それは「千と千尋の神隠し」から始まった

 毎度毎度、旅行のたびに
 「なぜそこへ行ったのか?」
 なんてことを冒頭に書いているが、いつもそうであるように、ダイビングサービスとして、海中案内人として、今回もまったく生産的な理由はまったく無い。微塵も無い。かけらも無い。
 だがしかし、これまたいつもそうであるように、たいていの場合、
 「なんでそこに決めたの?」
 という質問があるのだ。応えねばならない。 

 クロワッサンでは、現在「日本全国津々浦々有名観光地総ざらい計画」を発動中である。
 海外に行っている場合ではない、日本をもっと知らねばならぬ、というわけだ。
 とはいえ、いくら冬の間暇だといっても、先立つものに限りがある。季節限定というしがらみもある。目的地選定は
 「絞りに絞って…」
 行わなければならない。

 昨年(2001年)、「千と千尋の神隠し」という映画があった。

 巨匠・宮崎駿のアニメーションである。
 日本での興行記録を樹立した映画である。
 世間での評価はそれほどに高かったのだが、僕にとっては評判倒れ、期待ハズレの感が否めなかった。ま、そもそも子供向けなのだから仕方がないといえば仕方がない。
 期待ハズレではあっても、もちろん面白く見られたことは言うまでもない。
 余韻を味わいながらのエンディングなど、心に染みるいいテーマであった。見終わった後などついつい口ずさんでしまったものだ。

 ところが、それほどの音楽であったのに、日を置いてから口ずさもうとすると、
 「ラン、ランララ、ランランラン、ラン、ランラララ〜ン…」
 あれ?これは風の谷のナウシカに出てくる音楽ではないか?

 頭の中が一度この「ラン、ランララ…」に毒されると、もう二度と「千と千尋の…」のエンディングテーマが蘇ることはない。余人はいざ知らず、僕の音楽センスではその呪縛から抜け出ることは出来ないのである。

 前回の旅行の際、鳥羽の居酒屋でタコ主任と飲んでいたときだった。
 突然、稲妻が走ったかのように、僕の脳裏に「千と千尋の…」の音楽が衝撃的に蘇ったのだ!
 そうだった、そうだった!
 「ララ、ランランランラン、ララララ、ランランランラン、ララララ……」
 まったく、なんの脈絡も無しにふいに蘇ったメロディ。僕は唐突に話の腰を折り、いきなり口ずさみ始めてしまった。

 タコ主任もうちの奥さんも呆気にとられていたが、いやあ、こうやって突然思い出すこともあるんだなァ、人間の脳って面白いなァ、と感動しつつ事情を話した。
 と、その時だった。
 カウンター席のほうから、聞きなれた音楽が流れてきたのだ。
 聞きまがうはずがない、「千と千尋の…」の音楽だった。
 なんと着メロではないか!
 先ほどから無意識のうちにその着メロが聞こえていたからこそ、突然稲妻が走ったかのように思い出したような気になっていたのだ。

 カウンター席の人は、僕らの話、ずっと聞いていたんだろうなァ、それも笑いをこらえて……。ああ、クヤシイ!!

 後日、このエンディング曲の有効な覚え方をある方から教えてもらった。
 これまでずっと「ラン」で口ずさもうとしていたのが悪かったのだ。
 これを、「ホ」に代えればいいというのである。
 さあ、やってみよう。
 「ホホ、ホッホッホッホ、ホホホホ、ホッホッホッホ、ホホホホ……」

 たったこれだけのことで、もう二度と「ラン、ランララ、ランランラン…」に毒されることは無くなった。
 めでたしめでたし…。

 おおっ、あやうく終わってしまうところだった。
 いったいなんの話をしているのだ。
 こんなところで寄り道をしている場合ではなかった。先は長いのである。

 その「千と千尋の神隠し」。
 この映画を見て、僕が一番魅力を感じたのは、主人公の千でも湯婆でも釜ジイでもヘンテコな神様たちでももののけたちでも顔無しでもなんでもなく、舞台である「湯屋」そのものだった。
 活気溢れる座敷の数々、歓楽街、そしてなんといっても、天高く吹きあがる噴気の勢い。
 温泉街とこの湯けむりを見てみたい……。
 これこそが今回の旅行の最大の動機なのである。

 沖縄在住の我々にとって、もっとも身近な温泉地といえば九州だ。そして、温泉地ならばまぎれもない観光地である。
 うむ、今回は「九州とことん湯けむり旅」にしよう!
 そうすれば、どこの温泉地にしようかと悩む事もなくなる。とにかくまわりにまわればいいのだ。
 と決めかけたら、

 「私、四国に足を踏み入れた事ないんだよねぇ…」
 と言い出す我が妻マサエ。

 車無しで移動を続ける我々の場合、九州から四国へと渡るのはなかなか自由が利かない。残念だけど今回は九州だけにしておこうか、と、ちょうどそんな話をしていたとき、すばらしいルートを教えてくれたゲストの方がいた。別府から愛媛まで短時間で渡れるフェリーがあるというのだ。
 このルート確定により、四国への上陸も決定した。

 四国への上陸を果たしたことがない、といううちの奥さんだが、だからといって四国の何を訪ねたい、というものがあるわけでもなかった。ただ、
 「讃岐うどんがおいしいんだよねぇ…」
 ということだけであるらしい。

 そんな話をしていたら、あるゲストがとある本を送ってきてくれた。
 「うまひゃひゃさぬきうどん」
 という本である。

 なんと巷では、讃岐うどんが近来稀に見るスーパーブームになっているというではないか。
 旅行に「食」を求める我々としては、これをみすみす見逃す……いや、食い逃すわけにはいかない。

 また、観光地総ざらい計画としては、九州から讃岐へ行くのに、途中の「道後温泉」を逃す手はない。
 と、こうやっていろいろ具体化(?)していくうちに、九州に費やす日が限定されてしまう事となった。阿蘇周辺や由布院、果ては壱岐、五島列島まで行ってみたかったのだが、日程的にくまなく温泉地をまわるわけにはいかなくなってしまった。
 もちろん、この時期、暇は暇なんだけど、そんなに長く島を空けていられないのである。そう、鳥たちがいるから。餌やりを島の人に頼んでいる関係上、3週間4週間と留守にしていたら申し訳ない。
 うーむ。チャボやアヒルのせいで旅行期間に制約を受けるとは……。食っちゃおうかな…。

 とにかくそんなわけでのんびりと九州をまわるわけにはいかなくなった。
 どうしよう。
 こうなると選りすぐりの1ヶ所を選ぶしかない。
 数ある温泉地のなかでも、最たる観光地、ベッタベタの観光地といえばどこか?
 湯屋のような湯けむりを堪能できる温泉地はどこか?

 もうおわかりですね?
 そう、別府である。
 そして、別府八湯と称される数々の温泉地のなかでも、湯けむりといえばここである。
 鉄輪。
 こうしてルートは確定された。
 別府・鉄輪〜松山・道後〜琴平〜そして大阪の実家。
 湯けむり&温泉街を求め、うどんを食べる旅である。
 なんだかうっかり八兵衛を連れたご隠居さんのツアーのようである。
 しかし。
 アンチ・レンタカーの我々にとっては、想像を絶する徒歩行になってしまったのであった。
 題して

 「健脚商売〜湯けむり地獄うどん旅〜」

 旅行を終えこれを書き始めている今、心身ともに思いっきり健康的になってしまったのはいうまでもない。