26・さらば萩

 3泊4日で合計7万歩近く歩き倒した萩を去る日が来てしまった。

 この日は早めに宿をチェックアウトして萩バスセンターに向かわねばならないから、「朝温泉」をのんびり楽しんでいる時間がない(早起きしたオタマサは夜明け前に行っていた)。

 防長交通の萩バスセンターは、これまでの3晩通い続けた吉田町交差点から、バス通りを南に行ったところにある。

 ルート的に東萩駅ははみ出たところにあるからだろう、そっちが始発になり、バスセンターでありながら始発ではないという不思議なところだ。

 チケット売り場には待合所とお土産屋さんが併設されている。

 萩一輪滞在中は部屋のお茶うけを毎日変えてくれていて、2日目に出ていた夏みかん風味のプチお饅頭(お餅?)がたいそう美味しかった(散歩の途中のエネルギー補給)。

 なのでお土産に是非買って帰ろうと思っていたところ、これがなかなか見当たらず、このお土産屋さんに最後の望みを託してみたところ、残念ながら置かれていなかった。

 写真を撮っておけば後日正体を調べることもできたろうに、今では味の記憶しかない……。

 諸事確認のためここに訪れた前日は日中だったこともあり、待合所や外のベンチのお客さんは観光客も含めて超高齢化社会だった。

 今朝は土曜日ということもあって通勤通学時間というわけでもなさそうながら、空いているベンチで朝ごはんをモグモグしている通学中の女子高生をはじめ、地元の若いお客さんのほうが多い(全体の数は少ない)。

 ここからバスに乗って、新山口駅まで。

 羽田空港などで郊外まで行く空港リムジンバスだと、乗車の際には旅行者の荷物をスタッフがバスの脇腹の格納庫に入れてくれる。

 ところがこちらの高速バスではそういうサービスは料金外なのか、運ちゃんは格納庫を開けるのすら難儀なようで、おまけに荷物は

 「自分で入れて」

 まぁ別に異存はないけど、けっこう新鮮な対応だ。

 滞在中はとにかく歩き倒していた我々だから、車内から眺める萩の町(といってもバス通りだけど)の景色が新鮮だ。

 すぐ近くの明倫館跡バス停に寄ってから、バスはいよいよ萩の町を後にする。

 さらば、萩(萩市域はまだ続くけど…)。

 最初の最初は厳島神社が目的地になるはずだったところ、よもやの令和の大改修により急遽変更した目的地、萩。

 行程の都合上、間に門司港を入れてみたところ、これがたいそう面白く、1泊だけしかしていないのにもう旅行を終えたくらいの充実感があった。

 そのためそこから萩へ行くのは、なんだかオマケみたいな気分になっていた我々。

 でも門司港とはまったく異なるコンセプトの観光地・萩もまた、聞きしに勝る海幸天国で、おかげで毎晩のように(お昼も)シアワセに包まれた。

 それにしても、聞きしに勝るフグ天国。

 そして、初めて知ったマフグの美味さ!!(絶対トラフグより美味しい)

 これひとつとっても、ご当地に来た甲斐があるというもの。

 それはそうと、どの店でも当たり前のようにフグをさばいているってことは、どの店の板さんもフグ調理師免許を持ってるってことですよね?

 山口県内では、フグ調理師免許無しの居酒屋なんて、ダイビングができない水中写真家みたいなものなのだろうか。

 ああ、萩も美味しかった!

