〜湯けむり地獄うどん旅〜

うどんめぐり

 第一日

 昼過ぎに宿に到着し、一服したあと、さっそく出動である。
 昼飯を抜いて臨んでいるのだ。胃袋はすでに戦闘態勢が整っている。
 宿を出る際、フロントに鍵を預けると、昼食ですか?と訊かれた。はい、昼ご飯を……と言うと、フロントのご主人は丁寧に近くの飯屋をいろいろ教えてくれた。
 うどんを食いに行くんです、という旨伝えたら、参道沿いにいくつもあるうどん屋をいろいろ教えてくれた。たしかにたくさんあるのだ。さすがうどんの国、讃岐。
 「ご主人、せっかくのご好意はありがたいが、我々には心に決めた店がある……」
 とは言えず、礼を言って外に出た。

 今回、巡るべきうどん屋さん決定に際し参考にしたのは、まず
 「うまひゃひゃさぬきうどん」
 である。けれど、多くのうどん屋訪ね人がそうであるように、この本も車を利用したうどん屋巡りだ。そのため、とうてい車でしか行けないような場所にある店も数多く載っている。
 だったらレンタカーでも借りりゃいいじゃないか、という安易な発想はいけない。最近、さぬきうどんの人気爆発とともに、車で訪れる人が増えていて、ただでさえ狭苦しいところにある製麺屋さんなどでは迷惑駐車が激増しているという。あまりに近所迷惑になってしまったため、店をたたんだところもあるほどなのだ。己のその時の欲求しか考慮せず、他人の迷惑は考えない今の日本人らしい「事件」だ。

 それに、我々の今回の旅は「健脚商売」である。公共交通機関を利用しつつも歩かねばならない。

 というわけで、徒歩で行く、ということを前提にして店を選ばねばならない。駅からどれくらいの位置にあるか、というのが重要だ。
 その際非常に役に立ったのが、ヤフーの全国津々浦々地図である。十五万分の一から二万千分の一までの地図を、自分の見たいところを中心に設定していろいろ探せるのである。土地鑑のない土地に行くに際し、これはかなり役に立った。
 そして、我々のように車では行かないぞ、という人が紹介しているさぬきうどん巡りのサイトを見つけた。このサイトは、香川県内のうどん屋を主要店を中心に数多く紹介していて、うまひゃひゃさぬきうどんに載っている店はほぼ網羅されていた。
 そういった各店への徒歩で行く場合の時間の目安や、簡単な道順、通り道に見える目印的建物などが簡潔に書かれているから、ヤフーの地図と合わせて大いに役に立った。

 コピーしておいたその地図とコースガイドを頼りに、テクテクと行進を始めた。
 ちなみにうちの奥さんは、地図を見るという作業が大の苦手だ。もちろん、そこに書かれている記号や文字は読めるのだが、今自分がどの道をどの方向に歩いていて、この交差点は地図でいうとどこに当たるか、ということをつかむセンスがまったくない。
 ドライブ中でも、運転手の僕は走らせながら地図を見られないから、地図チェックは奥さんの担当になる。これがもう、右も左もあったもんじゃないのである。地図を見ているうちの奥さんの指示よりも、僕の勘のほうがよっぽど正確なほどだ。脳の回路に致命的な欠陥があるに違いない。

 で、このうどん巡りでも航海長は当然ながら僕である。
 なのに、うどんうどんうどん、と、心はすでにさぬきうどん状態のうちの奥さんは、地図を片手にテクテクと歩いていく。
 へぇー、さすがに食べ物に関しては事前に道順を予習していたのか………
 と関心しつつ、
 「見当つけて歩いてるの?」
 と尋ねると
 「え?ううん、全然わかってないよ」
 だったら地図を渡しなさい!

 旅程を考えた当初、この日の昼飯代わりは満濃町のお店、小懸家、長田、という2軒にしようと思っていた。さぬきうどんに興味を持った人で、この2軒を知らない人はいない。
 ただし、最寄の駅(琴平駅)から歩いて50分ほど。往復で1時間40分………。ややビビった。
 実際、参考にしたサイトの管理人もバスを利用して行ったようだ。最寄のバス停からなら10分なのである。
 ただ、バスは3時間に2本程度しか走っていない。また、木曜日は長田の定休日である。
 有名な満濃池も見てみたい、という願いがあったのだが、やむなく予定を変え、我々が最初に目指したのは、水車という店になった。琴平駅から歩いて25分ほどという。

 地図を頼りにテクテク歩く。
 冒頭、わかってもいないのに適当に歩き出したうちの奥さんのせいで、すでに地図上のどこを歩いているのか確信が持てなくなっていたけれど、とにかく方向は合っているだろうと信じて川沿いを歩いた。
 金倉川という。
 川の存在感としては、京都河原町の鴨川、といった風情の川である。ただ、京都ほど町が大きくないので、河原沿いに飲み屋がズラリと軒を並べる、という景色はなかった。
 ヤフーの地図には、主要な建物が少しだけ書かれているものの、番地が細かく載っているわけではない。地図を見て歩いている、といっても、町名とコースガイドの文言から場所を類推するしかない。そこにきっと店がある、と信じて歩いているだけである。だから、歩きながらも不安がないわけではなかった。

