〜湯けむり地獄うどん旅〜

素泊まりの果てに 2

 二日目の夕食は…

 ゆっくりゆっくりペースが効を奏し、おまけに快適温泉が身も心も100パーセント状態にしてくれたので、今宵はなんだか絶好調である。
 絶好調なのだが、どこで食うかが問題だ。
 なにしろ昨夜は村さ来だったからなあ…。

 かといってさまよってもしょうがないので、昨日は却下した店に行ってみることにした。どれだけはずそうとも、村さ来を下回ることはあるまい。どん底を味わった人間は強いのである。ま、なにも村さ来をそこまでいうことはないか…。
 その目指す店は、参道を降りたあと、そのまままっすぐ行ったところにある、新町商店街の入り口付近にある。
 直接行ってしまっても良かったのだが、参道のふもとにズラリと並ぶ提灯を見ているうちに、ふと思い出したことがあった。
 駅前付近にある高燈篭と呼ばれる高さ日本一の燈篭を昼間に見たのだけれど、それが夜になると火が灯って美しい、とガイドブックに書かれてあったのだ。
 せっかくだから、寄り道して燈篭を見ることにした。

 この燈篭がもう、あなた………。
 なーにが火が灯って美しい、だ。そりゃ明かりは入っていたけどさ、美しい、と特筆するほどのもんじゃなかろう?

 けれど。
 この燈篭ちゃんが、我々に素晴らしいプレゼントをもたらしてくれたのである。ここまで寄り道をしたおかげで…。

 小染

 先に述べたように、町内には金倉川が流れていて、わりと細かい間隔で橋が何本も架かっている。これで川沿いが京都の鴨川沿いのように飲み屋の明かりがわんさかあるようなところなら風情があるのだが、どうやら川沿いの道は完璧に裏通り状態であった。
 目指す店に行くにはこの川沿いの小道を通ったら近いので、テクテク歩いた。たしかに、川沿いにも何軒か店がある。けれど、ソープランドの隣であったり、やたら高級っぽそうであったりして、イチゲンサンとしては入るのをためらってしまうのである。
 そこを歩いていると、対岸に一軒の飲み屋さんを発見した。昼間は気づかなかったところだ。
 ちょっと見てみよう、と、すぐ近くの橋を渡った。不必要なくらいに橋が多いな、と思っていたけど、そのおかげですぐに確認に行けたのである。もしここに橋が無かったら、迂回してまで確認はしなかったかもしれない。

 軒先まで来てみると、そこは居心地よさそうな小料理屋さん的飲み屋さんだった。
 表にあった数種のお品書きを見る限り、明らかに地のものを出してくれそうである。
 店の名を「小染」という。
 入ろうか、どうしようか。ベラボーに高かったらビール一杯飲んで出ちゃえばいいか。ええい、ままよ、入っちゃえ!

 ガラガラガラ…

 「いらっしゃい!!」
 と、ご主人が迎えてくれた。
 どうやら他に客はいない。金曜日の晩である。まだ時間的に早いとはいえ、他に客がいないところって……と、やや不安が広がった。
 カウンターと座敷があったので、座敷でくつろぐことにした。
 とりあえずお約束の生ビール。
 うめー!
 そして、お通しが出てきた。
 昨夜はこのお通しも悲しいものだったけど、さて、ここは何かな?

 シャ、シャコだ!!
 シャコの酢の物である(シャコガイじゃないよ!)。
 こんなの、食ったことない。期待に胸を膨らませ、一口、二口……。

 うままままああああああぁぁぁぁぁぁぃいいいいいいいッ!!

 美味い!!
 これは……このお店は……メ、メチャクチャ当たりじゃないか!!
 うちの奥さんなどは、このお通しだけで大満足状態である。
 こりゃ酒が進むぞぉ〜。

 ナマコも感動ものだった。別府、道後とさんざんスーパーで売られているのを見てきたが、今回初めて口にした。これがまた、もう………(ヨダレ)。
 都内で勤めていた頃も、飲み屋でナマコを食ったことが幾度かあったけれど、あんなのはナマコじゃないってことがハッキリわかった。とにかく美味いのだ、ホント。
 ああ、水納ビーチのナマコたちがこんなに美味しいものだったらなぁ………あ、そうすると今ごろとっくに絶滅してるか………。

