24・浜崎散歩
旧松本村の素朴な風景をあとにし、再び松本川を渡ってデルタ地帯に戻る。 萩バスセンターにてオタマサの用事を済ませ、その近くにある「ツインシネマ」が現役なのか名残りなのか非常に気になりつつ、我々は浜崎地区を目指している。 萩の城下町が毛利輝元入部以後発展したのに対し、この地の松本川河口付近にはもともと漁村があったという。 河口港は海でのシゴトを生業にするヒトにとって暮らしやすい土地だったのだろう。 その後江戸時代になると港町として栄え始め、北前船などの出入りも加わって大いに賑わったそうな。 失業武士たちの新産業夏みかんも、ここの港から出荷されていたという。 松本川沿いに河口方向に下っていくと、やがて漁船がたくさん見えて来る。
やや小ぶりな船が多いなぁと思いながら歩いていると、やがて萩の町観光用の「萩循環まぁーるバス」のバス停があった。 その名も…
おお、しろ魚通り!! そういえばこのあたりでは春になるとしろ魚が旬を迎えるそうで、居酒屋でも「本日のオススメ」に獲れ獲れピチピチのシロウオメニューが並ぶらしい。 なるほど、小ぶりなものはシロウオ漁用の漁船なんだろうか。 対岸を見てみると、漁船がまるでマイカーのごとく、各家の前に1隻ずつ係留してある。
これ、自分の家の前に係留しているのだとしたら、船の維持管理その他なにからなにまで、これほど便利なことはない…。 なんともうらやましい。 この川沿いに、平日なら夜明け前からセリが行われているという萩浜崎卸売市場がある。
すでに昼すぎなので、場内はすっかり静まり返っていた。
そんな場内の隅のほうでは……
…フグが引っくり返っていた。 半端ものだったのだろうか、無造作に転がるマフグ(たぶん)。 こういった漁港の市場で、外道のハリセンボンなどが転がっているのは観たことがあるけれど、さすがご当地、フグが捨て置かれることもあるんだなぁ……。 この卸売市場を過ぎたところで海辺を見ると、対岸がなんともステキなたたずまいだった。
海辺に面したその佇まい、なんだか萩のアマルフィ。 というわけで、目的の浜崎地区に到着している我々なのだけど、ひとつ重大な問題を抱えていた。 腹が……
…減っている。 この日も朝8時に宿を出て、かれこれ4時間以上歩いている。 朝食抜きなんだから、そろそろこのあたりでエネルギーを補給しておかなければ。 漁業や航海の守り神でもある住吉神社ではあるけれど、今この時心静かにお参りできる状態にはない我々。 ただ。 随分前からロックオンしていた豊月にお邪魔した昨日とは違い、この日のお昼は行き当たりばったりでいくつもりでいた。 ただ、この浜崎地区には旅行者的に「ここ!」という店が無い。 というか、そもそも店が無い。 元漁村だというし、現に漁港もあるのだから、漁師もナットクの漁港めし!的な店でもないものかと淡い期待を抱いていたのだけれど、まったく無し。 この先に周辺離島まで行き来する萩海運のターミナルがあるから、食堂のひとつやふたつあるかも…と期待するも、まったく無し。 あの遠くに見える幟は…… あちらの看板は…… と、縋るように近づいてみるも、ことごとく飲食店ではなかった。 行き当たりばったりのはずが、行き当たれないままばったり倒れるかもしれない。 ここはひとつ原点に返り、浜崎散歩のためにプリントしておいた「浜崎しっちょる会公式HP」の浜崎散策用ガイド地図を見てみよう。 すると…… 飲食店マーク発見!! でもそのうちのひとつは、先ほど通りかかった際に、完全クローズ状態だったことを確認していたりもする。 ウーム…ひょっとして他も同様だったり?? ところが! 風に揺れる暖簾発見!!
