風景なのである。

 にもかかわらず、車内でずっとスマホをいじり倒している若いおねーちゃんたち。

 出雲って、予想していた以上に若い女性客が多い。

 このバスもおねーちゃんたちの占有率は高く、冬の閑散期の観光地とは思えない様相にちょっとびっくりしていたワタシ。

 でも彼女たちのほとんどは、運転手さんが語る話にも窓外の景色にも興味を持たず、スマホを見つめ続ける(我々同様窓外の景色を撮っているおねーちゃんもいらっしゃったことは付け加えておく)。

 毎年旧暦の10月になると全国津々浦々の八百万の神々が集まる出雲も、ひところはすっかり客足が途絶え、観光地として低迷していた時期が続いていたそうだ。

 それがここにきて、年間800万人もの人々が訪れる一大観光地として復活。

 そのキーポイントは…

 ●縁結び

 ●パワースポット

 ●スイーツ

 の三本柱である。

 これらがいにしえの心御柱のように三本束になれば、出雲大社は東京スカイツリーなど及ぶべくもないキングダムタワーに変身だ。

 そこに「神話のふるさと」「日が沈む聖地」なんてコピーが加われば、まさに鬼に金棒。

 世の若い女性客が放っておくはずはない。
 そしてそこに、築地松などが入り込む余地があるはずもない。 

 事前に想像していたとおり、やはり現在の出雲大社はそういった方面での需要が圧倒的に多いようで、となると出雲のことなど何も知らぬまま立ち入ってしまった我々も、大国主神に対して無知を恥じることなく、出雲の神々の祟りを畏れることもなく、安心してウロチョロできるというものだ。

 やがてバスは大きな川を渡り始めた。

 斐伊川だ!


写真は帰りの電車から撮ったもの

 スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した舞台である、と一般に言われている。

 一説には、幾重にも枝分かれした大河が時に氾濫しては一帯の住民の生活や生産を脅かしていたであろうことを踏まえ、ヤマタノオロチとはすなわち、この斐伊川のありようを仮託したものであるとも言われている。

 それは知識としては知ってはいたけれど、実際に観てみると、斐伊川は想像以上に広く遥けき立派な大河だ。

 かつて自身が信じる幻のドナウ文明を想起しながらマスター・キートンが語っていたように(架空の話です)、大河の流域で文化が育たないはずはない。

 古代出雲は斐伊の賜物……だったかも。

 とにかく広々とした雄大な川なので、バスが橋を渡る間だけしか見られないのがなんとも惜しい…。

 斐伊川を越え、のどかな道をなおもゆく空港バス。
 やがて単線の鉄道の踏切で停車し、運転手さんのガイドが。

 「前の踏切は一畑鉄道です、電車が通過する随分前から遮断機が下りるんですよねぇ…。でも1時間に1本程度の運行だから、滅多に踏切で引っかかることはないんですが、今日は久しぶりに引っかかってしまいました」

 ひょっとして……持っているワタシが乗っているからか??

 ほどなくして、1両編成の実に素朴な電車が踏切を通過していった。

 このあたりの沿道にはやたらとビニールハウスが目立つ。

 何を作っているんだろう?とオタマサが興味津々に観ていると、またしても運転手さんがタイムリーなガイドをしてくれた。

 それらのビニールハウス群のほとんどで、なんとブドウを栽培しているそうである。

 寡聞にしてモノを知らない我々は、島根でブドウと言われてもまったくピンと来なかったんだけど、島根におけるブドウ栽培の歴史はけっこう古いらしい。

 しかもバス通りから少し行ったところには、1959年設立の国内では老舗と言っていい島根ワイナリーがあった。

 ひたすら第1次産業ゾーンを走っていたバスは、やがて市街地に入る。

 沿道の看板なども、どんどん出雲大社に染まってきた感が。

 そして乗車すること40分、バスは事実上の終点である、出雲大社正門前に到着した。

 人生初、出雲大社!!

 その正門前に佇み、真っ先に目に留まったのはこちら。

 スターバックス出雲大社バージョン。

 出雲大社の正門前は近年、伊勢神宮前のおかげ横丁のように整備された「ご縁横丁」なる観光客向けのゾーンになっており、その傍らに瓦葺きのスターバックスがあった。

 やっぱ景観に配慮するというのはこういうことでなきゃね。入んなかったけど。

 このスターバックスから見て道路を挟んだお向かいにあるのが、いわずとしれた出雲大社の正門だ。

 空港バスの道中はときおり雨も落ちていたというのに、いつの間にやら空はすっかり晴れ上がっていた。

 ではさっそく、出雲大社参拝!!

 ……とはいかない。

 大きな荷物をガラガラ引きずりながら参拝だなんてできるはずはなし、まずはすぐ近くにある宿に荷物を預け、腹ごなしといこう。