14・MARU
人生初の萩。 到着と同時に初めての夜。 旅行先で何を見聞するかということよりも、現地の夜をどこでどう過ごすかについて、事前リサーチに際し持てる力の92パーセントほどを割くワタシなので、すでにこの夜訪れる店は決まっていた。 決めてはいても、完全無欠のオフシーズンのこと、お店の方々だってどこかに旅行に行っているかもしれず、臨時休業になっていてもおかしくはない時期である。 素敵な店はいくつかあるらしいことはわかったけれど、新橋のように綺羅星のごとく店があるわけじゃなし、ロックオンしていた店が臨時休業だったり満員だったりしたら、たちまち路頭に迷ってしまうことになる。 かつて真冬に訪れた飛騨高山のように、飲み屋難民になって雪の中の行き倒れになりかけるのはもうごめんだ。 というわけで、今回は3日間の夜の店はすべて事前予約済み。 あとはもう、たどり着きさえすればいい。 ただ、ひとつだけモンダイが。 我々が泊まっている萩一輪は、城下町を観光するには距離的にうってつけの場所なんだけど、飲み屋が点在するゾーンに行くにはいささか距離がある。 これでとんでもない寒波が襲来中だったりしたら、確実に八甲田山になっていたことだろう……。 幸い滞在中は、寒いながらも耐えがたいほどではなかったので、行きは準備運動、帰りは腹ごなし的な散歩代わりに歩くことができた。 萩市内で飲み屋さんがわりと多い地区は、東萩駅に近いバス通り近辺になる。 宿からそのあたりまでの道中は、日が暮れるとともに随分静まり返っている。 とりわけ我々が宿から飲み屋まで行き来する際に通ることになる道は、途中に寺町ゾーンもあったりして外灯すらとぼしく、やけに暗い。 ところがそんなところに、なんともありがたいことに24時間営業のスーパーがあった。
キヌヤ菊ヶ浜店。 飲み屋で過ごした後、部屋で飲み直すパターンが多い我々にとって、この立地はなんともありがたい。 駅同様、スーパーまでなまこ壁仕様なのは、店の方針というよりも、地域の要請なのだろうか。 もう少し駅に近いところにあるスーパーサンマート(残念ながら夜9時まで)は、店名が黒字になっていたし……
さらに駅に近いところにあるセブンイレブンすら……
なにやら喪中のようになっていた。 歴史をウリにする街での営業は、いろいろと大変そうだ。 ただし。 このセブンイレブンの正面にあるガソリンスタンドは、日中いつも今風の音楽を大音量で流しているのだった。 音はおとがめなしってこと? さて、宿から歩いてきた道を吉田町交差点で右折すると、そこはもうにぎやかなバス通り。 目指す店は、この交差点から200メートルちょいのところにあった。
萩にこの店あり的な人気店「萩の酒 萩の肴 MARU」。 週末は予約必至だというから、地元のみなさんの御用達なのだろう。 事前リサーチでは一見でもカウンターで気軽に飲めそうな雰囲気だったので、本日のおすすめメニューが見やすいカウンター席を予約時にリクエストしておいた。 さてさて、何はともあれ無事に萩に到着したことを祝って乾杯。
生ビールはエビスで、ノーマルのほかに黒生もあり、オタマサはハーフ&ハーフの大ジョッキ。 大と中が用意されていたので大を選んだところ、これがまた近来稀に見る大ジョッキで、高知の「いつものところ十刻」なら「こじゃんと」に相当するのではなかろうか。 リクエストどおり、本日のおすすめメニューが目の前に。
ここはやっぱり刺身盛り合わせでしょう。 するとにぃにぃが、「盛り合わせは時間がかかりますけど、何かその前にお出ししますか?」と言う。 なるほど、今宵の我々は普段より出遅れているから、すでにお客さんの数は多い。刺し盛りとなると時間がかかるのだろう。 ならば酒の肴3種盛なら? 「それもけっこう時間がかかりますけど、たこつぼならすぐにお出しできます」 それもまた気になっていたのでお願いすると、たしかに早かった。
