13・せせらぎ通りの世は更けて
 〜酒房 猩猩〜

 

 この日この夜のメインイベント会場は、鞍月用水沿いの「せせらぎ通り」にあるお店。

 地元の方々に愛されているのはもちろんのこと、すでに多くの観光客が知るところとなっているお店である。

 海幸パラダイス金沢はもちろん海幸だけではなく、有名なおでん屋さんをはじめとする素晴らしい飲み屋さんが星の数ほどあるのは百も承知している。
 一方、一晩にハシゴをする粋な飲み方ができない我々は、限られた3泊の夜に立ち寄れる店の数はすなわち3軒。

 人生最初で最後になるかもしれない金沢で過ごす3夜。
 日中どこを観光するかなんてことに比べれば、1夜ごとにどこで飲むかというテーマは、遥かに重く大きな検討課題になるのはいうまでもない。

 日曜日というリャンハン縛りがあった前夜とは違い、月曜日をお休みにしている店は少ない。
 なので、綺羅星のごとき飲み屋さん情報を精査した結果、我々がお邪魔することにしたのが、酒房猩猩。

 ネットに出回っている情報で出てくる肴がどれもこれも美味しそうなのもさることながら、なんともウレシイことに、各種地酒が常時20種類以上用意されていて、なおかつそれらを半合すなわち5勺ごとにオーダーできるのだ。

 せっかくだから地元のお酒をいろいろ飲みたい観光客である。1合ごとだと10種類飲んだら1升になっちゃうけど、5勺ごとなら10種類飲んでも5合にしかならない。

 ……いや、そもそもそんなには飲まないですけどね、ええ。

 ともかく、少しずついろいろ頼み、気に入ったものをまた再び、というほうがありがたい。

 夜の武家屋敷跡を巡って日本酒待ち受けモードが頂点に達してしまった我々は、ついに猩猩さんに到着した。

 鞍月用水に架かる小橋を渡ると……

 周辺には派手な看板を出している店が多い中、知らないと通り過ぎてしまいそうなほどに慎ましやかな店の玄関。

 さっそく入店。

 まだ開店間もない時刻だから、我々が一番乗りだった。
 8人掛けのカウンターと、4、5人座れる小上がり席があるだけの、いかにも地元の方々向けのこじんまりとしたいい感じのお店だ。

 予約してある旨告げると席はどこでもいいとおっしゃるので、あとから来るであろう常連さんの邪魔にならぬよう、カウンターの一番奥に座った。

 するとホントにすぐそのあとに、常連さんらしきご年配のカップルがいらっしゃり、同じくカウンターにご着席。 

 さてさて、ともかくもカウンター席に落ち着き、ヱビスの生ビールを注文しようとすると、先ほどの常連さんが威勢よく

 「イキビール!」

 へ?

 あ、生ビールの「生」をジョークで「イキ」と言っているわけですね。

 思わず笑ってしまった。
 なんだ、そういうノリでいいんですか♪

 おかげですっかり座がうち解けた。
 常連さんがそんなテンションでいてくれると、一見客としては非常に居心地がよくなるというものだ。

 我々もさっそく「イキ」ビールを注文し、まずは今宵のメインイベント到達を祝う。
 ここに至るまで、思えば長い一日だった………。

 ところでこの猩猩さんでは、予約の電話をする際に刺身盛りも併せてオーダーしておくことができる。
 というのも、店でオーダーすると出てくるまでにけっこう時間がかかってしまうから、どうせ頼むんだったら、あらかじめオーダーしておくといいタイミングで刺身盛りが出てくる、というわけだ。

 海幸目当てで金沢に来ている我々が、刺身盛りをはずすわけはない。もちろん予約の時点でお願いしておいた。

 カウンター越しに気配を伺うと、すでに大将は刺身盛りの準備に余念がない様子。

 その前にお通しが出ていた。

 一見しただけでは正体不明のこのお椀。
 すかさず大将に伺うと、

 「蕪のすり流しです」

 蕪!!
 ……のすり流し??

 一口いただいてみると、これがなんとも大地の慈愛に満ちた優しい味。
 けっしてその後の食欲の炎に油を注ぐ系ではないけれど、なんだかしみじみ味わい深い。

 これまで何度も触れてきたとおり、お通しでこういうさりげなくも手の込んだ逸品が出てくれば、期待と希望がけっして夢幻ではないという確信がもてる。

 意表を突かれたお通しを感心しながら味わい尽くすと、ついに出てきました刺身盛り!!

