アヤシイ貴船城

 これほど快適な夜を過ごして、朝が快適でないはずはない。
 異常に健康的な生活が、この日から始まった。
 前夜早く眠るせいで、朝早くに完全起床できてしまうのである。
 夕べのうちに、今朝の朝食は8時ごろに、といっておいたのだが、この快適モードならもっと早くてもまったく問題なかった。

 当初の計画通り、朝飯前に湯に浸かる。
 7時前のこの時間は、まだ町が目覚め始めたばかりのようで、空気は夜の名残を残してしっとりと冷たい。着替えも露天なので浴衣を脱ぐとさすがに
 「ヒョエ〜〜」
 というくらい寒い。即座にかけ湯をして温まりたいところだ。さ、朝のひと浴び……と湯をかけると、
 「ヒエ〜〜」
 というくらいに熱かった。昨夜と違って、体が冷えているうえに、まだ誰も入っていないから、ものすごく熱いままだったのである。

 夜に比べて湯気の量が多く、朝の空気は限りなくすがすがしい。やっぱり天国。

 朝からビールを飲みたいくらいにご馳走だらけの朝食を終えたら9時前だった。
 2泊の予定なので、今日は丸一日滞在できる。
 といっても、湯けむりの町並みを見たい、という以外、鉄輪での予定はまったくなかった。
 温泉地に来ていながら、いくつかの共同浴場のほかは、いろんな温泉を入りまくる!なんて野望はこれっぽっちもなく、ただただその町の雰囲気だけで良かったので、すでに目的の半ばは果たしているといってもいいくらいだ。
 が、ベッタベタの観光地をまわる、という本来のテーマが残っている。
 別府でベッタベタの観光地と言えば………そう、地獄めぐりである。

 というわけで、本日の予定は

 湯けむりの町の探訪
 地獄めぐり
 地獄焼プリンを食べたい
 温泉卵を食ってみたい
 最近売り始めたという地獄蒸し豚マンを食いたい
 名物のダンゴ汁も食ってみたい
 竹瓦温泉にも行ってみたい
 かんなわむし湯にも行ってみたい

 ということになった。相変わらず食い気が多い。

 車を使うわけではないので、どう考えても疲労困憊しそうな気配なのだが、我々には温泉という強い味方がある。気にせず進め、迷わず進め。 

 どこか小高い場所から、鉄輪や別府を見渡してみたい、と思った。
 背後の鶴見岳は絶好のポジションだが、そこまで這い登るパワーはない。
 すると、宿のご主人が「貴船城」からの眺めがいい、と教えてくれた。
360度の眺望を楽しめるというのだ。
 なるほど、宿からポッコリと天守閣が見える。歩いて行けそうな近さでもあった。

 はて、それにしても、貴船城なんてガイドブックに載ってただろうか……。
 歴史上の九州の攻防については、教科書に載っている程度の知識しかないとはいえ、貴船城なんて聞いたことないなぁ。誰のお城だったんだろう……。

 とりあえず、眺めのいいというその城から、鉄輪を見渡してみよう。さっそく出発した。

 宿を出て、いで湯坂を少し登ると、そのまままっすぐ行くとみゆき坂、という交差点があるのでそこを右に曲がる。わりと交通量の多い道だが、最初はわかりやすい道で行くほうがいい。

 ほんの少し歩くと、突然右手の視界が開け、鉄輪の町の湯けむりのオンパレードを目にすることができた。町全体が海へ向かってなだらかな斜面になっているので、高いところに登らずとも町を見渡せるのだ。これである。これを見たかったのだ。

 一説によると、この湯けむりは、天候が崩れそうな曇った日がもっとも景気よく見えるのだそうだ。そういう意味からすると、この日のような素晴らしい快晴はやや不利になってしまう。でも、眼前の湯けむりたちは、天高くモクモクと駆け上がっている。曇っている日はこれよりも凄いのだろうか。
 まあしかし、この湯けむりの見事さを見る限り、この地を開いたという一遍上人は大した人である。なんでも、伊予の国から念仏行脚で立ち寄った一遍上人が、熱湯と噴気で荒れ狂う地獄を鎮めて開いたのだそうだ。
 そういった話は「話5分の1」で聞くとしても、どうやら湯の町を開いたことはたしかなようだ。後で知ったのだが、この一遍上人にまつわる伝説を、永福寺の住職から聞くことができるらしい。そう、永福寺とは、我々が泊まっている宿の寺である。まさに大正デモクラシー……いや、違った、灯台下暗し。