 日帰りで観光するヒトたちの気が知れない………。

 ただし萩は、美味しかったぁ!!だけでは済ますわけにはいかない土地でもある(けっして門司港はそれだけで済ませていいというわけではありませんが……)。

 歴史的に見ていい意味でも悪い意味でも、幕末に長州藩の存在が無ければ、明治維新から連なる現在の日本はこのようにはなっていなかったことは間違いない。

 オンリー薩摩主導では、今頃「ごわす」が標準語になっていたかもしれないし、フグはいまだにご禁制だったかもしれない。

 その現代日本のルーツ的長州藩の中心地である萩の町が、誇り高く明治維新押しになるのは当然のことで、萩市の観光産業において最もアピールされているといっていい。

 しかし城下町のはずれで夏みかんソフトクリームを売っているファンキー店主氏が言っていたように、観光地としての萩はけっこう右肩下がり気味のよう。

 そこには重大なモンダイがあると思われる。

 日本のいわゆる「幕末の歴史」に少しでも興味がある方にとっては、萩の維新押しはバチッとツボにはまるかもしれない。

 しかし一般的イメージとしては、旅行先選定時の会話が、

  :「萩は幕末の長州の志士たちの町なんだよ!」

 彼女:「えー、なにそれーキョーミないしー」

 となっている率がかなり高そう…。

 そこに「萩といえば萩焼、津和野とセットで中高年の旅行先」というイメージが加わると、ホントは中年なのに気分は20〜30代の人たちの足が向く率がかなり低くなりそう。

 というゲンジツがあるにもかかわらず、萩の町の観光プレゼンテーションは、基本明治維新押し。

 それも、「ある程度のことは知っているでしょ?」的前提があるから、ベースがほぼゼロのヒトにとってはハナからキビシイ。

 ひょっとしたら「明治維新」を人の名前だと思っている日本人だっているかもしれない……という危機感(?)は、萩市観光協会にはまだ無いんじゃなかろうか。

 そんな基礎知識など無くとも、日本の財産でもある町並みをご覧いただければ……ということなのだろう、近年は歴史的建造物が復元される例も増えているようだし、現地でいろいろお勉強できるようにと、博物館や観光情報センターなど、趣きのある建物を各種整備しているし、和装で歩けたりするし、萩焼も体験できる。

 なんといっても、「町をきれいにする」という地域のみなさんの、活動とその成果が素晴らしい。

 ただその一方で、置き去りにされたかのごとき部分もある。

 今の世の中すっかりマイカーや観光バスで萩入りするヒトが増え、車での来萩が前提になっているからだろうか、東萩駅前の広場は、敷かれている石が剥がれていたり凸凹していたりしていたし、せっかく駅前広場に設置されている萩城天守閣6分の1模型も……

 サビサビのボロボロ。

 到着していきなりこれだと、けっこうダウーンって感じですぜ。

 また、伝統的建造物群保存地区に指定されている浜崎地区では、こういう建物も「保存」されていた。

 うっすらとマルキュウと読めるこの建物は、防府市に本拠があるスーパーチェーンの浜崎店で、浜崎のこのあたりが伝統的建造物群保存地区に指定されるよりも遥か以前、1980年に開店している。

 しかし夢破れて山河あり、通りを歩けば誰の目にも触れる廃墟となり、ガラス越しに見えるレジコーナーが哀愁を誘う建物は、町並みをウリに地域興しをしている浜崎にとってまさに負の遺産。

 一時は破綻寸前に追い込まれたようながら、なんとか現在も頑張って復活を遂げているらしいマルキュウ、撤退した後の店舗を取り壊す費用くらい出せるだろうに……

 …と思ったけど、ひょっとして、この廃スーパーも含めて「保存」地区縛りが?? 

 これが企業の勝手で放置されているなら、ただちに法的処置をとって費用企業もちで強制撤去。

 「保存地区指定」縛りで放置を余儀なくされているのなら、この建造物を指定除外。

 いずれにしても、博物館や明倫学舎を整備する予算があるのなら、萩市としてはこのスーパーの残骸を撤去するかさせるかが先なんじゃ??

