6・一心太助
このところの我々の旅行先がどこであれ海辺なのは、とにもかくにも沖縄ではそうそう味わえない現地の海の幸を食べてみたいから、というのは今さら言うまでもない。 なので、門司港といえば焼カレーということは百も承知ながら、福岡といえば焼鳥天国であるということも承知ながら、たった一晩で味わい尽くすとなれば、何をさておいても海鮮系。 レトロであれ何であれ海辺の街だもの、そういった店に不自由することはあるまい…… …と思っていた。 もちろん、少し足を延ばせばいくらでも店はあるのだろうけれど、海辺も海辺のホテルから歩いてすぐの場所となると、これがまた焼カレーの店だらけ。 他にもいろいろあるとはいえ、事前リサーチでフツーに地元の「旨い魚が食える居酒屋」になかなか巡りあえなかった。 そんなおり、燦然と輝く紹介記事を発見。 いわく、 とにかく魚料理がイチオシ!な魚屋直営の居酒屋 魚屋直営!? しかも「日本酒好きのわたしにとっては、お魚がおいしいっていうのが重要なんです!!!」と鼻息荒く語っているところからみて、この紹介記事の筆者が我々と同系統の嗜好であることは間違いない。 迷わずこちらのお店に決定。 見知らぬ土地で店を失い路頭に迷いたくはなかったから、ひと月も前からお店を予約してあり、しかもこの日日中には店の場所の下見まで済ませての万全の態勢である。 そのお店とは…
旬鮮味処 一心太助。 この場所で鮮魚店を商っていた先代が、江戸の昔の一心太助のように気風が良くて義理人情に厚い方だったことに由来する屋号だそうな。 調べれば調べるほど、期待が膨れ上がっていく。 ただ、昼間の下見の時点ですぐ近くに2号店ができていることを知ったワタシ、予約をした際、ホントに本店のほうに電話をしただろうか…とけっこう本気で自分を疑っていた。 予約していることを伝えても、「へ?」的な対応をされたらどうしよう…と一抹の不安を抱きつつ入ってみると…… 「本日のおすすめ」が見やすい位置のカウンター席、というリクエストどおり、カウンターに2席用意されていた。 まずは門司港到着を祝し、乾杯。
生はサッポロとエビスから選べるという、なんともゼータクな選択肢で、サッポロ生をチョイス。 ほどなくして出てきたお通し。
これはもしかしてフグ皮ですか?? 「そうですよ!」 と、女将さんがニコニコと答えてくれた。 さすが関門海峡、フグのご当地。フグ皮ポン酢といいつつ身の部分もけっこう入っていて、この小鉢ひとつでお店のチョイスの正しさを確信した。 カウンターの上段にはいろいろな一品料理が皿に入った状態で用意されてはいるものの、とりあえず魚目当ての我々としては、まずは目の前に掲げられているホワイトボードのおすすめメニューに食いつく。 さっそくお願いしたのは……
定番の刺し盛り。 産地じゃないのになぜだかサーモンがあるあたりが沖縄と同じ。たくさん訪れる地元の方の需要なのだろう。 その他、扇の要にあるサザエから左回りに、シマアジ、鯛、そしてご当地ではヒラソと呼ばれるヒラマサ(ちなみに五島ではヒラスだった)。 いちいち名札を付けて出て来るわけではないので、サザエとサーモン以外は尋ねなきゃわからない。 お店には相撲部屋でちゃんこでも作っていそうな大将と、人柄が笑顔に滲み出ている女将さんのほかに、若いスタッフが男女それぞれ1人ずついる。 でもにぃにぃねぇねぇに刺し盛りの内容などを尋ねても結局大将に訊くってことになることが多いから、カウンター越しに直接大将に尋ねたところ、傍らに立っていたにぃにぃが、そういうことなら是非僕に!という勢いで答えてくれた。 随分若く見えるのに、このにぃにぃ、魚をはじめメニューからなにから、店のことにかなり詳しい。 店にかかってくる客からの電話への応対などを聞くともなく聞いていると、ねぇねぇともどもかなりしっかりしているし(ワタシの予約の電話を受けてくれたのをねぇねぇは憶えていてくれた模様)、常連客との何気ない会話など客あしらいもすでに玄人はだしで、ひょっとしてこのにぃにぃは跡を継ぐことが決まっているこの店の息子さん?と思ったほどだ。 にぃにぃは食材としての魚についても相当こだわりがあるらしく、いくらご当地とはいえ、スーパーなどではいいものは手に入らないとアツく語っていた。 さすが魚屋さん直営、若いスタッフまで魚にこだわりを持つ居酒屋は、どれもこれも刺身が美味い。 シマアジも人生最上級の美味さを誇っていたけれど、ヒラソがまた…… 激ウマッ!! 魚体本体のイキの良さを、一切れの刺身が口内でアピールしまくっているはないか。 これがヒラマサの本来の実力なのなら、ブリよりもカンパチよりも圧倒的に好きかも、ワタシ。 サザエがまた見事なまでの薄作りで、生のサザエはコリコリしすぎて苦手なワタシですら「美味しい……」と思ったほどだから、オタマサにいたっては昇天級。 これで一皿1,000円って………安ッ!! そして、勢いで刺し盛りと同時に頼んでいたのがこちら。
ヒラメのカルパッチョ♪ 見事に薄造りにされたヒラメがグルリと皿を一周。 これで700円だなんて……ホントにいいんですか?ってな感じ。 ヒラメの美味しさは今さら言うまでもないことながら、こんなジョートーなヒラメならお刺身で頼めばよかった…という後悔が無くもない。 もはやこうなってしまうと、いつまでも生ビールを呑んでいる場合ではない。 メニューには日本酒もいくつか用意されているようながら、カウンターに貼られてある小さな宣伝ポスターが先ほどから気になっていた。 でもメニューには載ってないところをみると、義理で貼ってはいるけど置いてはいないってことなのかな? ダメ元で尋ねてみると…… 「ありますよ!」 あ、あるんだ。 1合ごとのグラスでも4合ボトルでもOKで、飲み切れなかったらテイクアウトもOKということだったから、ここはひとつ初めて目にするこのお酒をボトルでお願いすることにした。