 その不安を押し隠しつつ、川を眺めながらテクテク進む。
 川にはいくつも橋が架かっていたが、町外れに架かっていた橋は古風かつ立派だった。
 「鞘橋」という。
 橋柱をまったく使わない木造の橋で、道後温泉のような屋根まであるという珍しいものだ。渡ってみたい誘惑に駆られたが、残念ながら封印されていた。
 この橋は、毎年10月に行われる金刀比羅宮例大祭と呼ばれる神事の際のみに使用されるらしい。うどんうどんと心浮ついている我々が渡っていいはずはなかった。

 さらに歩くと、琴平町と仲南町の町境に。ふむふむ、一応道は合っているぞ。
 ただ、この先が問題だった。
 国道沿いである、買田という住所である、という手がかりだけだと、地図上では1キロ近い範囲なのである。
 有望そうな手がかりは、
 「西村ジョイの前」
 という一節だけだった。
 西村ジョイってなんだ?という根源的疑問もあったが、目印になるくらいだから大きなスーパーかなんかだろう。
 ついに国道に出た。
 僕の勘は、ここから
700mほどまっすぐ行った辺りだ、と告げていた。さあ、このまままっすぐ行こう!
 ……というとき、ふと横を見ると、
 「西村ジョイ」
 という看板が燦然と輝いていたのだった。
 ありゃ?

 思っていたよりもうんと近いところにあった。
 まったく予想と違う位置だったが、たしかに国道沿いで地名も買田だった。
 僕の勘もまったくあてにならないことがこの時判明してしまった。

 西村ジョイ(ホームセンターだった)が見つかればもうこっちのもんである。
 勇気付けられつつテクテク歩くと、手前に「さぬきや」という店があった。まったくノーマークの店だ。車がたくさん止まっていた。
 うまそうだなぁ、腹減ったしなァ……という誘惑に押しつぶされそうになりながらも、とにかくここは初志貫徹。
 ま、目指す店がこの遥か先だったら、迷わずこの店に入っていただろう。

 テクテク歩く。あ、あの看板は!?
 水車!!
 たどり着いた。ようやく着いた。
14万8千光年の旅を終え、「地球か、何もかもみな懐かしい……」とつぶやいて死んでいった沖田艦長のような感慨を胸に抱き、我々は暖簾をくぐった。

 水車

 うどんというのは小麦粉から作る。
 讃岐の国はうどんが名産である。
 だがしかし。
 さぬきうどんに使用されている小麦は、ほとんどすべてが輸入物なのである。もちろん、讃岐平野でもその昔は大々的に小麦を作っていたのだが、やはり広大な土地で大量に作られた輸入物には値段で太刀打ちできるはずがない。戦後、讃岐平野の小麦はヤンバルクイナなみの絶滅危惧種なのである。

 ところが、そんな県内小麦事情にあって、ここ水車は県内産小麦しか使わず、しかも製粉を自ら行っているという、という確固たる信念のもとに営業されているという貴重な一軒なのである。
 海外産小麦を使った多くの麺にくらべると、香りの高さにビックリするはず、というのがもっぱらの評判だ。

 が。
 我々は根本的なところで間違いを犯してしまった。
 だってあなた、我々はまだその他大勢の麺を1度も味わってないんですぜ。イの一番に国産小麦製を食ったって、
 「香りの高さ」
 も何もあったもんじゃないじゃないか。

 それに気づいたのは、一口目を食った時だった……。

 香りの高さを味わうには「釜揚げ」に限る、というので、僕は迷わず釜揚げを頼んだ。
 釜揚げとは、茹でたあと冷水でしめずに、そのまま茹で汁につかったままの麺である。これをつけ麺の要領で食うのだ。
 たしかにうまい。うまいけど、僕がさぬきうどんに求めていたのはこうじゃなかったのである。
 僕はとにかく噛めば弾力があるというさぬきうどんの持つ強靭なコシというかなんというか、つまり頼むべきは冷水でしめたヤツだったのである。
 うちの奥さんが頼んだ「ざる」が美味そうだった……。少しもらった。美味かった!
 これで美味くなかったら、この讃岐行の基礎の基礎が崩れてしまうところである。なにしろうどんを食いに来たのだ。美味いというから食いに来たのだ。これで美味くなかったら………。 