 駅前の萩城模型の一新もついでにお願いいたします…。

 日本全国どこも地方行政は似たようなもので、何かをやるとなるととにかく箱を造るのが大好きだから、ふんだんな予算はとかくそういった「箱」にまわされつつ、結局さほど有効利用されていないことのほうが多い。

 萩の町はそういった箱を造りつつも、そもそも「萩まちじゅう博物館」というコンセプトだというから、いっそのこと町じゅうを見て回ることを優先したため(藍場川地区には行けなかったけど)、そういった建物の中には一度も入っていない。

 なので実は萩の場合はそういった「箱」が相当有効に利用されているかもしれず、実際博物館などの展示物は「見てみたい…」と思うモノも多い。

 でもそれだけじゃあ、訪れる観光客はきっと今と変わらない。

 高杉晋作が来ていた着物とか、吉田松陰直筆の文書とか見たさに訪れる客が、観光地・萩の景気を大きく膨らませる要因にはなりそうもなく、夏みかんソフトクリームのファンキー店主氏がえびす顔になる日は遠い。

 では萩はいったいどうすればいいのか。

 2015年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の効果が一時的で終了となれば、ここはもう、萩を舞台にした超感動アニメーション映画を新海誠監督に制作していただくしかない。

 ストーリーにムツカシイ歴史の話無し維新無し松陰無し、でも萩が舞台……の、高校生くらいの男女が主人公のスペシャルラブロマンス巨編。 

 主人公は萩の町でボランティア清掃をしている子、なんてどうでしょう。

 例によって精密な背景画ともあいまって、萩が「君の名は。」的アニメーションの聖地となれば、若い観光客10倍増間違いなし。 


この舞台と背景がリアルな萩の町だったら……
映画「君の名は。」より

 巨大な箱を次々に造る予算があるなら、アニメーション映画を制作する予算くらいなんとでもなるだろう。

 もっとも、萩の企画に新海誠監督がノリ気になるかどうかは別問題だけど……。 

 かくなるうえは最後の手段、小山ゆうのデビュー作「おれは直角」(幕末の萩が舞台)のアニメ作品を、ネット配信で5年くらい再放送し続けるとか…

 …効果ないか。

 幸いなことにワタシは「幕末〜明治の日本」は昔から興味の対象だったし、昔はまったく興味が無かったオタマサだって、夫婦歴銀婚式以上ともなればワタシと同じように興味を持っている。

 旅行前に読んだ「世に棲む日々」は、必読の書としてオタマサにも勧めた。

 おかげで、名も知らなかったはずの方の「誕生地」とか、誰それの旧宅など、知らなければ「ふ〜ん」で通り過ぎるだけのところ、なんだか妙に身近に思える楽しさも加わった。

 指月城跡散策は、CG再現の画像を合わせて観れば楽しさ倍増になるのと同じで、同じ景色でもそこに物語があるかないかでまったく感じとるものが違ってくる。

 とりわけ松下村塾をはじめとする旧松本村はテキメンだ。

 その地でかつてあった物語を多少なりとも知らなければ、いかに当時の建物が現存していようとも、

 「昔は寒かったろうねぇ…」

 という感想しか持てなかったかもしれない。  

 戦前までは、その思想がともすれば国民コントロール用イデオロギーとして、ある意味神格化利用されてしまっていた吉田松陰。

 そのイメージがまだ濃厚に残っている気配があるからか、ワタシも含めそういったことを胡散臭く感じる多くの人が、その人物像を大幅に誤解しているかもしれない。

 しかし吉田松陰は、思想家だとか教育者だとか革命的ロマン主義者だとかいったレッテルなんかに関係なく、幕末のこの土地で暮らした少年であり青年であり、そしてその時代を一生懸命生きたヒトだったのだ…

 …というところでわずかながらでも共感できたおかげで、この墓も、血の通ったヒトを観る目で眺めることができた。 

 そういう意味でも、「世に棲む日々」はオススメです、アベソーリ。

 

 幕末日本の「熱」を感じることができる町、長州・萩。

 萩市観光協会は今年(2020年)、世界遺産登録5周年を記念して、

 日本の志(こころ)がここにある。

 と銘打ったキャンペーンを開催している。

 でも今の世の中、萩の地に生きた志士たちの「心」を我々世代に伝えていても、もはや手遅れでしかない。

 彼らの熱い血潮を伝えるべきは、これからの日本をイヤでも支えることになる若い人たちにこそ。

 新海誠監督の新作映画(現在架空の存在です)が、この地に多くの若者を呼ぶことに期待しよう。