串は最初からこのように用意されている。 蓋を開けてみると……
おお、ブツ切りのタコが、壺の中でタレに浸って蠢いている!(動いてないけど…) これを、先ほどの串にさしていただく。
このタレ、特に手の込んだものってわけじゃなく、醤油にマヨネーズ、それに辛味を加えたチックな、むしろB級テイスト溢れる親しみやすい味で、こりゃ酒飲みならみんな大好きな味。一番人気というのも頷ける。 やめられないとまらないとばかりにパクパク食べていると、お待ちかね、刺し盛り登場。
右から、マグロ(中トロ&赤味)、アマダイ、ブリ、瀬つきアジの4品。 刺身のつまが品ごとに違っていて、ビジュアル的にも美しい。 瀬つきアジはこのあたりの名物ながら、旬は夏と聞いていた。 でもマスターによると、冬でもでっかくなったやつが獲れるそうな(やはり味は違うらしい)。 萩も海辺の街なので、ご当地ものは多い。ただし今の時期にはないモノもけっこうある。 その点アマダイは生息場所が深いからか通年獲れるらしく、ご当地だけにお刺身でもいただけるという。 京都あたりではグジと呼ばれもてはやされる高級料理ではあるけれど、火を通した料理がもっぱらのはず。 その点産地なら、お刺身でもいただける鮮度。是非ともアマダイの刺身は食べてみたいなぁ…… ……と思っていただけに、おすすめメニューの刺身コーナーに「あまだい」の文字を見たときは、思わず心の中でガッツポーズ。 さっそくいただいてみる。
おお、さすが甘鯛と呼ばれ続けてウン百年、甘エビにも通じる甘さが。 もっとも、イキのいい魚の刺身をいただくときのえもいわれぬ食感はまったくなく、むしろグニャ…としているから、これは好みの分かれるところだろう。 刺身に添えられている天かすのようなものは、アマダイの皮を揚げたものだそうで、これがけっこうイケる味だった(刺身に皮がついていても美味しかったかも)。 その他ブリやマグロは安定的な品、そして瀬つきアジも、フツーのアジとどう違うかと言われると困るけどちゃんとアジだった。 こういう品が出てくると、いつまでもビールを飲んでいるわけにはいかない。 そこでオタマサ、満を持して頼んだのがこちら。
萩の蔵元うでだめしセット。 何の「腕」を試すのかはわからないけど、萩市内とその周辺にある造り酒屋の酒6種の飲み比べセットだ。 恥ずかしながら萩周辺に日本酒の蔵がそんなにあるなんてまったく知らなかった我々、驚いたことにこの店からほど近いところにすら一軒あるというから驚いた。 それはともかく、刺し盛りもそうだけど、こちらのお店はとにかくビジュアルがキマっている。 このぐい飲みの下の焼き物の板やたこつぼの容器も、みんな萩焼なんだろうか。 酒も来たことだし、ここらでもう少しお刺身を追加したいなぁと思い、こちらでは「めいぼ」と呼ばれるカワハギか、「あかみず」と呼ばれるキジハタのお刺身をお願いしようとしたところ…… すでに品切れ。 というか、ほんの少し前にすぐ近くのテーブル席の4人づれがオーダーしていためいぼが最後だったらしい…。 マスターによると今日は魚が少なくて…とのこと。 たしかに海は時化てたものなぁ…。 やはり普段に比べて遅めのスタートは、いろいろとハンディがあったようだ。 仕方がない、では肉で攻めるとしよう。 萩には見蘭牛という黒毛和牛のブランドがあって、出るところに出たら相当エクスペンシブな料理になるのだけれど、こちらではその見蘭牛の料理ををお求めやすい価格で出してくれるのだ。
見蘭牛の煮込みに……