 釜揚げ 400円、ざる いくらだったっけ?
 国産小麦、かつ自家製粉というコストを考えると、この値段は安い、と言わざるを得ない。
 また、あとでわかったのだが、メニューにあった「大根うどん」こそが、我々の求めていたものだったのである。舞いあがっていたのでまったく気づかなかった。
 できることなら、身も心も落ち着いた中盤に訪れたかった………。

 舞いあがっていたにしろ、とにかく腹を満たすと落ち着いた。他に客が数組いたが、みんなカップルでうどん巡りをしている感じだった。うどんを食いながら互いにウンチクを語り合っているのだもの、すぐにわかる。
 僕らはひけらかすほどの知識も味に関するボキャブラリーもないので、ただ静かに茶を飲んでいた………かったのだけれど、いきなりお茶をこぼしてしまった………。

 店を出た。
 さて、このあとどうしよう。
 なにしろ素泊まりでお願いしてあるくらいだから、うどんを食い歩きたい。
 でも、ここから次の店へ行くにはどうするか。
 次に関してはうどんを食いながら店で決めよう、とオボロに思っていたけど、店内で別の店について相談するのは気まずい。
 結局何も決まっていないまま外に出た。

 あてもなく地図を見ると、ふと思い当たることがあった。
 水車用の地図の片隅に、他の地図で見た地名が載っていたのである。紙をめくると、その先は小懸家・長田用の地図に続いていた。満濃町まで歩いて行けそうなのである。
 駅から
50分でも、ここからならもう少し近かったのか!

 さっそく別々の地図をつないで眺め、道順の見当をつけた。
 このときは、とってもとっても近いと思ったのだが………まさか地獄の行軍になろうとは。

 小懸家や長田がある満濃町のその一画は、うどん好きの人々の間では
 「満濃トライアングル」といわれているという。もう一軒有名どころがあって、交差点をはさんで3軒が三角を描いているからだ。
 その交差点はおそらくここだろう、という見当はあらかじめ地図上でつけていて、水車の地図とつなぎ合わせたところ、だいたい3キロくらいの道のりと思われた。ややつらそうだが乗りかかった船である。長田が定休日でもかまわない。ともかく行ってしまえ!!

 満濃トライアングルへ 

 讃岐の国は、平野の国だ。
 讃岐富士や金毘羅さんのある象頭山など山はたくさんあるけど、それらは平野にポン、ポンと乗っかっているような感じで、土地のことごとくは基本的に平面である。途中、買田峠というところを通ったけど、峠といっても、水納島の桟橋から登る坂道程度の起伏しかなかった。

 そういう土地では、農作業が大変だ。
 土地が平らなために、天然の川だけでは広い平野に水が行き渡らないからである。
 そのため、讃岐平野には灌漑用溜め池がメチャクチャ多い。
 二万千分の一の地図を見るだけでも、まるで虫食い穴のように池がたくさんあることに気づく。有名な満濃池はそういう灌漑用の池のチャンピオンなのである。
 満濃池は、弘法大師空海が作った、ということで有名なのだが、讃岐平野に無数に散らばるこれら溜め池も、伝説上は「弘法大師が作った」ということになっているという。一遍上人は温泉を、弘法大師は溜め池を。これだけで両者のキャラクターが少しはわかる気がする。

 我々の道中にも溜め池があった。
 なんてことのない溜め池だが、ガマノホが池の縁でたくさん見られた。蒲の穂である。沖縄では見られない。内地でも、だんだん失われているはずの湿地性植物である。

 しばしこの蒲の穂を見ていると、グァグァグァという声が。
 茂みの奥から合鴨が現れた。狂喜する我妻マサエ。
 普段からさんざん餌を貰っているのか、ねだるように近づいてくる。しょうがないなぁ、といいつつ、バッグの中のお菓子をあげていた。

 畑が広がる。広い家がポツンポツンと建っている。この土地の広さ、静かさ。田舎は素晴らしい。
 この広い土地に縦横無尽に灌漑用水路が走っていた。小川のようなサイズから跨いで渡れる程度のものまで各種さまざまだ。僕もうちの奥さんも、子供の頃、こういった水路でいろんな生き物を獲っていたので、しみじみ懐かしい。
 通りかかるたびにいちいちうちの奥さんは用水路を覗き見る。コンクリートで固められた溝だから、きっと何もいないだろう、と僕はたかをくくっていたのだが、カワニナがたくさんいる!と素っ頓狂な声を上げるうちの奥さんであった。小さいけどシジミもたくさんいた。
 畑で農薬を使っていない証拠だ。
 そういえば、満濃町のマンホールの蓋には蛍の絵がデザインされていた。
 カワニナは蛍の幼虫の重要な餌である。こんなにいれば、蛍だってたくさんいることだろう。

 テクテク歩く。ずんずん歩く。
 けれど、歩けども歩けども、一向に近づかない夢の交差点……。ああ、そうか、50分、ということで当初は躊躇したんじゃないか。3キロって、45分〜50分はかかるよなぁ………。