特別純米酒 猿喰(さるはみ)1757。 なんとも珍しい名前だと思ったら、猿喰というのは土地の名前だった。 北九州空港のちょい北くらいにある海辺の土地で、江戸の昔、飢饉に苦しむ人々を助けようと、石井宗佑というヒトが私財をなげうって猿喰湾を干拓したそうで、1757というのはその干拓事業に着手した年なのだとか。 洋の東西を問わず、昔のお金持ちには人々のために私財をなげうつヒトが多い。 なにやってんだ、現代の金持ちたち。 この猿喰1757は、その干拓地猿喰地区で採れた「吟のさと」という米を使って作られているそうで、流通量は相当少ないと思われる。 まさにご当地ならではの酒。 アルコール度数15度、味も食中酒にはバッチリのスッキリタイプで、どの方向にも強く主張するお酒ではないものの、こういう歴史を知れば美味さ倍増というもの。 さて、当初の刺し盛りを食べ尽くしてしまったのだけど、あまりにもヒラソが美味かったから、今度はヒラソ単独でお刺身をお願いすることにした。
多い方と少ない方の切り身の食感が少々異なるような気がしたので大将に尋ねてみたところ、最初に刺し盛りに入っていたのとこの皿の2切れの方は、背側の中骨に近い方で、この皿の多いほうの刺身は、背側のさらに背側になるそうだ。 大将によれば6キロもののヒラソというから成魚というわけじゃないのだろうけど、それでもやはり、三枚におろして背側腹側に分けても背側だけをさらに2つの部位に分けられるほどデカいのだろう。 いやはや美味い、マジ美味い。 ところで刺し盛りにもこのさらにも載っている薬味的柑橘系の切り身、カボスかな?と思って齧ってみたところ、なにやらほんのり甘味も感じる。 はてさてこれはなんだろう? 女将さんに尋ねてみるとダイダイだそうで、それもご自宅の庭で採れたものなのだとか。 その話をしていると、先ほどのにぃにぃが 「え?そうだったんですか?」 と驚いていた。 おお、しっかり者のにぃにぃですら知らなかったお店のジジツのリサーチだったのだ。 さてさて、もうヒト品フタ品いってみよう。 卓上に置いてある定番メニューに、タコのから揚げが載っていた。 タコは普段の生活でよく食べるものながら、近年になってマダコと島ダコ(ワモンダコ)とで味がビミョーに異なることを知り、土佐でいただいたタコのから揚げがたいそう美味しかったから、ここでもいただいてみることにした。 タコのから揚げを…… 「すいませーん、今日はイカ・タコが無いのよぉ〜〜」 ガーン!! ……またやっちまったぜ。 気を取り直し、あらだきと天婦羅盛り合わせをお願いしてみた。
もういい感じで酔っているために魚種を尋ね忘れたけれど、ブリっぽい頭とカマが大量投入されてたったの390円。 こういう系には目の色を変えるオタマサなど、「これで3杯飯できる!」と吠えながらチマチマチマチマ永遠に身をほぐしていた。 天婦羅盛り合わせは、エビもおそらくはフグも2つずつ入って600円。 安いだけならそれなりで終わるところ、美味いのだから酒が進まぬはずはない。 この頃にはすでにカウンターにも座敷にも、常連さんらしき方々をはじめお客さんがたくさん入っていた。 平日も平日だというのに、まるでフライデーナイトのようなにぎわいだ。 予約しておいてよかった……。 でまた、2階席あたりから内線でかかって来る注文に、大将が 「今日はもう刺身はシマアジとサーモンしかないわ〜」 と返事していた。 ヒラソを追加注文してすみませんでした、常連さん…。 立て込んできたことだし、長ッ尻もなんなので、そろそろシメに。
鯛茶漬けと貝汁、これまたどちらも390円。 鯛茶漬けといいつつ茶漬けの味付けは永谷園ながら、惜しげもなく投入されている厚めの鯛の刺身の量ときたら!! 一方、貝汁の貝は一般的なアサリではあるもののこれまた量たっぷりで、田舎味噌っぽい味噌汁の味が、すでにして酒にただれそうになっている五臓六腑をジンワリと癒してくれるのだった。
いやあ美味しかったなぁ…。 なんだかもう、これで今回の旅の目的はコンプリートしてしまったかのような充実感。 一心太助、大当たりでございました。 お会計をお願いすると、にぃにぃが 「飲み切っちゃいましたね!」 と笑っている。 そう、残りは持って帰って部屋で飲もうと思っていた4合瓶、酒も肴も美味しいものだから、すっかり飲み干してしまっていたのだった。 飲み屋や宿などには、よく「アットホームな…」とか「家族のように…」と親しみやすさをアピールする謳い文句があるけれど、それらの言葉はこの一心太助にこそふさわしい。 大将や女将さんと若いスタッフたちの会話はまるで家族であるかのようで、そこには雇用者と従業員という堅苦しさが微塵もない。 おかげで初めて訪れた我々さえも、通いなれた店にいるかのような落ち着いた気分でゆっくり飲めたのだった。 一心太助、ありがとう、いいお店です。
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