その名も「大衆中華 満悦」。 隣にはお好み焼き屋さんが暖簾を下げている。無い無いと思っていたら、軒を並べて2軒もあった(他の場所にイタリアンも開いていたことを後で知った)。 お好み焼きか、中華か。まぁ萩まで来てお好み焼きでもないか……って、それは中華も同じか。 ともかく空腹のあまり撃沈しそうになっていた我々は、おかげで屋号どおりご満悦。 暖簾をくぐって店に入ると、なんだか不思議な造りの店で、1階はカウンター席、脇にある階段を上がると座敷席、さらに上にも座敷席があるようだった。 厨房で調理する大将と女将さんのほかに、配膳係なのかウェイター的なけっこう年配の男性がいた。 この方がまたやけに腰の低い方で、そんなに恐縮していただかなくても……てなくらいに気を遣ってくださる。 ともかくまぁ、ワタシはチャーシュー麺と餃子を頼むことにして、そのウェイター氏にオーダーすると、 「あ、えーと……たしか今日は餃子が品切れだったはず…」 ワタクシ、中華料理店の昼時に餃子が品切れってのを初めて体験いたしました(涙)。 ウェイター氏がまたたいそう申し訳なさそうにされるので、こちらも申し訳なくなって、気を取り直して餃子より豪華なから揚げをオーダー。 というわけで、チャーシュー麺登場。
キッチリ四角いチャーシューって不思議と思ったら、これはバラ肉を使用しているらしい。 なんだか我部祖河食堂の三枚肉そばのような雰囲気を醸し出しつつのラーメン、むしろ好きかも。 細めの麺に醤油味は、なんだかもとなり名護店のラーメンにも似ている感じ。 で、副菜程度の気分で頼んだつもりだったから揚げは…
ドドーンッ!! 一方オタマサは、ちゃんぽんのように片栗粉でトロトロ感たっぷりの、具だくさんな焼きそば。
麺はラーメンと同じようだ。 そんなわけで、空腹で倒れそうだった我々のテーブルは、にわかに中華天国になっていたのだった。
生ビールはないんですけど……とやはり申し訳なさそうに言うウェイター氏を宥めつつお願いしたビールは、キリンラガー。 なにげにシブい品揃え。 1階のカウンター席は地元の常連さんぽかったし、我々がいる座敷席も、チャリンコで来ている男子高校生3人づれ、おとっつぁんおっかさんの男女4人づれなどなど、どこからどう見ても地元の方々ばっかり。 ま、たしかに萩に来た観光客が、ここでチャーシュー麺を食べる機会はなかなかないだろう。 なにはともあれ倒れそうだった空腹は満たされ、美味しく完食したあとは、満腹で倒れそうになっているワタシなのだった。 お互いいいコンコロモチだし畳の座敷だし、このまま寝転がって居眠りでもしたいところながら、そういうわけにもいかないのでお会計を済ませて店を出る。 ウーム……空腹を抱えて飲食店が見当たらないまま彷徨っていた時は砂漠のようにしか見えなかった町が、すっかりいい景色になっている。 武家屋敷が並ぶ堀内や各横丁あたりとは違い、こちらは完全に市井の人々の町だから、家の作りはもともとが町家。 なので通りもこんな感じだ。
往時の海岸線に沿っているのであろう、自然なカーブを描く通りが、武家屋敷町の「意地でも一直線」とはひと味違ってこれはこれでステキだ。 町家が並ぶ町とはいいつつも、重要な港だけに長州藩の船を格納する艇庫がここに4つあったそうで、そのうちのひとつが現存している。
御船倉と呼ばれる建物で、萩城築城後ほどなく建てられたらしい。 対人比のプロに登場してもらうとこんな感じ。
けっこうでっかい。 扉は固く閉ざされているから中の様子はうかがえなかったけど、中を見学させてもらえることもあるそうだ(閑散期には望むべくもなし)。 それはそうと、川の近くとはいえけっこう内陸にあるこの御船倉、こんなところに船を格納していて水に浮かべられるの? …と思ったら、往時はこの艇庫のすぐ前まで松本川だったそうで、オタマサが立っているあたりは川辺のスロープだったのである。 付近の民家の屋根に目をやると、武家屋敷町では観られなかったしゃちほこが、ところどころながら見られた。
しゃちほこがいつ頃からの風習なのかは知らないけれど、ここ浜崎地区は江戸時代から昭和初期に建てられた町家が数多く残っていることから、浜崎伝統的建造物群保存地区に指定されているそうな。 でも温泉津もそうだったように、保存に価値を見出す指定が人々の暮らしを窮屈にしてしまうことで、かえって過疎化が進む…というジレンマはあるのだろう。 浜崎も過疎化とはけっして無縁ではなさそうだけど、まだ人々の暮らしが残る町並みのようで、趣きのある家々が軒を連ねている。
そんな家々の現役率がどうなのかはわからないけど、このように並ぶ家の引き戸が開いて、なかから近所までおでかけする格好のおばぁが出てきたりもした。 北前船で栄えた港だけに、町中には豪商の家もあって、なまこ壁の土蔵が並んでいるところもある。
