常磐荘

 あらかじめ告げておいた時間よりも圧倒的に早く着いてしまったので、チェックインできるかどうかわからなかったけど、とりあえず荷物を預けるだけでもお願いしたかった。まずは宿に向かった。
 常磐荘である。

 道後温泉本館から歩いて3分ほどのところにある宿だ。
 一方向から撮った小さな写真しか見た事がなかったので、外観についてははたしてどんな宿だかまったく知らず、恐る恐る訪ねてみると、これがまた、我々の望みどおりの古風かつ慎ましやかな旅館だった。
 近くに、同じような雰囲気の浪六旅館というのがあって、一昔前はこの界隈はこういった「いい旅館」が並んでいたのだろう。ところが常磐荘とこの浪六旅館の間に、ドデンとそびえ立つホテル茶波瑠。
 味のある両旅館の間で
 「ブライダルフェア」
 もなにもないだろうに……。

 到着は早かったが、チェックインさせてもらえた。
 なんと飛び入りがない限り今日は我々以外には客がいないそうで、部屋は選び放題、風呂はいつでも貸しきり状態、という天国のような状況であった。
 階段を上がったところの手近な部屋を選んだ。
 コタツがセットされていて、なんだかじいちゃんばあちゃんの家に泊まりに来たような雰囲気だ。

 とりあえず旅装を解いてこの後の計画を立てていると、おねーさんがお茶セットを持ってきてくれた。こういうところも、大きなホテルではまず味わえない。

 茶菓子は坊っちゃん団子だった。名物なのである。
 客は我々しかいないということもあって、いろいろお話できた。
 てっきりバイトの子かな、と思ったのだが、この宿の娘さんであった。ケイコさんという。苗字は石垣さん。といっても沖縄とは関係ない。ほら、石垣まんじゅうって別府にあったでしょう?彼女は別府とは関係ないんだけど、この九州四国のあたりには少なからずいらっしゃるのかもしれない。

 坊っちゃん団子を美味しくいただいた後に出すのも気が引けたものの、とりあえず例の黒砂糖を受け取っていただいた。鉄輪で絶大な効力を発揮したからといって、ハナからそれを期待して手渡すほど我々はあからさまに腹黒くはない。ないが、やっぱり多少は期待していたかもしれない…。ああ、神様、お許しを……。
 その期待の規模が小さすぎて失礼だったかもしれないほどに、あたたかいもてなしをしていただくことになったのであった。ホント、慎ましやかな旅館というのは心と心が通じ合って心地いい。

 夕食は、海の幸和風フルコースであった。
 第一弾

 タコの酢のもの
 タイの湯引きの刺身
 カンパチの刺身
 トラギスのから揚げ

 刺身は一切れ一切れがでっかい。そしてトラギスのから揚げなんて、3枚におろされて揚げられたものが小皿にきれいに盛りつけられているのだ。これがまたビールに合うのなんの。
 これだけでも充実していたのに、続いて第2弾。

 タコ刺し
 茶碗蒸
 タイの塩焼き

 タコ刺しなんて、皮が剥かれた完全白無垢の美しい刺身である。茹であがったヤツをぶった切っただけの物とはわけが違うのだ。
 ビールが進む。

 そしてトドメの第3弾は、メバルの煮つけ。
 ああ、伊豆でさんざん見ていたあなた、あなたはこんなに美味かったのね……。

 完全にうちの奥さんのストライクゾーンメニューである。
 思えば、鉄輪からこっち、肉類をひとっ切れも食べていない。

 そして締めのご飯はメバルのお吸い物とともに。
 デザートはもちろんイヨカンである。

 充実のひととき……。
 こんなことなら八幡浜駅前の庄八でたらふく食うのではなかった……。ああ、
200万回目くらいの後悔……。
 翌日の夕食も、このメニューに勝るとも劣らぬ海の幸フルコース。ビールはほどほどにして、当然のように酒を頼んだ。
 もちろん、翌日は固い決意を持って、昼飯をセーブしていた。