 アジなんて、普段の生活じゃ干物しか食えないけど、お造りがまた美味いのである。もう、美味い美味いとしか言えないのがもどかしい。イイダコも美味かった。小さな小さなタコなんだけど、腹の中に卵が詰まっていて、それがまた絶妙なのである。タコの刺身だって、同じように見えて島で食っているものとはまるで違う。

 どんどん酒が進んでいく。
 生ビールのおかわりはもちろんのこと、ところのお酒も冷で頼んだ。

 その間、我々以外に客がおらず、マスター夫妻といろいろお話していた。
 観光客というのが一目瞭然だから、いつもそうであるように、どこから来たの?と訊かれる。
 いつものように沖縄です、と答えたら、その返事は今までとはちょっと違った。

 「へぇぇぇ、沖縄!私らつい最近行ってきたところなのよ!!」

 とおっしゃるのだ。その「つい最近」というのも、本当に最近なのである。なんと我々が別府、道後にいた頃にいらっしゃっているのである。昨日帰ってきたばかりで、お店も今日久しぶりに開けたのだそうだ。
 なんとまぁ………って思うでしょ?
 そういえば、宿で仲居さんが言っていたけど、琴平町の観光協会では、テロ不況に見まわれている沖縄観光界を応援しようと、ツアーをたくさん組んでどんどん人を繰り出しているのだそうだ。マスターご夫妻も、そういうきっかけでいらっしゃったという。
 沖縄に代わり、礼を込めてこの日の売上に貢献しよう。

 ま、そんなわけで、話がはずむのは当然のこと。
 沖縄の話から琴平の話まで、お互いが知る情報をいろいろ語り合いながら、酒はどんどん進むのである。
 そんな話の中で、長田の休業事情も出たわけだ。
 うどんを食べまわるためにやってきたのだ、という話から始まり、あそこは美味い、ここがいい、という話もあった。で、我々が徒歩で回っている、というと、さすがにビックリされた。水車から小懸家へ、小懸家から琴平まで、なんて、考えるだけでも前人未踏的だそうである。たしかに、他に誰も歩いてはいなかった。
 面白いことに、その道々の用水路にたくさんシジミやカワニナがいた、という話をすると、
 「へぇぇぇぇ、そんなの気づいたこともないわ、私ら車でピューッと通りすぎるだけやからねぇ」
 とのこと。
 おそらくたいていの人がそうなのだろうと思うのである。
 この辺が実は恐ろしいところでもある。
 クジラだジュゴンだというと誰も彼もが騒ぐけれど、実はこのような、人知れずひっそりと生きているものだって、人知れず絶滅に向かっているのである。たかがシジミだ、カワニナだというなかれ。現在の科学では、それらをはじめとする、この世のありとあらゆる生き物たちの相関関係、自然に及ぼす影響ということに関して、まったく詳らかにはされていないのである。もしかしたら、一匹一匹は取るに足らない生き物であっても、彼らがいるおかげで重大な病原菌が発生していない、ということだってあるのかもしれない。気象に影響を与えているかもしれない。農作物に好影響を与えているかもしれない。
 何もわかっていないし、否定もできないのである。
 なのに、日本のあちこちで、徐々にだが確実に、どんどん姿を消していっている生物たちがどれほどの数に登っているか。それらのほぼすべてが、用水路のシジミやカワニナ同様、誰も気づいていないところで……。
 環境省をはじめとするお役人というのはそういう基本的な認識が皆無なので、保護をする対象は
 「学術的に貴重」
 「絶滅の危機がある」
 とか、そうやって人間が気づいている付加価値にしか思いが巡らない。この世の生き物に、貴重か貴重ではないか、という区別は本来存在しないのにもかかわらず、である。

 ま、今はいい。
 今宵は気分良く酔っ払っているのだ。

 金毘羅さんにお参りしてきた話もした。
 あの旭社って、あそこが御本宮って思いこんでいる人が絶対何人かいますよね、マスター。

 「そうそう。あとね、参道をちゃんと通らずに帰り道から登って行く人も多いね」

 へ?
 参道と帰り道??
 「え、マスター、参道って……」
 「ほら、
旭社の脇の階段、あれが帰り道。参道は鳥居の下から続いてたでしょ………あれ?もしかして帰り道から登ったの?帰り道から登ったら一段足りないんだよ」
 ええーッ!?帰り道ぃ???僕ら、帰り道から登ってしまったではないか!!!
 「もしかして参道から下りてきてはいないだろうね?参道から下りたら御本宮にお尻を向けることになるからね、帰り道から登ってきて参道から下りたらえらいことになるよ」
 あ、とりあえず来た道で帰ったのは良かったのか………

 ああ、しかし。なんてことだ!なんたることだ!!
 ちゃんと参拝してきたつもりが、ルートにあからさまな間違いがあったとは!!

