8・関門散歩・門司編

 天気予報で覚悟してはいたものの。

 一夜明けて迎えた門司港の朝は、冷たい北風がピューピュー吹く曇り空。

 前日の日中は上着が要らないほどだったのに、この朝は一気に……

 冬に逆戻り。

 お昼過ぎには次なる目的地に向けて門司港を去る予定なので、この界隈を歩けるのも午前中で最後だ。

 なので寒さに負けず8時にはホテルをチェックアウトし、フロントで荷物を預かってもらってから散歩に出発。

 今日は関門海峡を越え、下関まで足を延ばす。

 関門海峡を越えるって、船で?電車で?

 いえいえ、歩いて!

 ともかくまずは昨日同様関門橋方面を目指す。

 冬場は運行していない例の観光線路沿いに「めかり街道」という遊歩道が続いていて、関門橋方面へ行くにはそこを歩いて行けばわかりやすい。

 線路沿いにテケテケ歩いていると、やがて日差しが出てきて、空にはところどころに晴れ間も見えてきた。

 15分ほど歩くと……

 漁港だかマリーナだかの向こうに、朝日を浴びる関門橋が見えてきた。

 ここからめかり街道は、ずっと海沿いを行くことになる。

 この漁港が尽きるあたりに、観光列車の「ノーフォーク広場」駅があり、その向かいの漁港のフェンス内に……

 タコ壺らしきものがたくさん置かれてあった。

 ここらあたりもマダコはタコ壺漁なのだろうか。

 タコ漁師、もっと頑張ってくれていれば、昨夜タコのから揚げを食べることができたのに…。

 門司港運と違って厳重に封鎖されている漁港のフェンスには、このような看板があった。

 昨夜の一心太助のにぃにぃが、美味しい魚はスーパーではムツカシイけど朝市だったらなんとか……と言っていた朝市とは、これのことかな?

 月に一度、9時から始まる朝市がどのようなものなのか、とっても気になる……。

 さらに歩くと、門司ではなく文字という文字を使う文字ケ関公園(ややこしい…)を案内する看板があって、そこにジョウビタキのオスが止まっていた。

 この冬水納島に渡ってきているジョウビタキはやたらと警戒心が強く、例年のように写真を撮ることがまったくできないでいるというのに、このあたりで観るジョウビタキたちはどういうわけだかみんな人懐っこい。

 というか、好きな鳥ではあるとはいえ、旅行の先々でジョウビタキを撮っている気がするワタシ…。

 ちなみに文字ケ関公園は、このジョウビタキが止まっている看板からすぐ近くに門司関址があるほか、山頂には門司城跡(源平の合戦の頃のものだから、城跡といってもおそらく土塁程度)があるそうな。 

 そういう高所からの眺めは気になるところながら、この日のテーマは海峡遠望ではなく海峡横断である。

 さらに進むと、昨日遠望した海上保安庁の巡視船が停泊しているところに出てきた。

 ということは…

 こちら側から昨日の埠頭も黒川紀章も眺められる。

 この海上保安庁のバースの突き当たりにあるのが、ノーフォーク広場だ。

 なんで唐突に「ノーフォーク」なの?と不思議に思っていると、近くに説明書きがあった。

 なんでも、北九州市とアメリカのバージニア州ノーフォーク市とは、姉妹都市の間柄なのだとか。

 でもノーフォークといえば、アメリカ最大の海軍基地があるくらいに巨大な港湾都市じゃなかったっけ?

 昔から日本には姉妹都市の相手の市にちなんだ施設を造りたがる習性がある。でも相手の都市ではどうなんだろう。

 少なくともノーフォーク市に「北九州広場」はないよなぁ、きっと。

 …と言っているうちに、もう関門橋がすぐそこに。

 ここから遊歩道はホントに海ギリギリのところを通っていて、やや強い北風が立てる波でしぶきがかかりそうなほど。

 このちょい先に……

 不思議的巨大岩が鎮座している。

 道もガードレールもこの岩をわざわざ避けて作られているあたり、なにやら意味ありげな岩のようにも見えるのだけど、どこにも何も説明は無く、掲げられている看板は……

 ポイ捨て禁止を訴えているだけなのだった。 

 この岩を過ぎると、いよいよ関門橋が目の前に。

 やっぱりカッコイイなぁ、関門橋。

 間近に迫ってようやく気付いたことに、関門橋は現在大掛かりな修復工事中だった。

 真ん中付近を覆っているのも工事中部分。橋脚もまた工事中で…

 作業員が乗るエレベーターが稼働中だった。

 圧倒的にオマタヒュンの現場だ……。

 請負業者の横河ブリッジといえば、どこかの大橋かなにかでプロジェクトXに出てなかったっけか??

 現在補修工事中の関門橋の真下に立ってみた。

 ウヒョーッ!!

 特に橋のマニアってわけじゃないけれど、目を見張るべき人工美というものはたしかにある。

 ここは関門海峡の中で最も隘路になっているところで(だからこそ橋が架けられたんだろうけど)、地形を観ただけで潮の流れが速そうなことがわかる。

 実際に水面を見やると……

 まるで船が通り過ぎたあとのように潮流でざわついている。

 源平の合戦で有名な壇ノ浦の戦いはまさにこのあたりのことで、この潮の流れの変化が、文字どおり勝敗の流れを大きく左右した……ということになっている。

 でも平家といえば西国の水軍の主のような存在で、しかも屋島での敗退ののち壇ノ浦の合戦までは、ここからほど近い彦島を本拠にしていたというのだから、この海峡の潮流なんて手に取るようにわかっていたはずなのになぁ……。

 ところで、門司区といえばなにげに九州本土の最北に位置していて、この関門橋のすぐ近くにある和布刈(めかり)神社は、九州最北端の神社なのだとか。

 慎ましやかな規模のこの神社、社伝によると創建はにわかには信じられないほど古く、「有史」以後も足利尊氏など多くの歴史上有名な人物とかかわりがあるそうな。

 和布刈という不思議な名前は、旧正月に海で若芽を刈り取る神事がここで古くからおこなわれてきたことに由来しているらしく、松本清張の名作「点と線」の刑事たちが再び活躍する「時間の習俗」という作品では、この和布刈神社における神事が重要な意味を持って登場する……らしい(未読)。

 その神事が行われる海へと続く階段がこの拝殿の真向かいにあって、その先に石灯篭らしきものがある。

 旧正月の夜に行われるという神事の際には、ここに灯がともるのだろうか。

 帰宅後いろいろ調べてみると、この和布刈神社の神事の模様を表した像が、門司港駅前の広場にあるという。

 はて、そんな像なんてあったっけ??

 駅前で撮った写真をチェックしてみると……

 あった!!(右端矢印の先)

 無理矢理アップ。

 おお、松明がかざされている下で、鎌を持った人がワカメ刈り……。

 いやはや、バナナの叩き売り発祥の地の碑には気がついたのに、こっちはまったく気がつかなかった……。 

 その他いろいろ知ると興味深いことが様々出て来る和布刈神社。

 しかし我々は今、神社にとらわれている場合ではなかった。

 なにしろこれから、関門海峡を歩いて渡るのである!