 

 おわっ!!

 こ…………これだ、

 我々が金沢に求めていたものは!!

 いちいちネタを羅列するのもいかがなものかとは思いつつも、あとで思い出して記憶を肴に酒を飲むためにも、やはりキチンと書き残しておかねばなるまい。

 シメ鯖、カジキの漬け、サヨリ、ヒラメ、寒ブリ、ヤリイカ、そして大将が「これ、サービスです」といって足してくれた八角。

 そしてそして、写真手前で威勢よくエビ反っているのが、この季節の金沢で是非食べたかったガス海老。

 甘海老の本場も本場のこの地方ながら、甘海老だったらこの流通の世の中、鮮度の違いこそあれ沖縄にいてさえ口にすることができる。

 しかしこのガス海老は甘海老に比べて傷むのがとっても早いため、現地でしかいただくことができない超ローカルな海老なのである。

 これを食べたくて食べたくて、でも3夜の間に出会えるんでしょうかワタシたち……とドキドキしていた我々。

 それが今目の前に!!

 ……というか、上段のカウンターで用意されている刺身盛りの皿に、大将の手捌きとともにネタがひとつ、またひとつと加わっていく間、我々の目はさりげなさを装いながらも、心の居ても立っても居られなさは相当なものだった。

 そしてガス海老らしきものが皿に盛られたその時、我々の期待値ボルテージの急上昇ぶりは、往年の「欽ちゃんの仮装大賞!」で大賞をゲットした作品の得点シーンなみになった。

 そして今、獲れ獲れピチピチのお刺身たちに箸をつける。

 いやあもう、どれもこれも、その美味さときたら!!

 ああ、金沢に来てよかった……。

 これはたしかに、予約の時点でお願いしておいた甲斐があるというもの。
 もはやいきなりメインディッシュの感さえ漂うこの一皿で、たちまち今宵の充実は約束されたも同然の状態に。 

 お通しの時点で「これは日本酒っしょ!」モードになっていたので、乾杯用の生を早々に飲み干し、お刺身盛りの時点ですでに日本酒に突入。

 カウンターに用意されているメニューに載っているもののほかに、店内の黒板には旬のお酒がズラリとラインナップ。

 どれもこれも試してみたいところ、やはり地元石川県の酒にこだわることにし、5勺飲んではまた5勺という具合にオーダーした。

 出てきた酒を撮るのをすっかり忘れてしまったけれど、いろいろ試してみた結果、僕は竹葉、オタマサは農口をそれぞれ1合ずつおかわりすることになった。

 話し好きな常連さんのおかげで、その頃には我々が沖縄から来たという話は誰もが知るところとなっていたから、常連さんは我々がお酒をオーダーするたびに、カウンターの端からグッジョブ!!のサインを送ってくれた。

 我々がオーダーするのが地元石川県のお酒ばかりなので、やはり地元の常連さんとして、良いセレクトである!!と力強い合図を送ってくださっているわけだ。

 なんだか「正解!」を当て続けている心地よさ。

 さて、酒に突入となれば、刺盛り以降もそれに合いそうな肴を。

 まずは自家製豆腐。

 これ、ホントはもっとたくさんあったんだけど、写真を撮るのを忘れて食べ進んでしまい、途中で思い出して慌てて撮ったもの。

 箱に詰めて固めずに、ゆし豆腐みたいな状態で取り出したものだそうで、これがまた実に豆腐の味がちゃんとしていて、こうなったらむしろ大豆でできたオトナのスイーツといっても差し支えはないのではあるまいか。

 続いてお願いしたのがこれ。

 イカのワタのルイべ。

 「融けちゃう前に食べてくださいね」

 そう大将が教えてくれたこの一品、酔っ払ったオタマサが後刻オタマサメモに残した言葉は、

 すげーツボッ!!

 たしかにこりゃあ、日本酒飲まずに何を飲むってな味だ。
 
 ちなみにこれをオーダーした時も、カウンター席の常連さんから

 グッジョブ!!