 「明日参拝しなおしたら…」

 そうすることにしよう………。

 大門そばの甘酒に感動したことも話した。もちろん、マスターは知っている。知っているだけではなくて、ご自身でも作っているという。おもむろに、冷蔵庫から、タッパに入った作り置きの甘酒を出してくれた。もちろん非売品である。

 湯飲みに注がれた甘酒を見ると…
 すごい!!
 まるでおかゆのような米の密度!
 一口飲んでみた…いや、食ってみたと言ったほうがいいかもしれない。
 美味い!
 甘さ控えめ、それでいてコクがあり、舌触りも滑らかに米粒がのどをマッサージ……。
 こりゃ美味い、美味いですマスター!!!

 後日実家に帰り、その感動を報告すると、うちにもあるで、とわが母が冷蔵庫から取り出してきた。
 甘酒って、また酒カスのと勘違いしてるんじゃないか?これだけ説明してもまだわかってないんじゃないか……と恐れたのだが、なんとそっくりな味。米に麹を混ぜて醗酵させたものだった。
 もしかして、米麹の甘酒って流行っているの??

 いい加減酒も進み、そろそろ、かきフライとか鳥のから揚げとか、腹が膨れるものに突入しだした頃だった。新たなお客さんが入ってきた。
 常連さんのようである。3名の壮年紳士であった。

 我々とは衝立で隔てられた隣に陣取り、さっそく飲みはじめたようである。
 常連さんだからマスターともやりとりする。すでに我々も会話していたので、マスターを中心に、マスターと常連さん、マスターと我々、という図が成り立っていた序盤であった。
 ところが、マスターが我々のことを常連さんに紹介してからというもの、マスター、常連さん、我々という、満濃トライアングルも真っ青の三角形が出来あがってしまった。
 とりあえず衝立で隔てられているので、声のみが聞こえてくる状態だったのだが、それがどうにもこうにももどかしい。ついつい、衝立の上から身を乗り出して返事をする、という暴挙に出てしまった。
 それがおじさんたちのハートに火をつけてしまったのか、気がつくと我々のテーブルが一大飲み会場と化してしまった。
 もう、いい加減飲みすぎて、そろそろ締めの何かでも……と思っていたのに、次から次に熱燗を注がれる注がれる。なんだかとっても話が合ってしまって、気がつくとかなりご馳走になっていた。

 初対面だから、当初こそ絵に描いたような紳士であった彼らだったけれど、酒が進むうちにだんだん飲み友達化していき、ついには実情通り人生の先輩、後輩、という立場になっていく。
 「ああ、そうですか」
 「へぇ、そうでしょうね…」
 という他人行儀な会話だったのが、
 「うどんって、どことどこに行ったん?」
 「そうですねぇ、小懸家とか…」
 「小懸家!?アホやなァ!あんな高いとこ!!」
 気がつくと、アホやなァあつかいなのであった。誤解の無いように行っておくが、東京で言われるアホと関西で言われるアホとではニュアンスがまるで正反対である。関西では親しみ込みの言葉なのだ。大橋巨泉がよく言う「バカ!」と一緒である。

 「善通寺の店にも行ったんか。善通寺は行った?」
 「はい、もちろん」
 「トンネル見てきたか?」
 「へ?トンネル??」
 「アホやなぁ!善通寺でトンネル見ないどうする!五重塔なんかなんでもないで。トンネル見な、トンネル。アホやな!!」

 なんと、善通寺西院にある御陰堂に、戒壇巡りの地下道があるのだそうだ。ここを見ずして何を見る、という存在だったらしい。見落としたものはないかな、と気にはしていたのだが……やはりあったか!

