〜湯けむり地獄うどん旅〜

琴平へ

 すでに沖縄を発ってから5日過ぎていたが、感覚的にはもう10日も20日も経っている気がしていた。
 いや、なにもこれを書いているのがそれくらい経った時点だから、じゃなくて。
 松山を発とうとしていた時点で、鉄輪が遠い過去のような気分になっていたのである。

 日付は2月7日。2泊お世話になった常磐荘を後にした。
 さんざん通った道後温泉本館ともお別れである。
 チンチン電車は一路松山駅を目指す。

 このあとは琴平へ行くのである。
 松山駅から高松へ行く「特急いしづち」に乗り、途中多度津駅で下車、そこから琴平までは3駅だ。
 特急いしづちは、松山に到着したとき、特急宇和海がゴッツンコ状態で止まっていた相方である。
 多度津までは松山から2時間ほど。この日も朝風呂に入るために早朝に起床したから、車内ではゆっくり寝ることにしよう。車内ではビールとつまみを欠かさないはずのうちの奥さんも、すでに胃袋は
 「待ってろよ、さぬきうどん!」
 と戦闘態勢に入っていたので、じっと我慢の子であった。そう、目的はただ一つ。さぬきうどんである。

 松山から多度津へ行く途中に、今治を通る。
 読者にとっては、今治といってもだからどうだという場所ではないだろうが、我々にはそこに住む後輩がいる。
 夫婦でいよかんを作っている。
 当HPでもリンクを貼っているし、その美味さを紹介したこともあるのでご存知の方もいるかもしれない。彼らは柑橘系王国伊予の国で、究極のいよかん作りに精を出しているのだ。 

 電車がそこを通るのは知っていたので、旅行計画中はちょっと寄ってみるか、と考えたこともあった。今の時期はわりと忙しいのかもしれないが、そういうときにわざと訪ねていって、夏に彼らが水納島にやってくる、というのがどういうことか知らしめてやろう、と思ったのだ。それに、彼らのみかん畑も見てみたい。
 が、すでに心はすっかりさぬきうどんになってしまって、いよかんの入る余地はこれっぽっちも無かったのだった。貴重な一日をヤツのオヤジギャグで消費してしまうわけにはいかない。
 さらば、木原すきすきみかん、また逢う日まで。

 とはいえ、ここまで来ておきながら、黙って通過するのは忍びない。電話でも入れておこう。
 というときのために、彼らの電話番号を控えてある………ような気が利く我々であるはずはなかった。
 さて、どうしよう。
 こういう時に便利なのが、歩く104番、いや、もとい、太る104番ケンタローである。
 もちろん、彼の電話番号すら控えてあるはずはないのだが、彼がクロワッサン在職当時、保安庁や南西ヤンマー等緊急時用の番号とともに、うちの携帯に自分の携帯の番号を登録してくれていたのである。
 「いしづち」君のデッキスペースから電話してみた。

 「はい、サワムラです」
 「どうも、水納島の植田です。でも今水納島じゃないです」
 「ウィ―ッす。お久しぶりです。那覇かなんかに出てるんですか?」
 「んーとね、松山から讃岐へ向かう特急の中…」
 「え!?何やってんですかぁ??」
 一瞬、彼の頭の上にはハテナマークが10個ほど飛び交ったことだろう。
 事情を説明し、番号を知っているかどうか訪ねてみた。ちなみに、我々はのんきに旅行中だが、彼は仕事中である。
 「ちょっと、待って下さいよ……あったかなぁ………」
 う〜む、さすがに太る
104番でも愛媛は守備範囲じゃなかったかな………とあきらめかけたところ、

 「あ、ありました。今治のでいいんですよね?」
 ああ、なんて便利なケンタロー(の携帯電話)。もはや彼に用はなくなった。じゃあね!と素早く電話を切った。

 そして早速木原すきすきみかんに電話をしてみると………
 …………留守電。
 現在今治を通過中である、というわけのわからない実況留守録が一件入ってしまうことになった。

 電車は、ほとんど海岸を通っていた。
 眠かったけれど海辺は見ていたい。瀬戸内というのは、太平洋や東シナ海しか知らない我々からすると、まったく感覚の異なる海である。一見おだやかであるように見えて、その実激しい潮流が縦横に走りまわっているのだ。
 なんて思っているうちにまた寝てしまった。
 電車は香川県に突入したようだ。

 香川県に入っても、うちの奥さんはまだ寝ない。それどころか、とにかくおうちがどこもかしこもでかいよ!などと言って我が心地よい睡眠の邪魔をする。
 言われて外を見ると、確かにおうちがでかい。それでいて塀が無い家が多い。家と家の間隔が大きいから、境界を強調しなくても問題ないからだろうか。それとも、みんなうどんばかり食っているからすっかりのんびりモードになっているのだろうか。あ、別にうどんを食ったからといってのんびりになるわけはないか。

 さて、多度津駅で下車。ホームを渡って琴平行きの電車に乗る。
 新大阪や東京あたりで乗りかえるのとは違い、一本逃すと次の電車まで随分待たなくてはならない。そのせいか、特急から降りたお客さんのうち、急ぎ足で階段を駆け上がっていく人たちもいた。特急の到着が数分遅れていたからだ。
 でも、普通電車はのんびり待ってくれていた。
 ところで、特急「いしづち」では、今治に向かっている時に車掌が車内を回ってきただけで、その後は1度も来なかった。普通電車に乗り換えるときには、もう特急券は必要ない。ということは、特急券は今治までの分だけ買っておいて、乗車券だけ琴平まで買っておけば、まったく気づかれることなく乗っていられたのではなかろうか。
 まさか、わずか1〜2000円のためにそんな冒険をするつもりはないけど、可能かどうかは知りたい。

 琴平行きの電車で驚いた。なんだか電車に乗るたび驚いているが、 なんと、この車両は停車中、手動で開閉するのである。

 写真にある通り、季節限定の作法であるらしい。もちろん、発車前には運転席のボタンで全部締まるようになっている。

 そういえば、前回の東北旅行でドアの開閉ボタンがある、ということでビックリしたということを書いたが、このあと実家に帰ってビックリしたことに、JR京都線でもボタン付きの車両が走っていたのだ。聞くところによると、湖西線を周る車両に付いているらしい。今やすっかり全国区だったらしいのである。
 電車がない沖縄では知る由もない世の変化であった。 

 そんなオドロキをよそに、電車はあっという間に琴平に着いた。あっという間に着くのだが、残念ながら駅に着いてもあっという間に乗れない。本数が少ないのだ。
 徒歩行には電車は重要なので、駅に着いて早々普通電車の時刻表を調べてみたところ、1時間に2本だった。ま、八高線よりは便利かな……。

 さあ、いよいよ旅の最終盤、うどんめぐりの日々である。
 そして、忘れちゃいけない、金毘羅さん。
 ………我が足腰よ、この過酷な運命を乗り切れるか?