 のサインが。

 右も左もわからないままオーダーしている我々にとっては、酒同様、なんだか楽しく、心強い。

 挙句の果てには。

 頼んだ覚えがない皿を女将さんが我々のところにもってきてれたので、その旨告げようとすると、

 「あちらの方からです♪」

 なんとその常連さんが、おススメの肴を我々にご馳走してくださっていたのだ。

 美味しかったので、後刻自分たちでもオーダーしたのがこれ。

 いしるきゅうり。

 メニューにあった「いしる」がとても気になっていたところだったから、ちょうどいタイミングだった。
 はたして「いしる」とは、日本三大魚醤のうちのひとつで、魚介類を無駄にしないための保存食として生まれた能登の名産なのであった。

 ナンプラーもニョクマムも知っているというのに、いしるを知らなかったってのは、日本人としてどうなんだろう……。

 ともかく思いがけずご馳走になってしまったので、すかさずお礼を言うと、またしても

 グッジョブ!!

 いやあ、グッジョブなのは先輩のほうでは……。

 ここまでしていただいたとあっては、旅の記念に是非一枚お写真を……とお願いするとご快諾いただけた。

 コンドウさんご夫妻(?)。
 お名前をお聞きした時に、

 「近い藤のコンドウです!!」

 と力強く教えてくださったからきっと漢字で書いてもいいんだろうけど、とりあえずカタカナ表記にさせていただきます。

 その後も赤ナマコの酢の物や合鴨のローストなど、次々に彼らからご馳走になってしまった。

 まるで、酒場放浪記の吉田類になった心境。

 そう言うと、

 「僕は太田和彦派なんですけどね(笑)。」

 それもそのはず、後日知ったところによると、太田和彦氏もここ猩猩さんを訪れ、

 「まだ新しい店だが大変注目株だ!」

 と大絶賛だったという。
 個人的には、「ミシュラン三ツ星」よりもよっぽど価値のある評価である。

 それにしても、座敷貸切状態で飲んでいた前夜と比べれば、なんと楽しい酒の席であることか。

 酒場には、酒肴の味だけではない何かプラスアルファが必要だとするならば、そのアルファは間違いなくこういう楽しさであろう。

 コンドウさん、楽しい夜(と肴)をホントにありがとうございます!!

 そうこうするうちにカウンター席も小上がりもすべてお客さんで埋まってしまった。
 当然コンドウさんたちと我々の間にもお客さんが座っているから、ひとまずグッジョブはお預け……

 ……かと思ったら、ふとした拍子にやはり向こうからグッジョブが。

 いやはや、なんとも愉快な御仁だ。

 一見さん的緊張にいつものように包まれていた序盤とは違い、店内がにぎやかになった頃にはまるで馴染みの店にいるかのような、とても落ち着いた心持ちになっていた。

 そうなればメニューの隅々にまで注意が向くようになる。

 はて、あの「ソデ焼き」のソデとはなんだろう?
 ソデイカのこと??

 でもヤリイカ激ウマの土地で、わざわざソデイカなんぞを食すわけないよなぁ……。

 大将、ソデってなんですか??

 「カジキの腹のとこです」

 つまりマグロで言えばトロってこと??

 ここらへん実にややこしいところで、金沢ではどういうわけか、カジキのことを「さわら」と呼ぶのだとか。
 だからカジキのトロ部分すなわちソデも、「さわらのソデ」と呼ばれることが多いのだ。

 でもそうすると地元以外の人はホントの鰆と誤解するかもしれないから、あえてメニューにはサワラのソデ焼きとは書かず、ソデ焼きとのみ記しているのではあるまいか。

 大将が教えてくれたときも、カジキとおっしゃったのだったか、サワラとおっしゃったのか、実はハッキリとは覚えていない。

 ともかくそろそろガッツリ系も恋しくなっていたので、トロ部分の焼きものと聞いて迷わず注文。

 すると……

 モスラが襲ってきたんですッ!!

 てなほどに衝撃的な焼き魚が登場。

 これがまた………

 旨ッ!!