 「自分ら、授業料っていくら払っとったん?」
 「半年で12万6千円でしたかねぇ」
 「アホやなァ!わしら6千円やで!!」

 こればっかりは国が決めることだからどうしようもないのだけれど…。
 なんで国立大学の授業料の話になっているのかというと、それは我々が単なる酔っ払いだから、ということなのだが、そればかりではない。なんと彼らは教育者なのである。中学校の先生方だったのだ。しかも教頭先生含む!!

 それも、琴平町内の先生ではなくて、わざわざ多度津からこの店に来ているという。この日のために予約までして来ているだそうだ(他に客はとうとう来なかったけど)。
 そういうこともあって、
 「君ら、ホント、この店を選んだのは大正解やで!!」
 と10万回くらい言ってくれた。
 いや、ホント、大正解も大正解。壮年紳士から単なる酔っ払いへと変身したおじさんたち込みでね。

 僕らがうどんめぐりをしているということもあって、いろいろ教えてくれた。本に載っているものなんかよりも、ええとこいっぱい知ってるのに、なんでわしらに訊かんのや、アホやなぁ!という調子で。
 我々県外から来た人間は、さぬきうどんにはまず「コシ」を期待する。小懸家のような麺がまず思い描くものであるはずだ。
 ところが、案外地元の人は、あそこのは固すぎるでしょ?という冷静な反応。過度なコシでもいけないらしい。もちろん好みの問題だが、だからしょうゆうどんだけじゃなくて、ちゃんと釜揚げとかダシ入りもあるわけですな。

 そんななか、
 「さぬきうどん八十八ヶ所巡りとかなんとか騒がれてるけどな、わしら八十九ヶ所目を知ってるんやで」
 え?どこです?
 「ここや!ここの釜揚げは絶品なんやから。絶対食べたほうがいいで!アホやな」
 最後のアホやなは脚色だが、釜揚げは真実であった。
 実は締めのメニューとしてさっきから目を光らせていたのである。そう言われて勇気百倍、早速注文した。
 
うん、おいしいぞ!
 うどんはコシが強すぎてもいかんのだ、という話を聞いたせいか、今日の昼までなら釜揚げだとコシが弱くなって物足りないと思ったかもしれないのに、なんだかしみじみ美味いのである。あったかい飲み屋であったかいお客さんに触れ、あったかいうどんを食うこのシアワセ。寒風に吹かれながら背を丸めて帰った昨日のことが走馬灯のように脳裏をよぎる。

 いい加減盛り上がり過ぎて僕らに悪い、と気を遣ってくれたのか、おかみさんが彼らの本来の席にうどんを用意していた。そろそろ戻れ、という合図らしい。
 酔っ払いに変身してしまった壮年紳士は、さすがにいつもよりも酒が進んでしまったようである。おお、うどんうどん、とヨロコビの声を出しながら席に戻る際、ドッテンバッテンッという音が。
 ビックリして衝立の向こうを覗くと、なんと障子が………
 破けただけなら良かったのに、障子の桟ごとバキバキバキッ………。相当酔っていたのだろうか。
 もしかして我々のせい?
 マスターも、さすがに衝撃は大きく、酔っ払い相手にさて、この後どうしようか、という雰囲気もあったけど、とりあえず笑い話で済んだのだった。なにしろみんな酔っ払っているんだもの。

 彼らはまだまだくつろいでいるようだったので、我々は一足先に店を出た。
 僕らが勘定を済ませている間、今度琴平に来たら、ここでまた集合やで!とおじさんたち、いや壮年紳士たちは熱く語った。そして、讃岐でとっても印象残った言葉をこのとき耳にした。

 「また、来まいよ!」

 またおいでよ、という意味である。

 極めて偶然に、そして強運に恵まれて素晴らしい店にたどり着いたこの日。これははたして本当に単なる偶然なのだろうか。運が良かっただけなのだろうか。
 ひょっとしてひょっとすると、つらい思いをして参拝をしたことに対する、神様のささやかな差し入れなのかもしれない。
 世の中、神も仏もない、と嘆くなかれ。気づいていないところで少しずつ少しずつ恩恵を得ているのかもしれないのだ。

 6時過ぎ頃に宿を出て、飲み屋を出たのは11時前。時計を見てビックリした。夕食を食ってきます、と出て行ったきり帰って来ない我々を宿の方々が捜索していたらどうしよう……。
 そういうことはなかったけれど、フロントで送迎紳士が眠そうに鍵を渡してくれた。どうもすみません………。