これは江戸時代後期に建てられたという旧山村家住宅。 その頃の京都や大阪の豪商宅でも見られた当時最先端の洗練された建築だそうな。 現在は山村家をはじめ浜崎の旧家に伝わる品々や浜崎に関する資料を展示したりする情報発信の拠点となっているそうで、前を通りかかると……
この期間開催されているイベント「萩城下の古き雛たち」の一環で、ここでも家に伝わる伝統の雛人形が飾られていた。 こちらは藤山商店という雑貨商だった建物。
大正時代に建てられたというこの建物は、いまでは商店ではないものの現役の住居のようだ。 その他〇〇家の何々という建物がいろいろあるなか、仕事柄興味深かったのがこちら。
江戸時代から、漁網製造漁具船具金物を取り扱っている中村亀吉商店。 昔の漁具などを展示しているということなので(昔の汽笛を鳴らしてもらえるらしい)入ってみたかったのだけど、残念ながら閉まっていた。 さすが閑散期(涙)。 仕方が無いので引き戸のガラス越しに覗いてみた。
驚いたことに現役の商店らしく、これら展示物の反対側の棚には、現行製品のロープなどが巻で売られている。 オドロキのゲンエキ。 そんな浜崎地区でオタマサが最も訪れてみたいと思っていたところが、こちら。
井上商店! そう、昨夜美味しいおにぎりにまぶされていた、しそわかめのふるさとだ。 昔からしそわかめのファンだったオタマサながら、その本社がここ萩にあるだなんて知る由もなかったため、浜崎散歩地図にその名を見つけたときから、彼女の浜崎における唯一最大の目的地になっていた。 町並みに同化した古風なたたずまいの外見ながら、入ってみると大きなホテルのお土産販売コーナーのような展示販売スペースが広がっていて、キャッシュコーナーはホテルのフロントのよう。 そして坪庭を隔てた広いガラス窓越しに、製品工場の様子がうかがえる造りになっていた。 本部町内のサンエーには井上商店の製品は4種類しか置かれていないけれど、さすが本店、こんなのも?え?こんなのも??あらそんなものまで???的にビックリするくらいの品揃え。 なにしろ30坪くらいのフロアで販売されている製品すべてが自社ブランドなんだもの、その種類たるや星の数ほどといっても過言ではない(過言か……)。 そんな井上商店に、ビジネススーツに身を包んだ男性2名連れが、アタッシェケース片手に入ってこられたかと思うと、スタッフに案内されてスタスタスタと奥の事務所に入っていった。 さすが全国規模で商品を流通させているメーカー、商談も日常のことなのだろう。 というか、お仕事中のビジネス姿の方なんて、萩滞在中に観たのはこれが唯一かも。 そんな井上商店でオタマサが購入したのはこちら。
五島で買ったあごダシのように、またサンエーで売られていたらどうしよう……? 井上商店ほどではないけれど、オタマサがちょっぴり楽しみにしていたものが、実はもうひとつある。 漁港の町だけに海辺の集落ではいろいろなものを干していることがあるそうで、ときどき潮の香りがプワワンと漂うのだとか。 ちりめんやいりこなど、チビチビ小魚系が干されていることもあるそうながら、この日はどこからも潮の香りは漂ってこない。 干し場らしきところに行ってみると……
なにもなーい!
こっちもなーい! そして物置場には、干し場用の網籠が山積みになっているのだった。
天気がいいから干してるかも?と期待したものの、時期がダメだったか?? いりこもちりめんも干されてはいなかった代わりに、こういうものが醤油醸造所の裏で干されていた。
醤油に浸けられているっぽい大根。 ここはたしか松美屋醤油という醤油醸造所の駐車場だったと思うのだけど、松美屋醤油といえば、松陰漬という製品で有名なはず。 松陰漬とは……以下、松美屋醤油の商品説明から。 吉田松陰ゆかりの地、山口県・萩より昔ながらの漬物を、地元萩特産の「千石台大根」にこだわり、弊社自慢の醤油に漬け込み製造いたしました。寒干しから袋詰めまで手作業で行う為、数量限定ですので、本年度製造分が無くなり次第終売となります。 たしかに、これは完全に手作業だわ…。 大根は見たけど大事なモノを見逃している感たっぷりながら、けっこう歩き回ったのでそろそろ浜崎地区を後にする。 帰りは指月山を眺めながら海岸沿いを行ってみよう。
このあたりから沖を見ると、島々が重なっていないから、部屋から眺めるよりも島の数が多く見える。
旧松本村経由で歩いたから浜崎までけっこうな道のりだったのに、海辺の道をたどって帰ればあっという間に宿に到着した。 今日も半日歩き回って疲労困憊モードだけど、我々には今夕も温泉が待っている。 さあて、ひとっ風呂浴びたあとは、いよいよ萩最後の夜を迎える。
|