 僕がメモするなら、きっとこれが「すげーツボッ!!」ってことになっていたことだろう。

 この勢いで、さらにお願いしたのが……

 加賀蓮根にコゴミ、そして舞茸と蕗の薹といった山菜尽くしの天麩羅盛り合わせ。

 昔は天麩羅といえば海老だイカだ穴子だってところで盛り上がってた僕だけど、四十を越えて随分経ち、そろそろ五十の坂の入り口が見えてきた今、こういった山菜の天麩羅を体が求めるようになっている自分に気づく。

 そしてまた、沖縄ではなかなか味わえない本土風の天麩羅の食感が新鮮だ。

 この2品で火に油系を求める気が済んだので、再びしっぽり日本酒メニューに。

 まずはこれ。

 名物かぶら寿司。

 かぶら寿司とは、冬の間日本海でたくさん獲れる鰤を、無駄にせず保存しようということで生まれた伝統食品で、塩漬け鰤をスライスした蕪で挟み込み、麹で発酵させたもの。
 
 土産物屋でもたくさん売られているけれど、これは猩猩さん自家製の逸品だ。

 まだ漬かり具合が浅いです……という大将のお話だったから、漬かりが進むとどうなるかはわからないけれど、発酵保存食品にありがちな「ワタシ(発酵菌の一人称)頑張ってます!!」的近寄り難さはまったくなく、実に素朴な風味に満ちていた。

 こちらも保存食の一品。

 七尾産の柚子風味のイカの塩辛。

 イカの塩辛というと、食べ過ぎるとしつこい何かが口中に残ってしまうところ、柚子の爽やかな風味のおかげで実に後味サッパリスッキリ。

 美味しかったので、後日近江町市場で似た感じのものをお土産でゲットしてしまった。

 こんな感じで、実に日本酒系な肴を賞味し続けていたところ、コンドウさんたちは一足早くお帰りになり、カウンター席には我々のほかにあと一組を残すのみとなっていた。

 するとまた、オーダーしていないものが我々の前に。

 なんとこれ、大将からのサービス!!

 ギバサという今が旬の海藻の上に、加賀丸芋をすりおろしたものが乗っている「ギバサとろろ」だ。

 さすがこの道のプロ、長っ尻でチビチビ飲んでいる我々の、とりわけオタマサのツボを完璧に把握したうえでのサービス品。

 これがあなた、メカブのように全身ヌルヌルなのかと思いきや、意外にシャッキリシャクシャクな食感が清々しい。

 メカブにはさほど情熱はない僕も、このシャクシャク感とその味にはヨロコビをおぼえたくらいだから、オタマサのツボでなかろうはずはない。

 いやはやギバサ、名前は限りなくアヤシゲなのに、その味は侮れない。

 そしてシメは……

 ご存知、氷見うどん。

 喉越しスッキリ、味わいスッキリ。
 シメとはかくあるべしという見本のような潔さ。

 こうして、乾杯からシメに至るまで、まったく一切の後悔も未練も悔恨もない、まことに充実感たっぷりの夜の宴が終わろうとしていた。

 当初は物静かで言葉少なな方なのかという雰囲気の大将だったのだけど、この頃にはいろいろと話が弾んでいて、実はとてもノリのいい楽しい方であることが判明していた。

 で、沖縄にもたびたび旅行しているという大将は、我々が暮らす島がいったいどのあたりなのか気になったようで、わざわざ地図を持ち出しての水納島探しが始まった。

 本土から沖縄本島に観光にお越しになって美ら海水族館を訪れる方は数多いけれど、その水族館からほど近いところにある小さな島まで視野に入っているという方は、まだまだそれほど多くはない。

 なので大きなA4版の地図を見開きにして一緒に見ながら、小さな小さな水納島の場所を大将に知っていただいた。

 大将、ご来沖の際には是非足をお運びくださいね!!
 シャコガイをたっぷりご馳走いたします(笑)。


大将の指差す先に水納島。

 ああ、また金沢に来ることがあればなぁ……。

 その時は、迷うことなく酒房猩猩さんを訪ねよう。

 店を出ると、夜更けのせせらぎ通りはあくまでも静かで、その名のとおり、さやけき流れの音だけが染みてくる。

 帰り道とは逆側ながら、ほど近い長町武家屋敷跡に再び寄ってみた。

 この夜の雰囲気を、どうにかしてコンデジに納めてみたいところだ。

 が。

 美酒に酔いしれている脳味噌と体では、スローシャッターなど絶対にありえないのであった。

 宿まで歩いて3〜40分かかる帰路、無事に帰れるんだろうか……。

 真冬だというのに、たとえ帰れなくともなんとかなりそう!!

 ……なんて気がしているのは、酔っ払いだけが持てる天下泰平気分がなせるワザにほかならない。