見蘭牛の握り! この握りは旅行前から虎視眈々と狙っていた人気メニュー。しかしメニューには「お一組一品まででお願いします」と注釈されている。 これまた近くのテーブル席の4人づれが先ほど頼んでいたから、この握りまで品切れになっていたらどうしようとドキドキしていたところ、なんとか我々の分もあったので胸を撫で下ろした。 こういうものはもう、いちいち味を紹介するまでもありますまい。 美味いものは美味い! しかも「焼き肉のハヤ」よりも美味い! 煮込みで調子に乗ってきたオタマサは、うでだめしをした6種類から東洋美人を選び、その純米吟醸を1合。 一方ワタシは、山口にもあるとは知らなかった芋焼酎をメニューの中に発見したので、お願いしてみた。
山口産紫芋の芋焼酎とかで、かなり芋芋していて美味しかったのだけど、なんてことだ、銘柄を忘れてしまった……。 グラスで頼むとこれだから困る。 もうひと品ふた品って感じだったので、最後に酒の肴3種盛ってのをお願いしてみた。 最初ににぃにぃが「時間がかかりますよ…」と言っていたわりには早く出てきた3種盛とは……
右端はマグロのヌタ。
マグロもヌタもお馴染みながら、下に敷かれてあるワカメがなんとも存在感があって美味しい。 マスターに尋ねてみると、ちょっと時期は早めながらも採れ始めている萩の若芽なのだとか。 こんだけ美味いと、むしろワカメが主役かも。 真ん中は白子のせ茶碗蒸し。
プリン体と真っ向勝負の一品は、洗練された上品な味わいだ。 そして左端は「あかみず」ことキジハタのの煮つけ!
おお、キジハタ、刺身では出会えなかったけど煮付けとなって登場。 そりゃミーバイだもの、美味くないわけがない。 しかもキジハタとなれば、幻の高級魚。プレミア感がてんこ盛りだ。 店内の壁には、キジハタのポスターまで貼ってある。
いやあ、美味かったべ、MARUちゃん。 全体的にポップな店で、一品一品をできるだけお求めやすく、という方向で頑張ってくれているからだろうか、若い世代も多く訪れているようだ。 美味しさや価格もさることながら、インスタ映えしそうな各種料理のビジュアルなども、そのあたりの需要なのだろう。 ところで、この夜は食べなかったけれど、近年の萩が精力的にブランド化に取り組んでいる魚がいる。 こちら。
ひと昔前は金太郎といえばサラリーマンだったけど、今も昔もこの魚のことであることを萩では誰もが知っている。 この魚とは、ご存知ヒメジ。 オジサンの仲間だ。 当サイトお魚コーナーのヒメジの仲間の稿にてすでに紹介しているとおり、地中海方面のフランスでは、このヒメジの仲間は「ルージェ(ュ)」と称されるジョートーな食用魚。 それが日本のフレンチでも供されるようになってきていて、近頃では日本近海で獲れるホウライヒメジあたりが「高級魚」になりつつあるとか。 そんなヒメジの仲間を昔から食べていた萩では、ヒメジのことを「金太郎」と呼んできたそうな。 その金太郎が日本のフレンチ界でももてはやされ始めていることを萩の誰かが気づいたのだろう、新たな萩のブランド魚にすべく、「頑張れ!萩の金太郎プロジェクト」を組織し、ポスターまで作って猛烈アピールしている。
このポスターの調理例写真の料理は、ほかでもないここMARUのマスターの手によるものなのだとか。 お会計の際にこのポスターはどこかで手に入らないかどうか尋ねてみたところ、いろいろ熱く語ってくれつつ、ちょっとばかし誇らしげにそのジジツを教えてくれたマスターは、ポスターは無いけどこれを…と、金太郎プロジェクトのパンフレットを手渡してくれた。
またこれがエレガントな料理!! どれもこれも美味そうだ、金太郎。 沖縄ではカタカシと呼ばれるヒメジ類は昔からフツーに食べられている魚なので、我々的には食材としてさほどの目新しさは無いのだけれど、ひとつの魚をブランド化するというこの意気込みというか運動というか、その地域で産するものに箔をつけようとする熱意がむしろ新鮮ですらある。 それを考えると沖縄って、なんだか無造作に消費しているような気もするなぁ…。
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