 この夕食の間、料理を運んできてくれるたびに、ケイコさんはお酌をしてくれつついろいろ話をしてくれた。厨房事情に明るい人が運んできてくれるので、出されたもの出されたものにいちいち
 「これはなに?」
 「これは?」
 とサルのように質問する我々に辛抱強く応えてくれる。地のものは、食材の話が格別の隠し味になるのである。それに、宿の方に御酌してもらいながら飲むだなんて、なんだか申し訳なくこっぱずかしかったけど、美味くなるのは言うまでもない。

 客は我々だけなので、つまりは我々さえいなければ宿の方たちはお休みだったわけで、それを考えると大変申し訳ない。それなのに、次から次へと厚意の嵐に見舞われ、随分シアワセな思いをした。
 そうやって食事中にいろいろ話をしているので、たとえば文旦の話も出てくる。
 スーパーを回っていて、この文旦がやたらと目に付いたのだ。夏みかんのような大きな柑橘類である。
 土佐名産ながら、このあたりにも出まわっている。かつて耳にした覚えはあったけど漢字を見たのは初めてのような気もする。少なくとも沖縄の田舎のスーパーでは見られないよねぇ……。

 というような話をしていたら、翌日の夕食時に文旦を出してくれたりするのである。

 また、ケイコさんは最近厨房でも技に磨きをかけていらっしゃるようで、パン作りも始めたらしい。初めて作ったんです、というプチ・フランスパンをデザート代わりに持ってきてくれた。
 これが美味いのなんの。
 このところ完全無欠の和食だったこともあるけれど、パン好きの僕が太鼓判を押すのだから相当美味いのである。あ、誰?ヤツの味覚はアテにならんと言った人は……。
 あまりの美味さに、
 「こりゃ、もうホテル・ブラッドなみですねぇ……」
 そりゃ、血まみれのホテルってことかい?それを言うならホテル・ブレッドでしょう!
 うちの奥さんに勝ち誇られてしまった。
 弘法も筆の誤り、サルも木から落ちる、阪神も秋まで首位のまま。

 次々に繰り出される海の幸同様に印象的なのが、味噌汁だ。
 鉄輪の温泉閣でもこの常磐荘でも朝食にお味噌汁が出るのだが、どちらも白味噌なのである。
 京都風雑煮のような白味噌ではない。初めて味わうお味噌だった。
 道後では確認しなかったのだが、鉄輪のスーパーでは味噌といえば白味噌ばっかりだった、とうち奥さんが言っていた。このあたりは味噌といえば白味噌なのだろうか………?

 さて、ヨロコビの常磐荘。
 浴衣で出歩くのはちょっと寒いかなァ、というような話をきっかけに、あれよあれよと話は進み、翌日、部屋に付いている浴衣ではなく、貸し出し用浴衣を特別に用意してくれた。おまけにおかみさんが着付けまでしてくれたのである。
 帯など結んだ事のない我が妻マサエ、マリオネットのようにクルクルと回りながら着つけてもらったのであった。

 それを着て、道後温泉本館へ行きがてら道後商店街を散策した。
 これがまぁ、普段肩で風切って歩く人だけに、和服の似合わないこと似合わないこと。静止画像ならまだましかもしれないけど……。
 もう少し暖かければ、羽織を取って美しい帯の結び目を披露できたのに、うっかりそのまま写真を撮ってしまった。

 ここ道後で湯といえば道後温泉本館だが、宿にも広い広い内湯がある。
 もちろん、温泉だ。
 道後温泉と同じ泉源なのである。
 2日とも、夕食前に味わった。
 テクテクテクテクさんざん歩き回ったあとなので、
 ウフィ〜、気持ちいい………
 と思わず声が出てしまう。
 繰り返すようだが我々しか客がいないので、お風呂も貸しきりだ。いわゆる家族風呂状態。
 そりゃまぁ、新婚カップルのようなときめきはありゃしませんがね…。

 1泊1人1万円というのは、文字だけ見ると高いかもしれないけれど、我々が味わったシアワセを考えると申し分ない……というよりはグウの音も出ない。温泉が宿にある、というシアワセのプレリュードはもちろん、胃袋も心も満たされまくりの二泊だった。

 つくづく、水納島にも温泉が湧かないかなぁ、と思ってしまった。
 宝くじ当たったら掘るか!
 と、帰ってから島の人たちと盛りあがったけれど、3億円じゃ掘るだけで力尽きてしまうことに気がついたのだった。