 一遍上人は伊予生まれで伊予からここへ来たらしいが、我々はこの後伊予へ行く。せっかくだから、一遍上人が産まれた地も訪ねることにしよう。

 この湯けむりの町並みを見てしまった以上、「貴船城」に行く必要があるのかどうか、はなはだ疑問ながら、ついでなので行ってしまおう。

 という判断は大失敗だったようだ。
 ま、行ったからこそそう思えるのであって、行ってなかったら後悔したかもしれない。ま、とにかくアヤシイんのだ、この貴船城。

 ふもとから見るとかなり立派な天守閣なのに、上り道にいたるまでの道路は、まるで城など無いかのごとく知らん振りしていた。「貴船城入り口」というバス停と、明らかにお城の関係者が作ったのであろう看板くらいしか城の存在を示す道しるべが無いのである。
 この、「城の関係者」と思った時点でアヤシサが溢れていたのである。

 坂道を登っていると、頭上の斜面でガサガサと音がした。
 落石か!?
 と思って一瞬ビビッたが、なんと野ウサギだった。
 ひょっこり現れたウサギは、「遅れちゃう、遅れちゃうッ!」と時計を見ながら駆け去っていった……ら、アリス・イン・ワンダーランドだが、このウサギは洋服を着ておらず、時計も持っていなかった。

 ウサギはノーマルだったのに、貴船城はすっかりワンダーランドであった。
 眺めを楽しみたいだけだったのだけど、その眺めというのは天守閣に登らなければならず、当然のように料金がいる。では広場のようなところからの眺めでいいや、と思ったら、そこに入る時点ですでに料金がいるのだ。
 朝早かったので他に誰もおらず、我々が近寄ると、おもむろに料金所の扉が開き、買うなら早く買え、という視線が突き刺さった。

 大した値段ではなかったから、とりあえず入場してみたところ、いきなり、最初に2ヶ所ほどご案内いたします、という怪しげなおじさんがやってきた。別に案内などいらないんだけど、しょうがないので付き従うことにした。
 案内する箇所とはほかでもない、白蛇様である。
 結局なんだかわからないのだが、ようするにこのお城というのは白蛇様=金龍を奉る神社のようなもののようなのである。こちらが初代の白蛇様です、というところに行くと、社の中でホルマリンに浸けられた大きな大きな白蛇がクネクネと身を横たえていた。
 ところを変えて別の社に行くと、そこには現役の金龍様が、クネクネと動き回っていた。
 「普通のヘビは、冬になると冬眠します。しかしながら白蛇様は、普通の蛇よりも体温が高いので、冬眠をしないのです……」
 ……って、あんた、ガラス張りのケージの中はヒーターで温まってるじゃないかよ………。
 だいたい、金龍金龍というが、ようするにアルビノのニシキヘビ系の蛇なのである。
 その蛇=金龍様の霊験あらたかなご利益の数々のオンパレードを受けたまわり、最終的に売店の脱皮ガラ入りお守りなどを紹介されたが、拝金主義を真っ向から否定するクロワッサンに金運を招くお守りだなんて、バカにしてはいけない。

 いきなりのアヤシイ解説のあと、天守閣に突入した。
 これがまたアヤシイのである。
 九州のこのあたりの歴史にまつわる展示物でもあるのかと思いきや、東海道五十三次の絵がズラリと並んでいたり、武田二十四将の掛け軸があったり。
 解説によると、このお城神社は山鹿素行を祭神にしてるのだそうだ。彼って武田家に端を発する軍学の大御所でしょ、たしか。なるほど、だから武田二十四将が………でもなんでここに山鹿素行なの?
 360度の眺めは確かに良かったけれど、この最上階もはなはだアヤシイのである。
 正面にお釈迦様、右にキリストを祭り、中央には宇宙のナントカカントカ……
 という説明が1階にあった。
 アヤシイでしょう??

 で、そもそものお城の由来なのだが、なんでも鎮西八郎源為朝が九州にいた頃、この貴船の地に砦を作ったという史実に由来しているのだそうだ。で、日本最古の砦造りのお城を再現……なんて書いてあった。けれど、為朝の時代にこんな立派な天守閣が有るわけないじゃん、あなた。
 こんなお城が、町を見下ろす小高い丘に大真面目にドデンと建っているのだからものすごい。得体の知れない宗教の力というのは侮れない。というよりコワイ。
 ふもとの人々がその存在を無視しているかのように見えるのも納得である。

 湯けむりの町を探訪、といいつつ、しょっぱなから意表をつかれる展開にちょっとドキマギしたが、たしかに天守閣からの眺めは良かった。別府湾は、水平線の果てまでベタ凪ぎだった。この後の旅程も、この海のように穏やかに過ごせますように……。
 とりあえず白蛇様に祈っておいた。